家族の中で一番利発でまともな子が頭がねじれて病んでしまう

 

 クライアントの持つ疑問(ある種の呪縛でもある)としてよくあるのが、「育った家庭環境が悪いのはわかったが、兄弟もいる中でなぜ私だけこんなに苦しんでいるのか?」というものがあります。

 
これは、もっともな質問であると同時に、その裏には暗に「環境が悪いし、その影響があるというなら、兄弟もすべてが病むならわかるが、私だけそうなるということは、私がやはりおかしいのだ」というトラウマによる心理的な呪縛を伴っている質問です。

 

 これについては以前の記事でも書きました。

(参考)→「同じ環境でも問題が出ているのは自分だけだから自分に問題がある? おかしな環境は優等生を必要とする。
 

 同じ環境であっても受ける側の気質も状況もポジションも異なりますから、同じようにならなくて当たり前です。
 家族の中でも影響に差が出ますし、その中で優等生として優遇される人が出たり、カルト宗教で幹部になるようなごとき間違った適応を果たす人もいる、ということです。

 

 

  そうしたことに加えてもう一つ、自分だけが病んでいる、ということの理由があります。

 それは、その方が家族の中で一番利発でまともであった、ということです。

 

 私たちは景色や見ている画像が揺れたりすると、酔ったり、気持ち悪くなったりしますが、それも、こちらがまともな感覚があればこそです。
 おかしいのは揺れている画像のほうです。

 反対に、海に揺られていると、揺られていることに適応して、陸に戻っても揺られているような感覚がしたりすることもあります。

 

 こうした自然環境だけではなく、社会環境に対しても同様に、私たちには環境に適応しようという動きが自然と起こります。

 しかし、社会環境の側がいびつでおかしければ、こちらの側が酔う(病む)ということは生じます。

 

 

 例えば、とてもねじれた考えやコミュニケーションの仕方を持つ家族に囲まれて生活しているような場合などはそうです。

 まともで、まじめであるほどに、そこに適応しようとすると「不適応」を起こしてしまう。

 もっといえば、家族が持つねじれを、その利発で賢い子供の側が、家族のねじれを「整えよう」としてしまう。

 
 例えば、親のねじれた発言を子どもが忖度して、意味が通るように“翻訳”したり、自分の感情を殺すようにして吸収したり、といったことはよく見られます。
 親のおかしな行動を、マネージャーや執事のように先回りしてごまかしたり、取り繕ったりすることを半ば無意識に行うなどしたり。

 

 
 歪んだ鏡に囲まれた部屋に住むがごとく、歪んだものに囲まれていれば、こちらの認知がそれに合わせるかのように歪んでしまいますが、前回の記事でも書いた「頭がねじれる」と、まさにそのような結果生じるのです。

(参考)→「トラウマ、ハラスメントによってどのように頭がねじれるのか?~連鎖して考えてはいけない

 それは、その人がおかしいから、ではなくて、その方が一番利発で、まともだからです。

 たまたま、その人が引き受けてくれたおかげで、適当でいい加減でいられたりできたほかの兄弟(姉妹)は軽く済んだりすることもあります。
(あるいは、優等生として、歪んだ世界で優等生になったり、おかしいと思わないように誤適応したり)

 
 おかしな環境で心が病む、というのは、その方がおかしいからではなくて、まともである証拠です。

 

 

 しかし、本人は、適応できていない、あるいは症状を発症している自分がおかしい、弱い、病んだ人間だと捉えてしまう。

 もちろん、そんなことは間違いです。

 歪んだ鏡を見させられすぎて、ねじれてしまった頭を、常識の世界に戻って元に戻す必要があります。 

 元に戻す際に生じる課題は、「そのおかしな環境に対しても適応しなければならない」という偽の責任意識や、偽の義理の感覚(罪悪感)、自分への疑い(やっぱり病む自分がおかしいのだ、自分の中に問題があるのだ)が邪魔をする、ということです。

 

 その邪魔自体、トラウマの柱の一つでありハラスメント(心理的支配、呪縛)によるものですが、まずは、知識レベルでよいので、自分は大丈夫だ、まともだからこそ苦しんでいるのだ、と知ることです。

 

 

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「みにくいアヒルの子」という状態

 

