ネガティブな感情に対処するコツ~自分が感じている感覚は、すべて外から来たものだと知る。

 医師やカウンセラーなど治療者がクライアントさんと接していると、セッションの中で体感が変化したり、雑念がわいてくることがあります。おなかに違和感を感じたり、頭が重くなってきたり。

 最初のころは、「食べすぎなのかな?」「今日は体調がよくないのかな?」なんて思っていたりします。

 別のケースでは、クライアントさんの訴えに対して、
「この人に問題があるのでは?」とか、「この人は〇〇だ」と相手を判断するような、およそ治療者らしくない気持ちがわいてくる。

 「いかんいかん、そんなことを思っては!」と打ち消そうとすると、余計に強まったりする。

 そのうち、「自分は人間的に未熟なのだ。だから邪な気持ちがあるのだ。治療者失格だ」なんて考えて落ち込んでしまう。

 抜け出そうとしても、なかなか雑念が去らずに困ってしまう。

 

 

 ただ、ある時気づくようになります。

 「あれ?これってもしかしたら、クライアントさんから来ているのではないか?」と。

 「この人に問題がある」というのは、クライアントさんがそう考えていた。
 「この人は〇〇だ」というのも、クライアントさん自身がそう思っていた。あるいは、クライアントさんの家族などがそのようにクライアントさんをとらえていた。
 

 実際に、そうとらえて話を聞いてくると、雑念がわいてこなくなってくる。逆に目に見えないクライアントさんの状態が見えてくる。

 
 そして、会話の中で、実際に、自信がありそうに見えたクライアントさんが「私は容姿に自信がないんです。自分はダメなんです」と言い出したりする。 

 
 ああやっぱりこれは相手から飛んできていたんだ、と気が付きます。
 治療者がそのようにとらえていると、本当の共感が起きますのでクライアントの症状もそれまでよりもよくなりやすくなります。

 

 ベテランの治療者などは、それぞれにこうした体験をしていて、「人間の感情のほとんどは、他人からの影響だよ」ということに気づいている人がチラホラといらっしゃいます。
 筆者も、相互にまったく関係のない治療者からそのことを耳にしたことがあります。

 筆者の経験からもこれはその通りだと感じます。

 

 たしか仏教でも、雑念というのは、マーラという悪魔がもたらしたりして仏陀を苦しめようとするシーンがあります。雑念というのは自分のものではなくて、自分は「無」である、ということに気づいて、悟りを得ていきます。
 
 

 

 

 イライラが止まらない

 怒りが収まらない

 不安でどうしようもない

  +感情が不安定なことへの罪悪感

 こうしたことでお悩みの方は多いです。

 そこまで行かなくても、自分が年齢相応に成熟したいにもかかわらず、子どものようなネガティブな感情が湧いてきて自分が嫌になる、ということがあります。

 

 相手にやさしくしたいのに、相手を揶揄するような思考が湧く、なんてこともあります。
 
 「なんで、こんな思考が湧くんだ?!」と慌てて打ち消そうとします。でも、次々湧いてヘトヘトになります。

 いろいろなセラピーを受けても、なかなか良くならなかったりする。

 この時に、実は、大事なポイントがあります。

 それは、冒頭の治療者のコツでも紹介したように、ネガティブな感情は自分の感情ではなく外から飛んできたものだ、という視点。

 以前にも書きましたように、人間は、クラウド的な存在です。ネットワークのように全て外からやって来る。自分が体感する感情というものは、相手や、身近な家族などの感情を無意識に写し取ったものである、ということです。

 

 極端に言えば、私達が感じる感情の99%は自分の感情ではありません。

 他人のものではないものを、自分のものだと考えるから苦しくなるし、セラピーでも良くならない。

 自分のものではないものを、自分のものだとしてセラピーなどで改善しようとすること自体が、自分のものだ、という暗示を強めてしまう場合があります。そうすると、却ってよくならない悪循環になる。

 

 イライラしやすい、怒りが止まらない、という場合、
それは、その方がイライラしやすい、というよりは、「他人の感情を受け取りやすい」という問題を持っているということ。

 

 事実、セッションの現場でも、例えばイライラしやすい、ということについて、そのまま扱ってよくなる場合もありますが、なかなか良くならない場合、「他者から影響を受けやすい」あるいは「他人の感情をもらってしまう」ということをテーマに変えてセッションを行うと、軽快していくことがしばしばあります。

 

 

 まったく影響を受けない人、というのはいませんが、
ネガティブな感情に悩みにくい方、というのは、他人からの感情と、自分のものとを区別する力がある、と考えられます。それを支えるのが「愛着」の力です。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

  
 愛着とは、親子の絆、安全基地のことを差します。
幼いころのやり取りで、むずかっているときに「悲しいの?」「しんどいの?」といったやり取りを通じて感情を正しく把握するトレーニングをしているわけで、その中で、自分の本当の感覚とは何か?そうではないものは何か?を自然と学ぶようになります。
 自分のものとして受け取ってよいものではないような否定的な感情に影響されても、「なんか変だな」としてその場を去ったり、これは相手のものだ、としてスルー出来たりする。

 

 愛着が安定している人にとっても、専門家ではないため言葉には出しませんが、「自分が感じているネガティブな感覚は外から来たものだ」というのは当然のこと、世の中の裏ルールといってよいものの一つかもしれません。

 

