他者の価値観の影響はかなり大きい

 筆者が気がついたことで、たとえば、日常生活で段取りが上手く行かないことがあったりする。

 家族が、買い物の際に買い忘れがあったりする。

 スーパーで卵を買い忘れたとか、納豆を忘れたとか。

 

 そのときに一瞬頭をよぎるのが、「そんなの、事前にチェックしておけばよかったんじゃないの?」という考えです。「もっときちんと段取りしておけば買い忘れないんじゃないの?」と。

  
 おかげさまで、自分でもトラウマケアを昔からしてきたので、明らかにイライラしたり、とか、それを指摘したりということはありませんが、ただ、自分の中ではなにかうずくような違和感は感じるのです。
 
 昔だったら、イライラして、「もっと事前に段取りしておいてよ!」といったかもしれません。

 

 そのときに気がつくのは、「これって、結局、ハラスメントを受けた職場の価値観ではないの?」「上司が言っていた言葉ではないの?」さらにいえば「親の価値観ではないの?」ということです。

 

 筆者も、夫婦げんかの多い環境であったり、職場でもハラスメントを受けたり、とトラウマを負うような経験をしてきました。

 

 筆者の父の口癖は「段取りが悪い」ということでした。そうして母親に文句を言って、喧嘩になったりしていたのです。
 外に出かけると大抵は喧嘩です。
 嫌なのに、その影響を受けてしまって、内面化してしまっている。

 

 さらに、職場でも上司の不全感からくるせっかちさであったり、神経質さ、不安から、部下たちに「ミスをするな」「もっと事前に段取りを」といっていただけだった(ローカルルール)。

 当時の筆者は違和感を感じながらも、怒られないように従っていた。

 従う過程で、ローカルルールを内面化して取り込んでしまっていた自分がいたのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 私たちは、ハラスメントやローカルルールを軽蔑し、その理屈もわかっているはずですが、気がついたら、他者の価値観に影響されていて、うっかりするとそれに染まってしまって、気が付かないままでいたりする。

 虐待やハラスメントが連鎖する、とはこうした事を言うのだと思います。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 以前、志村けんさんの関する話題で記事を書いたことがありましたが、他者の価値観(理屈≒ローカルルール)の影響というのは、思っているよりも大きく、自分ものだと思っていたことが実は他者のものを直訳していただけだった、ということはよくあります。

(参考)→「内面化した親の価値観の影響

 「もう自分にはそんな影響はないよ」と思った状態からさらに、他者の影響の実際をまざまざと見せつけられます。

 

 クライアントさんでも、トラウマの症状として、否定的な世界観であったり、問題行動を起こしていると思っていたら、実は、親も同じような世界観を持っていて、結局はその影響を内面化していただけであった、ということはよくあります。

 

 あるクライアントさんは、世の中を否定的に見て、自分にダメ出しをし、人間不信でどうしようもなかった状態でした。
 
 それが親の影響で、内面化したことで影響を受けていることが明らかになってきたので、「ローカルルール人格と戦ってきてください」とお伝えすると、次のセッションからは打って変わって穏やかになった、ということがありました。

 

 

 他者の価値観、特に親の価値観の影響はあらためてとても大きいです。
人間不信や、対人恐怖、社会恐怖と言った事自体が「虐待からくる歪み」というよりも、「親の価値観の内面化」という面が強かったりします。

 

 そのことに気がつくと、解決のステップをさらに大きく進んでいくことができるようになります。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

ローカルルールは「(ニセの)人間一般」という概念を持ち出す

 

 ローカルルールとは、実は単なる個人の不全感でしかありません。
 不全感をそのまま表明せずに、そこに「理屈」をつけて、覆い隠して相手を巻き込むものです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 しかも、それ自体は不全感でしかないために、「I’m OK」としては成立できません。そのために、「You’r NOT OK」を重ねて、他者に因縁をつけて、否定することでようやく成立するのです。

(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 

 しかし、本来は、人はみな異なります。たとえ同じ日本人であっても、人は異なる考え、価値観で動いていて、ある人の価値観が、他者よりも優れているという保証はどこにもありません。すべて並列。
 

 

 そのため、ある人がある人を裁く、批判するという権利は本来ない。とても僭越なことです。批判する根拠がどこにもないのです。
 できるのは、自分も他者と並列でその価値観も大したことはない、というわきまえのもと、自分の考えとして、戯れに独り言のようにいうことくらいまで。
  

  
 その僭越でおかしなことをしないとローカルルールは生存することができません。(まるでウイルスのようです)

