不安、懸念は書き出すだけでも緩和、解消される。

 

 

 最近は、大阪でのクリニックの放火事件や、あと、有名人の自殺などが重なって、いずれについてもショックを受けておられる方も多いのではないかと思います。

 クリニックの件については、もしかしたらまさに当該のクリニックで過去に受診されていた方もいるかもしれませんし、他所でもリワークなど参加されていたり、という場合に、事件のことが頭をよぎる、ということが起きるかもしれません。

 一つ一つは小さくても重なるとうつっぽくなってしまったり、不安が増したりということが起きます。

 

 

 筆者も、先日親戚が亡くなったということがあったのですが、それ自身について「ああ、そうか・・」という感覚で受け止めていました。
 筆者の主観では、それほどのダメージは受けていないという認識です。

 しかし、その後、趣味で運動をしていたときに、なんか物悲しい感覚、厭世的な感覚になっているのを感じて、「あれ?なんでだろう?」と思って、そこで、そっか、これは親戚の方の死別したことからくるストレスなんだ、と気が付きました。

 

 人間はおかしなもので、そんな直近のストレスが原因になっていることにも気がつけていないのです(しかもカウンセラーなのに・・)。

 

 ただ、その原因を自覚すると、その物悲しさや厭世観はスーッと無くなっていきました。

 

 

 ストレスマネジメントの世界では、ストレス評価表というのがあって、日常での出来事のストレスの度合いが、仮に数値化されています。

 例えば、 

 
 配偶者の死 100
 離婚 73
 配偶者との離別 65
 家族の死 63
 自分のケガや病気 53
 結婚 50
 失業(解雇) 47
 家族の健康上の変化 44
 生活上の変化 25
 上司とのトラブル 23

といったように。

 意外なものが大きなストレスになっていたりします。

 ただ、主観ではそこまでのストレスとは思っていなかったりしますから、重なるとけっこうなダメージになったりします。

 

 

 筆者の例で言えば、以前あったのが、家族が自転車の鍵をなくした、というような些細なことでも妙に気になってストレスになっている自分がいたりしました。 

 

 冒頭にあるような、事件、ニュースを見聞きした、というようなこともけっこうダメージになったりしていることがあります。

 そうした日常のストレスから来る、うつっぽさ、不安というものを解消するためには、古典的な方法が役に立ちます。

 

 それは、「気になることを書き出す」というものです。

 

 うつっぽくなっているその場でもいいですし、毎日寝る前に、気になることをすべて書き出すのです。

 たったこれだけの簡単で古典的なことですが、かなりスッキリします。

 筆者の例でもあるように、親戚の死別 と気がついただけで、うつっぽさが抜けていきました。
 

 

 特に一日の懸念は翌日に持ち越さない、ということで、寝る前に習慣化しているとメンタルヘルスとしてもよいです。

 外に書き出すことは「外部化」といって、悩みを解決する上での強力なプロセスが働くのです。

 その際、頭の中で、「これが気になっていると自分はわかっている」という状態ではよくありません。
 それだと、わかっているようでわかっていない。もっというと外部化されていないのです。
 改めて書き出すことが必要です。
 (筆者の例の場合は、頭で意識することで結果外部化されましたが、基本は書き出すことです。)
 

 よろしければ、お試しいただければと思います。

 

 

 

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睡眠の改善には朝にタンパク質を摂ってみる。

 

 いつもとちょっと毛色が違う話です。

 最近、柴田 重信『食べる時間でこんなに変わる 時間栄養学入門』(講談社ブルーバックス)という本を読みました。

 思っていた内容とは少し違って、あまり参考にするところが多くなかったのですが、その中でも1箇所目に留まったところがありました。

 それは、「睡眠に朝のアミノ酸」というところです。

 
 簡単に言えば、朝、タンパク質(トリプトファン)をしっかり取って、日中は光を浴びて過ごすと、夜にメラトニンが分泌されて睡眠の質が改善するそうです。

 「セカンドミール効果」といって、朝食が昼や夜に影響してくるものです。
 栄養が効果を出すまでに時間差があるようですね。

 

 筆者も最近、寝付きの悪さに困っていました。特に夜にフットサルなど運動をすると全然寝れない~となっていました。
 

 

 偶然、朝に豆乳ヨーグルトに加えて納豆を食べるようになって、妙に寝付きが良くなって、中途覚醒がほとんどなくなりました。あれ?という感じです。

 今までは中途覚醒も「これが、歳のせいというやつのかな?」と思っていたんですが、単純に栄養のせいだったのかも?と今は感じます。

 

 

 上記の本にある研究結果と筆者の体験とですから、すべての方に効果があるかはもちろんわかりませんが、もし、皆様が不眠、とくに寝付きの悪さ、中途覚醒に悩んでいらっしゃったら、朝、タンパク質をしっかり摂ることを試してみられると良いかもしれません。

