鴻上尚史さんが書いた「「空気」と「世間」」という本は、日本における人との関係の背景を理解する上では好著の一つです。
歴史家の阿部謹也の「世間」の研究や、山本七平の「空気」といった概念をもとに日本の状況を説明しています。
簡単に言えば、欧米など一神教の世界に特徴的な「社会」ではなく、日本は「世間」が社会の基本スタイルであること。
「社会」とは、独立した個人の契約で成り立つもので、「世間」とは非個人的で、互酬や長幼の序、共通の時間感覚といったことで成り立ちます。「空気」とは世間が崩れたものです。
厳密に言えば、「社会」がよくて、「世間」がダメだ、ということはありません。ただそれぞれに特徴がある、ということです。
ただ、以前の記事でも書きましたが、「対人恐怖症」は日本にしか存在しない、という事実からすると、日本における「世間」、特に「空気」というのは、人づきあいを怖いものとする、難しくする要素が多いのかもしれません。
(参考)→「対人恐怖症、社交不安障害とは何か?真の原因、克服、症状とチェック」
この本の中で面白いのは、「若くなればなるほど、人間関係の作り方の基本形をテレビから学習している」ということが挙げられています。
実際のTVのバラエティ番組は、修行を積んだバラエティのプロが出演し、さらに編集されて、3時間とったものが1時間に、といったように凝縮されています。
テロップが入り、効果音、映像が入り。テンポよく面白くする工夫が満載です。
特に日本は、「世間」と「空気」の社会ですが、そのノリに乗るのはとても難しい。
芸人さんたちも、TVに出られるのは一握りで何万人もの中から選抜されている。それによって、あの軽妙でテンポの良く、絶妙のタイミングで、絶妙な言い回しを繰り出す高度な「TVショー」が作られているわけです。
TV番組とは、さながら世界選抜大会のファインプレー集のようなショーであり、日常では再現することはできないものです。
しかし、私たちは、「その学んだ方法を、そのまま、日常に持ち込もうとして」、うまくいかない・・・、と落ち込んでいます。
みんな、マネできると錯覚して、ノリを持ち込んでいる。
みんなそれが自分たちにもできると信じて、そうしなければいけないと思いこんで、「対人恐怖症」社会を作り上げている。
趣味の集まり、ママ友、会社仲間でも「TV番組のノリの幻想」は覆っているかもしれません。
そうした幻想から自由にならないといけない。TV番組の真似をしてはいけない。
そのためには、関係の「基礎」から始める。
TV番組的なノリに乗らなくていい。気を使わなくてもいい、愛想もふりまかなくてもいい、心はいらない。
ただ、挨拶や形式的な儀礼を淡々と行って、地味に1階、2階へと上がっていく。合わない人は、1階でサヨナラする。
幸せにも気の合う人と出会ったなら、3階まで上がって気遣いを交わせばよい。
「基礎」からコツコツと、薄い、緩やかな「関係」を増やしていくことが大切。
うまくできている人ほど、実は、ノリに乗らず、基礎から地味に「関係」を構築しています。
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