加害恐怖(強迫)

 あらためて、最近気がついたことに、トラウマを負っている人は加害恐怖(強迫)を持っているケースは多いかも、ということです。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 加害恐怖(強迫)というのは、「自分の言動が相手を傷つけたかも?!」という不安を持ってしまうということ。

 例えば、自分の言動がきつくなってしまったかな、と思ったら不安になってしまったり、相手からどう思われているかな、傷つけていないか、と確認したくなったりする。

 

 

 健康な人は、自分の気持ちに任せて怒ったり、自分の考えを伝えることで自尊心を守ったり、自他の区別を適切に保ったりする事ができていますが、トラウマを負っていると、加害恐怖のためにそれができなかったりする。

 

 その背景として、もともとの気質のやさしさや、理不尽なことをする人を見て「あんなふうになりたくない」という反面教師や理想主義からくる面もありますし、ローカルルールで縛られていたりもする。

 

 

 「あなたはきつい」とか、「言い方が悪い」とか、みたいなダメ出しをされてきていると、だんだんと自分が出せなくなってくる。

 自分を出そうとすると、他者からの評価、評判が意識されて、意見が言えなくなる。

 ブレーキとアクセルを両方踏むみたいな感じになって、前に進めなくなる。

(参考)→「気持ちを理解しろ、物事を先回りしろ、あなたは冷たい、傷ついた!などもローカルルールや巻き込むためのメッセージ

 

 

 本当は感情を吐き出したり、意見を言ったりして、スパッとその場の空気を公的なものにしたり、相手との距離をとったりすることが必要で、本来そこに変な反省はいらない。

 

 「言い方が悪かったかも?」なんて思うと感情が相手に届かず、相手に巻き込まれて、なめられたり、支配されたりする。

 

   
 怒っているときは「怒っている」でそのままで良い。

 そういう時は清々しさがあったりする。

 

 

 ローカルルールに巻き込まれている場合は、自分の考えや感情と同時に、他者に意見や価値観が湧いてきて、「傷つけたかも?!」とか、「どう思われているかな?!」とか、「相手との関係が悪くなるかも?!」みたいな余計な気持ちが湧いて、アクセル&ブレーキ状態になり、自分という車はくるくる回り始める。

(参考)→「評価、評判(人からどう思われているか)を気にすると私的領域(ローカルルール)に巻き込まれる。

 

 

 もちろん、健康な人は、感情を出して変な後悔がないというのは、冷たいとか情がないということではない。
  
 ただ、自分の感情を出すときと、相手のことを考えるということが別々のこととして区分けされている。

 もっといえば、「主権」がある。

(参考)→「「自他の区別」を見捨てられている証拠と歪曲される~素っ気ないコミュニケーションは大歓迎

 

 

 野球に例えると、野球は先攻、後攻と攻守が入れ替わりますが、そのように攻守の「権利」が切り替わるような感覚。

 攻撃のときには攻撃だけをする。守備のときは守備に専念する。

 攻撃に時に同時に守備につくようなことはありません。

 

 

 トラウマを負っていると、ほんとうの意味で攻撃の権利は自分にはなくなる感覚。なんか、ずっと守備につかされているような感覚。
 
 攻撃になっても守備のことを考えさせられている。
 
 それどころか、最後は相手チームのベンチに座らされているような感じになり、自分がなくなってしまうのです。

 
 

 「トラウマを負っている人が怒り出したり、相手のことを考えない言動で平気で相手を傷つけることがあるじゃないか?」と思うかもしれません。
 例えば、境界性パーソナリティ状態になって、相手に因縁をつけたり、クレームをぶつけるようなことが。

 

 でも、それはよく見れば、自分そのものではなく、まさにローカルルールに巻き込まれている状態、ローカルルール人格にスイッチした状態であって、その人本来ではない。

(参考)→「目の前の人に因縁をつけたくなる理由

 

 

 結局主権を奪われた状態で、内面化した他人の価値観(ローカルルール)を表現させられているだけで、やっぱりそこに自分には主権はないのです。

 さらに、ローカルルール人格がしでかしたおかしな言動の責任を取らされて、「ああ、やっぱり自分は人を傷つけてしまう」として罪悪感(加害恐怖)を刷り込まれ、自分を表現できない~ローカルルール人格にスイッチしてローカルルール人格の感情を吐き出させられる~自分を表現できない、という悪循環に陥らされてしまいます。
 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

悩める人は、本当は器が大きい

 