“社会”こそがおかしいのだ、“社会”こそが問題なのだ、ということを前回の記事にも書かせていただきました。

参考)→「“It’s the society,the community stupid”(“社会”こそ問題なのだよ、愚か者!)」
 

 そして、その際の社会とは、ダイレクトに「社会の制度が~」「現在の社会が~」といった意味での「社会」とは異なり、私たちを日常で取り巻くローカルなコミュニティや人間が不全感を抱えて規範を騙る状態や機能不全をまずは“社会”と呼んでいます。

 結局、生きづらさの原因をたどると、“社会(環境)”の理不尽を個人が引き受けさせられていることこそが、私たちの生きづらさのすべてであるといっても過言ではありません。
クライアントの状況を見ていて、現時点でわかる究極因はそこにあります。

 クライアントの頭や心がおかしいのではありません。

 

 

 そして、“社会”の問題を「自分のせいだ」「自分がおかしいのだ」と思わせる偽装がいくつかあり、その罠にかかり、“社会”の理不尽を自分のものとしてしまい、どうしても、そうではないと思えない、自分は大丈夫と思えない状態こそが「生きづらさ」であるということです。

 白鳥が、アヒルとして劣っていると責められて「みにくいアヒルの子」と思わせられている状態です。

 ここからサッと逃れる方法を探そうとしているのが私の臨床での取り組みになります。

 

 

 機能不全な社会における日常の経験や体験というのは、究極のマインドコントロール装置、といってもいいくらいに作用します。
 
 
 長期にわたり、何度も何度も「あなたはおかしい」とつきつけられる経験を重ねることで自分は「みにくいアヒルの子」で、それはどうしても否定できない、と”作られた事実”を重ねられていってしまうのです。

 そして厄介なのは、身近な親族が絡んでいるケース。

親だけおかしいなら「親がおかしくて自分はそうではない」とわかりやすくて良いのですが、親族が絡むとそうは見えなくなる。

 親戚というのは一見、「立派で」「物わかりがよく」見えますから、その親族から「自分がおかしい」とされたり、反対に加害者である親を評価されたりするとわけがわからなくなる。

 あるいは、学校でのいじめの経験、職場でのハラスメント経験が重なるようなケースも厄介です。

 学校でも、一見、「イケていて」「人気があって」「運動もできて」「勉強もできて」「ものがわかってて」「バランス感覚があって」などという同級生がいますから、その友だちたちから「おかしい」「ダメだ」とされることの衝撃は簡単なものではありません。

 会社も同様です。

「家のみならず、学校でも、職場でも自分がおかしいとされるなら、もうこれは確定された事実なのだ」となってしまうのです。

 そうするとみにくいアヒルの子の状態から逃れられなくなります。
 

 

 

 しかしながら、「家も、学校も、職場もおかしい(It’s the society,the community)」ということが実際に存在するのです。 

 ハラスメントの罠は日常のそこここに存在します。

そのような状況の中に家で親に「みにくいアヒルの子」とされたトラウマを抱えた子どもが行けば、学校でもいじめられる、職場でも否定される、ということは普通に起こります。

 そのことをもって、「自分はやはり確定された事実としておかしいのだ」と思う必要はないのです。

 立派に見える親族も同様で、親もおかしいなら、親族も同様の文化を背負っていて、立派に見えているけど実態は変な人たちである場合も多いのです。

 学校もそう、会社もそうです。自分に対してハラスメントをしてくるようなおかしな環境でも「優等生」が存在します。
 社会問題となったカルト宗教でも、その教団に適応し、実績を上げて出世し、立派に見える人たちが記者会見で登場している様を見ればよく分かります。
 ナチのアイヒマンやハイドリヒのようにおかしな集団の中でも仕事がバリバリできて出世する人がいるのです。
 しかし、適応できた彼らがまともか?といえば、そうではありません。
 適応できないことのほうがまともさの証なのです。

 
 白鳥であるあなたは、白鳥ゆえにいじめられて、苦しみますが、それはあなたのおかしさを示すものではありません。環境がおかしいのです。

 みにくいアヒルの子とされた白鳥が自分を取り戻す道は、よいアヒルの子を目指すことではありません。
 ちゃんと不適応を起こして、自分はある日ではない、と気づき、白鳥へと戻ることです。
 

 ベストセラー『窓際のトットちゃん』は、みにくいアヒルの子にされかけたトットちゃんが、移った学校でのびのび育っていく様子が描かれているわけですが、“社会”は人間というものをちゃんと理解できておらず、さらにいえば、“社会”は子どもの気質(個性)、激しさを恐れるものなのです。

