脳の可塑性

 

 先月出版いたしました『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)ですが、 
 その中でトラウマによる脳のダメージについて書かせていただきました。

 トラウマによって脳にダメージがあるという記述に対して、「脳の障害は、治らないのでは?」とご不安になる方もいらっしゃるようですが、いろいろな研究で、脳のダメージは回復することが明らかになっています。

 

 オランダの脳科学者のフロリス・デ・ランゲによる報告では、わずか9ヶ月の認知行動療法によって萎縮状態にあった大脳辺縁系の前帯状回の容積が回復

 同じくオランダの精神科医キャサリン・トーマスによれば、認知行動療法や薬物療法によって扁桃体の過活動や、前帯状皮質背側部、背外側前頭前皮質、海馬の機能が回復
 
 アメリカの精神科医ダグラス・ブレムナーの報告では、薬物療法によって海馬の容積が増加

 など(友田明美『子どもの脳を傷つける親たち』NHK出版新書より)。

 

 ストレスを受けて変化を生じる、ということはある種の環境適応で、反対(良い方向にも)にも変化するということでもあります。
 たとえば、勉強や運動、リハビリでも脳は変化するわけですが、それも適応しているということです。

  
 心理療法など適切なケアを行うことで正常な状態に回復していくことになります。

 今回決まりました増刷(重版)では、その点についても補足させていただいています。

 

 

 

 みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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トラウマの本を読んでもピンとこない

 

 私もかつて、生きづらさにたいへん苦しんでいた時期がありました。
解決の緒(いとぐち)を求めて、色々と取り組んだり、本を読んでみたりしました。

 その中に、トラウマに関するものもありましたが、全くピンとこなかったことを覚えています。自分とは関係のない遠い世界の話が書かれている。あるいは、トラウマを題材にして、なにやら抽象的な、衒学的な事が書かれているだけ、という印象でした。

 自分の生きづらさとつながるような説明が全くありませんでした。
 

 

 ですから、当事者の私は自分の生きづらさとトラウマを結びつけることができず、「自分の生きづらさはトラウマが原因ではない」「トラウマなんて存在しないんじゃないか?」と考えていました。
 そんなことより、努力して頑張ろう、みたいに考えていたのです。

 

 

 それもそうで、ある意味専門家もわかっているようでトラウマの実態がよくわかっておらず、トラウマは劇的でわかりやすい症状や問題から概念化されてきたためです。

 そのため、トラウマは一部の人だけの特別な事象とされ、多くの人にとって遠い世界のものとされてきたのです。

 トラウマが生きづらさと結びつかないために、別の概念(アダルト・チルドレン、発達障害、パーソナリティ障害、HSPなど)で説明しなくてはならず、「たしかにそうだけど、いまいちすべてを説明しきれない」「解決には繋がりにくい」という事態が生じていました。

 

 

 

 トラウマ研究もまだまだ途上でしたので、それもむりもなかったのかもしれません。

 トラウマについて書かれた本がこれまで分かりづらかったことの原因としては、日常の生きづらさというものは当事者でなければ、なかなか言語化できない、ということもあったと思います。
 第三者の立場で接する研究する研究者にとってはなおのことで、そのために劇的な事例にばかり目が行くことになっていました。
 

 

 これは吃音(どもり)にもいえます。当事者と、研究者や治療者との感覚の差は、驚くほど大きいものです。
 そのため、果敢に吃音の解決に取り組み始めた一部の治療者が最初にしたことはなにか、といえば、それはそれまでに出た専門書を捨てることだった、といいます。
 専門書に書いてある通りにしてみても実態に即しておらず、全然良くならなかったためです。
 (実は、学会で別の治療者も、同様のことを言っていました。まず専門書を捨てるところから始めた、と。)

(参考)「吃音(どもり)とは何か?本当の原因や症状を理解する7つのこと」

 

 

 こうしたこともあり、トラウマに関する本はいくつも出版されてきましたが、臨床心理の専門家が見てもよくわからない、わかりづらいものとなってきました。

 近年は、良い本もいくつか出てくるようになりましたが、特定の理論から説明されていたりとまだ”遠い”と感じていました。 

 

 今回出版させていただきました本は、そんな状況を橋渡しして、生きづらさに悩む方に、トラウマとはなにか?をお届けするべく、
 なんとか頑張って書かせていただきました。

 

 よろしければ、ご覧くださいませ。

 

 

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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日常にこそトラウマは存在する

 

 トラウマが身近な生きづらさを説明する概念として、これまで十分に適応されてこなかった理由として、「日常のストレスでは、トラウマになりえない」という専門家の先入観がありました。

 

 トラウマ概念自体が戦争やレイプといった重度のストレスを中心に概念化されていったためということや、概念化を担う医師たちは、一般には重いケースを中心に見ることが多いということも理由としてあげられます。
 (フロイトが日常のトラウマに着目して理論を展開できたのは、フロイトが日常のトラウマに触れる機会のある在野の治療者であったためだと言われています)

 

 しかし、ストレスのダメージとは、“強-弱”ではなく、その対象となる生物の脆弱性にかかわるかどうか?が重要で、実際には生物は強度のストレスには意外な抵抗力を示したりもしています。

 例えば、阪神淡路大震災でPTSDとなった人は被災者全体の1割、ベトナム戦争でも研究によって幅がありますが15%というデータがあります。
 もちろん簡単ではない経験ではありますが、多くの方は自然と正常へと復帰しています。

 

