主体が定まらない、発散されない怒り、恨み

 

 

 機能不全家庭に育った方について、これはケースによりますが、自分がないけど、親への恨みや怒りだけがあるような状態になることがあります。

 通常恨みや怒りというのは、自分という主体があって、その主体から感情が発散されますが、機能不全家庭に育った方の場合は、自分という一人称から発せられているものか、といえば怪しく、自分がないために恨みだけが無限に出るような感じになる。

(参考)→「家族の機能不全の影響はとても大きい。

 

 健全な人格が形成されていれば、感情は自分が主体で発揮され、有限に循環します。ある程度発散すれば、形が変化して、最後には昇華されていきます。

 しかし、自分がない状態で発せられる感情というのは、相手主体で終わりがない。

 それもそのはず、相手は変わりませんから、終わりがありません。

 恨みの主体が自分ではなく、親や家族主体になっている。

 

 

 機能不全な親側からすると、「やることはやっているのになんで自分が責められるのかがまったくわからない」となる。

 「この子は、なんでも他責的で人のせいにして、おかしい」となったりする。

 子からすると、機能不全というのは、致命的なダメージをもたらすもので、それによる恨み怒りというのはもっともなものだったりします。

 

 しかし、自分が失われているために、怒りの足場も家族を主語にしか発することができないという歪な状態になります。

 そして、出しても出しても発散されない。

 

 

 「機能不全」などという、言語化しにくい、伝わりにくい問題も手伝って、泥沼のようになっていってしまうのです。

 さらに、自分の問題害解消されると親が喜ぶから、問題が解消されるのが嫌だ、というような、“超”ねじれたような状態も起こりえます。

  主体性が失われて、怒りの足場も親にしか置けない状態になると、人間はこのようなねじれたメンタリティにもなり得るのです。

 

 

 こうなると、治療者なり、他者が介入して丁寧にほぐしていかなければなかなか自然には解消が難しい状況になります。

 

 

 

 親に向かう他責型ではなく、社会に向かう他責、自分に向かう自責タイプもあります。

 社会に向かう他責の場合は、自分の中の理屈でもって、社会を恨み、恐れ、怒りをぶつけます。

 ただ、この場合は、自分の理屈や理想があるために、表面的には自分の考えで動いているように見えて、実際には、その理屈や理想は、親のそれを内面化しているだけだったりする。

 あるいは、本来は親に向けるべき怒りなのに、それを見ないようにしてしまっている。

 親が内向きで、閉鎖的なことの影響も受けて「内(家)を守らされ、外に怒りを向ける」という状態になっている。

 これも主体性のない怒り、恨みということと言えます。

 

 

 最後に、自分に向かう自責タイプというのも、上記のような構造と同様ですが、向かう対象が自分に向かう、「自分は究極的におかしい」だから、こんな理不尽なことも起きた、それは自分のせいだ、このループは絶対に変わらないのだ、という理屈に陥ってしまっている。
 さらにそのループを見ないようにする強迫的な頑張り、努力も加わり、その理屈に沿わない他人に対して怒りをぶつけることもあります。

 
  

 いずれのタイプも主体性が奪われているために、感情を発散し、次に進むという自然なプロセスが失われています。

 そして、いつまで経っても自分が持てず人生が始まらない中で悪い成果ばかりが重なっていくような悪循環に陥ってしまうのです。

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

家族の機能不全の影響はとても大きい。

 

 最近、痛感するのは、家族の機能不全の影響はとても大きいということです。

 機能不全の家族のもとに育つと、自分がなくなる。
 肉体的には生きていますが、自分というものがよくわからなくなってしまう。

 感覚的には、白い靄(もや)がかかったような、自分の思考や感情が定まらず、日常のことでも自分が何をしたいかがわからなくなる。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 機能不全な家族や親というのは、いわゆる虐待する親、毒親、といった感じともちょっと違っていたりする。

 話を聞いていれば、一見、ひどい家族には見えません。

 よくあるケースとしては、
 どちらかが仕事で家庭を顧みず、もう一方の親は主体性がなく、ほんとうの意味で自分の意見や考えがない。
 それぞれ世間体は良く、ただ、トラブルがあっても子どもの味方をしない。

 