 筆者が、休みの日にテニスをするのですが、素人のテニスは、大体ダブルスで試合を行います。
 参加者も、男性もいれば女性もいるし、年齢もバラバラですから、いろいろな人とペアになります。

 ダブルスだと、守備範囲をどう捉えるかは結構難しく、
 上手くない段階だと、本来自分の範囲を見逃したりすることもしばしばあります。

 

 筆者の場合でしたら、例えば後衛にいて、本来だったら前衛の人が拾うはずのボールまでカバーに行ったりして、
 よく考えると、人のボールまで拾いに行っているな、と気づいて、なんかちょっとおかしいかも?と思うことがあります。

 これって自分の責任ではないものまで拾っているのかも、と。
 

 そうこうしていると、本来の守備範囲が開いてしまって(ダウン・ザ・ラインを決められたりして)、本末転倒になってしまうことがあります。
 

 うまい人は、ポジションの取り方、守備範囲の見極めが上手で、
 任せるところはしっかり任せることができます。

 

 

 日常に置き換えると、似たようなことは起きています。

 寛容な気持ちになれなかったり、人に対してネガティブな感情にさいなまれたりするとき、私たちは、「自分は器が小さいな」と思うことがあります。

 普段いろいろなことに気をもんで、対処しようとしますが、うまくできない。

 

 反対に、自分のペースで物事に取り組み、他人に対してもネガティブな感情にさいなまれることが少ない人がいる。
 
 それと比べて、自分を責めてしまう。
 「ああ、自分はダメだなあ」と。

 

 
 思い直して頑張って、器を大きくしようとすればするほど、いっぱいいっぱいになってうまくいかなくなる。

 この繰り返しで、自信がなくなってくる。

 

 

 なぜこのような悪循環となってしまうのか。

 ここにも「ニセの責任」というものが絡んできます。

 悩める人の器には、「ニセの責任」がいっぱい乗っていて、どれも本来は自分の責任ではないものばかり。

 これまでの人生で、自分の守備範囲ではないところまで幅を広げて、ボールを取りに行って、あちこちの責任を自分のものとしてかき集めてきていた。
 
 そこでミスが起きたりして、自分を責めたりする。

 さらに、「代謝」がないので、終わりがなく、風化されずに残ってしまう。 
 

 

 

 トラウマを負った人は、実は能力がとても高い。
共感性が高く、責任感が強く、それらを自分で引き受ける度量(器)もある。
  

 でも、どんなに高性能のコンピュータでも容量が残っていないと、パフォーマンスが低下するように、容量に一杯に「ニセの責任」を抱えたままでいるので、力が出せない。

 そして、さらに頑張らなければ、また「ニセの責任」を引き受けようとしてしまう。

 

 余裕がない人のことを形容して、「いっぱいいっぱいになっている」といいますが、まさに言い得て妙です。

 

 パーソナリティ障害など難しいケースを見ると、その通り、みな「いっぱいいっぱい」です。

 

 反対に、健康な人、 
 自分よりも器が大きいように思える他者は、実際の器が大きいのではなく、自分の責任として考える範囲がとても小さく、器の上にニセの責任がほとんど乗っていないだけ。

 「いっぱいいっぱい」ではなく、空きが十分にある。

 

ある意味分をわきまえているので、パフォーマンスが良い。
 他人にかかわらないから、器が大きく見えている。

 非力なはずの電卓がサクサク動くのと同じ。

 

 本来、人間は自分がとらないといけない責任は限りなく小さいのです。

 他人の感情や考え、行動は、基本すべて対象外。

 例外とされがちな、家族やパートナーに対する関係も、機能によってなりたり、あくまで愛想が尽きるまでのこと。無限の情などは存在しない。

(参考)→「「無限」は要注意!~無限の恩や、愛、義務などは存在しない。

 自分のせいだとされているときは、因縁をつけられているだけ。

(参考)→「因縁は、あるのではなく、つけられるもの

 

 本当は自分には能力もあるし、器も大きいと気づく必要があります。
 器の大きさは守備範囲の狭さ(適切さ)にこそある。
 

 そして、本来いるべきポジションにいないといけない。
 本来のポジションにいないと実際に外から見た自分の姿とが埋まらず、そのギャップが嫉妬や支配を招いたりするようになるのです。
(参考)→「私たちは相手から見ると、思っている以上によく見えている。」 

 

