brieftherapy

公認心理師・大阪大学大学院卒(臨床20年)など

三木 一太朗(みき いちたろう)公認心理師。大阪大学文学部卒業、同大学院修士課程修了。大学院修了後、大手電機メーカー勤務を経て、大阪心理教育センター等で研鑽を積み、ブリーフセラピー・カウンセリング・センター(B.C.C.)を設立。

20年以上の臨床経験を持ち、トラウマ、愛着障害、ハラスメント、吃音などのケアを専門とする。著書『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(著書累計約4万部超)のほか、テレビドラマの医療監修やメディア出演・掲載実績も多数。

伝統的なカウンセリングからボディワーク、最新のブリーフセラピーまで幅広く研鑽。臨床での実践と、10年以上にわたる膨大な参考文献に基づいた知見の言語化・発信や、より良いケアの開発と提供に努めている。

年末年始が嫌い、苦手

年末年始は様々なイベントもあり、身の回りの整理や見直し、あるいは夜更かしなど、いつもはできないことができたりする非日常な時期でもあります。

ただ、「年末年始が苦手、嫌い」という方は少なくありません。カウンセリングでもご相談者からそうしたお話をよく伺います。

実は、「年末年始が苦手、嫌い」ということの背景には、家族の問題、愛着やトラウマにまつわる問題が隠れていたりします。

トラウマ臨床を専門とする公認心理師が今回は、「年末年始が苦手、嫌い」という現象について解説したいと思います。

・実家、地元に帰りたくない

「年末年始が苦手、嫌い」というお悩みにも様々なタイプ、内容があります。

例えば、

・帰省して親や親族、義理の親に会うのが嫌だというケース

・帰省して家族に会うと親や兄弟からいろいろと嫌なことを言われる

・親族がモラハラチックにいろいろなことを詮索したり、押し付けてくる

・親族の不和(夫婦のケンカ、嫁姑など)に巻き込まれてきた(巻き込まれる)

・親から家族の愚痴や悪口を聞かされる

・親の介護や家や墓の管理の件を考えると気が重くなる

・親とただ一緒にいるだけでも調子が悪くなる

・家という場所で過去に嫌な目に遭ったことで、その場所自体がもうだめ

・地域自体に嫌な思い出や人間関係があり、そこに帰りたくない

・過去、年末年始には嫌な思いでしかなかった

など

・クリスマスや年末年始の雰囲気がダメ、嫌い

そもそも、クリスマスや年末年始の雰囲気がダメ、嫌い、ということもあります。

・クリスマスや年末年始に親は旅行など何もしてくれなかった。場合によってはプレゼントもなかった。あっても、好きなものを買ってもらえなかった、というような方も。過度にゲームや漫画が禁止されていた、というケースもあります

・街は華やかで、人はにぎやかで充実しているのに、自分はそうではないことへのなんとも言えない感情

・年末年始は、親や親戚、祖父母、兄弟が喧嘩をする

・正月に親戚が集まっても、ストレスがかかる嫌なことしかなかった

・大人になっても、子ども時代の嫌な思い出がフラッシュバックしてくる

・成人してからの自分の元配偶者、パートナーとの嫌な思い出という場合も

・「家族の機能不全」と背景にあるトラウマ、愛着不安という問題

こうしたことは個人の心理や嗜好、性格の問題とされがちですが(本人もそう思っていたりしますが)、実はそうではありません。

これらは環境のせいです。環境とは何か?といえば、それは「家族の機能不全」やその背景にあるトラウマ、愛着不安という問題です。

家族の影響はとても強く、私たちの様々な面に影響します。そして、家族が機能不全に陥っていた場合、私たちには生きづらさとして感じられるようになるのです。しかし、それらは「個人化(環境≒他者の問題を個人のせいにされること)」されてしまい、自分の性格の問題と間違って捉えてしまうのです。

(参考)→<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

個人化せずにフラットな目で。年末年始が嫌いになることについて眺めてみると、その背景にはまず家族の機能不全ということが見えてきます。

実は、年末年始には、家族の機能不全が目立って現れやすいのです。

年末年始という非日常の中で、日常のルーチン以外の動きをすると、例えば家族のイライラや喧嘩が噴出しやすくなります。

よくあるのが、家族で旅行などに出かけようとしたら、家族の準備ができておらず、出かける予定時間を小一時間過ぎてようやく出発になるが、その時点で、家族がイライラし、言い合いや喧嘩をしている。