 会社でも、ちょっと率直な物言いをしたらすぐに「問題社員」扱いとなります。

 社会(ローカルコミュニティ)自体がおそれや不全感を隠し持ちながら立派なふりをしていて、その立派なふりを見破られて「王様は裸だ!」とされることを“社会”は極度に恐れる、ということなのかもしれません。

 

 

 

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同じ環境でも問題が出ているのは自分だけだから自分に問題がある? おかしな環境は優等生を必要とする。

 

 トラウマによって自分を失っている人が自分を取り戻すためには、過去現在の環境の影響で苦しんでいることを自覚する必要がありますが、それを妨げるのが、同じ環境でうまくいっている人(優等生)の存在です。

 よくあるのが、家庭の中での兄弟(姉妹)の存在です。

 本当にひどい環境で育ったのに、症状が出ているのは自分だけ、弟や妹(姉、兄)などは元気にしている、あるいは、親に可愛がられている、というようなケースはとても多いです。

 すると、同じような状況でうまくいっている人がいるのだから、やはり自分はおかしいんだ、と思っている当事者は珍しくありません。

 

 
 もちろん、これらの結論(推定)は、ローカルルールに影響された思考によるもので、自分がおかしいという理由には全くなりません。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

 

「でも、同じ環境で大丈夫な人がいるなら、自分に問題があるのでは?」とどうしても感じてしまうかもしれません。

 そんなことはありません。

 まず、兄弟で待遇に差があったり、長子の存在が風よけになり第二子以降のストレスが緩和されることはよくあります。
 別の例では、いじめの横行する学校やクラスでも比較的被害の少ない生徒がいることや、ブラック会社でも比較的ストレスが少ないという社員はいます。

 「同じ環境だから~」というのは、実は、かなり無理な結論だと言えます。同じ環境ではないのです。

 

 

 さらに、です。
 実は、待遇差は、ブラックな環境、ローカルルールの世界を成り立たせるために意図的に作られているということがあるのです。
 もっと言えば、ローカルルールが支配する環境が成立するためには、その中でうまくいっている人が必要なのです。 

 

 

 例えば、最近でも新興宗教に関連して、元首相の暗殺事件が生じるなどしましたが、その際に会見に登場した代表や幹部の方たちは、その組織の中で「エリート(優等生)」とされる人です。

 かつてのオウム真理教でも、幹部、エリートが存在しました。

 その組織の中で活躍している人たちもいたわけですが、では、その組織は問題なく、被害を受けた人が問題なのでしょうか?
 活躍している人たちはそんな環境でも克己して成果を上げれる優れた人なのでしょうか?

 もちろんそんな事はありません。

 なぜ、そんなおかしな組織でも活躍する人、高待遇な人達がいるのか?といえば、組織というのは、正統性を維持するためにはそれを証する要素、たとえば優等生が必要なのです。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 もし、すべての構成員全員がうまくいっておらず、不幸であるならば、その組織の存続に関わるからです。

 構成員を従わせるためにも「ほら、~~さんはうまくいっていますよ(あなたも疑問を持たず、従いましょう。苦しいのはあなたの問題です)」という見本が必要になるからです。
 

 

 かなり以前の記事にも書きましたが、
(参考)→「主婦、ビジネス、学校、自己啓発・スピリチュアルの世界でも幻想のチキンレースは蔓延っている

 実際に、かつての中国の文化大革命などの時期には、「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」といって、共産主義社会の成功例をされていた地域がありました。もちろん、捏造です。

 あるいは、世界恐慌の頃は、ソ連は成功しているとされていました。
実際は、映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』に描かれているように、ウクライナなどから穀物を収奪し、繁栄を演出していただけだったのです。
(ホロモドールと呼ばれ、ウクライナの人口の2割!が餓死したとされます)

 しかし、当時のソ連は、世界恐慌に陥る資本主義と尻目に成長する成功事例とされていて、イギリスのバーナード・ショーなど、ソ連の宣伝を信じてしまう欧米や日本の知識人は大勢いたのです。

 

 
 トラウマにおいては、過剰な客観性、自己責任意識や罪悪感から自分にも問題がある、と捉えがちです。
(「親のせいにばかりしていいのだろうか?」といった感覚。喧嘩両成敗といった誤った認識など)

(参考)→「過剰な客観性」「「喧嘩両成敗」というローカルルール」「“反面教師”“解決策”“理想”が、ログインを阻む

 

 「確かに環境にも問題があったが、自分にもやりようがあった」などというのは、公平に状況を見れていると本人は考えていますが、そうではありません。
トラウマに影響されて歪んで状況を見ているということです。

 トラウマをケアする、トラウマから抜け出して自分を取り戻すためには、こうした知恵(常識、教養)もあらためて身につけていくことも必要なのです。

 

 

 

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年末年始が嫌い、苦手

 

 寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか?