 
 反対に、難しい養育環境の場合は、自他の区別が混乱させられてしまっているために、相手の感情も自分の感情としてしまう。例えば、夫婦喧嘩が絶えない家である場合、子供は親の気持ちを先取りして、「今日は喧嘩をしないか?」「機嫌がよいか?」とやきもきしている。そのうち、自分の感情と親の感情との区別もうまくつかなくなったりする。

 親から、「お前は気をつかえない」なんて、因縁をつけられていたりすることもよくあります。
 すると、理不尽で不安定な親の感情をわがこととして忖度してしまう。結果として、他人のネガティブな感情を自分のものとすることが習慣化する。
 
 身体レベルでも、ノイズをキャンセルする役割を果たすストレスホルモンの働きが乱れていますから、人からの影響を跳ね返すことができなくなる。

 そうして、人からの影響を受けて、簡単にイライラしたり、不安になりやすい人になって、精神科やカウンセリングのお世話になるようになります。

 そこでも、その人本人が「イライラしやすい人」という風に扱われて、イライラから抜け出しにくくなっていく・・・

 

 イライラが自分のものだと真に受けると、イライラはいつまでもさらないし、それを他人にぶつけてしまって、罪悪感を感じてしまう、という悪循環に陥ります。

 

 

 悪循環から抜け出すためには、イライラを感じたら、「これは誰かから来たものなんだな。自分のものではない」と思いながら、その感情を感じる。

 すると、感情と自分の身体とが少しずつズレてくるのがわかります。そして、自然と治まっていきます。

 
 「このイライラを、オリジナルに還元」と唱えてもよいです。

この言葉はとても役に立ちます。

 どうしても巻き込まれてしまう、自分のものではないと考えてもそう思えない、という場合も、とにかく毎日続けてみます。すると、感情に巻き込まれにくくなることが実感できるようになります。

 それでも、ある感情だけは自分のものとしか思えない、という場合、その際はトラウマケアの出番です。どうしても巻き込まれてしまうということを緩和していきます。

 

 「自分が感じている感覚は、すべて外から来たものだと捉える。」というのは、ベテランの治療者などが実践しているかなり重要なテクニックです。

 認知行動療法のように、自分の信念、感情を自分のものと捉えてケアをしていると、ある時点で限界がやってくるのですが、反対に「自分のものではない」と意識していると、その限界を超えて、これまで解消しなかった悩みを超えることができるようになります。

 嫌な人にも巻き込まれにくくなります。

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

iメッセージを使って「自他の別」を知る。

 

自他の別を体感する方法の一つとして、「iメッセージ」というものがあります。

「iメッセージ」とは、簡単に言えばすべてを「私」を主語にしてみる、ということです。

 

私たちはついつい、相手の視点から語ったり、物語の作者のように神の視点に立ってしまったり、してしまいがちです。
想像力という人間が持つ機能ですが、それが「自他の別」をわからなくさせ、苦しめたりもします。

 

本来自分にできること、範囲は「私」しかありません。

 

例えば、職場で嫌な人がいたら、
「あの人は、~~だから、~~すべき」といったような考えや文句が浮かんできます。

「あの人は~」の文章は、相手の視点や、あるいはニセの神様の視点に立っています。
私が思っていることと、相手の在り方についての話とがごっちゃになっていて自他の別を越えています。
相手の問題と自分の問題が混合されてしまっています。

そして、自他の別を越えていることを正統化するために、無理やり「すべき」という論拠を持ち出さなければならなくなって道義的にも苦しくなります。

 

一方、「iメッセージ」になると

「私は、あの人の~~が嫌です。」
「~~してほしいと、私が思っています。(でもそれは、相手の領分です。)」
という風になります。
最初の文は、完全に自分だけで完結することができます。
2番目の文は、も自分の要望で思うのは勝手です。ただ、実行してくれるかどうかは、相手次第になります。

 

「iメッセージ」で始めると、驚くほど自分がかかわれる範囲は限定され、狭いことが分かります。

 

いわゆる成熟すると、自然と「iメッセージ」となっていきます。
相手にもいろいろな事情があるということを知りますし、
自他の別を越えて結局何もよいことがないことを学んでいきます。

 

 

いじめの研究などで指摘されますが、
クラスのメンバーが固定されて閉鎖的な小学校、中学校などでは、「ローカルルール」が支配しやすくなります。
「あの人は、~~だから、~~すべき」といった考えになりやすく、いじめの温床となります。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

一方、大学などになると、よほど公共のマナーを違反するような行為でなければ、他者に対しても関心を向けず、「私」が主語(「iメッセージ」)になりやすい。

大学の大講義室で、特定のメンバーに目をつけて「あの人は、~~だから、~~すべき」などと思っていたら、かなり妄想的といえるでしょう。

 

しかし、状況が閉鎖的になると、職場、家庭、街中でもこうした妄想的なことをしてしまいます。

 

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」ではありませんが、マネー違反は公共(カエサル=皇帝≒公共)に任せて、神(相手のこと)は相手の領分です。

ニセ神様のようになって、相手の領域を侵犯して、相手を裁くことを正当化する行為はかなり異常だということが分かります。

 

私たちは弱く、すこしのきっかけで解離してしまって、そうしたことに陥りやすい。

とくに、「あの人は~」で考え始めると、頭がグルグル回って止まらなくなります。

 

そのため、「iメッセージ」で考える癖をつけることはとても役に立ちます。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

トラウマ(愛着不安)を負うと、自他の別を越えさせられちゃう

 

