昔イギリスが植民地支配する際に、現地の人同士を仲違いさせて、反発をそらすことでうまく支配していた、と言われます。
現地の人を管理者に据えて、その人に怒りや反発を向けさせることで、イギリスそのものには矛先が向かないようになっていた。
「本当の敵」をよくわからなくさせる、というのは支配する側にとっては大事なことです。
会社でも、雰囲気が悪く、モラハラが横行しているような職場で、オーナー社長は物分りが良さそうな顔をして「みんな仲良く」と高尚なことを言っている。
実は、職場の雰囲気、社風のおおもとはそのオーナー社長が作り出していて、現場の社員同士がモラハラなどの問題行動を起こさせられたりしている。
「本当の敵(主因)」は社長であるけども、社員はそれぞれにいがみ合ってしまって、オーナー社長が問題だとは意識が向かないままというようなこともあります。
「本当の敵」は誰かがわからないまま、問題行動を起こさせられたりする、ということは日々起こっています。
周囲の人、家族や、職場の人にイライラしたり、
人が気になってしようがなかったり、
不安や焦りにさいなまれたり、
などのネガティブな感情や問題行動。
これらも実はローカルルール人格によって引き起こされているものです。
※ローカルルール人格とは、ローカルルールを内面化して半ば人格のような動きをする内的な要素のことです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
ローカルルール人格の特徴として、「本当の敵から目をそらす」ということがあります。
ローカルルールというのは、ニセの常識ですから、それが成立するためには、自身の正統性や協力されることが必要です。自分が問題の根源であることが判明しては困るのです。そのために目をそらすということを行います。
本当の敵とは、「理不尽な環境」であったり、「理不尽な親」であったり、トラウマや愛着不安の根本原因のことです。
本来であれば、立ち向かわなければならないのは、そうした本当の原因(敵)です。
本来、怒りやいらいらをぶつけなければならないのは、「理不尽な環境」であったり、「理不尽なことをしてきた親」であったりするはずです。
それなのに、現時点で、目の前にいる人に怒りをぶつけたり、イライラいする、というのは、まったくもっておかしな現象です。本当に怒りをぶつける先を間違わされている。
ローカルルール人格にとっては思うつぼで、「しめしめ、こちらが原因であると思わず、思惑通り目をそらしてくれているわ」という感じでしょうか。
ローカルルールはそれによって延命することができます。
医師、カウンセラーなどの治療者に怒りを向けたり、などというのはさらに本末転倒です。一緒に敵と戦ってくれる人と内紛をさせられているわけですから。
「あなたの態度が気に入らない!!」と怒っているけども、治療者は、「私はあなたの敵ではありませんよ。矛先が間違っているんじゃないですか」と内心思っています。「本当に怒りを向ける相手は、自分の親ではありませんか」と。
実は、依存や嗜癖を行うのも、「本当の敵」から目をそらされてしまう行為です。アルコールや、薬物、恋愛、摂食障害など。
簡単に手に入り、癒やしが手に入りますが、それによって本当の問題からは目がそらされて少しストレスが軽減しますが、結局は根本解決にはなりません。
なぜ、「本当の敵」から目をそらされてしまうのか?
「本当の敵」はルールの大本を握っていて、とても怖い存在です。
だから、そこに立ち向かうのはとても怖いので、身近な弱い存在に怒りが向かう、ということがあります。
都合の良い相手を見つけて、怒りを向けさせられている。
支配されている植民の人同士が現地人の行政官に石を投げるみたいな感じでしょうか。
でも、そんなことをしていたらいつまでもローカルルールに呪縛され続けてしまい、良くなりません。
「本当の敵」に目を向ける必要がある。
周囲の人にイライラや怒りを感じたりしたら、
「本当の敵は?」と自問自答することです。
そうすれば、ローカルルールの呪縛から抜けることができます。
不安や焦りを感じても、
「本当の敵は?」と自問自答することです。
依存、嗜癖と言った問題行動が出そうになったら、
「本当の敵は?」と自問自答してみる。
ローカルルールというのは、実状が明らかになればなるほど弱くなっていきます。反対に、その世界に留まって行動させられると延命してしまいます。
「本当の敵(主因)」を意識する、というのも、ローカルルールの呪縛を壊すためには大切なことです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
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