人間は、「0階部分(安心安全)」が欠如すると、それを補うために、さまざまな問題行動を起こすようになります。
例えば、対人関係では、過剰適応であり、過緊張であり、回避であり、しがみつきであり、様々な防衛が働きます。
身体的には、強迫行動や、依存・嗜癖、不眠、免疫不全、といったようなことも引き起こされます。
これらは、「問題行動」、「疾患」とも言えますし、0階部分(安心安全)が欠如したために、心身が「非常事態モード」に切り替わった、つまり、「0階部分(安心安全)」が欠如した環境に適応した、とも考えられるのです。
戦争、災害など社会全体が「安心安全」ではない環境であれば、それでよいのですが、(非常事態モード自体が臨時の「0階部分」となってくれる。) 実際の社会は平和ですから、自分だけが非常事態モードになるということは、結局は不適応を起こしている、ということになり、本人も、そして周囲も困ることになります。
アメリカでは、戦争から帰還した兵士を描いた映画がいくつかありますが、そこで描かれているのは、自分だけ「0階部分」が「非常事態モード」から「安心安全」へと切り替わらずに、平和な日常とのギャップに苦しむ姿です。
ずーっと緊張や過覚醒が続いて、落ち着いて何かを行ったり、人とうまく付き合ったりできなくなる。
その結果か、あるいは要因の一つとして、「関係」が壊されてしまう。
自分の感覚と、周囲との感覚、常識があまりにも合わず、無理解の壁に苦しみ、自分は孤立を感じてしまうようになる。
その苦痛を和らげるために、未熟な自己治療として様々な行動をとってしまうようになり、それが嗜癖とか、依存症とか言われるものだったりします。
(リストカットとか、抜毛症とか、アルコール依存とか、ギャンブル依存とか)
免疫機能もおかしくなってしまうために、自責的になって自分を攻撃したり、強迫的になったりします。
その他、発達障害、ADHDなども様々な問題も、「0階部分(安心安全)」の欠如のゆえではないか、と考えられます。
(発達障害の方が、反復するものが好きなのは、そこに秩序、安心安全があるからです。)
ストレスの研究などでわかっていますが、人間(動物)というのは、急な非常事態に対応することはどちらかといえば得意ですが、長くだらだらと続く、日常のストレスには弱い。
おそらくは、人間(動物)はモードが急に切り替えたり、適応することはできるのでしょうけども、反対に微調整(融通)がきかない。
非常事態モードになった状態を、安心安全のモードに切り替えることが、なかなかできない。だから、皆そこで苦しむ。
さらに、ほぼ、身体的な問題なのに、「心」の問題にされてしまい、その人の責任とされてしまう。
「心」は、インターフェースであり、インプット、アウトプットの入り口にはなりえますが、原因ではない。
心身が、非常事態モードから、「安心安全」へと切り替わるツボになる部分を探す必要があります。
(ある理論では、そのポイントとなるものが「耳(声、音)」であったり、顔や喉の「筋肉」であることがわかっています。)
「0階部分(安心安全)」の回復のポイント探しこそが、これからの臨床のメインテーマの一つとなるものです。
●よろしければ、こちらもご覧ください。