前回、自他の別を越えてハラスメントを受ける、といった内容を書かせていただきました。

逆に、自分自身が自他の別を越えて、相手を侵犯してしまう、させられてしまう、ということもよく起こります。
「余計なお世話」というものです。

そうしたときは解離させられていることが多く、「相手はわからず屋で道理は通らない」「自分が何とかしなければ」と思い込まされています。

そして、自他の別を侵犯していることを正当化するために、ムリな理屈や自分の価値観を絶対化する(モラハラ)ようなことをしてしまいます。

すると、相手は反発したり、逆に依存してきたりします。

反発されると怖くなって相手をこき下ろし、依存されると、何とかしなきゃ、と頑張って、泥沼になってしまいます。

 

 

例えば、子どもが宿題をしない、しつけを守らないのは、
どこまでいっても「子どもの問題(領域)」です。

大人にできることは「こっちのほうがいいよ」と教えてあげたり、手本を見せる、といったところまで、ですが、あたかも自分の問題であるかのようにイライラしてしまうことがあります。

それは自他の別を越えて、子どもの領域まで侵犯している、ということになります。

 

結果、ますます子どもは宿題をしなくなります。
なぜなら、介入してきた親が宿題は自分の問題、と手を挙げて宣言しているからです。また、子どもは道理が通らないおかしな人間だ、という勝手な前提も持ち込んでもいます。

 

人間は無意識に責任の在処を察知していますから、ダチョウ倶楽部のコントではありませんが、手を挙げた人に、「どうぞ、どうぞ」と責任がやってきます。ここでは、手を挙げた親が宿題の責任を負うことになります。

育てにくいお子さんがいることは事実ですから、子育ては簡単ではありません。
ただ、周囲ができることは、環境を整備したり、構造化したり、といったことまでで、実際に行動するのは、どこまでいてもそのお子さん本人になります。
これも、「自他の別」です。

 

 

介入する親の側も、自分の親から同じような対応を受けてきて、道理の通らない、理不尽な世界で生きてきた方が多いようです。(イライラする親の頭には、子どもの責任を自分のせいにしてくる自分の親の理不尽な声が聞こえているのかもしれません)

 

理不尽で、道理のない世界で生きてこられていますから、
世の中は道理が通って当たり前だという信頼感や自他の別を分けている状態に対する安心感がありません。

 

 

 

 

 

また、自他の別を侵犯することが当たり前の環境で育っていますから、自他の別がある状態がどこか冷たいように感じてしまったり、素っ気ないように感じてしまったりします。
壁を越えることが愛情、世話であるような錯覚をさせられています。

 

一番わかりやすいのは、生後半年~1歳半までの親子のコミュニケーションで、ここでお母さん(お父さん)が忙しかったり、不安定だったりして、十分に抱きしめられていないと、境界を越えて愛情を得ようとしたり、逆に求めなくなったり、両価的で不安定になったり、ということが起こるのです。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

大人になってもそのスタイルは続き、
自分が相手に領域まで入っていって、何とかしなければいけない(自己愛性パーソナリティ)、逆に正面から要求できず相手が介入してきてくれるのを待つ(依存性パーソナリティ、回避性パーソナリティ)、ということがコミュニケーションの基本となってしまいます。

関わるところと関わらないところ、自分と他人の領域の区別もつかなくなります。

そして、無理やり「ローカルルール(理不尽な前提)」を作り出して、自分の行動を正当化しようとします。
(壁を越えることは愛ではありません。)

そして、それが周囲に連鎖していきます。

 

 

恋愛関係では、「自他の別」がよりごちゃごちゃになります。

「俺ならあいつをなんとかできる」として、自他の別を越えて介入してしまいます。
介入することが恋愛であるという、快感(錯覚)も手伝います。

相手が問題を抱えていると、
泥沼の中でボロボロになって抜け出せなくなってしまいます。

 

 

ゲシュタルト療法のフリッツパールズが書いた有名な言葉に、ゲシュタルトの祈り、というのものがあります。

 

 

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる
私はあなたの期待にこたえて行動するためにこの世にあるのではない。
そしてあなたも私の期待にこたえて行動するためにこの世にあるのではない。
もしも縁があって、私たちがお互いに出会えるなら、それはすばらしいこと。
出会えなければ、それはしかたのないこと。

 

 

パールズ自体はエキセントリックな人だったそうなのですが、この文句は、人間関係の本質が書かれているように思います。

 

人間同士は、本来もっともっと距離があって、自分の領域を大きく後退させて狭めて、必要な時、余裕のある分で関わり合うものです。
敬意というのは距離をとることであり、その上で相手に関心を持つことです。
家族でも(家族ほど)、自他の別をしっかりととれる環境をお互いに作ってあげることが、本当の安全基地のあり方なのかもしれません。

 

なぜ、動物や自然がカウンセラー以上の癒しを与えてくれるかといえば、無用な関わりをしてこないからです。

 

こうしたことが、現代の自己愛型社会では見えなくなっていたり、コミュニケーションや愛の名のもとに領土侵犯が当たり前になっています。

愛着不安やトラウマを負っていると、そのことが顕著に現れます。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

自他の壁を越える「筋合いはない」

 

筆者が昔、会社員をしていたころ。
職場はパワハラ、モラハラが横行してひどい環境にありました。

モラハラとは、ゴールポスト(モラル)を勝手に動かして、支配することですが、上司の「マイルール」で理不尽に詰められる、という状況でした。

(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

当時は、筆者は原因不明の自信のなさに苦しめられていたので、「マイルール」のほうが正しいのかも、としてそこに従わされていました。ただ、身体は違和感を感じていました。