出先で、子どもがぐずって、それにうまく対応できずにイライラして、自己嫌悪に陥ってしまう。

(参考)→「親が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

本来であれば、家族のメンバーの多様性を理解し、尊重し、失敗やミスを許容し、大人が家庭を大きくマネージ(経営)していくものです。

(参考)→「親が機能するか否かの基準2~ストレスへの対処

機能不全とは、1つには、愛着不安やトラウマの影響から多様性や成熟が欠如した文化によって生じます。

ちょっとしたことでイライラし、単一の価値観から他者を裁くなんてことが生じてしまう。

「機能(←→機能不全)」というと、言葉の印象からテキパキ上手に動くことをイメージするかもしれませんが、実は、機能する、とは、失敗やミス、予期しないことを許容する、歓迎する、その上で大きくリカバリする、あるいは流れに任せる、といったことと言えるかもしれません。

(参考)→「機能するか否かの基準3~感情の受容と交わり

・家や家族を大切にしなければ、というのは本当の常識ではなく、単なるローカルルール(偽ルール)

「問題があったとしても、家や家族は大切にしなければならない」「いやでも家族は守らなければならない」と思っている方もいるかもしれない。

「それは世の中の常識だ」「大事にしなければ、罪悪感を感じる」と。

実はそれは、本当の意味での社会の常識ではありません。家族があなたを縛るためにローカルルールでしかないものです。

ローカルルールとは、単なる不全感でしかないものなのに、もっともらしい理屈で表面がコーティングされた”偽物のルール”のことをいいます。トラウマや愛着不安が連鎖するように、ローカルルールも連鎖します。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

例えば、血のつながった家族を大切にしなければならない、血縁は大切だといったようなことは、常識でも何でもありません。これは歴史学や社会学、家族研究で明らかなことです。

(参考)→<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

例えば、最近問題となっている、持ち家やお墓の管理や処分、といったことでさえそうで、庶民が言えやお墓を持つといったようなことは高度成長期になって広まったことで、ごく一時期に普及した現象にすぎません。そのため、最近はお墓も持たないことが当たり前になりつつあるように、時代とともに変化しています。

「生みの親より育ての親」というように、”親”や”家族”といった観念も血縁で決まるのではなく社会的な機能としてあるのが歴史的には一般的です。

現代のように単婚核家族のような在り方で、すべての家族が機能することを期待することは無理なことです。

ですから、機能している家族ほど、その在り方は柔軟です。時代に合わせて変化をし、無用なしがらみから家族の成員が自由になるような関わりが自然となされていきます。

一方で、機能不全な家族はそうではありません。昔からのしがらみや表面的な常識を悪用して、メンバーをしばって共依存関係を作りだようなことをするのです。

「年末年始が嫌い」といったことの背景には、そんな機能不全な家族がもたらすローカルルールが影響していることがあります。

・家族の機能不全は、愛着不安やトラウマの連鎖によって生じる

機能不全が生じている家庭は、必ずと言ってよいほど、愛着不安やトラウマの問題がその背景にあります。

親自身が、不適切な養育などを受けて来ていて愛着の問題やトラウマを抱えていることがあります。

そのために機能不全を起こし、子どもや家族に対して、適切なかかわりができないのです。

(参考)→「トラウマ(発達性トラウマ)、PTSD/複雑性PTSDとは何か?原因と症状

(参考)→「「愛着障害(アタッチメント障害)」とは何か?その特徴と症状

年末年始が嫌だ、苦手だと感じる場合は、「あれ?これって、家族の機能不全、あるいはトラウマを自分が背負わされているだけ(個人化)ではないか?」「ローカルルール(偽ルール)では?」と立ち止まってみることも良いかもしれません。

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

Xでは役に立つつぶやきを毎日ご覧になれます

Instagramではお悩み解決についてわかりやすく解説

Youtubeではトラウマなどの解説動画を配信

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

親や家族が機能しているか否かの基準3~感情の受容と交わり

 
 