 年末年始は非日常で、身の回りの整理や見直し、あるいは夜更かしなど、いつもはできないことができたりする時期でもあります。

 ただ、年末年始が苦手、嫌い、という方は少なくありません。ご相談者からもよく聞きます。

 帰省して親や親族、義理の親に会うのが嫌だというケースから、過去、年末年始には嫌な思いでしかなかった、ということを仰る方もいます。

 帰省して家族に会うと親や兄弟からいろいろと嫌なことを言われる、義理の親族がモラハラチックに、いろいろなことを詮索したり、押し付けてくる、みたいなことがあったり。

 愚痴や悪口を聞かされる、といったことから、ただ一緒にいるだけでも調子が悪くなる、といったことも。

 家という場所で過去に嫌な目に遭ったことで、その場所自体がもうだめ、という場合。

 地域自体に嫌な思い出や人間関係があり、そこに帰りたくない。

 

 

 そもそも、クリスマスや年末年始の雰囲気がダメ、嫌い、ということもあります。

 年末年始は、親や親戚、祖父母、兄弟が喧嘩をする。
 あるいは、待ちは華やかでいろいろな行事があるにもかかわらず、親は旅行など何もしてくれなかった。
 
 街や、人はにぎやかで充実しているのに、自分はそうではないことへのなんとも言えない感情。

 大人になっても、子ども時代の嫌な思い出がフラッシュバックしてくる。

 あるいは、自分の元配偶者、パートナーとの嫌な思い出という場合かもしれません。
 

 こうしたことは個人の心理や性格の問題とされがちですが(本人もそう思っていたりしますが)、実はそうではありません。

 

 これらは環境のせいです。環境とは何か?といえば、それは「家族の機能不全」という問題です。

 

 家族の影響というのはとても強く、私たちの様々な面に影響します。そして、家族が機能不全に陥っていた場合、私たちには生きづらさとして感じられるようになるのです。

 しかし、「個人化(環境の問題も個人のせいにされること)」が進んだ現代社会にあっては、私たちは自分の性格の問題と間違って捉えてしまうのです。

(参考)→<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 そのうえで、年末年始が嫌いになることについての原因を考えると、その背景に家族の機能不全ということが見えてきます。

 実は、年末年始には、家族の機能不全が目立って現れやすいのです。

 

 年末年始という非日常の中で、日常のルーチン以外の動きをすると、例えば家族のイライラや喧嘩が噴出しやすくなります。 

 よくあるのが、家族で旅行などに出かけようとしたら、家族の準備ができておらず、出かける予定時間を小一時間過ぎてようやく出発になるが、その時点で、家族がイライラし、言い合いや喧嘩をしている。

 出先で、子どもがぐずって、それにうまく対応できずにイライラして、自己嫌悪に陥ってしまう。 
 

 本来であれば、人の多様性を理解し、尊重し、失敗やミスを許容し、大人が家庭を大きくマネージ(経営)していくものです。

 機能不全とは、1つには、多様性や成熟が欠如した文化によって生じます。
 
 
 ちょっとしたことでイライラし、単一の価値観から他者を裁くなんてことが生じてしまう。余裕のない非日常や危機は、単一の価値観の押しつけを招きます。

 
 「機能(←→機能不全)」というと、言葉の印象からテキパキ上手に動くことをイメージするかもしれませんが、実は、機能する、とは、失敗やミス、予期しないことを許容する、歓迎する、その上で大きくリカバリできる、あるいは流れに任せる、といったことと言えるかもしれません。

  
 年末年始が嫌だ、苦手だと感じる場合は
「あれ?これって、家族の機能不全、あるいはトラウマを自分が背負わされているだけ(個人化)ではないか?」と立ち止まってみることも良いかもしれません。

 

 

(参考)→「親が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

(参考)→「親が機能するか否かの基準2~ストレスへの対処

(参考)→「機能するか否かの基準3~感情の受容と交わり

 

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