 別のケースでは、
 どちらかが過干渉で、もう一方の親は積極的な主張がなく存在感が全くない。
 いるのかいないのかわからない。
 過干渉なパートナーを注意することもない。

 

 あるいは、
 宗教やそれに類するような活動や思想に熱心で、自分本来の考えや常識から子どもに接することができない。

 

 あるいは、
 子供に対して不安や恐れを抱いている。
 (健康不安もそうですし、自我を野放しにしていたらとんでもないことになるのでは? この子は異常なのでは? など)
 

 あるいは、
 放任で関わりが薄い。

 

 あるいは、
 常に喧嘩両成敗(あなたにも悪いところがある)や、私的感情や気まぐれからしか判断せず、家庭内に真の意味での正義や常識がまかりとおらない。

(参考)→「「喧嘩両成敗」というローカルルール

 

 

 それぞれについて虐待というわけでも、ネグレクトというわけでもなく、経済的な意味での養育には問題はないという場合も多いです。
 むしろ、必要なものは買い与えているし、例えば、学費も言われるままに出している。
 学生であれば、下宿の費用も生活費も全部持ちというくらいに。

 しかし、大切なものが欠けている。

 

 

 例えば、会社だと、社長や、部長や係長がいて一応仕事はしているけど、それが機能していなければ、会社は倒産するかもしれません。

 野球やサッカーのチームでは、それぞれにチームには監督もいて、キャプテンもいるけど、機能しなくなると全く勝てなくなります。
 
 でも、外から見ると、「社長もいるし、監督もいるし、パワハラもしていないし、一生懸命やっている。でもなぜか業績は悪い」という感じ。

 

 

 中に入ってみてみれば、責任あるポジションの人がやることがしっかりできておらず、部下が肩代わりしていたりする。
 そしてローカルルールが蔓延していたりする。
 まったく役職が機能していないことがわかります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 機能不全というのはそうしたものです。
 これが家庭の中で起きているとしたら、業績の悪さは最も弱いもののところに現れるのも当然のことといえます。

 

 

 機能不全の家庭で共通するのは、
 
 ・物理的な現実をそのまま捉えられない、子どもや家族そのものをちゃんとみていない、関われていない、といったこと。

 ・家族が各役割(夫、妻、父、母)に必要なことを実行できていない。

 ・常識や社会通念を代表できていない。

 ということになります。 

 

 

 ちなみに、以下の様な場合も機能不全となります(今回の記事でお伝えしたいケースとは少しずれますが)。

家庭内の不和で親として機能していない、という場合。

 忙しい自営業や家業のストレスなどで親として機能していない、という場合。
 
 会社員でもワーカホリックで家庭を顧みない、という場合。

 病気や障害を持つ子どもや親族の世話に忙しく親としての役割が果たせていない、関心の分配に偏りがある、という場合。

 親自身が精神障害や発達障害などで、十分に世話ができない、あるいは態度が一貫しないという場合。

 など

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

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お悩みの原因や解決方法について

自分の言葉を取り戻す

 

 私たちは普段、言葉を話しています。

 しかし、この言葉はどこから来ているか?といえば、自分の外部からです。

 人間は、社会的な動物、クラウド的な存在です。
 外部から得た言葉を、自分の言葉と考えて話をしています。

 
 自分たちは、個人で独立して、自分の頭で考えて生きている、と考えていますが、そうではありません。

 

 すべての要素は外から得ている。

 そのため、近年の心理学では、「自由意志」はないことは当たり前の前提になっています。
 
 では、人間は主体のない操り人形か、といえば、そうではないと考えます。

「自由意志」はないけど、自由意志があるという勘違いの感覚はある。
 そのことを、心理学では「自由意志信念」ともいいます。

 自分の勘違いも含めて、自分が自分の主体となっているか?がとても重要です。それが自我というものではないか、と考えられます。

(参考)→「人間、クラウド的な存在

 

 

 国における「主権」という概念に近い。 

 私たちの国も、自給自足というのはありえず、互いに交易や国際関係に強く影響され、そこから自由ではありません。
 主権についても、自国内だけではなく、他国の賛同を受けて正当性が強化されます。

 独自の文化、というものも歴史をたどると、オリジナルは外にあったりする。
 英語やスペイン語、漢字という他国由来の言葉を利用しているケースも多い。
 
 人々も国外と行き来するので、国民という概念も突き詰めるとよくわからなくなってくる。
  

 

