自分の意見ではなくて、世の中こうあるべきという観点でしか意見や不満がいえない。

 
 トラウマを負うと、「自分(私)」、主権というものが奪われます。

 その結果、自分を主語にして意見を言うことができなくなります。

「意見を言うと突っ込まれる」「悪く思われる」感じがして、言えないのです。

(参考)→「自己開示できない!」 

 

 そのために、我慢して、妙に高尚に生きる「ニセ成熟」の状態になります。
(「いっても仕方がないのだから文句を言わずに頑張る」とか)

(参考)→「ニセ成熟(迂回ルート)としての”願望”

 

 
 しかし、本当の成熟ではなく自分がそこにはいないため、努力が積み重なる感じがなく、また人からも評価されません。
「あなたは何がしたいかわからない」と言われて、自分でも驚いたりする。
 自分としては、人よりも意識を高く持って「主体的に」頑張っているつもりだからです。

 しかし、よく見てみると、「自分が~」ではなく、「人から見てどうか?」「世間の価値観から見て良いと思われることはなにか?」で動いているだけで、「私」はそこにはなかった。

 「私」はそこにはないのだから、経験が蓄積されないのも、「私」が評価されないのも当然のことです。

(参考)→「「私(自分)」がない!

 

 世の中というのは、弱い人間同士が作っているものですから、不完全で不具合もたくさんあります。都度、不満やぐちなど感情を吐き出したりすることはとても良いことです。

 しかし、トラウマを負っていると、不満の出し方にも「私」がありません。

 「私が」不満を言うと、「人からおかしいと思われないか?」「悪く評価されないか」とおもって不安になって言えなくなるのです。

(参考)→「なぜか自分だけが「きつい」とか「おかしい」と言われてしまう。

 言っているつもりでも、「本来こうあるべきなのに、~だ」という言い方になってしまって、「私」ではなく、「他者」や「世の中」が主語になっていたりする。

 しかも、その「世の中」というのも実際の世の中ではなく、他人の価値観を真に受けた「世の中」であったり、もっと言えば父親とか母親の世界観からみた「世の中」だったりする。

(参考)→「内面化した親の価値観の影響

 

 だから、人からはいまいち共感されないし、自他の区別を超えて「世の中」を語っているために他者から介入されてしまう結果にもなる。
 「その考えはおかしい」と言われて嫌な思いをして、「もう二度と自分の意見など語るものか」と悪循環に陥ってしまいます。

 

 「自分の意見を語ることは怖い」と思っていますが、本来、「私が感じたこと」「私が思ったこと」というのは、その人のものであって、誰も干渉できる権限、筋合いはありません。あくまで、その人で完結したことです。

 だから、「私が~」と自分を主語に語ったほうが、恐れに反して、結果は人から突っ込まれなかったりする。

 

 一方、自分の意見を言っているつもりで、「世の中は~」とか、世の中を主語にしたり「他人」を主語にしていると、それは他人のものですから、他人も介入する権利があるとして、批判されたり、文句を言われたりするのです。

 

 
 TVのコメンテーターを見ていればわかりますが、「私」を主語に語っている人と、「世の中はこうあるべきなのに~」と語っている人と、よく見ると2種類いることがわかります。

 前者は、「そういう意見もあるのね」と好感をもって受け止められることが多いですが、後者は議論や反発(炎上)を呼んだりする。
 
 ※表面的に「私~」といっていても、不全感を抱えていると、暗に「世の中はこうあるべきだ」という雰囲気を発して、それが結局「私」を奪われた状態、怒りや恨みに頭を持っていかれた状態になってしまっていることもあります。
 

 

 TVのコメンテーターの話し方を観察するのは、自分でも受け止め方に違いがあるのを実感するのに良いトレーニングになります。 

 自分でも意識して、「私が~」と自分を主語にして語っていく必要があります。そうすると、自分の中にある自分ではないものも見えてきます。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

ローカルルールは「(ニセの)人間一般」という概念を持ち出す

 

 ローカルルールとは、実は単なる個人の不全感でしかありません。
 不全感をそのまま表明せずに、そこに「理屈」をつけて、覆い隠して相手を巻き込むものです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 しかも、それ自体は不全感でしかないために、「I’m OK」としては成立できません。そのために、「You’r NOT OK」を重ねて、他者に因縁をつけて、否定することでようやく成立するのです。

(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 

 しかし、本来は、人はみな異なります。たとえ同じ日本人であっても、人は異なる考え、価値観で動いていて、ある人の価値観が、他者よりも優れているという保証はどこにもありません。すべて並列。
 

 

 そのため、ある人がある人を裁く、批判するという権利は本来ない。とても僭越なことです。批判する根拠がどこにもないのです。
 できるのは、自分も他者と並列でその価値観も大したことはない、というわきまえのもと、自分の考えとして、戯れに独り言のようにいうことくらいまで。
  

