親の主務も、「安心安全(承認)」の提供だけでよい~「あれもこれも」は幻想

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 近年はワークライフバランス、働き方改革、ということで、残業や働きすぎを見直そうという取り組みが広がっています。良い傾向ではないかと思います。

 しかし、一昔前は、現場の社員が創意工夫でサービスを作り出して、いろいろな仕事をこなすことを求め、「あれもこれも」という時代がありました。
 

 例えば、リッツカールトンホテルなどでは、ホテルマンが自分の裁量でお客様にサービスして感動させることが伝説となっています。忘れ物をわざわざ届けたり。誕生日を演出したり。そんな姿を理想として、一般の会社でも真似しようとしたり、といったことが流行りました。 
 
 筆者の知人は、大手の宅配便のドライバーをしていましたが、当時、ドライバーなのに名産品を宅配先で売る?ということをしていました。会社からノルマがあるとのことで。もしかしたら。これも現場の社員に、いろいろな役割をこなさせることがはやっていた例の一つかもしれません。

 結果、どうなったかというと、やることがあれもこれもと増え、残業しても追いつかず、現場は疲弊していきました。筆者も昔、そうした現場の中にいた一人です。営業から契約、入金管理、サービスの設計、プロジェクトの管理から何からをやらなければならず、見積もり一つ作るのでも徹夜でヘトヘト、といった具合です。

 

 試行錯誤して、日本の会社がようやく気付いてきたのは、「どうやら、人間は、あれもこれも、いくつもの役割をこなすことはできない」ということです。高学歴な人が集まる大企業でさえ同様です。コンサルタントといった優秀に見える層でも何でもできるわけではありません。専門化され、役割が絞られていないと、力は発揮できないものです。

 反対に、うまくいっている会社は「あれもこれも」ではなく、役割が絞られていて、会社全体でよい商品、サービスを作って、シンプルに提供する、ということに徹しているようです。

 

 今、サッカーのワールドカップが開催されています。最近は、ボリバレントといって複数のポジションができることが推奨されています。それでもせいぜい2つ程度まで。ロナウド(世界最高の選手)がキーパーをしても活躍できませんし、メッシ(これも世界最高の選手)がディフェンダーをしても活躍できません。スーパースターも案外不器用なのです。そして、優勝候補はチームの戦略が一貫しています。

 「あれもこれもできる」というのは幻想です。

 

 あれもこれもできているように見える人というのは、実は主の役割が明確で、そこで活躍出来ている、ということがあります。

 主務で力を発揮できているから、余裕が生まれて、その他のこともできるし、出来ているように見える。

 

 スポーツ選手でも、長所で活躍できるから、短所もカバーできたり、いろんな才能を発揮できたりする(出来ているように見えたりする)。

 

 

 親業もこれにあてはまるのではないかと思います。

 特に母親にはいろいろな役割が求められています。食事、洗濯、掃除、買い物のみならず、しつけ、教育、PTA、習い事の送迎、さらに外でのパート、親戚づきあい、近所付き合いなど。最近は宿題の採点も親の仕事だったりします。

 ここに子供が病弱だとか、さらにシングルマザーなどの条件が重なると本当に大変になります。

 イライラして途方に暮れるのも当然のことです。  
 

 上の会社の例と同様ですが、
 親に「あれもこれも」と複数の役割を求めるのは、そもそも限界があります。

 複数の役割がこなせているように見える場合は、なんらかしら周囲のサポートがあってぎりぎりに成り立っていることがほとんど。

 でも、厄介なのは、中学、高校のテストの時に、「勉強していない」と真顔でうそをつくクラスメイトが必ずいたように、人間はうまくいっていることは表に出し、自分が家事、育児ができていないことは、隠したりする傾向があること。

 

 また、周囲からの有形無形のサポートがあって親業は成り立っていることに気づかずに(子どもの育てやすさも生まれ持っての気質にもかなり左右されます)、自分の力だと勘違いして、そんな人が育児の指南書を書いたり、雑誌のインタビューを受けたりして・・・そんなものも幻想です。 本は売りやすいように内容が極端に装飾されますし、芸能人はイメージの商売ですからなおさらです。

 

 トラウマを負った人は真面目なので、そうしたことを真に受けて、「自分はいろいろなことをうまくこなせない」と自分を責めてしまったりします。

 

 私たち人間は、能力が高いそうに見える人でさえ、いくつもの役割をこなすなんて、そんなことはできないものです。

 親業における「あれもこれもできて当たり前」というのも、私たちを苦しめている幻想かもしれません。

 

 では、親業においては、主たる任務(機能)は何か?