 生きづらさを抱えている人は、本当は力がある。大きな器を持っている。

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 ただ、能力の高さを利用されて、たくさんのニセの責任が乗ってしまっているし、さらに、嫉妬や支配で魔法をかけられて、ニセの責任が「終わらない魔法のリンゴ」となってしまっているだけ。

 

 これらを免責して、“空き”を作っていく必要があるのです。
 (免責する必要さえないかもしれない、なぜなら、自分の責任ではないのですから)

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

有名人、芸能人をそのまま見本にしてはいけない

 

 臨床の専門家の中のある種の“常識”として、会社の社長や社会的に著名になるようなタイプの人には、「自己愛性パーソナリティ障害」の方が多い、というものがあります。

 

 あれだけのエネルギーで何かを興そう、世の中を変えよう、というのは、ある種の自己愛のゆがみがエネルギー源になっていないとできない。
 自己愛性パーソナリティ障害の口癖は「自分ならできる(自分が何とかしなきゃいけない)」というものです。

(参考)→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント

 

 

 彼ら彼女らは、Being(存在) が不安定ですから、Doing(行動),Having(成果) で埋め合わせようとガムシャラになる。
(「世の中に革新的なものを提供できなければ、自分には存在価値がない」「生きた証を残したい」というのですから)

 

 安定型の人から見れば、「別にそのままでいいじゃないの」「あなたはあなたでしょ?」と言いたくなりますが、「いいや、納得しない!」と反論して、ブルドーザーのように進んでいく。

 

 アップルの創業者のスティーブ・ジョブズなどはそんなタイプの典型といえます。 
 (アスペルガー障害ともとらえられますが)

 

 

 芸能人やスポーツ選手にも多い。
 
 そうした有名人たちが発する
 「これからも挑戦を続けなければいけない」とか
 「常にワクワクしています」
 「自分はいつもエキサイティングなものを求めています」

 といった発言は、まさにパーソナリティ障害のそれ、なのです。

(参考)→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント

 

 

 健康な人間とは”安定”を基礎とするものです。
 常にワクワクを求める人間というのはおかしい。
 いつもエキサイティングなもを求めるのは中毒です。

 前回も書きましたが、テレビのドキュメンタリーで、海外やリゾートでくつろいでいる姿がありますが、裏を読めば、海外やリゾートでもなければくつろげないコンディションであるということ。
 (有名なので、日本ではなかなかくつろげない、という事情もあるとは思いますが)

 

 少し前にTV番組で、
 かつて一世を風靡した経営者が海外で、様々なレジャーを楽しんでいる姿を追跡して、あたかも、「常識の縛られず、心から楽しめるすごい人」みたいなイメージで放送していましたが、臨床家から見るとかなり疑問符がつきます。
 

 

 もちろん、有名人でも安定型の方、健康な方はいらっしゃいます。
 ただ今度は、TVや出版社が演出を加えてしまうので、実像が見えにくくなる。
 

 そうしたTVや書籍で演出された有名人たちの姿や発言を見て、真に受けてはいけない。

 世の中には、イメージや幻想をもとに商売をする人がたくさんいる、ということです。

 真に受けてしまうと、わけが解らなくなる。

 

 例えば、クライアントさんからよく聞くお悩みで、
 「いつもワクワクしていなきゃ、とおもうんですが、できないんです」
 「普段の生活を楽しめないんです」とか
 「やる気が続かないんです」

 というものがあります。

 

 もし有名人や、自己啓発のグルを演じている人たちに憧れたり、真似しようとしたり、自分とを比較してしまっているなら、なにが普通で当たり前なのかがわからず、おかしくなってしまいます。

 

 

 やる気は何もなければ起きないもので、いつもワクワクしているとしたらそれは病気です。普段の日常とは退屈なもので、幸福とは退屈な中にじんわりと漂ってくるもの。
 
 健康な体には波があって、恒常性を維持しながらテンションが上がるときは上がり、何もなければリラックスしているものです。
 やる気もアップダウンするものだし、ワクワクというのはイベントや祭りの時だけ。
 それが普通のことなのです。

 

 有名人には、その人そのものや演出の中にパーソナリティ障害的な要素がかなり含まれる、ということを念頭に置いておいて、見本にするにしても、そうした要素はうまく除いて、エッセンスをとらえる必要があります。

 作り出された幻想に巻き込まれず、比較もせずに、そうしたものから少し距離をとってみると、自分のペース、本来いる場所が見えてきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

カエサルのものはカエサルに

 

 「自分」というのものの範囲は、必ずしも明確ではありません。

 

