トラウマを負った人が望むことの一つが「人格者になりたい」ということです。
親など理不尽な人たちのように醜い感情のとりこになりたくない。あんな奴らのようにはなりたくない。
できれば自分の感情もどこかに取り除いて押しやりたい。
怒り、不安、恐怖、嫉妬もすべてなくしたい。
相手の否定的な感情を受けても、動じない人間になりたい。そうして、人格的にも優れた人になって、思うように生きたい。
しかし、なかなか果たせることができません。
それどころか、ちょっとしたことで動揺したり、不安から取り乱したり、恐怖から相手を厳しくこき下ろしたり、そうした自分に失望してイヤになったり。
人間は二階建てなのに、一階部分を取り除いた家を建てるものですから、不安定になるのも当然です。
わがままに我を出している人たちにやられてしまうのです。
人格的な完成は正規の発達ルートでもまれる必要がありますが、なかなかそれができずにもがき苦しむことになります。
醜い「大人」にはなりたくない、その代わりに、大人は通り越して、高潔な「人格者」になりたい。
トラウマを負った人たちにとって、人の感情は恐怖ですから、できる限り直面せずに回避して成長したい、というのが本音です。
回避の手段として、宗教や、哲学や、セラピーに興味を持ったりしますが、なかなか願望は果たせることができません。
どこかじぶんは子供のようで、いつまでも未熟で、それが誰かにばれないか、びくびくしているのです。
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