人の言葉は戯言だからこそ、世界に対する主権・主導権が自分に戻る

 人の言葉が戯言だと、何も信じられなくなるのでは?という不安を持つかもしれません。

 その不安自体がローカルルールなのですが、これについては、以前、「代表」という観点で不安になる必要がない、ということをまとめてみました。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、真実はどこにあるの?~“普遍的な何か”と「代表」という機能」

 

 

 「言葉が戯言だと不安だ」というのは、実は普通の人からするとかなり変な感覚だったりします。

 

 いままで神のように奉っていた人の言葉を相対化して、解体した先になにがあるのか?

 難しい理屈を言わなくても普通の人は、「自分でわかるでしょ?」という感覚なのです。

(参考)→「頭ではなく、腸で感じ取る。」

 

 

 普通の人は、基本的に自分に中心軸があって、そこから判断できているのです。ローカルルールを離れ、徐々にそうした感覚に着地していく必要があります。

 

 そのために、戯言だと気づくことの意味についてもうひとつ別のポイントも知っておくことは有益なことです。

 その意味、ポイントとはなにかといえば、戯言だとわかることで「世界に対する主権、主導権が自分に戻る」ということです。

 

 トラウマを負う、というのは、人の言葉を神からの託宣さながらに「事実そのもの」として受け取っているという状態です。

 言葉に真剣に耳を傾け、深刻に受け止めて、それに対応する。

「あなたは~~な人ね」「~~は~~だ」と言われたら、事実そうなのだと受け取ってしまう。

 言葉が「完成した事実」「完成品」として、自分に突きつけられる、といった感覚です。

 戯言に過ぎない他人の言葉が完成品だと思わされ、事実そのものである言葉に対して何か手を加えられる権限も力も奪われているような状態です。

 

 「言葉は事実そのもの」なのだから、手を加えたら歪曲であり、そのまま真に受けることが誠実なのだ、と思わされている。

(参考)→「真の客観とは何か?」

 

 

 世界に対する主導権が自分にない、常に人の口から出る言葉に振り回されているような状態です。

 対して、人の言葉が戯言だというのは、バラバラの部品、素材が目の前に置かれるという感覚。

 バラバラの素材ですから、自分で吟味、判断し、都合よく利用することができる。自分で組み立てることができる。

 つまり、言葉が戯言だと気づくことは、世界に対する主権、主導権が自分に宿るということです。
 

 

 こうしたことは通常は、発達の過程でなされるものです。

 
 人間は発達の過程で、神のようであった親のイメージが等身大となり、自我のサイズも等身大となる。

 そして、反抗期で親の言葉を戯言として相対化して、自他の区別が明確になり、社会に出ていく。

 トラウマを負うような理不尽な環境では、こうした健全な発達過程が阻害されていた。

 親があれこれと言い訳をして子どもに対する主権を手放さずにいた。

 「私の言葉を真実として聞け!」と強制し、それに子どもも真面目に応えていた。

 

 

 でも、それは違います。まさにローカルルールそのもの。

 言葉が戯言だとわかるというのは、主権を自分のものとして、自他の区別を明確にすること。

 「言葉が戯言だと不安だ」などと不安に感じる必要などはまったくない。
 普通の人からしたら「自分に主権が戻るのに、なんで不安なわけ?」という感覚です。

 不安に感じる場合は、親のローカルルールを守らされていないか、チェックする必要があります。

(参考)→「すべてが戯れ言なら、何も信じられない?!」

 

 ニセの神様がもっていた言葉を操る権利を自分に取り戻すだけ。

 人間の言葉は戯言であり、何の意味もありません。言葉は、単なる道具です。

 言葉が戯言だと知るというのは、言葉を道具、部品として自由に組み立て、戯れに遊び、自分の世界を作っていく、ということなのです。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

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ローカルルール人格はドロップさせようとすることもある。

 