 

 特に、朝食抜きやコーヒーやお茶だけで寝付きの悪さ、不眠で悩んでいるのでしたら、必ず朝はタンパク質を摂るようにする必要がありそうです。

 タンパク質(トリプトファン)を取るための食品としては具体的には、豆腐や納豆などの大豆製品や牛乳、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品、バナナや卵などです。

 筆者の経験では、効果を感じるには2品目以上が量的にも必要かな?と思います。ヨーグルトだけといった1品目だけだと量が少ないのかもしれません。
 

 タンパク質(トリプトファン)は、脳でセロトニンへと合成されるそうですから、うつっぽさも防いでくれるかもしれませんね。
 

 

(参考)「「睡眠の悩みは食事で改善できる」朝に食べると夜ぐっすり眠れる”ある食べ物”」
 

 

 

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「常識(パブリックルール)」が弱い、とはどんな状態か?

 

 
 前回、トラウマを負っている方は、「常識(パブリックルール)」が弱い と書きましたが、これは、もちろん俗に言うような意味で「常識がない」ということではありません。

(参考)→「自我と常識(パブリックルール)が弱い

 むしろ、他人からどう思われているか? 迷惑をかけていないか? をものすごく意識しています。

 「過剰適応」という言葉があるように、常識やルール、マナーということは意識しすぎるくらいに意識している。

 過剰なくらい”常識的”です。
 

 

 しかし、ここからが問題ですが、

 一方で、自分がどこか変だ、と感じている。

 なぜか、自分がマナーや常識というものがわからない感覚があって、それを人から指摘されるのではないか?と恐れている。

 だから、過剰に意識しているのです。

(参考)→「自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。

 

 

 さらに、トラウマを負った人が考える「常識」とは、他人の考えを忖度することだったりする。他人の頭の中を覗きにいって、相手の機嫌を損ねないような振る舞いが「常識」と考えていたりする。

 

 本来は、他者の頭の中を経由せずに社会通念、社会でのルールをダイレクトに身につけるものが「常識(パブリックルール)」です。

 他人の頭の中を忖度したものは「ローカルルール」です。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

  

 他人が言う理不尽なことも含めてそれが「ルール」だとして守ろうとする、合わせようとしてしまう。

 そうすると、段々と、ほんとうの意味での「常識(パブリックルール)」からはずれていってしまって、さらに自分の足場がわからなくなる。
 結果として、パブリックルールに支えられて形成されるところの「自我」も弱くなってしまう。

 

 人間は社会的な動物と言われるように、「自我」と「常識(パブリックルール)」とは、対の関係になっていて、「常識(パブリックルール)」の型がなければ「自我」は健康には成り立たないものです。

 一方で、「自我」がしっかりしていないと、「常識(パブリックルール)」もうまく根付かない。
  

 「自我」が曖昧なために他者の頭を忖度して、ローカルルールを常識だと勘違いしてしまう。
 
  
 トラウマを負った人のもつ常識とは、過去に受けた理不尽への対応集になっています。

 そうした状況を指して、「常識(パブリックルール)」が弱い、というのです。

 

 

 

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自我と常識(パブリックルール)が弱い

 

 ある学者が、「個人-中間集団-国家」と3層で考えたときに、日本は、個人主義と国家主義が弱い、みたいなことを書いていて、とても印象的でした。

 たとえば、戦前の日本は、国家主義で「お国のために」と建前では強調されていましたが、実際は国ではなく、省益や世間の圧力で動いていました。
 イメージとは異なり、戦前は国の力がとても弱い時代でした。

 事実、総理大臣でも戦争を止めることはできないし、予算も通せないし、大臣を選ぶのも自由にできない。
 天皇にも全く発言権はない。無責任体制と呼ばれるような極度な“分権制”でした。
 

 そのために機能不全に陥ってしまい、本音ではしたくもない戦争に突入して負けてしまった、ということのようです。

 

 

 この学者さんの指摘が印象的だと感じましたのは、機能不全に陥る状態が、トラウマを負った人とよく似ている、ということです。

 

 「1.自我」-「2.中間集団」-「3.公的規範」の三層でとらえた場合に社会と同様に、私たち人間にとっての機能不全状態とは、「1.自我」と「3.公的規範」が弱い状態を言います。

 反対に、機能している状態というのは、「1.自我」と「3.公的規範」がしっかりとしていて、「2.中間集団」はそれに従属しているような状態です。
 

「3.公的規範」とは言い換えると「常識(パブリックルール)」ということです。

 

 

(図解)機能している状態-機能不全状態の違い

機能している状態:「◎1.自我」-「△2.中間集団」-「○3.公的規範」

機能不全状態:  「●1.自我」-「◎2.中間集団」-「●3.公的規範」

 