 一方、軽度~中度でも慢性的に脆弱性にかかわるストレスを受けてきたケースというのは、長く生きづらさを抱えることにもなります。

 

 実際に、自衛隊などでメンタルケアをしていた医師も、その著作の中で、軍隊においても、PTSDなどを引き起こすのは、実は劇的な経験ではなく、慢性的なローリスクストレッサーである、ということを指摘しています。
(福間詳『ストレスのはなし』中公新書)
 福間氏はいまだに強度のストレスばかりがPTSDの原因とされる精神医学の現状について違和感を表明しています。

 戦争でも後々まで苦しむケースは、その劇的な経験も影響しますが、その後に社会からのサポートがなかったり、厭戦気分などで生死に関わる事象への意味付けがなかったり、といったような脆弱性にかかわるダメージによってもたらされるようです。

 

 

 ストレス学の権威であるアメリカの心理学者リチャード・S・ラザルスも以下のように指摘しています。
「重大なライフイベンドだけでストレスを定義づけてしまうやり方は、ストレス対処の方法を解明するうえで適切なストラテジー(方略)ではない」
「日常的混乱とは、モラール、社会的機能、そして健康をも害するような、外見的にはささいにみえても、ときに非常にわずらわしさを感じさせる、日常のいらだちのことを言う。そして、驚くべきことに我々は、この日常的混乱のほうが重大なライフイベントよりも、健康障害にとって重要な要因であることを見いだしたのである」(『ストレスと情動の心理学――ナラティブ研究の視点から』実務教育出版)。

 

 

 先入観に加えてやっかいだったのは、研究分野同士の縦割りの壁です。
 
 トラウマ研究と、ストレス研究とは、ほぼ交流がなく進んできたために、ストレス研究では当たり前とされるような知見や成果が、トラウマ研究に十分に取り込まれてきたとはいえず、トラウマ研究の研究者は、全てではありませんが、「トラウマティック・ストレスと、一般のストレスは全く別物」と考えてきたようです。

 一般の私たちの常識からすればとても奇妙な捉え方ですが、こうしたこともトラウマが一般の人達の生きづらさの説明として適応されることを阻んできたといえます。

 

 

 その結果、「一部のタイプの「トラウマ」のみが診断学的に、あるいは治療上、特権的な地位を享受しているようにみえる」(立木康介「トラウマと精神分析」『トラウマ研究1 トラウマを生きる』(京都大学学術出版会))と言われるような状態になりました。

 

 京都大学人文科学研究所の立木教授は「PTSDを特権化する一部の言論によってともすれば忘れられたり、その背後に隠れてしまったりする種類の「心的外傷」に、あらためて光を当てることが重要なのだ」としています。その光を当てる対象とは「日常風景といってもよい外傷」や、「家族の言説のなかにタブーとして存在し続け、間接的に、主体に対して持続的な影響をおよぼすような外傷」としています。

 

 今回の著作では、そんな私たちの日常にこそトラウマは存在していて、それが生きづらさの多くの原因となっている、ということを明らかにしています。

 『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』は、日常にあるトラウマによる生きづらさに苦しむ人にケアが届かない状況に対して、なんとか橋渡しができないか、と思い微力ながら書かせていただきました。 

 

 

 

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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トラウマと発達障害が酷似する理由

 

 カウンセリングをしていてしばしば尋ねられることとして、「私は、発達障害ではないでしょうか?」というご質問です。

 

 自分があまりにも仕事や人間関係がうまくいかないために、「自分はもしかしたら?」と尋ねてこられるのです。

 多くの場合は、そうした疑い、不安とは当然ながら的を得たものではなく、単に自分の生きづらさや症状を説明する言葉を求めてのことです。
(中には、ただ「自分はだめな人間だ」とおっしゃりたいがために、発達障害という疑いを持ち出していらっしゃるケースもあります。)

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 

 

 一方で、そうした疑いが全く意味がないものではない、ということもあります。

 なぜなら、トラウマによって、発達障害と酷似した症状が生じることは知られており、そのことを専門家は「第四の発達障害(発達性トラウマ障害)」と呼んでいるからです。

 これは、発達障害などを専門にする医師などが、被虐待児を見る中で、被虐待児の症状が発達障害と症状がそっくりであることに気がつくようになったことから始まりました。
 

 それまでは、発達障害と診断されていた子どもたちが、背景を尋ねる中で、虐待を受けてきていることが明らかになります。

 発達障害と思われていたものは、実はトラウマによって引き起こされた症状だということがわかったのです。

(参考)→「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴

 

 さらに、虐待とまではいかなくても、慢性的に続く家庭内などでのストレスを受け続けると同じように発達障害に類する症状を呈するようにもなります。

 

 先天的と思われていた発達障害が、近年急増していることは知られていますが、その急増の原因は、実は、周辺に存在していた愛着障害やトラウマによる症状が発達障害と誤診して取り上げられていることが大きな要因ではないか?と指摘されています。

 つまり、これまで発達障害と診断されてきた、疑われてきたものの多くにトラウマや愛着障害など後天的な環境要因のケースも多々含まれているということです。

 

 では、なぜ、トラウマ、と発達障害という全く別の概念による症状が、同じような症状を引き起こすのでしょうか?

 偶然にしては出来すぎています。

 なんらかの共通する要因を持たなければそのような現象は生じないはずです。

 

 では、その”共通要因”とはなにか?

 本日発売された『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』では、そんな発達障害とトラウマの謎についても迫っています。

 よろしければ書店などでお求めください。

 

 

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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