 それは、「子供にとっての安全基地であること」。この1点。
 動物にとっての巣のように、社会に出る冒険から戻ってこれる場所であり、そこでは安心安全が約束され、生きるために必要な養育の機能と、社会に出るための基本的な教育や導きが提供されるところです。
 安心安全は主に母親、社会に出るための導きは主に父親から提供されます。

 

 「安心安全」とは、食事とか健康など物理的にももちろんですが、精神的には「存在の承認」という形で行われます。

 安心安全は、赤ちゃんのころ(生後半年から2歳ごろまで)は、しっかり抱っこしてスキンシップをとることで果たされます。その時期ではぐくまれる絆が「愛着」と呼ばれます。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 成長してからも、家の中が物理的にも、精神的にも安全で安心できる環境を提供することはとても大切です。さらに、言葉や態度で、「あなたは大丈夫」ということを折に触れて伝えることです。すると適度に距離が取れて、自立にもつながっていきます。
 過保護が良くないのは、「あなたは大丈夫じゃない(だから私が面倒を見る)」という前提があるから。

 

 家庭の中では、家の外の人がするような弱点を修正するようなアドバイスは二の次。

 私たちが家族にされて一番腹が立つのは、外でトラブルがあった時に、家族が味方をしてくれないことです。
「あなたにも悪いところがあったから、そんな目にあったんじゃないの?」とか、「ここを直せば」なんていうことが一番頭にくることです。
 大人になって私たちが痛切に願うのは、家族からの「あなたは大丈夫」というメッセージがほしい、ということです。

 

 もちろん、人間ですから、社会的スキルは学ばなければならないのですが、そのためにも家庭は揺るがない「安全基地」であることが必要。安全基地が揺らいでいては、安心して探索には出れない。
 

 学力で重要とされる非認知能力も「愛着」を土台としています。「安心安全」感が保たれていれば、そこを土台にスキル、経験ははぐくまれていきます。
(先日の記事で紹介した、ロジャーズの受容されることで人間は成長する、ということの根拠があるとしたらここにあると考えられます。)
(参考)→「「安心安全」と「関係」
 

 

 そして、主として父親が、社会への導きを行う。教育など必要な機会を提供したり、アドバイスをしたりする。
安全基地から出て、社会への探索行動の手引きを行うイメージです。

 しつけや教育はどうか?といえば、研究者が明らかにしていますが、実は、厳しいイメージのある戦前の家庭は家でしつけをしていなかった、しつけは、仕事を通じて行われていたようです
参考:広田照幸「日本人のしつけは衰退したか」)。
 

 どうやら、しつけや教育とは、親の本来的な役割ではないようです。どちらかというと戦前よりも「ゆとり」といわれる現代のほうが家のしつけはしっかりしている。

 「昔は厳しく、今はしつけが甘い」とは、先入観でしかないようです。よくTVなどで、厳しくしつけをしていることを誇る芸能人などもいますが、親が植え付ける超自我(規範)が強すぎることは、成長してから生きづらさ(呪縛)を生んだり大きく問題になります。

 

 実際、自閉症への療育でも、かつては厳しいしつけで成果を上げ注目されましたが、成長してから問題行動が頻発するようになり、今では厳しいしつけは行われなくなりました。定型発達においても同様のことは考えられます。 

 A・グリューンなどは、厳しいしつけのことをある種のハラスメント、「闇教育」と読んでいます。
(参考)→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 

 教育やしつけは大切ですが、親がすべてを行おうとすると「あれもこれも」となって、イライラしたりして、結局一番大事にな「安心安全(承認)」が脅かされることになりがちです。

 本来しつけや教育は家族以外の場で行われていましたし、教師や奉公先の主人が行うように家族以外の人のほうが適していることも多い(生みの親より育ての親)。戦前は家庭の外や仕事の現場で行われていた。

 一方で、家族以外の人が「安全基地」になれるか、といえばなかなか難しい。学校の先生やカウンセラーでも、親代わりにはなれないものです。

 

 そのため、親は主務(安全基地の提供)をしっかり行うことだけ意識して、教育、しつけは基本的に外の力を借りるつもりでいる(余力があれば家庭の中で行ってもよいですが、余裕がなくなりイライラして家が安全基地ではなくなるくらいならやらないほうがいい)。※もちろん、放任主義ということではまったくありません。

 

 現代の親は、「あれもこれも」と多機能を求められて、なかなかつらいものがあります。「あれもこれも」は誰もできません。それは難しいこと。

 

 主務は「安全基地の提供」だとして、優先順位を明確にできると、「あれもこれも」がなくなり、親としての負担感もヘリますし、子どもへのイライラも少なくなります。なにより、昨今、重要とされる非認知能力を高めることにもつながりますし、「愛着」理論その他、臨床の現場の感覚からしても、負担なく合理的なスタンスだと思います。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

 実際、「安全基地の提供」だけを意識したクライアントさんは、子どもへのかかわりがすごく楽になった、とおっしゃいます。

 

 本来の親の役割は何か?ということをポイントを絞って意識すると、子育てはもっと楽になるかもしれません。

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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