意味深というのは、ローカルルールに巻き込むための方策

 

 「大切なものは目に見えないんだよ」

 

 という台詞で有名な「星の王子さま」です。

 素敵な童話というように考えられてきましたが、東大の安冨歩教授によると、これは、モラルハラスメントについて書かれた作品だ、といわれています。 

 
 王子さまはバラとかキツネとか、出会うキャラクターたちの意味深な発言に混乱させられ、罪悪感を植え付けられて、徐々に支配されていくさまが描かれています。

 「ハラスメント被害者の物語」というのが、「星の王子さま」の別の姿です。

 

 「大切なものは目に見えないんだよ」というのは、一般には素敵なセリフとして紹介されていますが、とんでもない。その逆で、意味深さで王子さまを縛る呪い言葉だったのです。

 

 
 私たちも星の王子さまのように、ハラスメントの呪縛にかかって苦しんでいるのですが、その中でも厄介なのは、身近な人が発する意味深な発言です。

 意味深な発言というのが、さながら、コンピュータに演算不能な関数を打ち込んでダウンさせてしまうように頭をぐるぐるとさせて、私たちを縛り続けてしまうのです。

 

 世の中には、意味深なことを言ったりする人は少なくありません。

 予言めいたことを言う人もいます。

 「あなたは将来こうなる」とか。

 

 特に家族は厄介で、家族からの意味深な言葉がずっと残っていて、クライアントさんを縛っていることがよくある。

 

 実は単に、ローカルルール人格が発した世迷い言でしかないのに。

(参考)→「共感してはいけない?!

 

 

 現代は人間が理性的な存在である、という前提があるために、私的環境においては、人間が日常的におかしくなるのだ、ということが忘れられている。
おかしくなるというのは、よほどの酩酊、錯乱状態のときだけとされている。

(参考)「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 その為、日常で発せられる意味のない意味深な発言を真に受けさせられている。

 

 実際はそんなことはなく、
 たとえ地位のある人の言葉でさえ、日常においては戯れ(戯言)でしかなく意味などない。
 

 それなのに、なぜ意味があるように聞こえるかといえば、ローカルルール人格というのは、“神化”しているから。

 

 ニセ神様のようになってしまっていて、あたかも自分がすべてを知っていて、相手を支配する力があると錯覚した存在だから。
 ただ、認識できる範囲は狭いので、具体的に言うことができない。独自の不思議世界の中にいる。そうしたこともあって“意味深な”発言となってしまうのです。

 

 

 一方、真に受ける側の事情もあります。
 

 長い間、理不尽なストレス環境にあると、安心安全がないために物理的な現実を信頼することができない。世の中というのは理不尽に突然襲ってくるものだ、という感覚があります。
 
 また、あまりにも現実がうまくいかないために、それらを迂回したり、寄る辺を求めるためにスピリチュアルなものに対しても親和性を持ってしまうことがある。

 さらには、トラウマを負った人というのはいつも深刻なのです。リラック史できず過緊張でガチガチです。そのため、真に受けなくても良いことまで深刻に受け取ってしまう。

 すると、意味深な言動というものが何やら聞く必要のあるかのように感じられてしまい、真に受けてしまうようになる。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 相手が意味深なことをいうときは、ローカルルール人格にスイッチしているのですが、実際の治療現場でも意味深発言というのは起こります。

 

 あるセッションで、クライアントさんが“本音”を吐露し始めました。
 幼いことからのこと、治療者への要望や陰性感情などもふくめて、とっても意味深な内容で、治療者としてはなんとか話に耳を傾けて理解しようとします。特に要望は聞かなければとがんばります。

 なんとか、こういうことかな?と意味がわからない部分がありながらも懸命に受け止めた、と思って、セッションが終わりました。

後日、しばらくして何回かあとのセッションの機会で、

 「あのときのことは実は、治療者を巻き込もうとしてやっていたことだったとおもいます」

 とそのクライアントさんがおっしゃったそうです。

 「あれは本当はそうは思っていませんでした」と。

 

 治療者は驚きました。

 「ええ~!一生懸命聞いていたあれは何だったの?」

 やっぱり、人格ってスイッチするし、意味深な発言っていうのは意味がないんだ、ということを示す出来事です。

 

 

 要は、「意味深」というのも、巻き込むための方策でしかないことをあらためて教えられるエピソードです。

 

 

 「ドクターハウス」というアメリカの医療ドラマがありますが、その主人公の口癖は、「患者はウソをつく」といいます。

 

 さすがに、「治療者が患者さんの話を嘘と思って聞いてはまずいでしょう」「そんなひどい治療者にはなりたくない」と思ってしまいますが、「私はクライアントさんのすべてを受け止めます」とやっているとでも、はじめのうちは良いのですが、しばらくすると本当にやられてしまいます。ある日ひどいクレームにさらされて、治療者を辞めないといないところまで精神的に追い込まれます。

 これは、カウンセラーなどの治療者あるあるですね。

 

 ベテランの治療者はそのことを知っていて、うまく流して本質を捉えようとします。特に依存症などを扱う(依存症は人格が顕著に変わる症状です)医師やカウンセラーなどは、真に受けないように、巻き込まれないようにトレーニングをされているそうです。

 

 ドクターハウスの主人公は、要は「本質に目を向けろ」といっているわけです。人間というのは弱い生き物でいろいろな事情を抱えていて本当のことが言えない場合もあるし、人格もスイッチするから真に受けていたら二進も三進もいかなくなる。

 
 カウンセリングでも同様に、クライアントさんの本来の人格の言葉を聞くためには、表面的な言動に惑わされてはいけないし、その奥にあるものを捉えないといけない、ということになります。

 

 治療場面だけが特別ではなく、私たちは日常でもにとってもこうしたことはしばしば接します。特に親族、友人、知人、会社の上司、意味深発言、というのはまともに聞いてはいけない。

 スルーするか、「なにうさん臭いこと、いってるねん!」と突っ込み返さないといけない。相手は神様ではなく人間なんですから、分をわきまえない意味深な言葉なんて発する力ありませんから。

 

 実際に、よくあるお笑い芸人の漫談で、すごく伝統や権威のある、と思っていた人とか占い師めいた人の話を真剣に聞いていたら、ただのおじいさんだったとか、実はそうじゃなかった、いい加減だった、みたいな笑いばなしがありますが、まさにそんな感じ。

 

 

 人間の言葉は本当に意味がない。
言葉が意味を持つのは公的環境においてのみです。

 

 特に意味深発言は耳を傾けてはいけません。意味を考えてはいけません。前回の記事でも書きましたが、日常の会話というのは戯れとして流していくものなのです。

(参考)人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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