トラウマ(愛着不安)を負うと、自他の別を越えさせられちゃう


 

前回、自他の別を越えてハラスメントを受ける、といった内容を書かせていただきました。

逆に、自分自身が自他の別を越えて、相手を侵犯してしまう、させられてしまう、ということもよく起こります。
「余計なお世話」というものです。

そうしたときは解離させられていることが多く、「相手はわからず屋で道理は通らない」「自分が何とかしなければ」と思い込まされています。

そして、自他の別を侵犯していることを正当化するために、ムリな理屈や自分の価値観を絶対化する(モラハラ)ようなことをしてしまいます。

すると、相手は反発したり、逆に依存してきたりします。

反発されると怖くなって相手をこき下ろし、依存されると、何とかしなきゃ、と頑張って、泥沼になってしまいます。

 

 

例えば、子どもが宿題をしない、しつけを守らないのは、
どこまでいっても「子どもの問題(領域)」です。

大人にできることは「こっちのほうがいいよ」と教えてあげたり、手本を見せる、といったところまで、ですが、あたかも自分の問題であるかのようにイライラしてしまうことがあります。

それは自他の別を越えて、子どもの領域まで侵犯している、ということになります。

 

結果、ますます子どもは宿題をしなくなります。
なぜなら、介入してきた親が宿題は自分の問題、と手を挙げて宣言しているからです。また、子どもは道理が通らないおかしな人間だ、という勝手な前提も持ち込んでもいます。

 

人間は無意識に責任の在処を察知していますから、ダチョウ倶楽部のコントではありませんが、手を挙げた人に、「どうぞ、どうぞ」と責任がやってきます。ここでは、手を挙げた親が宿題の責任を負うことになります。

育てにくいお子さんがいることは事実ですから、子育ては簡単ではありません。
ただ、周囲ができることは、環境を整備したり、構造化したり、といったことまでで、実際に行動するのは、どこまでいてもそのお子さん本人になります。
これも、「自他の別」です。

 

 

介入する親の側も、自分の親から同じような対応を受けてきて、道理の通らない、理不尽な世界で生きてきた方が多いようです。(イライラする親の頭には、子どもの責任を自分のせいにしてくる自分の親の理不尽な声が聞こえているのかもしれません)

 

理不尽で、道理のない世界で生きてこられていますから、
世の中は道理が通って当たり前だという信頼感や自他の別を分けている状態に対する安心感がありません。

 

 

 

 

 

また、自他の別を侵犯することが当たり前の環境で育っていますから、自他の別がある状態がどこか冷たいように感じてしまったり、素っ気ないように感じてしまったりします。
壁を越えることが愛情、世話であるような錯覚をさせられています。

 

一番わかりやすいのは、生後半年~1歳半までの親子のコミュニケーションで、ここでお母さん(お父さん)が忙しかったり、不安定だったりして、十分に抱きしめられていないと、境界を越えて愛情を得ようとしたり、逆に求めなくなったり、両価的で不安定になったり、ということが起こるのです。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

大人になってもそのスタイルは続き、
自分が相手に領域まで入っていって、何とかしなければいけない(自己愛性パーソナリティ)、逆に正面から要求できず相手が介入してきてくれるのを待つ(依存性パーソナリティ、回避性パーソナリティ)、ということがコミュニケーションの基本となってしまいます。

関わるところと関わらないところ、自分と他人の領域の区別もつかなくなります。

そして、無理やり「ローカルルール(理不尽な前提)」を作り出して、自分の行動を正当化しようとします。
(壁を越えることは愛ではありません。)

そして、それが周囲に連鎖していきます。

 

 

恋愛関係では、「自他の別」がよりごちゃごちゃになります。

「俺ならあいつをなんとかできる」として、自他の別を越えて介入してしまいます。
介入することが恋愛であるという、快感(錯覚)も手伝います。

相手が問題を抱えていると、
泥沼の中でボロボロになって抜け出せなくなってしまいます。

 

 

ゲシュタルト療法のフリッツパールズが書いた有名な言葉に、ゲシュタルトの祈り、というのものがあります。

 

 

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる
私はあなたの期待にこたえて行動するためにこの世にあるのではない。
そしてあなたも私の期待にこたえて行動するためにこの世にあるのではない。
もしも縁があって、私たちがお互いに出会えるなら、それはすばらしいこと。
出会えなければ、それはしかたのないこと。

 

 

パールズ自体はエキセントリックな人だったそうなのですが、この文句は、人間関係の本質が書かれているように思います。

 

人間同士は、本来もっともっと距離があって、自分の領域を大きく後退させて狭めて、必要な時、余裕のある分で関わり合うものです。
敬意というのは距離をとることであり、その上で相手に関心を持つことです。
家族でも(家族ほど)、自他の別をしっかりととれる環境をお互いに作ってあげることが、本当の安全基地のあり方なのかもしれません。

 

なぜ、動物や自然がカウンセラー以上の癒しを与えてくれるかといえば、無用な関わりをしてこないからです。

 

こうしたことが、現代の自己愛型社会では見えなくなっていたり、コミュニケーションや愛の名のもとに領土侵犯が当たり前になっています。

愛着不安やトラウマを負っていると、そのことが顕著に現れます。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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