 たいていの場合は、
自分の範囲は大きくなりすぎていることが多く、
悩みを持つ人はそれが顕著です。

 

 通常は、成長の中で自分の範囲は適正なサイズへと収斂していき、そのうえで、世界との「関係性」を身体でつかんでいきます。

ただ、愛着が不安定だと、自己が大きくなったまま、あるいは不安定なままになってしまいます。

 

 大きすぎる人のことを「自己愛性パーソナリティ」といい、
極度に不安定な人のことを「境界性パーソナリティ」といったりします。
自他の関係性を間違ってとらえる人を「猜疑性パーソナリティ」「関係念慮」ということになります。

(参考)→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント

 

 

 トラウマを負っても、自分の範囲はあいまいになりがちです。

 自分のものではないものを、自分のものとしてしまったり、自分の中の一部を他人に明け渡していたり。

 

 例えば、他人にイライラする、というのも、「自分と他人の区別」の問題で、自己が膨らみ、他人も自分の一部となっていたりします。自分と他人とに区別があれば、イライラはしないものです。

 

 自分の一部が言うことを聞かないからイライラする。
他人の行動も自分の責任だと思ってしまっている。
家族など他人の世話を過剰にさせられたり、ということも起こります。

 

 

 逆に、自分の中の一部を他人に明け渡している状態、
つまり、自分の親など他人の考えを自分の中に取り込んでいて、それに支配されていたり、ということもよくあることです。

 

 年齢だけが大人になっているだけで、実は精神的には自立できていない。自立する力がない、と思わされていたり、自立しようとすると罪悪感を感じてしまう。

 

 その時に頭で当たり前と思っている「常識」は、ゆがめられた「ローカルルール」だったりします。

 

 

 例えば、トラウマを負った人は、「親の面倒はどこまでも見ないといけない」とおもっていますが、普通の人たちはむしろ、反抗期を経て自立していますから、親子関係はもっとさっぱりしていたりするものです。

(参考)→「「無限」は要注意!~無限の恩や、愛、義務などは存在しない。

 

 

 自立とは、自他に「壁」を明確にしていくプロセスでもあります。

 壁をもとに、自分の責任や仕事とそうではないものとを分けていく。
自分の責任ではないものにはかかわらない。

 

 

 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」とは、新約聖書の言葉です。

 

 カエサルとは、皇帝のことです。
世俗の責任と、宗教上の責任について述べたキリストの言葉ですが、「自他の区別」をつける際にも、心にとめておきたい言葉です。

 

 例えば、他人の価値観と、自分の価値観は違う。
他人の仕事と、自分の仕事も違う。
他人の問題(悩み)と、自分の問題(悩み)も異なります。

 

 言い換えると、
「私のものは私に、他人のものは他人に」ということになるでしょうか。

 

 健全な養育環境であれば、自然とその区別もついてきますが、不適切な養育、過干渉であったり、ストレスが高い環境だと、その区別はあいまいになります。

 

 例えば、子どもの目の前で夫婦げんかをする、といったこと。夫婦の問題は、子どもにとっては関係ありません。
でも、目の前で行い、子どもが巻き込まれると、子どももそれを自分の問題として解決しようとします。

 

 あるいは、情緒が不安定なお母さん、お父さんについても同様で、態度に一貫性がないために、子どもは自分が影響しているのかどうか非常に混乱して、「自他の区別」もよくわからなくなります。

 

 養育環境ばかりが原因とは限りません。
体質、気質の影響も大きく、もともと「ストレス応答系」の失調がある場合は、外部からのストレスを中和するコルチゾールの壁が機能しづらいために自分と他者との区別はつきにくくなると考えられます。

 

 現代は自己愛型社会ですから、誰もが「壁」については自覚的に取り組む必要があるかもしれません。

 

 外見は年齢を取っていても、自己愛の欠けが問題になって、歳をとっても、自分の考えを押し付けようとしたり、他人にイライラさせられたりと、子どものような振る舞いをしてしまう人は珍しくないからです。

 

 そこを越えるためには、迂回したニセ成熟やスピリチュアルな理想主義などではなく、本来の「成熟」のルートに復帰する必要があります。
そちらのほうが、結局は解決は早いし、本当にたどり着きたいところにたどり着くことができるからです。

 

 トラウマを解消して、「ストレス応答系」が回復(安定)してきて、精神的に成熟してくると、自然と「壁」ができて、自他の区別もついてきます。

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について