親しかった人が急に態度が変わった。失礼な態度になった、という場合、とてもショックを受けます。
私が悪かったのかな、こちらの態度もよくなかったのかな、と。
筆者もそのような経験があります。
あれ?以前までは仲良かったはずなのに急によそよそしくなった、とか、失礼なことを急に言ってきた、というようなこと。
こうした経験はとてもショックで、後々まで引きずってしまうことも少なくありません。
ある歌手は、少年時代に仲良かった友人が急に態度が変わって自分のもとから去ってしまった、といってコンサートでも涙したり、そのための歌を作ったりしていました。
それほどショックな出来事だったようです。
別の芸人さんは、かわいがっていた後輩がいきなり自分に反旗を翻して、いなくなってしまった。考えても理由がわからない、と悩んでいました。
稀なようでいて、結構よくあることなのかもしれません。
実際、カウンセリングでは初回に、クライアントさんに問診を行いますが、学生時代に、急に仲間外れになったり、友達が無視してきたり、というエピソードはよく耳にします。
臨床心理などでわかってきているのは、人間というのは発作や解離を起こしやすく、急におかしくなってしまったりする生き物である、ということ。
脳というのは未成熟でとても不安定なものですからすぐにショートしたり、勘違いしたりする。
だから、被害を受ける側はとても傷つきますが、当人たちは、特段の理由なくおかしくなってしまっている。
ただ人間は自分はまともだ、とおもっているために、おかしくなった原因を目の前の人に帰属させようとするのです(因縁をつける)。
(参考)→「因縁は、あるのではなく、つけられるもの」
人間は、「私的な環境」では容易におかしくなる、というのは、重要な裏ルールの一つです。
(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる」
関係の中での距離感、リスペクトが乱れると、人間関係は公的なものから私的な状況に堕してしまいます。
そうなると時間の問題で、理不尽なふるまいをしてしまうようになります。
関係を保つためには、親しい人間関係でも公的環境を維持しなければならない。
言い換えれば、「親しき仲にも礼儀あり」ということ。
夫婦でもそうです。
良い夫婦、というのは、「何でも言い合う夫婦」ではない。本来の良い夫婦とは、ちゃんとそれぞれの役割をはたしていて、礼儀をわきまえている関係。
だから、言ってはいけないことは我慢して言わない。意図してマネジメントしている。
率直に話し合うにしてもタイミングや相手への敬意がある。そうしたことの土台の上に“結果として”、「なんでも言い合える」関係ができるのであって、好き勝手、感情に任せていいたいことを言うことが良いのではない。
機能不全家族に育った方などにしばしばみられますが、
親が家族ならば何でもずけずけ言うことが当たり前だ、と思っていたために、相手の内面にも平気で立ち入ったり、失礼なことを言ったり、ということをしてしまう。
(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全」
結局そうした振る舞いは、家族の機能を壊してしまいます。
友達でもそう。
友達も「機能」なのですから、「機能」が果たせなくなって、公的な環境が維持できなくなると、発作を起こしたりして急におかしくなってしまうのです。
上司‐部下、先輩‐後輩の関係においても「公的な環境」が崩れると、後輩が下克上してしまう、ということが起こります。
例えば、経営者と従業員で友達同士のように付き合っていると、おかしなことになる、とよくいわれます。だから、無理をしてでも経営者然として孤独を覚悟しないといけない、と。
実際に、筆者の知人も従業員と友達のように接していましたが、結果、従業員全員が裏切るようにやめていってしまった、ということがありました。
親しき仲にも礼儀あり、とは、相手へのリスペクトと「公的な環境」を維持すること。
実はこうしたことの上に本当の「親しさ」というものが生まれてきます。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
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