 

ある時に、出張中に上司と二人でいたときに、
なぜか上司の機嫌が悪く、ファミレスでひどい叱責を浴びせられていました。

腑に落ちませんが、会社員ですから、あからさまに反抗することもできませんので、ずーっと聞いていました。

 

ただ、その中で、
上司が「お前の育ちが悪いんじゃないか」「親の育て方が・・」みたいな話をしたときに、

 

自然と、筆者の口から

「そんなことを言われる筋合いはありません」

という言葉が静かに出てきたのです。

 

 

上司は怒りながらもハッとしたのか、
そのあと叱責は沈静化していき、しばらくして、二人でその店を後にしました。

言葉が自然と出てきたこともあって、これはとても印象深い経験でした。

 

おそらく、
会社では「行為・行動」について怒ったり、指導はできますが、「人格」やプライベートな部分に口を出すのは、自他の別を越えたことで、そこを越えていることを静かに一言で言われたことで、上司がハッとなったのではないかと思います。

 

人間というのは、家族といえども、「自他の別」「壁」があるのが当然で、その壁を侵犯することは誰にもできません。

 

例えば、「しつけ」というのも、かつては、家庭が行うものではなく、仕事の中でするものでした。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

例えば、農作業の道具を泥が付いたままにしておくと、錆びて大変なことになるからととても怒られて、そうしないようにしつけられたそうです。

これも、「行為・行動」についてのものです。これが普通のことでした。

いつの間にか、「人格」にかかわるところとか、内面に隠すプライベートな部分にまで侵犯して良い、と勘違いされるようになったのが、現代の親子や職場ではないかと思います。

それは、あくまで閉鎖的な共同体の中の歪んだ「ローカルルール」にすぎず、「常識」からするとおかしな行為です。

 

仕事でもそうで、立ち入れる部分は「行為・行動」までです。もちろん、仕事では「心構え」というものも大切で、そこへの指導、監督は必要です。ただ、その時に関係するのは「職業的人格」であって、「全人格」ではありません。

そこを区分けする必要があります。

 

 IPS細胞の山中教授が述べていましたが、親友の故・平尾 誠二さんから教えてもらったリーダー論の中で、「人を叱るときは、プレーは叱っても人格は責めない」というものがあるそうです。これも「自他の別」を分ける「常識」で、その矩(のり)を越えても人は動かない、ということのようです。

 

 

いじめの研究でも指摘されていますが、
ローカルな中間集団共同体になると、「常識」はゆがめられ「ローカルルール」が支配し、ローカルルールに従わないおかしな人間に対しては「自他の別」「壁」を越えて相手をコントロールしても良い、として、人格に立ち入るようなことがまかり通るようになります。

それが「いじめ」という現象ですが、ローカルルールに支配されていると、教師でさえも「いじめられていた子も悪い」といったおかしなことを言うようにもなるから恐ろしいものです。

中間集団共同体とは、学校や会社、家族、恋愛関係も含まれます。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

「ローカルルール」の洗脳に対して、愛着がしっかりしていれば、愛着を通じて「常識」とつながり、「壁」「自他の別」がその侵犯を阻んでくれます。

「そんなこと言われる筋合いはないよ」として、侵犯を受け付けなくなります。
 ※「筋合い」とは、「物事の道理」のことです。

 

その瞬間、冒頭の筆者の体験のように、相手も「常識」の光が差し込み我に返ります。自分が自他の別を越えていることに気づいてハッとするようになります。

 

クレーム対応もまさにそうです。

クレームを伝えてくる側は、自己愛が傷ついている場合が多いので、「自分と同じように、痛みを感じろ!」と自他の別を越えて、応対者に求めてきます。
その時のトラブルについてだけではなく、自分が生まれてきたから負ってきた過去の理不尽さの保障までも求めてきます。まさに、ローカルルールで支配しようとしてくるわけです。

 

その際に動揺して、「自他の別」を崩して(こちらの責任でどんなことでもします。だから怒らないで、と)応対してしまうと、相手の怒りはさらにヒートアップして、収拾がつかなくなってしまいます。

 

クレーム対応のマニュアルや専門家などが口をそろえて言うのは、「事実を明らかにして、非があれば認めてしっかり謝罪する。
 一方、責任のないこと、できないことには応じない」ということです。つまり、「自他の別」を明確にすること。

 

人間は全能ではないので、できないことはたくさんあります。特に、サービスやモノというのは、思っている以上にそれが及ぶ範囲は小さいものです。

 

そして、「怒り」というのは、あくまでその方の問題や「行為・行動」が対象であって、応対者の「人格」とは何の関係もありません。ただ、相手はそこに響かせるように責めてきますから、トレーニングを受けていないと、すごく動揺してしまいます。

 

特に、トラウマを負った人は、どこまでも誠実に相手に尽くさなければいけない、として、「自他の別」を取り払って、傷ついてダウンしてしまいます。

 

応対がうまい人は「自他の区別」がしっかりできていて、
事実を明らかにして、責任の分解点を明確にしていきます。

 

飛行機の中で怒り出すおじさんをよく目にしますが、
キャビンアテンダントは動じずに、丁寧に答えます。
丁寧ですが、相手との間に鉄のような「壁」がびしっとあります。

ホテルマンもそうで、相手との間には「壁」がびしっとあります。

「壁」があるから冷たい、というとそうではなく、実は「自他の区別」があって、「壁」があったほうがホスピタリティがあって、クレームを伝えている相手も気持ちが良いもので、スーッと怒りが引いて冷静になっていきます。

