年末年始が嫌い、苦手

 

 皆様は、年末年始、いかがお過ごしでしたでしょうか?
お休みの方もいれば、お仕事の都合で勤務だった、家の用事であっという間に終わった、という方もいらっしゃるかもしれません。
(能登地方を中心に地震・津波が生じ、現在も救出、支援活動が行われています。災害に遭われた方には改めてお見舞いと一日も早い復旧をお祈り申し上げます)

 年末年始は非日常で、身の回りの整理や見直し、あるいは夜更かしなど、いつもはできないことができたりする時期でもあります。

 ただ、年末年始が苦手、嫌い、という方は少なくありません。

現在、帰省して親や親族に合うのが嫌だというケースから、

過去、年末年始には嫌な思いでしかない、ということを仰る方もいます。

 親や親戚、祖父母、兄弟が喧嘩をする。
 親がでかけたり、旅行など何もしてくれなかった。
 
 街や、人はにぎやかで充実しているのに、自分はそうではないことへのなんとも言えないコンプレックス。。

 大人になっても、子ども時代の嫌な思い出がフラッシュバックしてくる。

 あるいは、自分の元配偶者、パートナーとの嫌な思い出という場合かもしれません。
 

 実は、年末年始(だけではないですが)など非日常には、家族の機能不全が目立って現れます。

  
 人それぞれペースも価値観も違いますが、日常のルーチン以外の動きをする中で、イライラや喧嘩が噴出する。  

 よくあるのが、家族で旅行などに出かけようとしたら、家族の準備ができておらず、出かける予定時間を小一時間過ぎてようやく出発になるが、その時点で、家族がイライラし、言い合いや喧嘩をしている。

 出先で、子どもがぐずって、それにうまく対応できずにイライラして、自己嫌悪に陥ってしまう。 
 

 本来であれば、人の多様性を理解し、尊重し、失敗やミスを許容し、大人が家庭を大きくマネージ(経営)していくものです。

 機能不全とは、1つには、多様性や成熟が欠如した文化によって生じます。
 
 
 ちょっとしたことでイライラし、単一の価値観から他者を裁くなんてことが生じてしまう。余裕のない非日常や危機(ショック・ドクトリン)は、単一の価値観の押しつけを招きます。

 
 「機能(←→機能不全)」というと、言葉の印象から、テキパキ上手に動くことをイメージするかもしれませんが、実は、機能する、とは、失敗やミス、予期しないことを許容する、歓迎する、その上で大きくリカバリできる、あるいは流れに任せる、といったことと言えるかもしれません。

 

(参考)→「親が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

(参考)→「親が機能するか否かの基準2~ストレスへの対処

(参考)→「機能するか否かの基準3~感情の受容と交わり

  
 年末年始が嫌だ、苦手だと感じる場合は
「あれ?これって、家族の機能不全、あるいはトラウマを自分が背負わされているだけではないか?」と立ち止まってみることも良いかもしれません。

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

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親や家族が機能しているか否かの基準3~感情の受容と交わり

 
 

 親は、会社で言えば、ベテランマネージャーのように、暗黙のルールについてもポイントを把握している必要があるのです。

 機能する家族では、メンバーが「弱くあること」が許されます。
 そうして、弱さが都度、適切な形で消化される。

 

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準2~ストレスへの対処

 

 これは、“弱い”メンバーに対してそうではなく、“一見強そうに見える”メンバーに対してもそうです。

 結局、世の中でうまくいっている人、強い人でも、そうあることができるのは、多くの場合、誰かがその人の”弱さ”のケアをしているからです。

 弱さを他人にケアさせることで成功や強くあることが成り立っている。

 
 夫が、妻に弱さをケアさせていたり、
 親が子どもにケアをさせていたり、
 部活であれば、上級生が下級生にケアさせていたり。
 会社であれば、上司が部下にストレスをケアさせていたり、

 例えば、会社で、仕事ができるとされる人が結構イライラしやすく、部下がいろいろと気を回すことで、その人が仕事がうまくいくことが成り立っていたりします。
 でも、当人たちはそのような構造には気がついておらず、イライラしやすいが仕事のできる上司と、怒られるその部下たち、というような感じになっている。

 クライアントさんの問診を伺っていても、幼い頃、父親が暴れていた。あるいは、母親が気分屋ですぐにイライラして振り回されていた、というような話はよく伺います。
 

 これらは歪に成り立っている機能であって、本来的なものではありません。
 

 