 ローカルルール人格というのは、内面化されたローカルルールのことです。

 理不尽な親の価値観であったり、その言葉であったりを真に受けたり、それに対抗しようとした結果、内面化されてしまうのです。

 人間というのはモジュール(人格)の集合体ですので、ローカルルールは人格のように悪さをしてくる。

 否定的な考えを沸き立たせたり、はっきり言葉で聞こえてくるようにしたり、ということがおきます。

 

 ローカルルールの目的は、ローカルルールの延命ですから、本当にその方が良くなると困ります。そのために、様々な邪魔をします。

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 大変面倒なことですが、病院の治療やカウンセリングそのものもやめさせようとする(ドロップさせる)ことがあります。

 速く治したいというふうに焦らせたり、
 もう治らないのではないか、と悲観にさせたり、
 治療者への不信をわたき立たせることもありますし、
 なぜかわけのわからない理由で治療そのものを辞めるように否定的な観念が湧いたり、幻聴が聞こえたり、といったことがおきます。

 辞めるのではなく、他の病院、治療者のところに行け、というふうに促されたりすることもあります。

 

 

 もちろん、治療が合わない、といった合理的な理由で病院を変える、治療そのものを辞めることはあります。

 先日、お笑い芸人の名倉潤さんがうつ病で休養されていましたが、途中治療が合わないので奥さんなどの判断で病院を変えてうまく行ったそうです。これはもちろん合理的な判断です。

 

 一方、症状が重いケースを中心に多くの場合はローカルルールの影響で非合理な理由で替えてしまって、治療の機会を失っているということも大変多い。

 

 

 ローカルルールによって引き起こされたものか、そうではないかを判断するのはなかなか難しいのですが、ただ、直感的に違和感を感じていたります。
 
 なんとなくおかしい、というようなこと。

 

 実は、治療も確かに進んでいて、まだ症状が残っているのに途中で辞めるという場合は、ほぼすべてのケースでローカルルール人格の影響があります。
  

 

 ただ、治療者の側のためらい(引き止めることはなかなかしづらい。)もうまく利用されて、ドロップしてしまうことが多いです。

 希死念慮など、重い症状を抱えている場合は、辞めないように誓約書を書いたり、といったことはありますが、そうではない場合、治療者の側もそれを妨げる、引き止めるということは通常しません。

 

 ローカルルールについてもっともっと解明、理解が進めば、治療者も自信をもって「それはローカルルールの影響だよ」といえますが、現状だと、ためらいが出たり、巻き込まれる恐れもあるので、なかなか難しい。

  

 ローカルルールの影響があることが確信を持ってわからないまま関わると、かえってローカルルールに巻き込まれる、ということもありますから、現状は引き止めずに、治療者は淡々と見送ることのほうが良いのかもしれません。

 クライアントさんの中の本来の人格がなんとか頑張ってくれることを期待するしかない。

 

 もし、後日なんらかの機会があれば、クライアントさんの身に何が起きていたかを説明する、というのが一番良いのかもしれません。

 

 

 短期的には、こうしたことの結果、少なからず悩みの解決が停滞したり先延ばしされたりしますので、ローカルルールにとってみれば、ローカルルールの延命工作が成功することになります。

 

 

 治療そのものを妨げるようなローカルルールが見られるケースというのは、重い愛着障害や、トラウマがあるケースが多いです。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて」

    →「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」

 

 自分の存在をそのものをだめにするような観念や、将来への悲観、不信が内面化するくらいひどく理不尽な目に過去にあわれてきていた、ということです。

 

 虐待や愛着障害の興味深いところは、単にひどい目にあいました、ということでは終わらずに、必ず、そこで展開されたローカルルールを内面化してしまっているということ。
 そして、いまも親などへの恨みや怒りと同時に、そのローカルルールに健気に従い続けているということ。

 

 境界性パーソナリティ状態が典型ですが、愛着が傷ついているために、自己破壊的な行動をとってしまう。
ケースによっては、依存症といったことにつながったり、自殺企図ということをおこしたり、これも、ある意味(生きることからの)ドロップということになります。

 

 本人の意志ではなく、ローカルルール人格がニセの衝動を仕掛けてきていて、それに巻き込まれているということ。ローカルルール人格のうるささ、不快さから逃れるために問題行動を起こしてしまったりする。

 

 ドロップというのは、ローカルルールに従い続けているということを表す顕著な事象であるということなのです。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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心理療法の”常識”も実は違っていたの?!

