生きづらさを解消するために展開される考えや概念、道徳にも、実は単次元化を生み出す要因になることがあります。
(参考)→「トラウマを負うと、手順や段階、多次元多要素並列という視点が抜ける」
例えば、「許し」といった概念。
自分がひどいことをされたことを許しましょう、とか
許しにはすごいパワーがあります、といったように紹介されます。
たしかにそうなのかもしれませんが、ほとんどの場合は、むしろ、怒りや恨みといった素朴な感覚にふたをするような結果になってしまいます。
それで生きづらさが真に解消したということは、寡聞にして知りません。
これも段階というものを無視して、単次元的に受け取ってしまうと害になってしまう言葉の例かもしれません。
人間ですから、まずは、嫌なことをされたら「嫌」という感情や「怒り」を出すということが通常です。
その上で、その段階を経た果てに「許し」ということが来るかもしれませんが、いきなり最初に「許し」を持ってきて、それで良いというわけではありません。
料理の工程で言えば、いきなり「盛り付け」をするようなものです。
食材を選んだり、洗ったり、下ごしらえをしたり、ということがなければ「盛り付け」もありません。
「相手の立場を理解する」といったことも同様です。
嫌なことをされたり、理不尽な目にあったら、まずはそこに対して自己中心的に拒絶の反応をすることが自然であって、そうした段階を経た先に、「相手の立場を理解する」は登場するものです。
最初から、相手の立場を理解する、とか、自分にも足りないところがある、なんていう気持ちからスタートするというのは不自然なことなのです。
身体の免疫システムとも似ています。
外部から異物が侵入したら、まずは何はなくとも撃退する。相手の立場を考えたり、許したりしていては生きていくことはできません。
泥棒に入られた人が「泥棒にも生活があるのね」とか、「泥棒も不全感を抱えているのかも?」なんて最初に考えません。
それは、感情的なこと、法的な手続き、などいろいろなことがすべて解消されたあとでの話。
健康な心身であれば、料理の工程のように、まずは普通に手順を踏みながら、シンプルに反応するものです。
これらが乱されるのが、愛着不安であり、トラウマ、といえるかもしれません。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服」「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、メカニズム」
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