 本来は、それぞれのメンバーが弱くあることが許される、そしてそれぞれに受け止める風土があります。
 愚痴を言えたり、弱音を吐けることも大切です。
 そこでは、世の中の実際(人はみんなそれぞれ弱い)も正しく理解されている。
 ローカルルールによるマウンティングもない。

 本当に意味で愚痴を言えて、受け止められて発散できれば、それらは解消されていきます。
 前を向くことができます。

 反対に、悪い形の場合は、ローカルルールによって拘束された価値観から変に強くあろうとして、あるいは、発散できなくて抑えてしまうようになり、結局、回り回ってその弱さは負担のかかる形で別の人(子どもやパートナーなど)がケアすることが必要になります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 その押し付けられてケアの負荷は明らかにはされずに、ケアラーの側の不調とか、やる気が出ないとか、罪悪感というような形になり、以前の記事でも書きましたように、一見すると強者は何も問題がなく、弱者だけが問題があるからそうなっているという見え方になり、当人も何が問題かがわからなくなってしまうのです。

 

 機能不全の状態では、そうした「感情の受容と交わり」がなされずに、ただ、一面的な対応しかされずに、本人の弱さだけが非難されたり、ということが行われます。

 言っても無駄、となり、代替となる居場所を求めるしかなくなってしまうのです。

 機能している家族では、そうしたことが生じにくいものです。
 弱くあることが許され、ネガティブな感情も受容されます。
 ムツゴロウさんが動物とじゃれ合うような感じで、「よ~しよ~し」とするような交わり感があります。

 
 家族が機能しているか、自分の育った家族が機能していたか否か?という基準として、こうした、「感情の受容と交わり」があるか(あったか)どうかがあります。

 

 

(参考)→<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準2~ストレスへの対処

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

 

 

 

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家族は社会の最小(基本)単位足り得ない

 

 最近記事にしましたヤングケアラーの問題や、貧困、介護、といったことをみてもそうですが、はっきりしているのは、「家族」というのは社会の最小単位足り得ない、ということです。

(参考)→「なぜ、家族に対して責任意識、罪悪感を抱えてしまうのか~自分はヤングケアラーではないか?という視点

 

 

 特に日本では、まだサザエさんみたいな家を利用とするような「家族幻想」というようなものが根強くありますが、実は、“家族”ほど脆弱なものはありません。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 ちょっとしたことで、機能不全に陥ってしまう、ちょっとしたことで構成員を巻き込んで、人生を呪縛してしまう。場合によっては、一生のうちのほとんどを家族に奪われてしまう、などということが生じてしまいます。

 介護といった問題ではそれがとくに顕著です。

 

 子育てにおいても、ちょっとしたことで機能不全に陥ってしまい、そのしわ寄せは子どもに及んできます。

本来は、もっともっと社会が担う必要がありますが、日本社会の設計上、両親がいて子どもがいて、という世帯単位の設計になっています。

 個人も決して強くはありませんが、実は、家族単位よりも個人単位の方がまだしなやかに動けたりするものです。

 これは、個人主義が良いからそうするのではありません。物事が機能するかしないか?という観点で捉える機能主義からその方がベターだからです。

 ですから、本来は、機能主義の観点から、個人を最小単位の基礎として、小規模な単位でのコミュニティがいくつも形成されて、機能としての“家族”が得られるようなものが良いのだろうと思います。
 (保守とされる政治家などを中心に、従来型の家族の形を壊してしまうとコミュニティが崩壊するというような考えや、制度変更の遅さから、なかなか進みませんが)

 家族は“結果”や“現象”であって、それを支える要件や守るべきアプローチポイントは、個人や社会の側にあるというとわかりやすいかもしれません。

 

 まず、私たち自身として、「家族は社会の最小単位足り得ない」ということを頭に置き、家族幻想や、親子幻想といったものからは自由になる必要があります。

 最小(基本)単位ではない、ということを知るだけでも、「ああ、じゃあ、別にこれを固守しなくても世間から指弾されるいわれはない」と思えますし、
「そうか、是々非々で、機能として満たされればお付き合いすればいい」とわかります。

 前回お伝えした『親不孝介護』でも、介護という機能は「他者」「専門家」に任せるという発想ですし、(そうは明示しては書いていませんが)「個人」を基本単位として「社会」が介護を担うということが機能としても妥当であることがわかります。