 

 心理療法に関わる人たちの間では、なんとなく常識となっていることがあります。

 

 それは、
  クライアントさんの話はすべてを受け入れなければならない、とか
  悩みも肯定的な意味、意図があって、解決のためにはそれを認める必要がある、
 
 といったもの。

 

 日常の生きづらい生活の中では、清涼感、潤いを感じるような考え方です。 
 競争的でギスギスしたり、コンプレックスを感じたりしているなかではなおさらです。
 ただ、自分が悪く言われて、欠点を直しましょうなんて考えはうんざりするでしょうから。
 

 

 例えば、認知行動療法など、のセラピーにおいては、
 私たちの悩みの原因は「非合理的な信念」にある、と捉えます。

 そして、「非合理的な信念」というのは、
 「いつも一生懸命でなければならない」だとか、「楽しむべきではない」「完全でなければならない」
 であるといったこと。

 

 

 認知行動療法などの説明では、

 人間は過去のある時点では、自分の身を守るために、そうした信念をインストールする。 
 その時はそれでいいけども、問題は、状況が変わっても、そうした信念を持ち続けてしまうことだ。それが悩みの原因だ、とします。そのことを「非合理的な信念」といいます。

 

 ただ、信念を変えようとしても抵抗が強い。 

 そのため、その信念を持つに至った意図(肯定的な意図)は尊重しながらも、信念を捨てるか、別の形に変化させることで悩みや問題行動がなくなる、というのが認知行動療法の基本的な考え方になります。

 

 認知行動療法は多くの実績があり、確かに悩みは軽くなります。エビデンスがあり認められた手法です。筆者も自分で試してみて悩みが軽くなった経験があります。

 

 ただ、生きづらさといった大きな問題の核は解決するかといえば、そうはならない。なかなかうまくいかない。問題はオールクリアにはならない。

 

 そこで、ビリーフにも深さがあって、コアビリーフを変えればいい、というアイデアで取り組む方法が登場します。
 深く、深く、より深く、というわけです。

 ただ、それもなぜかあまりうまくいかない。
 アイデアはいいけど結果は伴わない。

 仮説を信じれば、核となるビリーフを変えれば良くなるはずなのですが、そうではない。

 

 

 繰り返しになりますが、

 
 「問題とはもともとは悪ではないので、その意図を否定せずに受け入れれば解決する」

 という考えは、心理療法に関わる人からすると常識ともいうべき、ポピュラーな考えです。善悪を切り捨てずに、融和させるという、特に日本人が好むアイデアです。

 

 

 そして、人格は一つ、という前提があります。

 

 多重人格なんていうのは特殊な例だけで、普通の人は人格が一つだ、と漠然と考えています。その前提では割り切れない、様々な現象をなんとか解釈しなければならない。(例えば、「どうして自分ではしたくもないことをしたり、否定的な感情が止まらないのか?」といったこと。)
 そこででてきたのが、無意識や自己内自己に原因を求めたり、問題(悪)にも意識していないなんらかの意図があり、真っ向否定するのではなく、融和させるというアイデアです。 

 

 

 

 実はそれでは解決はもたらされない。

 その”問題(悪)”というものの正体をうまく見極めることなく、理想主義的に受け入れてしまうことで、実はクライアントさんの中にある”本来の自分”をないがしろにしてしまう。解決を妨げてしまっている、ということが見えてきました。
 (先日の記事でのドラマのNHK記者のように 参考)→「寄り添いすぎて目がくもる」)