 そこでローカルルールは「(ニセの)人間一般」あるいは、「(間違った意味で)常識※」という架空のニセの概念を持ち出します。

 「人間一般は~だ」「これが普通だ」という形を持ち出します。

 さらに、「自分はその人一般に属している」「普通を代表している」として、「自分にはあなたを裁く権利がある」と飛躍した理屈で因縁をつけようとします。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 

 ローカルルールの被害を受ける側に、心の隙間のように「自分は普通とは違うかも?」とか、「おかしいかも?」といった気持ちがあると、そこをスパイクとして、ローカルルールは侵入してきて(真に受けて)内面化しています。(さらにウイルスのようです。)

 ハラスメントとはこうした構造でなりたっています。

 

 ※真の意味での常識とは、人はそれぞれ異なるということ(多様性、多元性)を尊重するためにあります。本来、常識は私達を守ってくれる拠り所になるものです。間違った使い方をするケースは、自分のローカルルールを「常識」とよんでいるだけです。
 

 

 ローカルルールから逃れるためには、自分自身も「(ニセの)人間一般」という概念があると考えていないかは、チェックが必要です。
 
 それ自体は当たり前に見えて、そのニセの概念が橋渡しとなり、ローカルルールは入りこんできますし、自分自身がイマイチ「自他の区別」がつかない原因ともなっています。

 

 先日お伝えしたトレーニングは、こうしたニセの概念を壊すためでもあるのです。

(参考)→「感情は、「理屈」をつけずそのまま表現する~自他の区別をつけて、ローカルルールの影響を除くトレーニング

 

 

 

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ローカルルールは自分のことは語れない。

 

 筆者は、セッションの中で、ローカルルール人格そのものと接することがありますが、本当に、ローカルルール人格は、自分のことは語れません。

(参考)→「ローカルルール人格って本当にいるの?

 

 基本的に、「私は~」という言い方ができない。

 言えるのは、まさに「You’r NOT OK」だけ。

 他人の批判や話題だけ。
(あるいは、他者のローカルルールが自分に向いて自己否定 I’m NOT OK となる場合 )

(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。

 

 なぜかといえば、ローカルルールとは、不全感に理屈をつけて成り立っているので、中身が空っぽだからです。

 「You’r NOT OK」で固めて、周りを巻き込むことでなんとか成立できるくらいの力しかありません。
 

 そのために、言葉は多いけども、自分を主体に何かを語ることはできない。

 
 前回もお伝えしましたが、ローカルルールを内面化していると、まさにローカルルール人格の影響を受けて、その人自身も、自分のことを語ることができなくなります。 

 

 

「私(自分)」がない!

 

 結局のところ、トラウマを負うというのは、「自分(私)」を奪われることです。

「私」というものがなくなってしまう。

 
 「自分(私)がない」というと、多くの人はピンとこないと思います。

 「本当にそうかな~?」と。
 

 なぜかといえば、トラウマを負っている人は突破力や行動力はあったりするからです。

 他者よりも気を使い、努力家で、たくさん行動していたりする。

 だから、自分の頭で考えているし、自分で行動していると思っている。

 しかし、それは、他者の気持ちに巻き込まれているだけだったり、ローカルルールによって強迫的に動かされているだけだったりする。

 もっと言えば、「行動」という側(ガワ)だけがあって、「私」という中身がない状態だったりする。

 実際に、いざなにか決断とか選択となると、途端にうまくできなくなったり、自分の感覚がわからない、となったりするのです。
 

 また、以前も書きましたが、「行動力」はありますが、自己開示は全くできていなかったりする。

(参考)→「自己開示できない!

 

 話し方も、「私は~」がない。事象や他者のことは語ることができますが、「私」については魔法がかかったように語ることができない。

 本人は「語っていると思うけどな・・」と思うか、自覚したとしても「語る必要がないんだから語らないだけ」という感覚なのですが、やはり真相は自分を奪われているからであることが多い。

 

 色々と頑張ってきたけども、肝心の「私」というのものは、魔女の魔法のガラスの中に閉じ込められてしまったかのように奪われてしまっているのです。

 そして、「理屈(他者の価値観≒ローカルルール)」の世界に生きてしまっている。

(参考)→「「理屈」をつけるとローカルルールに支配される~「認知」と「思考」も分けて、さらに自他の区別をつけるトレーニング

 

 
 そこで主権を奪われて、セラピーを受けたとしても、自分ではないものの悩みをテーマで取り上げたりしてしまったりします。

 実際に、不思議なことに何回もセッションを受けてから、ようやく「私の問題」を俎上に載せる事ができるようになるケースもあります。

 それも、いかにローカルルールの影響が強いか、私が奪われてしまっているか、を表しています。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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