私は、余暇にテニスをしたり、スポーツをすることがあります。
参加している人にはいろいろな人がいます。
私もとても下手なので他人のことを言うことはできませんが、うまい人もいれば、そうではない人も、とても癖のあるプレーの仕方をする人もいます。
中には、
「そんなプレーの仕方ではうまくなりようもないのでは?」と思うような人もいます(大変失礼)。
基本から離れていて、さすがに素人から見ても上達の方向性にも反しているように見えるからです。
ですけど、数か月後、あるいは、数年後見てみると、そういう方でもうまくなっていたりします。あるいは、こちらが追い抜かれたりしていて。
その時、「ああ、上達(変化)しない人はいないんだなあ」と改めて実感するのです。
カウンセリングや、精神科治療でも、こういうことは語られます。
診療している際は「対処のしようもなく、どうしようもないのでは?」という方が、しばらくご無沙汰していて、大丈夫かな?とおもっていたら、街で見かけて、実は元気でやっていた、なんていう逸話が、医師が書いた本などに書かれていたりします。
どうやら私たち人間は、変化しない人はいないし、変化しないわけにはいかない、ということです。
特に、ここでも繰り返し書かれていますように、人間とは、クラウド的(社会的)な存在ですから、常に社会から影響を受けて、更新し続けています。
一度として同じ状態ではない。同じ状態でいることができない。
そのことを指して、「諸行無常(物事は常に変化する。切ない(無情)という意味ではありません。)」などと昔の人は言っていたのかもしれません。
あとは、その変化のスピード、テンポ、方向性がその方の人生の時間とマッチするのか?が問題になるのだろうと思います。
一方で、「人は変わらない」「~~は死ななきゃ治らない」などという言葉も存在します。
良くない人間関係にある場合、相手を変えよう、相手のお世話をしようとして一生懸命になっているような場合は、「相手は変わらないから、関わるのはやめておきなさい」と注意されます。
これについては、実際に全くその通りです。関わらないほうが良いことが多いですし、そのような依存的、支配的な関係はやめなければなりません。
しかし、上記で書いたような、「変わらない人はいない」ということとの整合性が気になります。どのように考えたらいいのでしょうか?
実は、両者を矛盾なくとらえるポイントがあります。
それは、「フィードバック」という概念です。
フィードバックとは、工学の概念で、最初に提唱したのは、アメリカの数学者・工学者 ノーバート・ウィーナー (Norbert Wiener)だとされます。
サイバネティクスという学問分野に展開されていきました。
こう書くと何やら難しく感じますが、簡単に言えば、私たちの言動は環境の影響によってなされますが、その自分の言動の影響が環境から帰ってきて、また自分に影響して、その影響でまた言動して、という影響とその循環です。
その中で、私たちは変化、更新していく、ということです。
東洋に暮らす私たちからすると、あまり違和感のない世界観です。
(マインドフルネスもそうですが、西洋の学者は、東洋などでもともとあった概念をそれっぽくするのがうまい。)
そして、その中でよりよい変化をもたらすものは何か?といえば、「主体」という感覚です。
自分が自分の言動の主体であるという感覚がとても大切で、そこには社会における役割があり、いい意味での責任、覚悟があります。
こういう循環にあれば、癖のある方法で言動してようが何であろうが、フィードバックが作動して、人は必ず変化します。
では、「人は変わらない」「~~は死ななきゃ治らない」という状態とはなにか?と言えば、フィードバックの循環が作動しない状況です。
それは、例えば共依存と呼ばれるような状態、何かに依存している状態、自分の役割を果たさず(せず)機能不全に陥っている状態、その機能不全を他者が代替している状態です。
この状態にあるとき、ほぼまったく人は変わりません。
それは、機能不全の本人もですし、機能不全を代わりに補う側の人もです。
自分の主体がそこにはなく、変化をもたらすフィードバックがかからないためです。
このような状態にある場合は、一刻も早く、そんな関係からは抜け出して、フィードバックが作動するような状況に身を移す必要があります。
そのきっけかとして“水を差そう”とする助言が、いわゆる「人は変わらない」「~~は死ななきゃ治らない」というものです。
イメージとしては、人間は、各人が、各人の世界でフィードバックループを形成しています。そこに他者が過剰に介入すると、そのループのバランスは容易に崩れて作動しなくなってしまう。
そんな循環同士と考えるとイメージしやすいかもしれません。
一方、人間はクラウド的存在と申しましたように、ループは自分の内的に完結しているわけではなく、常に社会との間で循環する必要があります。
そのため、社会(他者)との間に適切な関与(機能する役割)が必要です。
だから、親子であれば、なぜ親の過干渉や、ネグレクトが悪影響を及ぼすか、といえばこうしたことのためです。大人同士でも同様です。
ここからさらに応用して考えると、私たちが悩み、生きづらさを解消する核心も見えてきます。
つまり、ポイントは、フィードバックループが作動する状態に身を置くことができるかどうか?です。
そして、フィードバックループを妨げるものは何か?を見定め、それを除くことです。
それは、現在過去の関係性(親子関係、友人関係、地域での関係)であり、それらにまつわる経験、体験であり、俗な規範(ローカルルール)であり、結果生じた間違った認知、防御策や回避、あるいは身体に現れた症状です。
私たちが変化し続けるフィードバックループを妨げるものを指して、つまり「トラウマ」というのかもしれません。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
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