 

 それは様々な事例から、

 ・人間の人格は一つではなく、誰もが複数の人格が束になっていて日常生活でも容易に解離する存在であること、

 ・ローカルルールに影響された人格が、本来の自分の邪魔をしたり、スイッチして前に出てきたりということが起きること、

 が、わかってきたためです。
 

 
 臨床から見えてきた人間の実態から考えたときに、
 「人格は一つ」との前提から無差別に問題症状の「肯定的な意図をくむ」とか、「クライアントさんの話はすべてを受け入れなければならない」というこれまでの心理療法の常識は、「本来の自分」をないがしろにしてローカルルールの延命を助けてしまうだけ。

 

 さながら、「いじめっ子にも理由があるに違いないから、叱らずに耳を傾けなければ」といって、いじめを見逃す教師のようなものです。
 毅然としていじめっ子を叱って教室内の全体主義的な状況を正常に戻してもらわなければ、いじめられっ子はたまったものではありません。

(参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因」

 

 

 ローカルルール人格というのがさまざまな問題を引き起こしていますから、肯定的な意図を汲もう、なんていうことをしている場合ではありません。本当に耳を傾けなければならないのは、「本来の自分」の声なのです。

 

 「ローカルルール人格」が前に出てきて悪さをしたり、あるいは、本来の自分に影響を及ぼして苦しめている状態であれば、それを解き明かして、あるときは「ローカルルール人格」をバッサリを切り捨てないといけない。

 

 

 事実、クライアントさんは、本来は自分の考えではないことを本心だと思い込まされたり、本来の自分が起こした感情、行動ではないことに責任を感じて、ずっと悩み続けたりしているのです。
 そこを切り分けて「ローカルルール人格」が起こしていたんだと明確にしていく必要があります。

 

 

 「人間は解離する(人格は一つではない)」そして、「人格はローカルルールに感染して、本来の自分に悪い影響を及ぼしている」ということが見えてきたことで、これまで言われてきた心理療法の”常識”が、どうやらそうではないということが浮かび上がってきました。
 

 

 悩みがなかなかよくならないのは、実はクライアントさんや治療者も巻き込まれて、悩みの要因を延命させされているからではないか? さながらイネーブリング(世話焼き行動)や、共依存のように。

 

 実際に、セッションの中で、
 「ローカルルールを真に受けている自分に意識を向けてください」
 とお願いすると、

 クライアントさんが、
 「あっ!自分にハラスメントを仕掛けてきた家族のことがかわいそうだと思っていることに気づきました」
 と気が付きます。
 
 
 「家族が可愛そうだから、私がその家族の考え(ローカルルール)を聞いてあげないといけないのだと思っていました」

 とおっしゃるのです。

 

 まさに私達の中には「人格は一つ」であるとの素朴な前提から、自分の中にあるおかしなローカルルールを自分の本当の感覚だとして真に受けさせられて、さながら、共依存のように世話焼きしている自分がいるということがわかります。

 本来であれば、ローカルルールはバッサリと切り捨てなければならない。
 

 

 

 

 クライアントさんの内面を例にしてあげていますが、対人関係の場面でも同様です。私たちが日常で接する理不尽な行為に対して、「相手にもなにか理由があるのでは?」といった、盗人にも五分の理を探す必要はないということです。
 相手の理を考えさせられることから支配が始まります。

 そんなことをする必要はなかった。

 

 「悪(問題)も懐柔したり、包摂しなければならない」という考え自体がローカルルールだ、ということ。

 

 

 スピリチュアルや、自己啓発の世界はローカルルールだらけですから、その親戚格である心理療法もローカルルールの影響が及んでいるのも無理はありません。
 (実は、スピリチュアルな考えを真に受けていればいるほどローカルルールに影響されて悩みは解決しにくくなります)

 

 