  
 その僭越でおかしなことをしないとローカルルールは生存することができません。(まるでウイルスのようです)

 そこでローカルルールは「(ニセの)人間一般」あるいは、「(間違った意味で)常識※」という架空のニセの概念を持ち出します。

 「人間一般は~だ」「これが普通だ」という形を持ち出します。

 さらに、「自分はその人一般に属している」「普通を代表している」として、「自分にはあなたを裁く権利がある」と飛躍した理屈で因縁をつけようとします。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 

 ローカルルールの被害を受ける側に、心の隙間のように「自分は普通とは違うかも?」とか、「おかしいかも?」といった気持ちがあると、そこをスパイクとして、ローカルルールは侵入してきて(真に受けて)内面化しています。(さらにウイルスのようです。)

 ハラスメントとはこうした構造でなりたっています。

 

 ※真の意味での常識とは、人はそれぞれ異なるということ(多様性、多元性)を尊重するためにあります。本来、常識は私達を守ってくれる拠り所になるものです。間違った使い方をするケースは、自分のローカルルールを「常識」とよんでいるだけです。
 

 

 ローカルルールから逃れるためには、自分自身も「(ニセの)人間一般」という概念があると考えていないかは、チェックが必要です。
 
 それ自体は当たり前に見えて、そのニセの概念が橋渡しとなり、ローカルルールは入りこんできますし、自分自身がイマイチ「自他の区別」がつかない原因ともなっています。

 

 先日お伝えしたトレーニングは、こうしたニセの概念を壊すためでもあるのです。

(参考)→「感情は、「理屈」をつけずそのまま表現する~自他の区別をつけて、ローカルルールの影響を除くトレーニング

 

 

 

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ローカルルールは自分のことは語れない。

 

 筆者は、セッションの中で、ローカルルール人格そのものと接することがありますが、本当に、ローカルルール人格は、自分のことは語れません。

(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?

 

 基本的に、「私は~」という言い方ができない。

 言えるのは、まさに「You’r NOT OK」だけ。

 他人の批判や話題だけ。
(あるいは、他者のローカルルールが自分に向いて自己否定 I’m NOT OK となる場合 )

(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 なぜかといえば、ローカルルールとは、不全感に理屈をつけて成り立っているので、中身が空っぽだからです。

 「You’r NOT OK」で固めて、周りを巻き込むことでなんとか成立できるくらいの力しかありません。
 

 そのために、言葉は多いけども、自分を主体に何かを語ることはできない。

 
 前回もお伝えしましたが、ローカルルールを内面化していると、まさにローカルルール人格の影響を受けて、その人自身も、自分のことを語ることができなくなります。 

 

 

「私(自分)」がない!

 

 結局のところ、トラウマを負うというのは、「自分(私)」を奪われることです。

「私」というものがなくなってしまう。

 
 「自分(私)がない」というと、多くの人はピンとこないと思います。

 「本当にそうかな~?」と。
 

 なぜかといえば、トラウマを負っている人は突破力や行動力はあったりするからです。

 他者よりも気を使い、努力家で、たくさん行動していたりする。

 だから、自分の頭で考えているし、自分で行動していると思っている。

 しかし、それは、他者の気持ちに巻き込まれているだけだったり、ローカルルールによって強迫的に動かされているだけだったりする。

 もっと言えば、「行動」という側(ガワ)だけがあって、「私」という中身がない状態だったりする。

 実際に、いざなにか決断とか選択となると、途端にうまくできなくなったり、自分の感覚がわからない、となったりするのです。
 

 また、以前も書きましたが、「行動力」はありますが、自己開示は全くできていなかったりする。

(参考)→「自己開示できない!

 

 話し方も、「私は~」がない。事象や他者のことは語ることができますが、「私」については魔法がかかったように語ることができない。

 本人は「語っていると思うけどな・・」と思うか、自覚したとしても「語る必要がないんだから語らないだけ」という感覚なのですが、やはり真相は自分を奪われているからであることが多い。

 

 色々と頑張ってきたけども、肝心の「私」というのものは、魔女の魔法のガラスの中に閉じ込められてしまったかのように奪われてしまっているのです。

 そして、「理屈(他者の価値観≒ローカルルール)」の世界に生きてしまっている。

(参考)→「「理屈」をつけるとローカルルールに支配される~「認知」と「思考」も分けて、さらに自他の区別をつけるトレーニング

 

 
 そこで主権を奪われて、セラピーを受けたとしても、自分ではないものの悩みをテーマで取り上げたりしてしまったりします。

 実際に、不思議なことに何回もセッションを受けてから、ようやく「私の問題」を俎上に載せる事ができるようになるケースもあります。

 それも、いかにローカルルールの影響が強いか、私が奪われてしまっているか、を表しています。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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