恐れる必要はない

 

 

 トラウマによって引き起こされることで一番大きなことは、やはり対人恐怖ではないかと思います。

 人というのが、何を考えているのかわからず、裏で恐ろしい企みをして、自分を貶めるような感覚が襲ってきます。

 動じない人を見ると怖くなったり、

 幸せそうな人を見ても脅威を感じたりするようになります。

 精神的に強いや安定している人は皆、サイコパスのように感じられたりする。

 わけのわからないことを言う人は、何やらとてつもない策略をもっているように感じてしまう。

 

 その根本にあるのは、理不尽な家族との関わりです。

 

 自分の全てを見抜いた上で、自分にとって嫌なことをしてくるように感じる。意味深なことを言ってきて、自分を縛る。

 

 不気味な怖さを感じてしまいます。

 たしかに、モラルハラスメントを仕掛けてくる人が狡猾さをもっていることは事実です。なかなか侮れない。気のせいではない。

 

 しかし、それはローカルルールの世界においてのみ成立する、ということです。

 

 いじめなどもそうですが、いじめられている空間においては、狡猾さは完璧に見え、そこから自分は逃れられないような気がしてしまいます。加害者は全てを掌握し、支配し、自分のすべてを知りぬいた上でハラスメントを仕掛けてくる感覚があります。

 

 ただ、常識の光が照らされて、ローカルルールの魔法が解けるや嫌な、や児戯に等しい異常さや、拙さがそこにあるだけということが見えてきます。

 

 呪縛されている間は完全なものに見える、
 ローカルルールというのは、そうした性質があります。

 
 なぜかといえば、
 「ルール」という言葉が含まれるように、ルールというものを悪用しているところにその理由があります。

 

 かくれんぼでも、トランプでも、草野球でもそうですが、その遊びをしている間は、わたしたちはそこで決められたルールを絶対のものとしています。

 その世界で没頭しています。ルールは強制力を持ち、それに従って過ごします。

 

 もし、遊びの世界で”王様役”というものがあれば、本当に王様のように振る舞い、皆それに従います。

 さながら小宇宙のようであり、それがすべてのように感じられます。

 しかし、遊びが終わるやいなや、それは雲散霧消してしまい、もとの常識の世界へと戻っていきます。

 「ルール」には、かんたんに小宇宙を形成する力があるのです。
 
 

 たとえば、理不尽な親や上司がとてつもなく狡猾に見え、賢く見え、自分が弱々しく見えるのはなぜか、といえば、それはローカル”ルール”の世界にいるから。

 ルールから外れれば、小さな、年老いた親がそこにいるだけ、だったりする。

 相手を騙すような頭の良さもなければ、能力もない。
 

 

 考えてもみてください。

 もし本当に悪魔のような狡猾さがあるのであれば、政治家か、社長にでもなって、もっと世の中で大活躍しているはずです。
 実際はそんな知力も、能力も持ち合わせてはいない。

 

 強く、したたかに見える加害者(親や上司や、パートナーや、知人)は能力が高いわけではありません。

 強く見えるのはローカルルールの世界の中で、ルールの大本を握っているから、そう見えるだけです。 
 それは、ごっこ遊びの世界で王様役の人がいろんな事ができるように見えるのと同じ。本当は大した能力など無い。

 大切なのは、「恐れない」ということです。

 恐れる、というのはルールに同意する、協力する、ということ。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 

 単に「恐れるな」といえば道徳になってしまい、「そんなの無理」となりますが、上にも書きましたが、相手はそんな力はない、という事実を知ることです。

 

 人間というのは大した能力を持ち合わせている人は、100万人に1人くらいしかいません。

 私たちの周りにいる人で、そんな力のある人はいません。
 

 「いや、いますよ。うちの親(上司)がそうで・・いつも私を狡猾に支配してくるんです」というのは、ローカルルールというニセの小宇宙の中でだけの力だということです。

 

 「裸の王様」の話のように、同意する人がいなくなれば、王様は単なる裸の人になってしまうものです。

 そのことがわかるだけでも、ローカルルールはこわれていきます。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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