人からの評価、評判がとても気になる。
「~~さんは、~~だね」といわれれば、まさに言われたことが自分そのものになったような気になる。
言葉が呪術のように押し寄せてくる。
そのうち、評判=自分 というような感覚になってきて、
人からどう思われているか? 誤解されないか?といったことばかりに神経をすり減らすようになる。
相手が勝手な評価をしようものなら、内心は怒り、イライラ、恐怖で頭がぐるぐるする。
これは、「安心安全」の足場がなく、ローカルルールに囲まれるような生活が続くことで生じる現象の一つで、物理的な現実への信頼がなくなった結果によるものです。
物理的な現実とは、
例えば、
「自分自身」というもの、
「世の中、社会」
「他者」
などなど
物理的な現実、と聞くと、何やら冷たく、厳しいもの、のように感じたとしたら、それはローカルルールに浸かった感覚の影響だと言えるかもしれません。
目の前にあるコップに「無くなれ!」「バナナになれ!」といくら念じてみても変わらないように物理的な現実は、強固にそこにあって、安定しているものです。
本来は、「自分」というものも、他人が「~~だ!」といっても変わることはないはず。「自分は自分」として、強固にそこにあって、コップと同様に安定しているものです。
他人からの評価が来たって、大丈夫。
物理的な現実(身体)とは、現実につなぎとめてストレスから身を守るアンカー(錨)となるものなのです。
(参考)→「物理的な現実への信頼」
「安心安全」がなく、ローカルルールの幻想にまきこまれると、物理的な現実への信頼感が弱まってきて、だんだんと、評判そのものが事実のように感じられ「自分はおかしい」「ダメ人間だ」と思うようになり、自他の区別がつかなくなり、評価=自分となってしまうのです。
さらに、物理的な現実を信頼できないために、世の中がなにやら自分には管理できない、得体のしれないハプニング(オバケ)だらけに見える。
だから、ちょっとわからないことがあると、すべてを放り出したくなるような、泣きたくなるような感覚になります。パニックに陥ってしまいます。
わけが分からないように感じる現実を跳躍して回避しようとして、自己啓発やスピリチュアルなものに頼りたくもなってきます。
(発達障害の方などがパニックになりやすいのも、心身に安心安全がないことが大きな原因の一つとされます。スピリチュアルなものにも傾倒しやすいとされます)
ただ、それは、本来、地面(現実)に着地しなければならないはずのところを、さらに空中へ空中へと舞い上がるようなもので、問題をより不安定に、より難しくしてしまいます。
(参考)→「ローカルな表ルールしか教えてもらえず、自己啓発、スピリチュアルで迂回する」
ローカルルールとは、単に私的感情が常識のフリをしているだけで実体がありません。
意識や考え方を変える必要はありません。ただ現実を見れば良い。
(仏教などは、まさにそういう事を言っていると考えられます。)
「いや、実際私はいろんな人から、ダメだといわれてきたので・・(ダメだということが現実だ)」
「事実、人間関係で失敗してきた・・(だから、現実だ)」
と感じるかもしれません。
それはまさに、ローカルルールの呪縛にあるということ。
白鳥なのに、「醜いアヒルの子」とされてきただけ。
ただ、物理的な現実、自分自身をありのままに見ることで対抗すれば、「魔法のリンゴ」はなんなく崩れてしまいます。
ローカルルールを真に受けた状態で、「醜いアヒルの子」という前提から出発して、その土俵で戦ってしまうと幻想同士の戦いになり、効果的に反撃できない。
他者が、いじめのトラウマで苦しんでいるのを見ればよくわかりますが、「それは、いじめによって作り出された偽の現実だから、気にしなくていいよ」と第三者視点なら気が付く。
でも、自分が当事者だとわからなくなる。
“事実”は作り出されるものだからです。
“事実”と物理的な現実とは違う。
(参考)→「自分にも問題があるかも、と思わされることも含めてハラスメント(呪縛)は成り立っている。」
ある国で差別されている人たちいて、経済的にも低い水準に置かれている。
それを差して、「事実、不潔だ」「事実、粗暴だ」といわれてしまっていることがあるとします。
しかし、それは作られた事実であって、物理的な現実とは言えない。
環境が悪ければ、誰でもそうなります。衛生状態も悪くなるし、文化レベルも下がるけど、それは本来ではない。
(物理的な現実は何かといえば、人間という種は“ホモサピエンス”一種類しかなく、科学的な差はない、ということになる。)
家庭や学校、会社などでも、ローカルルールで事実は作り出される。
ゴールポストを恣意的に動かされてしまえば、シュートも入らなくなってしまう。ちょっとしたことがファウルとなってしまって、パフォーマンスを発揮できなくなる。
それも物理的な現実とは異なる。
私たちは、ローカルルールによる呪縛にいくつもかかっている。
それに対して幻想で対抗するのではなく、安心安全を足場にして物理的な現実で対抗してはがしていく必要がある。
依存症の治療において、「底つき体験」がなぜ有効かということも、こうしたことを示しているといえます。
ローカルルールによって「自分がダメだ」と思わされてきたことが、「底つき体験」によってはがれて、「そこに存在する自分」という物理的な現実が見えてくるから。
(参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと」
ただ、ローカルルールの世界で長く過ごしていると、ローカルルール=現実 だと思い込まされてしまうので、幻想同士の戦いに巻き込まれてしまい、いつまでたっても抜け出せなくなってしまいます。
世の中は、ローカルルールが点在していて、うっかりするとそこに巻き込まれてしまう。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
学校でも会社でも家庭でもローカルルールを見分けて、常識を頼りに自分の安全な居場所を確保すること、秩序を整理する必要があります。そのためにも、足場(安心安全)は必ず必要で、足場(安心安全)があれば、物理的な現実を信頼して、対抗することも容易にできるようになります。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
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