結局のところ、トラウマを負うというのは、「自分(私)」を奪われることです。
「私」というものがなくなってしまう。
「自分(私)がない」というと、多くの人はピンとこないと思います。
「本当にそうかな~?」と。
なぜかといえば、トラウマを負っている人は突破力や行動力はあったりするからです。
他者よりも気を使い、努力家で、たくさん行動していたりする。
だから、自分の頭で考えているし、自分で行動していると思っている。
しかし、それは、他者の気持ちに巻き込まれているだけだったり、ローカルルールによって強迫的に動かされているだけだったりする。
もっと言えば、「行動」という側(ガワ)だけがあって、「私」という中身がない状態だったりする。
実際に、いざなにか決断とか選択となると、途端にうまくできなくなったり、自分の感覚がわからない、となったりするのです。
また、以前も書きましたが、「行動力」はありますが、自己開示は全くできていなかったりする。
(参考)→「自己開示できない!」
話し方も、「私は~」がない。事象や他者のことは語ることができますが、「私」については魔法がかかったように語ることができない。
本人は「語っていると思うけどな・・」と思うか、自覚したとしても「語る必要がないんだから語らないだけ」という感覚なのですが、やはり真相は自分を奪われているからであることが多い。
色々と頑張ってきたけども、肝心の「私」というのものは、魔女の魔法のガラスの中に閉じ込められてしまったかのように奪われてしまっているのです。
そして、「理屈(他者の価値観≒ローカルルール)」の世界に生きてしまっている。
(参考)→「「理屈」をつけるとローカルルールに支配される~「認知」と「思考」も分けて、さらに自他の区別をつけるトレーニング」
そこで主権を奪われて、セラピーを受けたとしても、自分ではないものの悩みをテーマで取り上げたりしてしまったりします。
実際に、不思議なことに何回もセッションを受けてから、ようやく「私の問題」を俎上に載せる事ができるようになるケースもあります。
それも、いかにローカルルールの影響が強いか、私が奪われてしまっているか、を表しています。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
●よろしければ、こちらもご覧ください。