(参考)→「「介護」にまつわる呪縛によって自分の人生を失わないために」 

 

 

 

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“詐欺師”に相談してしまう ~実は、相談には環境の支援や構造が必要~

 

 ローカルルールにかかってしまうと、ハラスメントを仕掛けてきている人、支配してきている人に相談しようとする、関わろうとするという悪循環に陥ることがあります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 ハラスメントを仕掛けてきている相手ですから、嫌なことを言われるに決まっているのですが、何故かその人に相談してしまう。
「私は大丈夫かどうか?」「これはどうしたらいいの?」と尋ねてしまう。

 親や家族などが典型ですが、特に問題が起きると、そのハラスメントの加害者に相談する。

 
 傍から見ていると「なぜ、問題の原因になっている人に、自分を苦しめている人に声をかけるの??」と思ってしまいます。

 

 詐欺に引っかかった被害者の方が、詐欺だとわかったあとに、加害者である営業マン(詐欺師)を呼んで、「これはどうしたらいいですか?」と相談するようなことが起こりますが、まさに同様の事象です。
 相談するなら消費者センターとか、弁護士とか、警察であるはずですが、なぜかそこには相談しようとしない。
 

 なぜか外の人を警戒し、家(内)を守ろうとしてしまう。
外の専門家に相談したらいいのに、身内に相談してしまう。

 あるいは、外の専門家に相談するのも先延ばしにして、自分の頭の中でもやもやと考えて時間を浪費する。

(参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 どうしてこのような事象が生じるのでしょうか?

 色々と要因はありますが、一つには、尋ねる相手が自分の存在を承認してくれると期待しているためです。
 あるいは、自分が関与を続けないといけないと思っているためです。なにか自分の不安から逃れるためです。

 

 もう一つは、ニセの公的領域(≒私的領域)に絡め取られていて、本当の公的領域にアクセスすることができていないためです。

(参考)→「ローカルルールと常識を区別し、公的環境を整えるためのプロトコルを学ぶための足場や機会を奪われてきた

 

 まさに依存関係にあるということです。これは頭では切り替えることができない。体験や経験を偽装されているので、身体レベルでニセの公的領域が現実であると思わされています。
 

 

 最後には、コミュニティや社会自体の力も十分ではないということもあります。
 これは、日本の近代社会、現代社会の特徴でもありますが、コミュニティの力が弱く、行政の目も粗いために、私たちの側にそれを利用する能力やリテラシーがないと、社会の中で自分を位置づけること、社会の資源の利用が難しい、ということがあります。
 いろいろな問題はありながらも、うまくアクセスができれば何とか生きていけるだけの資源が社会にはあります。しかし、そこにたどり着けないままこぼれ落ちることも多い。
 上の例でしたら、行政や警察などに相談したってどうせ良い対応が返ってこない、カウンセラーに相談しても理解してもらえない、頼りない、という経験をしてしまっている。

 

 実は、「相談」や「探索」という行為自体が飛び込み営業、新規開拓にも似て、とてもエネルギーがいることです。
 こちらに自尊心が一定以上ないとくじけてしまうことでもあります。
 ですから、自尊心のエネルギー残量が一定以上に低下したり、相談や情報収集のスキルが十分ではないと、よい資源にアクセスできる前にくじけてしまう。

 本来の社会、コミュニティはそうした人でも包摂するように設計されなければならないのですが、現時点の日本社会はそうはなっていません。能動的にアクセス、探索が必要な段階の社会です
 (もっと言えば、”家族”という社会の最小単位足りえないものを基礎として設計してしまったおかしな社会。だから、まずは「家族」に相談してしまうのです)。

(参考)→「自分のIDでログインするために必要な環境とは

 

 本来、生きづらさとは社会からもらされるものですが、トラウマを負うと、社会の仕組みの不十分な点を内面化してしまい、抱えてしまうようになります。

 その結果、特に「家族」という脆弱なものに頼らざるを得なくなり、家族の機能不全や依存関係の影響にからめとられて行ってしまうのです。

 その結果、ハラスメントの加害者、あるいは、機能不全の家族に”相談する”なんていう滑稽な現象が生じるのです。
 
 詐欺師に相談することをもって、本人のせいだ、というのも実はかなり酷なことなのです。本当は構造の問題です。

 
 トラウマの特徴の一つはハラスメント(心理的な支配)、なのですが、トラウマを負わされていると、このような構造が生じます。

 

 

 

 みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

 

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