 親は、会社で言えば、ベテランマネージャーのように、暗黙のルールについてもポイントを把握している必要があるのです。

 機能する家族では、メンバーが「弱くあること」が許されます。
 そうして、弱さが都度、適切な形で消化される。

 

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準2~ストレスへの対処

 

 これは、“弱い”メンバーに対してそうではなく、“一見強そうに見える”メンバーに対してもそうです。

 結局、世の中でうまくいっている人、強い人でも、そうあることができるのは、多くの場合、誰かがその人の”弱さ”のケアをしているからです。

 弱さを他人にケアさせることで成功や強くあることが成り立っている。

 
 夫が、妻に弱さをケアさせていたり、
 親が子どもにケアをさせていたり、
 部活であれば、上級生が下級生にケアさせていたり。
 会社であれば、上司が部下にストレスをケアさせていたり、

 例えば、会社で、仕事ができるとされる人が結構イライラしやすく、部下がいろいろと気を回すことで、その人が仕事がうまくいくことが成り立っていたりします。
 でも、当人たちはそのような構造には気がついておらず、イライラしやすいが仕事のできる上司と、怒られるその部下たち、というような感じになっている。

 クライアントさんの問診を伺っていても、幼い頃、父親が暴れていた。あるいは、母親が気分屋ですぐにイライラして振り回されていた、というような話はよく伺います。
 

 これらは歪に成り立っている機能であって、本来的なものではありません。
 

 

 本来は、それぞれのメンバーが弱くあることが許される、そしてそれぞれに受け止める風土があります。
 愚痴を言えたり、弱音を吐けることも大切です。
 そこでは、世の中の実際(人はみんなそれぞれ弱い)も正しく理解されている。
 ローカルルールによるマウンティングもない。

 本当に意味で愚痴を言えて、受け止められて発散できれば、それらは解消されていきます。
 前を向くことができます。

 反対に、悪い形の場合は、ローカルルールによって拘束された価値観から変に強くあろうとして、あるいは、発散できなくて抑えてしまうようになり、結局、回り回ってその弱さは負担のかかる形で別の人(子どもやパートナーなど)がケアすることが必要になります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 その押し付けられてケアの負荷は明らかにはされずに、ケアラーの側の不調とか、やる気が出ないとか、罪悪感というような形になり、以前の記事でも書きましたように、一見すると強者は何も問題がなく、弱者だけが問題があるからそうなっているという見え方になり、当人も何が問題かがわからなくなってしまうのです。

 

 機能不全の状態では、そうした「感情の受容と交わり」がなされずに、ただ、一面的な対応しかされずに、本人の弱さだけが非難されたり、ということが行われます。

 言っても無駄、となり、代替となる居場所を求めるしかなくなってしまうのです。

 機能している家族では、そうしたことが生じにくいものです。
 弱くあることが許され、ネガティブな感情も受容されます。
 ムツゴロウさんが動物とじゃれ合うような感じで、「よ~しよ~し」とするような交わり感があります。

 
 家族が機能しているか、自分の育った家族が機能していたか否か?という基準として、こうした、「感情の受容と交わり」があるか(あったか)どうかがあります。

 

 

(参考)→<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準2~ストレスへの対処

(参考)→「親や家族が機能しているか否かの基準~失敗(ハプニング)を捉え方、処理の仕方

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

公式Xはこちら

家族は社会の最小(基本)単位足り得ない

 

 最近記事にしましたヤングケアラーの問題や、貧困、介護、といったことをみてもそうですが、はっきりしているのは、「家族」というのは社会の最小単位足り得ない、ということです。

(参考)→「なぜ、家族に対して責任意識、罪悪感を抱えてしまうのか~自分はヤングケアラーではないか?という視点

 

 

 特に日本では、まだサザエさんみたいな家を利用とするような「家族幻想」というようなものが根強くありますが、実は、“家族”ほど脆弱なものはありません。

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 ちょっとしたことで、機能不全に陥ってしまう、ちょっとしたことで構成員を巻き込んで、人生を呪縛してしまう。場合によっては、一生のうちのほとんどを家族に奪われてしまう、などということが生じてしまいます。

 介護といった問題ではそれがとくに顕著です。

 