 

なぜかといえば、クレームを起こす(自己愛が傷ついた)人の親は「自他の別」を侵犯してくる「壁」がない人たちが多いからです。だから、ちゃんと「自他の別」「壁」がある人間から成熟した関係を提供されると、常識の世界に戻り、安心するのです。

 

トラウマのせいか、なぜか自信のない、ということでお悩みの方は、この「自他の別」が明確になっていないことは多いです。

 

自分の人格という領域に、「お前はおかしい人間だ」と、誰かに突っ込みを入れられる、そんな恐怖を感じていたりします。

でも、本来、親であろうが誰であろうが、誰にもそんなことをする「筋合いはありません」。

 

ポップ心理学、自己啓発などでは、自他の壁を取り払いましょう、といった流れになりがちですが、それは人間の本来の在り方、発達の流れに反しています。

 

むしろ、自他の区別をもっともっとはっきり意識して分けていく。常識から見て、「筋合い」「矩(のり)」とはどこに流れているのか、を知る。そうして、自分はだれにも侵されないと気が付くと、人間関係は大きく変わっていきます。

 

 

これもあまり誰も教えてくれない暗黙のルールの一つかもしれません。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

 

カエサルのものはカエサルに

 

「自分」というのものの範囲は、必ずしも明確ではありません。

 

たいていの場合は、
自分の範囲は大きくなりすぎていることが多く、
悩みを持つ人はそれが顕著です。

 

通常は、成長の中で自分の範囲は適正なサイズへと収斂していき、そのうえで、世界との「関係性」を身体でつかんでいきます。

ただ、愛着が不安定だと、自己が大きくなったまま、あるいは不安定なままになってしまいます。

大きすぎる人のことを「自己愛性パーソナリティ」といい、
極度に不安定な人のことを「境界性パーソナリティ」といったりします。
自他の関係性を間違ってとらえる人を「猜疑性パーソナリティ」「関係念慮」ということになります。

(参考)→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント

 

 

トラウマを負っても、自分の範囲はあいまいになりがちです。

自分のものではないものを、自分のものとしてしまったり、自分の中の一部を他人に明け渡していたり。

例えば、他人にイライラする、というのも、「自分と他人の区別」の問題で、自己が膨らみ、他人も自分の一部となっていたりします。自分と他人とに区別があれば、イライラはしないものです。

自分の一部が言うことを聞かないからイライラする。
他人の行動も自分の責任だと思ってしまっている。
家族など他人の世話を過剰にさせられたり、ということも起こります。

 

 

逆に、自分の中の一部を他人に明け渡している状態、
つまり、自分の親など他人の考えを自分の中に取り込んでいて、それに支配されていたり、ということもよくあることです。

年齢だけが大人になっているだけで、実は精神的には自立できていない。自立する力がない、と思わされていたり、自立しようとすると罪悪感を感じてしまう。

その時に頭で当たり前と思っている「常識」は、ゆがめられた「ローカルルール」だったりします。

 

 

例えば、トラウマを負った人は、「親の面倒はどこまでも見ないといけない」とおもっていますが、普通の人たちはむしろ、反抗期を経て自立していますから、親子関係はもっとさっぱりしていたりするものです。

(参考)→「「無限」は要注意!~無限の恩や、愛、義務などは存在しない。

 

 

自立とは、自他に「壁」を明確にしていくプロセスでもあります。

壁をもとに、自分の責任や仕事とそうではないものとを分けていく。
自分の責任ではないものにはかかわらない。

 

 

 

 

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」とは、新約聖書の言葉です。

カエサルとは、皇帝のことです。
世俗の責任と、宗教上の責任について述べたキリストの言葉ですが、「自他の区別」をつける際にも、心にとめておきたい言葉です。

 

例えば、他人の価値観と、自分の価値観は違う。
他人の仕事と、自分の仕事も違う。
他人の問題(悩み)と、自分の問題(悩み)も異なります。

 

言い換えると、
「私のものは私に、他人のものは他人に」ということになるでしょうか。

 

健全な養育環境であれば、自然とその区別もついてきますが、不適切な養育、過干渉であったり、ストレスが高い環境だと、その区別はあいまいになります。

 

例えば、子どもの目の前で夫婦げんかをする、といったこと。夫婦の問題は、子どもにとっては関係ありません。
でも、目の前で行い、子どもが巻き込まれると、子どももそれを自分の問題として解決しようとします。

 

あるいは、情緒が不安定なお母さん、お父さんについても同様で、態度に一貫性がないために、子どもは自分が影響しているのかどうか非常に混乱して、「自他の区別」もよくわからなくなります。

 

養育環境ばかりが原因とは限りません。
体質、気質の影響も大きく、もともと「ストレス応答系」の失調がある場合は、外部からのストレスを中和するコルチゾールの壁が機能しづらいために自分と他者との区別はつきにくくなると考えられます。

 

現代は自己愛型社会ですから、誰もが「壁」については自覚的に取り組む必要があるかもしれません。

 

外見は年齢を取っていても、自己愛の欠けが問題になって、歳をとっても、自分の考えを押し付けようとしたり、他人にイライラさせられたりと、子どものような振る舞いをしてしまう人は珍しくないからです。

 

