前回、なぜ?と問うてはいけない、と書かせていただきましたが、その理由はもう一つあります。そして、これはとても重要なことです。
(参考)→「なぜ?はフラッシュバックを引き起こす~なぜ?という言葉は使ってはいけない」
それは、 なぜ?という言葉は、日常においては、相手を非難する言葉であり、問う側の本当の意図を隠す(ローカルルールの)言葉になっているということです。
例えば、
ゆっくり歩いている相手にイライラして、
なんで、ゆっくり走ってんだよ! と言ったとしたら、それは文字通りの意味、理由を知りたいわけではなく、
どけ!といっている、さらに相手を非難しているわけです。
なぜ、あなたはこんな簡単な仕事ができないの?といったら、それも理由を尋ねているわけではなく、
お前はダメな人間だ、と言っているだけです。
ローカルルールとは、自分の不全感をもっともらしい規範(ルール)や道徳で表面をコーティングすることを言いました。
例を見ればわかりますが、
なぜ?というのは自らが直接的に相手を非難することを巧妙に避け、相手に考えさせて、暗に自分の不全感をぶつけているだけのことだということです。
つまり、なぜ?はローカルルールの表現形態の一つなのです。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
しかし、なぜ?と問われた側は、なぜ?というプロンプトを飲み込んで、なぜ?という頭の中でぐるぐる問うことになり、そのなぜ?に呪縛され続けることになるわけです。
極端に言えば、子ども自体に放り込まれたなぜ?を大人になってもずーっと頭でぐるぐる反復している、なんていうケースは珍しくありません。
前回も少し触れましたように、“近代的人間観”も相まって、私たちは理由がないことを嫌います。
なぜ?と問う側の言葉には、
「本来の人間は、理由のある行動をとるよね?」
「あなたの行動は私から見て訳が分からない。おかしな行動をしていた」
「わけのわからないおかしな行動をとるのはおかしな人間、ダメな人間だからだよね?」
「払拭したいなら、私が納得する理由を言ってみろ!」
「ほら、言えない!だからあなたはおかしな人間だ!」
「おかしな人間のお前は、だから、私を不機嫌にさせた」
というような流れを言外に含んでいます。
それに対しては、本来はまともに取り合わない
それって単にあなたが自分の都合を通したいだけではないの?
何言ってんの?
ということでサッと否定していいわけです。
しかし、
誠実であればあるほど、まじめになぜ?の答えを探し続けて、裏に隠された不全感の毒(真のメッセージ)を頭の中でかき混ぜ続けることになります。
すべての人間は理由なく動くものです。わけがわからなくて当然です。それは以上でも他の何ものでもありません。
しかし、それなのに、行動の理由を、なぜ?と探し続けるとどうなるのか?
結局、暗に含まれたメッセージ「理由のないものはおかしい(私が悪い)」「人を不機嫌にさせるというのはよほど自分に問題があるに違いない」といったことに着地してしまうことになるのです。
そして、そのなぜ?は、何年にもわたって作用します。
さらに、前回もお伝えしたように、なぜ?には正しい答えを導く作用がなく、フラッシュバックを招くだけで、終わりなく、無限に問いが頭の中で回り続けることになります。
もし、あなたが、頭の中で渦巻く、自分を責めてしまう、なぜ? 家族や友人、知人、ハラスメントの加害者の言動の理由を探そうとする、なぜ? もしかしたら、死別などのショッキングな出来事への後悔でのなぜ?ということに苦しんでいるのであれば、
まず、なぜ? という問いは、実は、ハラスメントの言葉、ローカルルールの言葉であると知ることです。
そして、私たちはなぜ?に答える義務はないということも知ることです。
なぜ?はトロイの木馬のようなものであり、中には毒が含まれています。
吐き出さなくてはいけません。
もし、それでも思考をしたいなら、必ず、WHAT(何が),WHEN(いつ),WHERE(どこで) といったことを具体的な要素をノートに整理することです。本来できることは、ただ、それだけです。
●よろしければ、こちらもご覧ください。
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