 子育てにおいても、ちょっとしたことで機能不全に陥ってしまい、そのしわ寄せは子どもに及んできます。

本来は、もっともっと社会が担う必要がありますが、日本社会の設計上、両親がいて子どもがいて、という世帯単位の設計になっています。

 個人も決して強くはありませんが、実は、家族単位よりも個人単位の方がまだしなやかに動けたりするものです。

 これは、個人主義が良いからそうするのではありません。物事が機能するかしないか?という観点で捉える機能主義からその方がベターだからです。

 ですから、本来は、機能主義の観点から、個人を最小単位の基礎として、小規模な単位でのコミュニティがいくつも形成されて、機能としての“家族”が得られるようなものが良いのだろうと思います。
 (保守とされる政治家などを中心に、従来型の家族の形を壊してしまうとコミュニティが崩壊するというような考えや、制度変更の遅さから、なかなか進みませんが)

 家族は“結果”や“現象”であって、それを支える要件や守るべきアプローチポイントは、個人や社会の側にあるというとわかりやすいかもしれません。

 

 まず、私たち自身として、「家族は社会の最小単位足り得ない」ということを頭に置き、家族幻想や、親子幻想といったものからは自由になる必要があります。

 最小(基本)単位ではない、ということを知るだけでも、「ああ、じゃあ、別にこれを固守しなくても世間から指弾されるいわれはない」と思えますし、
「そうか、是々非々で、機能として満たされればお付き合いすればいい」とわかります。

 前回お伝えした『親不孝介護』でも、介護という機能は「他者」「専門家」に任せるという発想ですし、(そうは明示しては書いていませんが)「個人」を基本単位として「社会」が介護を担うということが機能としても妥当であることがわかります。

(参考)→「「介護」にまつわる呪縛によって自分の人生を失わないために」 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

公式Xはこちら

「介護」にまつわる呪縛によって自分の人生を失わないために

 

 例えば、現代であれば、親の介護といった問題で沸き起こる、「親孝行」や「家族愛」といったものです。

 
 クライアントさんでも、親の介護に関連して、呪縛にかかるケースもよく見られます。

 介護では、通常でも、安全基地(愛着の対象)であるはずの親が老いていく姿に認知がついていけず、また、「自分が頑張ればなんとかなる」という自己の規範から親に怒りが湧いてしまって、親にイライラ、暴言、暴力を振るってしまうこともよくあることとされます。

 

 まさに、下記の本では、「親孝行の罠」として、そうしたことへの対処が書かれています。

 プロの介護士は、自分の親の介護はできない、ということを一番最初に習うそうです。つまり、介護とは親自身の人生、日常の営みであり、子どもや家族が親孝行や家族愛といった規範から行うものではない、ということです。

 「家族は、自分の家族の介護はできない」

 これは、決して裏技でも、トリッキーな割り切りでもなく、介護の世界では“常識”“本質”とされることです。
 
 
 しかし、「基本は家族が面倒を」というような俗な規範は世の中位を徘徊していますので、それにとらわれると「罪悪感」や「親への怒り」に心が呪縛されて、やられてしまいます。

 先日の記事でも取り上げましたヤングケアラーとなってしましまう。

(参考)→「なぜ、家族に対して責任意識、罪悪感を抱えてしまうのか~自分はヤングケアラーではないか?という視点

 

 介護は社会の力を借りて行うものであり、自分の人生を捧げて行うものではありません。
 子どもや家族は自分の人生や仕事を普通に過ごしながら、社会制度やプロの力を借りて行うことはできます。

 まさに、専門家は「家族だけで行おうとしないでください」「介護のために仕事をやめたりしないでください」と啓蒙しています。
  

 俗な規範にまつわる領域では、不全感(トラウマ)が触発されて正常な判断ができなくなります。
 専門家に相談できず、あるいはしても見たいものしか見れず、「内を守り、外を疑う」というようなことになりがちです。

 (参考)→「外(社会)は疑わされ、内(家)は守らされている。

 

 「他の家ではそうでも、うちだけは事情が違って、自分で面倒を見るしかないんです」と思っている場合ほど、ぜひ、お読みいただくとよいかと思います。

 

山中 浩之, 川内 潤「親不孝介護 距離を取るからうまくいく」日経BP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川内 潤 「わたしたちの親不孝介護 「親孝行の呪い」から自由になろう」日経BP

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

公式Xはこちら