 落ち着いて、感情を込めずに、自分の中にあるローカルルール人格に対しては、NO と言う必要があります。

 

 「肯定的な意図?!そんなこと私には関係ありません。とにかく私に迷惑なことはやめてください」
 「非合理的な信念?!それも私のものではありません。邪魔しないでください」

 というだけ。

 

 そうすると、これまでは巻き込まれていた”本来の自分”が巻き込まれなくなるために、ちょっかいを出せなくなり、だんだんと力が削がれてしまい、ローカルルール人格は、前に出てこれなくなります。

 

 不思議なことですが、長年何をしても解決しなかった問題が氷解してくるようになります。

 

 実際、筆者も長年苦しんできた問題が取れたり、人や物に対する感覚が変わってくるのを感じます。不思議とこれまでとは別の捉え方になってきます。自分を責める必要って本当にないんだ、とわかります。
 あの人がおかしくなったのも、あの言動もローカルルールだったんだ、自分とは全く関係ない、とわかります。

 

 自分にとって嫌な感覚はすべて自分の中にある「ローカルルール人格」の影響なのだ、と捉えて大丈夫です。

 そして、「本来の自分」は何も問題がないのだ、と捉えてさらに大丈夫です。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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モジュール(人格)単位で悩みをとらえる重要性~ローカルルールは“モジュール(人格)”単位で感染、解離し問題を引き起こす。

 

 例えば、

 家庭や会社にいて「怒られるのではないか」「自分に対して否定的なことを言われるのではないか」とビクビクしたりすることがある。

 もちろん、いわゆるブラック会社や、機能不全家族ではなく、比較的落ち着いた職場であり、穏やかな家庭の話です。
 そのため、実際に怒られたり、失礼なことを言われることというのはありません。 

 でも、おどおどしたり、何やら落ち着かない気持ちで、自信がない。

 感覚としては、まわりは穏やかな平和な世界なのに、
 なぜか自分だけが、不思議なおかしな世界観の中にとどまっている。

 そして、あるはずもない脅威やよく考えれば、おかしなルールにおびえている。
 

 

 旧来の臨床心理の考え方でいえば、過去の記憶や信念が残っているから、無意識の作用で、と捉えられてしまいます。
 確かにそうとも言えますが、、、どうも違う。

 自分全体がおかしな世界観の中におかれている感覚があります。

 おかしなルールにおびえていて、
 例えば、
 「自分が何かを言えばおかしく誤解されて、捻じ曲げられてしまうのではないか」とか、
 「本音を言ったら、おかしな自分がばれて、否定(抹殺)されてしまう」といったことが頭にあって、
 そうしたことから動いている。

 
 すると、人から言われたことが頭を離れなくなったり、
 はっきりとモノをいう人がとても怖かったりする。

 自分自身のことではなくても、何かを断られると、頭を殴られたようにボーっとしてくらくらして、恐怖が襲ってくる。
 相手の人間がサイコパスか凶悪犯か何かのように思えてくる。徹底的にこき下ろしたくなる。
 
 
 

 別のケースでは、
 不機嫌な相手や、急に理不尽な文句を言われたりすることはだれにでも経験があるかと思います。 
 厄介なのは、理不尽な文句というのはだいたい7割が妄想で、現実にあったことに基づいて尾ひれをつけて7割と結び付けられていたりすること。

 波風を立てない方法としては、とりあえず謝ったりすることになる。
 
 それだけであればよいのですが、相手が持つローカルルールの世界に引きずり込まれるようにして、自分も力を奪われてしまう感覚があります。
 相手の世界観に巻き込まれてしまう。

 相手のローカルルールの中では、自分は最低の人間で、どうしようもないやつで、礼儀のない、相手の気持ちがわからない、仕事もできない、失礼な人間、ということにさせられて、因縁をつけられ、“事実”を盾に、そこから抜け出せなくさせられてしまう。

 

 

 