「1.自我」というのはすべての土台です。
 これは愛着によって支えられます。
 愛着の支えによって健康に形成されていく「1.自我」は、教養、仕事を通じて「3.公的規範」に接続されます。
 

 「◎1.自我」-(教養・仕事)-「○3.公的規範」というラインが揃うと公的な人格として自我も発揮しながら自己一致、自己実現が果たされるのです。

 

 

 

 しかし、愛着が不安定であったり、トラウマによってダメージを負ってしまうと、「1.自我」がうまく確立しなくなる。そうすると、「1.自我」を確立するために内面化していた他者(通常は親)の規範がローカルルールとなって「1.自我」を支配するようになってしまいます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 
 

 「1.自我」は単なる不安定な私的情動となって、その人を苦しめるようになります。

 その結果、「3.公的規範」とうまくつながれていない「2.中間集団」のローカルルールに支配されやすくなります。

 「2.中間集団」のローカルルールとは、具体的には、家族の支配、学校でのいじめ、会社でのハラスメント、などが代表的です。

 

(図解)ローカルルールに支配されてしまう

「◎他者の規範」が支配 

   ↓
「●1.自我」→「◎2.中間集団」に支配されやすくなる→「●3.公的規範」に繋がれない。
  

 

 中間集団に支配された自我は、さらに中間集団に従属あるいは他者を巻き込んでいって、というハラスメントの連鎖が起きるのです。

 (図解)ハラスメントの連鎖

 「●1.自我 」  → 「◎2.中間集団」に支配されやすくなる→ 

  ↓ 巻き込み≒支配

 「●1.自我 」  → 「◎2.中間集団」に支配されやすくなる→ 

  ↓ 巻き込み≒支配
「●1.自我 」  → 「◎2.中間集団」に支配されやすくなる → 「●3.公的規範」に繋がれない。

 

 

 

 「自我」が弱い人が、形だけの「常識」を肥大化させたようなケースもよくあります。これをニセ成熟といいます。  

 外では礼儀正しいのに、自分が全然ない、という状態です。
 結局、中間集団への感情に強く影響されてしまいます。

(図解)ニセ成熟 

「●1.自我」-「◎2.中間集団」-「◎形だけの常識」-「●3.公的規範」

 

(参考)→「ニセ成熟(迂回ルート)としての”願望”

 

 

 

 自己啓発やある種のセラピーによって、「1.自我」を抑えましょう、無意識に委ねましょうというのも機能不全を引き起こします。
 基盤となる「1.自我」を叩いてしまうのですから当然の流れです。

 この場合は、中間集団のポジションにセラピーの論理が来てしまっていて真の解決を阻む、という構図になってしまいます。
     
(図解)自己啓発やセラピーがログアウトを志向してしまう

「●1.自我」-「◎2.中間集団(自己啓発やセラピー)」-「◎-セラピーの論理」-「●3.公的規範」

 

(参考)→「ログアウト志向と、ログイン志向と

 

 

 

 「2.中間集団」の役割とは、本来「3.公的規範」の代理店です。家族もそう、会社、学校もそうです。
 

 機能している家族、会社は、個人(自我)を尊重した上で、「3.公的規範」を代表し、個人を社会につなげる役割を持っています。

 家族であれば「愛着」を、
 学校は「教育、教養」を、
 会社は「職能、技能」を、提供することを通じて、社会の中での位置と役割を個人に与えています。
 

 
 生きづらさから抜け出そうという場合、こうした構造を知ることはとても大事です。そのうえで、欠けているものを補い、足を引っ張っているものを取り除いていく。
 
 

 特に、いかに「1.自我」を強化していくか?ということが大切で、そのための基礎は「睡眠、食事、運動」であり、「2.中間集団」の影響から抜け出し、「3.公的規範」とつながることがとても大事。
 

 そのための橋渡しが、「愛着」「教育、教養」「職能、技能」です。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能

 

 

 愛着については、以前もお伝えしましたが、特に成人が一人の人から全てを得ることは出来ませんので、街で出会う人達から、0.01程度をコツコツ集めていく。ちょっとした挨拶、目配せ、気配りで十分。
 そうしたものをじわじわ浴びる。

 深い付き合いは必要ありません。負担になってしまいます。

(参考)→「0.01以下!~眼の前の人やものからはほんのちょっとしか得られない

  
 
 橋渡しとしてあげた項目ですが、実は、濃淡はあれ、それぞれを有していたりしますから、「私は~」という言葉を意識して、それらに自分の名前をつける、ということをしていくことです。

 これまでは、完全でなければ自分のものではない、としていたのを、厚かましいくらいに自分のものだと捉えていく。

 難しい状況にある方も多いですが、やはり、社会の中で位置と役割を得られるように様々な支援を受ける。

 

機能している状態:「◎1.自我」-「△2.中間集団」-「○3.公的規範」

 

を意識して、環境を整えていくことがとても大切です。

 

 

 

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