そこを越えるためには、迂回したニセ成熟やスピリチュアルな理想主義などではなく、本来の「成熟」のルートに復帰する必要があります。
そちらのほうが、結局は解決は早いし、本当にたどり着きたいところにたどり着くことができるからです。

 

トラウマを解消して、「ストレス応答系」が回復(安定)してきて、精神的に成熟してくると、自然と「壁」ができて、自他の区別もついてきます。

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

人との「壁」がない人たち~発達障害、トラウマ

 

「他者との壁がない人たち」の代表例は、意外かもしれませんが、実は発達障害の人たちです。

発達障害というと、他者と関係を持つことや維持すること、理解することが難しい、とされますが、
実は、その背景にあるメカニズム、特徴は何か?というと、「内的言語の失調」ということです。

(参考)→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

私たち人間は、言葉によって世界に区切りを入れて、世の中を理解する生き物です。言語は人間の大きな特徴の一つです。

 

そのため、内的言語がダメージを受けているとどうなるかといえば、世界と自分との区別が、他者と自分との区別がうまくつかなくなります。

自分と他人との区別がつかない状態のことを「自他未分」といいます。

(参考)→「「自他未分」

 

まさに世界や他者との壁がない状態。

壁がないため、いつも不安(「アプリオリな不安」)です。壁がないため、他者を理解できず、空気も読めなくなり、人とうまく交われなくなります。

壁がないため、関係を結ぶ、ということがよく理解できません。

 

例えていうなら、「国」とか「会社」という概念がないために、交易や取引ということがうまく理解できない子供のような感じです。

 

社会人一年生(新人会社員)がしばしば、会社内の部署の区分け、しくみなどがよく理解できず、無邪気に他の部署の協力をお願いしたら、手続きを踏んでいないと断られて戸惑ったり、怒られたりすることがあります。まさにあのような感じを、発達障害の方たちは感じているということです。
(では、部署がなければよいかといえば、仕事は混乱してしまいます。部署や区分けがあるから協力し合える)

 

発達障害の方たちは、子どものころにいじめられたり、仲間外れにされたり、ということを経験します。

そのうち、その痛みで人がこわくなったり、嫌いになったりするようになるのです。

 

 

私たちも、家でもそうですが、境があり、その内側は安全だから、ボーっとしながらでも生活ができます。
もし、家のドアや壁がなければ、安心して生活はできません。逆に、外との境を意識していしまうようになるでしょう。

 

壁がないというのは、常に不安で、外とうまく付き合えなくなるものです。

 

実は、後天的にも同じようになることがあります。それがトラウマの影響です。
トラウマの影響を受けると、同じように「自他未分」のような状態になり、他者とうまく壁が作れなくなるのです。

 

人間は、壁(ストレス応答系の働き)があるから、人と調和、ラポール、リズムが作れる。国と国とも国境があるから、友好な交流もできる(国際)。

 

例えば、TVに出ている人たち、
笑福亭鶴瓶さん、といった、人見知りなく、人と接しているような人でさえ、実はちゃんと境があって、自他の区別がある。境目がちゃんと機能しているから、自動的にラポールを取って、チェックして、国境のゲートを開けて、人と交わっている。

人とうまく関係が築ける人とそうではない人の違いは
ただ、「壁」がうまく機能しているか、機能していないか、の差でしかないのかもしれません。

 

私たちの生きづらさを越えるヒントは、こうしたメカニズムを理解することにもありそうです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

「接する」のではなく「信じている」

トラウマを負った人の特徴として、自分や他人、世界に対して、直接ありのままに「接する」のではなく、「信じている」ことがあります。

 
理不尽な経験をしてきていて、世の中や人間というものは、安心安全ではない、と感じています。

そのため、直接「接して」はあまりにも危ない、ために
ありのままの他者、世界に、ではなく、いったん抽象化(ファンタジー)したものを「信じる」ように接しています。

 

 

そのため、他者や世界について、見たくないものは回避しようとします。信じるかどうか?なので、抽象化したイメージにそぐわないととても腹が立ったり、こき下ろしたりするようになります。

 

ありのままの他者や世界は、良いものも悪いものもほどほどに同居しているものですが、そうした真ん中がありません(二文法的認知)。

例えば親に対しても、ありのままに見ればよいわけですが、抽象化したイメージとしての親(親´)と接し続けています。
ですから、実態としては愛情が持てないご両親だったり、過去には理不尽なことを重ねてきていても、それがわかっていながら、イメージとしての親(本当は愛してくれるはず)をずっと追い続けて、イメージ通りに動いてくれない親に対して、腹が立って、小突いてみたり、口論になったりするのです。

 

 
自分自身に対しても同様です。自信自身に対する時も、ありのままの自分と接するのではなくて、抽象化した自分(自分´)を信じています。
スティグマ感を背負い、罪悪感があり、自分に自信がありませんが、それらは、周囲から背負わされた抽象化されたイメージです。

ありのままの自分はとても汚れていると思いこまされているために、抽象化したイメージ(少しマシな自分)を信じるようにしているのです。

そのイメージを信じてしまうので、いつまでも、自分に自信が持てないままになってしまいます。

 

 

 「自他の区別」がつかない原因の一つは、抽象化したイメージを通じて世界や自分と接しているからです。

イメージだから、区別や距離が取れないのです。現実の自分や他者をありのままに見れれば、区別は距離は明らかにとることができるのです。

 

 

 

このことに気づくだけでも、結構変化が生じます。
ありのままの他者を見る、ありのままの世界を見る、ありのままの自分を見る、ということができると、生きづらさは、ぐっと良くなってきます。