 以前の記事にも書きましたが、ローカルルールの特徴として、根拠がとても薄弱なため、巻き込まれる人がいないとその存在を維持できないということがあります。そのためローカルルールは人間のモジュール(人格)という単位に感染して、あたかも自律的な生き物(人格)であるかのように、自らを守ろうとして他者(本人自身も)を巻き込み、感染させようと働くのです。※コンピュータウイルスが、まさに「ウイルス」と呼ばれあたかも生き物のように動作するのと似ています。

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 ローカルルールが巻き込む方法は様々です。手を変え品を変えてやってきます。

 冒頭に書いたようなフラッシュバックや不安、恐怖といった悩みという姿もそうですが、本音と称して、自らの世界観を披露したり、他者の欠点をでっちあげて、ゆさぶったり、やっかいなことに不吉な予言をしてきたり、呪いをかけることで、未来も奪おうとしたり、などなど。

 
 明らかにおかしいとわかることであればよいのですが、“常識”を偽装するので、気が付かないまま根付いてしまうことがある。

 ちょっとした刺激で私たちは解離して、ローカルルールの世界観に巻き込まれてしまう。

 

 

 ここで理解が必要なのは、私たちの誰もが持つ「解離」という現象です。
 
 
 「解離(発作とも呼ばれますが)」というのは、単に信念というレベルではなく、モジュール(人格)という単位で生じる。 

 私たちの多くは、いわゆる多重人格ではありませんから、人格というのは意識することはありませんが、脳科学などの研究(神経ネットワークモデル)では、私たち人間は複数のジュールの束でできていて、それをたばねて、同一の人間だ、と認識しているとされます。

 スマホやパソコンに置き換えるとわかりやすいですが、裏では無数のプログラムやアプリが走っています。しかし、全体としては統制が取れた一つのマシンとして認識されています。

 

 作家の平野 啓一郎さんはそうした人間のありさまを「分人」として自らの考えを書籍でまとめています。 
  
 実際、私たちは、家族に見せる顔、友人に見せる顔、職場で見せる顔は自身で認識している以上に異なります。
 一つの人格が感情を切り替えているようなレベルではなく、人格(モジュール)自体が切り替わっていると考えなければならないレベルです。

 
 私たち人間はたくさんの人格(モジュール)の束でできています。そのため、私たちは一日のうちにも何回も解離をして、モジュールがスイッチしている。特に問題がないので気が付いていないだけ。

 複数のモジュールが存在すること自体はおかしなことではありません。パソコン、スマホのように、複数のアプリが並列に動作したりして、とても便利です。問題はありません。

 しかし、パソコンの調子が悪くなると、勝手にシャットダウンしたり、アプリの挙動がおかしくなったり、コンピュータウイルスに感染に感染したりするように、強いストレスを受けると人間もおかしくなってしまいます。

 アイデンティティ不安や自己不一致に陥ったり、虐待のような強いストレスにさらされてしまうと解離性同一性障害ということになったりする。

 

 こうした私たち人間の特性を考慮に置いたうえで、悩みの解決について考えると、面白いことが浮かんできます。

  
 実はある種の悩みというのは、これまで考えられてきたような信念とか無意識の力動とかそういった単位ではなく、モジュール(人格)単位でローカルルールが感染するなどして起こっていると考えたほうが適切なのではないか、ということです。

 

 だから、上に書いたように、誰かに何かを言われて、頭がボーっとする、というのは、単にストレスでダメージを負って、ということではなくて、解離して人格(モジュール)がスイッチを起こしているのかもしれない。
 何か、おかしな世界に引き込まれるようなクラーッとした感じがする。
 

 

 ローカルルールはそれ自体が自律性をもって本人や他者を感染させていきます。その際に感染するのは、頭の中の情報や信念といったレベルではなく、モジュール(人格)という単位に対してです。

 

 ローカルルールは、独立した人格のような動きをして、刺激で解離した際に前面に登場してきます。

 

