先日の記事で、「他人の秘密を持たされる対人関係スタイル」と書かせていただきましたように、トラウマを負っていると、他人の秘密を持たされるスタイルに知らないうちになってしまっています。
他人の理不尽さ、おかしさをなぜか自分の秘密として抱え込んでしまう。
でも、他人への恐怖やいらだち、不信、生きづらさという形で感じてしまっていて、他人の秘密を抱えているとは本人も気がついていない。
トラウマというのはストレス障害のことですが、マルトリートメント、ハラスメント、などストレスのもとになることは、全て他人がおこなっているものであり、他人の責任です。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
それなのに、他人の秘密を飲み込むようにして、背負ってしまっている。
愚痴のようにして吐き出せばいいのに、言えない。
自分にも非があると思わされていたり、言っても信じてもらえないと思わされていたりすることもあります。
なぜ、自分に非があるように思ってしまっているかといえば、人間は社会的な動物であるから。自分が理不尽をおこなっているときも、それを「これは常識だ」といってコーティングしてしまう。
(参考)→「人間、クラウド的な存在」
いわゆるローカルルールですが、その際に、ローカルルールが正統性を帯びるためにはいくつか要件があり、その一つが「You’r NOT OK」です。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」
「You’r NOT OK」とは、言い換えれば、罪悪感や責任感(ニセの責任)です。
「おまえがおかしいからだ」と罪悪感や責任感を植え付けてしまえば、理不尽も常識として通ってしまいます。
明らかな理不尽も、「自分だからそのような目にあった」と感じさせられていることもしばしばです。
(参考)→「ニセの公的領域は敵(You are NOT OK)を必要とする。」
そうなると、自分の身に起こることは、「自分がおかしい」ということを示すもので公にはできず、秘密として飲み込まざるを得なくなります。
他人の秘密なのに自分のものとして飲み込まされる構造になっています。
(参考)→「理不尽さを「秘密」とすることは、トラウマ、生きづらさを生む」
ただ、おちついて考えればわかりますが、自分が感じている不安など悩みというのは、すべて、他人の秘密であったり、他人が不全感を癒やすためにこちらを利用しているだけだ、ということです。
「自信がない」とか、「自分が駄目な人間だ」というのも、他者から投げかけられた言葉や不適切な対応がもとであったりする。
他者の不全感 → ハラスメント → 自分に因縁がつけられる → 自分が不安や怖れ、生きづらさを感じる
こうしたことからわかるように、私たちの悩みとはすべて、他人がもたらしたローカルルール(不全感)を尻拭いしているだけだ、ということです。全てと言っていいと思います。
本当だったら「そんなこと知るか!」といって捨ててしまえばいいだけのこと。
でも、「自分だから」とか、「罪悪感」、恥の意識など、さまざまなもので、どうしても、自分がおかしいからだ、という意識が拭えずに、秘密として抱えてしまって、なかなか取れない悩みとして続いていってしまうのです。
なぜ私たちの悩みが取れないのか、解決しないか?といえば、他人の問題を自分の責任としているから。
他人の責任は自分のものとしているうちは解決することはできません。
●よろしければ、こちらもご覧ください。