 

 

 

 

 

「自他未分」

 

トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴として、「自他未分(自他の区別がつかない)」というものがあります。

 

これは、もともとは発達障害における特徴の一つとされるものです。トラウマを負うと、後天的に「自他未分」というものが生じます。

内的言語がダメージを受けて、自分と他人の区別があいまいになるのです。

 

もちろん、意識の上では、自分と相手は区別しています。
そこに疑いはありません。普通は問題はありません。

しかし、コミュニケーションを取り始めたりすると、「自他未分」の問題点は明らかになってきます。

 

 

「相手の言葉が自分そのものではない」という感覚がないため、相手の言葉がまさに自分の中に入ってくるかのように、相手の言うことを真に受ける。

例えば、「~~さんって、自己中なとこあるよね~」といわれると、「えっ、自己中?どういうこと?」と相手の言葉がグルグル頭の中で回るようになります。

気にしないでおこうと思うのですが、グルグルが収まらず、だんだん不安になってきたり、相手への怒りに変わったり、皆がそう思っているのでは?という「被害関係念慮」が生じてきます。

 

 

 

自他未分というのは、相手と自分は全く違う人間だ、という感覚が薄いということです。
そのため、自分の考えていることは相手も考えているだろう、と素朴に思います。

しかし、実際はそうではないので、相手はそっけない態度や、否定的な反応を返してきます。
すると、なんでもないことなのに自分自身を否定されたかのように、見捨てられるかのような極度の恐怖がわいてきます。
例えば、「ここのコーヒーはおいしくないよね?」といった簡単な会話で「そうかな~?」と言われただけでも、どん底に落とされたような気になるのです。
自分でもなんでそんなにショックを受けるのか、意識ではわかりません。でも抑えられないのです。

そのうち、自分の本音を押さえるようになってしまいます。
自分と他人が同じであるという感覚があるため、人のふるまいにとてもイライラしがちです。なんでそんなにイライラするのかがわからないのですが、イライラがわいてきます。自分と他人が同じ、なのですから、たとえて言うなら、自分の体が思うように動かないイライラのようなものともいえます。
また、自分と他者とは、異なる価値観に住む異文化の住人である、という感覚が薄いことも大きな原因です。価値観が同じ、価値観は一つであるとすると、相違に直面した時に相手を憎むほどにイライラするのです。
(宗教戦争や、左翼の内ゲバなどはまさにそうです)

 

 

 

相手をコントロールするタイプの人にはとても恐怖を感じます。そうした人のナメた言動、押しつけがましい言動を軽くいなすことができないのです。頭で対策をシミュレーションをしますが、現場ではうまくいきません。跳ね返されてしまいます。

 

 

これも、「自他未分」であるため、相手との間に間合いを置くことができないのです。相手の言う言葉を、「事実」としてとらえてしまうのです。
相手の「否定的な感情」にもとても弱いです。
相手がこちらに敵意や反感を向けてくると、恐ろしくて腰が砕けるようになってしまいます。本来であれば、その感情にはこちらも感情でノイズキャンセリング(否定的な感情を打ち消す)して解消すればよいのですが、それができません。

内面はとてもビビりです。
でも、表面的には割とこわもてで、淡々としていて無表情と言われることがあります。

 

ノイズを自然にキャンセルできないことと、他人への怖さから、ついつい言動がきつくなってしまうのです。
※TVに登場する芸能人などでもそうした人はよく見かけます。こわもてだけど、実は生い立ちの問題からそうなっているだけで、内面はとてもビビりだという人は多いです。

 

 

そのうち、「人見知り」になり、人とうまく付き合えなくなってきます。本当は「人見知り」ではないのですが、相手が侵入してくる怖さに、相手との相違をどう対処したらいいかわからないしんどさに
上手く人と付き合えない自分の状態に疲れてしまうのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

 

 

トラウマを負うと一元的価値観になる

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴の一つとして、一元的な価値観になる、ということがあります。

 

一元的価値観とは何か?というと、簡単に言えば、善悪(正誤)の基準がこの世で一つだけ、ということです。

 

トラウマを負うと、この世が危険な場所であると感じられ、常に漠然とした不安になります。不安から逃れる方策として、どこかに絶対の価値観があるという観念を持ったり、自分がその価値観から外れた罰としてトラウマを負ったのだ、という感覚を持つようになるのです。

 

さらに、トラウマは人から、特に親から、負わされることがあります。本来であれば、親に対しては、反抗期を経て、自らの価値観を確立して、多元的になるものです。
しかし、トラウマの影響で、親には反発しながらも、依存させられる、ということが起きるために、本当の意味での反抗期を経ることができません。結果、世界が絶対的な一つの基準でできている、といった価値観を自然と持ってしまいます。
一元的価値観があると、その価値観の中で力の強いものが上位に来て、そうではないものが下位に来て、支配されてしまう、ということが起きます。

 

そのため、トラウマを負った人は、常に、どこか自分はダメなおかしな人間だとして、自信がありません。また、社会に出ると、その場で力の強い人にいいようにされたり、支配されやすい傾向があります。

 

逆に、躁的防衛として、妙に尊大になって、相手を見下したり、自信満々になりますが、周囲に反発されると脆い性質があります。
とってもピュアで理想主義的ですから、自分の価値観を他者に押し付けてトラブルになりがちだったり、他人が高い理想を求めないことについて落胆することがあります。