 

 
 もともと人間の解離には、健康なレベルから不調なレベルまで、その性質に違いがあります。

 それはこれまで負ってきたストレスの度合いが影響している。

 解離というのは、よりよく生きるためであったり、自分を守るために生じているという面があリます。
 比較的安全で安定した環境で過ごしてきた人は、当然解離の度合いは緩やかになります。健康なレベルの解離といえます。
 緩やかというのは、日常のモジュールがスイッチしますが、統制が取れていて、問題を起こすほどではなかったりということです。刺激の閾値も低い。

 誰でも日常的に解離していますが、「解離だ」として取り上げる必要のない程度なので、従来からあるような、傾聴して、共感して、というようなカウンセリングでもよくなる。

 

 一方、ストレスの度合いが高かった人、いわゆるトラウマを負っている人は、解離の程度も大きいし、刺激の閾値も低い。

 さらに、ローカルルールの影響を抱えていたりする。
 ローカルルールに感染したモジュール(人格)をいくつも抱えていたりする。

 

 

 ローカルルールの世界観に影響されたモジュール(人格)は、ローカルルール世界を常識と捉えているのでひと工夫必要になります。

 ローカルルールに影響された人格がもたらす問題は、共感をしてもよくならない。かえって抜け出しにくくなったりする。

 なぜなら、本心は「このローカルルールを破壊してくれ!」ということだったりするのだから。

 
 でも、ローカルルールに影響されていると、周囲の人たちを巻き込むために「実は・・・」とつとつと本心らしきものを語ったり(騙ったり)する。語っている本人も騙される。その気になる。

 

 “本心”というのがローカルルールの世界に影響されたものだから、ホンモノの本心ではない。ローカルルールに影響された状態というのは、例えば「自分は人からどうしても嫌われる人間だ」ということだったりして、そこからスタートしている。

 

 “人からどうしても嫌われる人間”の告白として、本心が吐露される。

 さらに、ローカルルールに影響された人格(モジュール)の特徴としては、人格(モジュール)がスイッチしているので、スイッチする前のことは本心ではない、と認識されるため、
 「今まで語っていたことは実は本心ではなく・・・」といったりする。
 「嫌われないように、カウンセラーにもあわせてウソを言っていただけだ」といったことを言う場合もある。

 そのことで余計に、改めて語ったことが本心であるかのように感じてしまうから厄介です。

 

 そして、カウンセラーなどの治療者は職業柄、語られたことをまず受け止めようとしてしまうので、傾聴し、共感し、結果、巻き込まれて、かえってローカルルールから抜け出しにくくしてしまう。

 この構造に気づいている人(クライアントも治療者も)はほとんどいないし、信頼関係がないと、「それはローカルルールに影響されているのでは?」とはいえないので、構造がわかっていても、難しい。

 

 

 ローカルルールのもう一つの特徴としては、ローカルルールが壊されそうな刺激が入ると解離してローカルルールの世界観を守ろうとすることが起こります。
 例えば、安心安全が戻ってくるとか、人と親密になりそうになる、とかそういった状態です。良くなっていく気配がすると、解離が起こる。

 「あんなに良くなりそうだったのに・・」とちゃぶ台返しが起きて、
 「今までのは、実は違っていました・・・単によい子を演じていただけで・・」
 と“本心”の告白が始まる。治療者もそれに“共感”する。ローカルルールが壊れない。そして、抜け出しにくくなってしまう。
  

 

 実はこの解離(モジュールのスイッチ)という問題は、特殊なケースではなく、私たちの身近に頻繁に起こっていると考えられます。
 

 ローカルルールに影響されたモジュールにスイッチしているかどうかを見分けて、対処することは、より深く、本質的に治療を進めるためには避けて通れないのではないか?
 (ローカルルール以外にも、耐性人格など、モジュールにはいくつか種類があると考えられますが)
 そんな気がしています。

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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