 それでも、国という単位があって、そこに主権がある、というのは重要で、 フィクションであったとしても、それが国の形を明確にしてくれます。

 人間も同様で、主権を持って、自分というものをしっかり確立していることはとても大切です。

(参考)→「自分を主体にしてこそ世界は真に意味を持って立ち現れる

 

 やっかいなのは実質的には属国や植民地になっていても、国(個人)として成立して見えるということ。

 私たち人間は、他人のIDでログインしていても、スマホとして仮に機能するようになっているため、自分が他人中心で生きていてもわからないのです。

 そして、極端に言えば、他人のIDでログインしたまま一生を終えることもできるのです。

 特に社会的には一定の成功を得ている場合は、自分のIDでログインし直す必要性も感じずに(暗に恐怖は感じたまま)、そのまま終わってしまう。

 これは、クラウド的であるがゆえの奇妙な悲劇です。

(参考)→「自分のIDでログインしてないスマートフォン

 

 

 私たちの多くは、自分の言葉を他人に奪われています。

 その他人の多くは、親などの家族です。

 親の言葉を直訳しているだけで、自分の言葉になっていない。

 誰しもが外から言葉を学び、今この時点でも外から情報や要素を得ているわけですが、主権を持って自分のIDでログインしていれば、それらは必ず自分語に“翻訳”されます。

 直訳した言葉を使うことは、自分の言葉が失われるということです。 

(参考)→「人の言葉は戯言だからこそ、世界に対する主権・主導権が自分に戻る

 

 今回、上梓されました本では、「自分の文脈」という表現を使っていますが、直訳した言葉を使うことは他人の文脈に支配されて生きる、ということです。

 では、いかにして「自分の文脈」、自分の言葉を取り戻せばいいのか?

 本の中では、そんなことにチャレンジしています。

 

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天皇もたくさん愚痴を言い

 

 お正月に新聞を見ていたら、「昭和天皇拝謁記」という本が出版されたとのことで、それについての記事が載っていました。

 

 それによると、これまでの昭和天皇に関する資料というのは、天皇の声を間接的に要約したものが多かったのですが、今回出版された本は、直接書き起こしたような“肉声”で、当時関わった人物たちへの辛辣な声が目立つ、とのことです。

 たとえば、弟の高松宮については「人が右と言えば左」という性格で、戦前は日米開戦論者だった、と批判。
 進歩的とされる三笠宮については「皇族の義務は行わず権利ばかり主張」「皇弟たる自覚が足りぬ」と興奮して話す。

 自分の母親の皇太后についても「感情に勝り、虫の居所が悪いときは正反対の矛盾したことを言う」と批判。

 政治家についても近衛文麿は「無責任」、片山哲は「善人だが意志が弱い」
 天皇退位論を主張していた東大総長の南原繁については「東大総長として常識がない」と、それぞれクソミソに言っているそうです。

 

 これまでの天皇というイメージからはすこし意外に感じられるものばかりです。

 天皇も人間なんだからそりゃ愚痴も言うだろうし当然といえば当然ですが、幼少期から帝王学を身に着け、元老の講釈を受け、神道の最高位の神官であり、戦前は“神”とされていた天皇ですから、わたしたちがセミナーで学んだり、本を読んで行うよりも遥かにレベルの高い“自己啓発”をなさっていたはずです。

 

 でも、当たり前ですが愚痴を言うし、批判もする。 
 
 というよりも、人格に主体性があれば、おかしな状況や人に対して愚痴や不満を言うのが当然。

 

 母親に対して「感情に勝り、虫の居所が悪いときは正反対の矛盾したことを言う」というのは、何やら親近感がわきますが。

 

 

 対して、トラウマを負った私たちは、どうでしょうか?

 全然、人の愚痴は言えない。言わない。
 
 自分の意見は言わない。 

 それが人として良いことのように考えている。
 
 天皇でもそんなことしていないのに、トラウマを負った私たちは一体何を目指しているのでしょう?

(参考)→「愚痴を言わないと発散できない

 

 理想として描いていることが、とても無理なこと、いびつなものであることがよくわかります。
 おそらく、それが理想と植え付けられたローカルルールなのかもしれません。
(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

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