 

よくあるのは、感情的になったり、他者の悪口などの意識の低い発言をする身近な人を見て、「なんで、この人はもっと高い精神性を持つように努力できないんだろう? 気が付けないんだろう?」と感じてイライラする、といったことです。

 

 

一元的価値観ですから、他人も自分と同じように考えるはずだ、として、相手に期待しますが、当然ながら相手は同じようには考えてくれずに、失望してしまいます。

 

 

さながら、テロリストのような心性をもっています。
(理想主義的で、モチベーションが高く、正義感も強く、他人に期待して失望する、ということです。)

 
 自他の区別がつかないために、相手の言葉を真に受けやすいです。
なぜなら、一元的価値観ですから、相手の言葉≒事実 として受け取ってしまうからです。
「相手は相手。自分は自分」とは思えないのです。

 
トラウマを負った人は、一元的価値観を持つという性質を利用されて、親や上司の言うことは自分よりも正しい、としてハラスメントに遭いやすく職場や家庭でいいようにされてしまいがちです。

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

あの理不尽な上司(モラハラ、パワハラ)も、実は○○が原因だった!

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
子を愛せない親、について書いた記事は、職場やその他にも当てはまります。

 

理不尽な上司や同僚、部下からのハラスメントといったものも、同じ並列の人間同士の人間関係によって生じているものではありません。

 

理不尽な行動をとる背景には、発達障害や愛着障害、トラウマ、てんかん、双極性障害などが潜んでいます。
※パーソナリティ障害とは、実は上記を原因とする表面的な症状です。

 

 

最近、暴言議員としてニュースで取り上げられた国会議員も、医師やカウンセラーからみれば上記の何かに当てはまります。単にエリートで傲慢だから・・・といった性格の問題ではありません。

 

 

「まさか、あの上司が発達障害?確かにモラハラはひどいけど、本で読んだアスペルガーの特徴とは違うど・・」
と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

端的に、わかりやすく言えば、世の中のアスペルガー障害(発達障害)の本は、簡単に書きすぎて発達障害の実情を正しく伝えているとは言えません。

なぜなら、発達障害とは「空気が読めない人」ということではないからです。
(逆に、とても気を使う人はたくさんいます。)

→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 
発達障害の中核の一つにあるものは、内的言語の障害だと言われています。世界を把握する内的言語に障害があり、自他未分のまま他者と接しています。

そのため、自分の価値観を他者に押し付けて、苛烈に攻撃する、ということが起こります。自分の常識が他人の常識であるということから、他者が思い通りに動かないと、完全否定するところまで至ってしまいます。

 

内的言語において、「私」「あなた」の区別が上手くできないため反転して相手の立場に立つことがとても苦手です。だから、お互いさまという感覚がなく攻撃もとことん貶めるところまで至るのです。
また、記憶の処理がうまくいかないため、フラッシュバックを起こしやすく、一度他者について否定的な印象を持ってしまうと評価を戻すことができません。
過去の失敗もシャッフルして思い出して、相手を怒り出したりします。(「お前は以前もそうだった!」)

 

 

関係念慮も強いことが多く、そのため、些細なことを誤解して、他者が自分を貶めようとしているとして「あること、ないこと」取り上げて責め立てることがあります。

 

 

他者との付き合い方について定型発達の場合は、直感的に理解して学んでいきますが、発達障害の場合は、頭で理解していきます。
そのため、意外ですが、発達障害の方に多いケースに、身内に非常に厳しく外面はとても気にする、ということがあります。
これも、知識として社会性を身に着けているため、外面はとても気にしますが、直感的に相手の立場に立つことができているわけではないため、自他の区別があいまいになりやすい身内ほど厳しく、容赦ない態度をとるようになります。

 

会社でも、「~さん」とさん付けで呼んでいる時は良いですが、呼び捨てになるほど親しくなると、とたんに、厳しくなって、容赦なくなることがあります。

発達障害において、もう一つの特徴は、「発達の時間的な遅れ(=幼さ)」です。総じて考え方、態度が「幼い」のです。

 

他者に接する際は、目下であっても別の価値観を持つ者同士、礼儀を持って接することが普通ですが、そうした感覚がありません。
成熟すればするほど、価値観の多様性、多元的世界観を身に着けるものですが、それがありません。まさに、子どものような感覚なのです。子どもが純粋さと残酷さとをともに持ち合わせていますが、まさにそのように残酷です。

 

一元的で、過度に理想主義的で、強圧的な世界観の中で、自分よりも序列が低いとみなした人は、その世界で序列が高い「指導して良い」「罰して良い」という感覚なのです。

理不尽な上司や同僚など、見た目は年を取っていますが、実は内面はとても「幼い」ことが多く、その幼さ、理不尽さを「お前の能力の無さ、ミス、態度の悪さに怒っているからだ」「会社のルールだ」「上司、先輩だからだ」と理屈で正当化しているだけであることが多いのです。

 

発達障害様の症状は、後天的にも同様の症状が起きます。これを、「第四の発達障害」といい、いわゆる愛着障害や発達性トラウマ症候群がそれにあたります。
繰り返しになりますが、パーソナリティ障害とはこうした症状の別名です(てんかん、双極性障害なども含まれます)。

 

モラハラを受けるのは、あなたのせいではありません。まったく関係がなく、実は相手に原因があるのです。
このような実態を知るだけでも、会社で苦しさ、生きづらさを抱えている人は楽になっていきます。

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について