スポーツなどではよくありますが、素晴らしいファインプレーや、流れるような動き、を素人が雰囲気でマネしようとすると、雰囲気はマネできるけども、根本的に違う、ということがあります。
すると、「やっぱり、自分とプロは違うんだ」と落ち込んでしまいます。
でも、実は、ファインプレーのような応用技とは、正確な基礎の上に成り立っています。
プロほど基礎が正確に反復ができて、その上に応用が成り立っている。
私たちのような素人は、そのことがわからず、基礎が不安定なうえに応用に走ってしまって打ちのめされてしまいます。
コミュニケーション(「関係」)においても同様です。
人づきあいがとても上手な人は、シンプルな基礎があって、その上に応用がなされています。
例えば、本当に仲の良い関係ができている、気さくに話ができている、気づかいが素晴らしい、という「応用」の裏には、これまで紹介しました、「関係」の基礎ができている。
(参考)
→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである」
→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる」
その構造を知らないまま、いきなり仲の良い関係になろう、気づかいをしよう、としてもうまくいきません。
いきなり応用から入った場合にどうなるかといえば、
・最初は仲の良い雰囲気だったのに、次第に馬鹿にされるようになり、関係が壊れてしまう(※基礎②:公的環境が整えられていない)。
・へりくだりすぎたり、弱みを見せすぎたりして、公私があいまいな状態を生み出し、ハラスメントの標的となってしまう(※基礎②の欠如)。
・相手が理不尽な言動をしたときに、自分のせいだと思って振り回されてしまう(※基礎①:健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである、ことがわからなくなっている)。
・自分がかかわりたくない人を引き寄せてしまう(※基礎③:階層構造を十分に理解していない)。
・誰でも彼でも気を使ってへとへとになってしまう(※基礎③の欠如)。
などなど、
個人間の「関係」でのトラブルと似た事象として、ビジネスにおいても、トラブルになってしまう、ケンカ別れになってしまうことがあります。出会ったときは意気投合して始めたけども、うまく行き始めたら思惑がずれてケンカ別れしてしまう、といったようなことです。
よくよく聞いてみると、最初にちゃんと目的や責任の範囲や取り決めをしていなかった、あるいは、契約書を交わしていなかった、ということはよくあります。
「その場の雰囲気で気が合うと感じるなら大丈夫だろう」
「取り決めとか、堅苦しいことを言うと関係を壊してしまうのではないか(だから取り決めなんかしなくても大丈夫だ)」
「信頼するというのは相手を信じることで、取り決めは疑うことでそれに反する。」
という甘い考えや幻想から起こることですが、ビジネスのプロトコル(手順)から外れているので、やっぱりトラブルになってしまうのです。
仕事においても、本当に良きパートナー、気の置けない関係、というのはあります。でもそれは、基礎がちゃんとできているから。私たちが錯覚してしまうのは、完成形(応用技)だけを見て、それをまねようとして基礎を抜かしているからです。
私たちが個人間での「関係」を結ぶ場合も同様です。
友達と気の置けない関係を築いている人、人づきあいのうまい人が築き上げた関係の完成形だけをまねたり、あるいは、「私には無理だ。根本的に違う」といったように落ち込む必要はない。
以前筆者も書きましたが、人づきあいのうまい人でも親友を作るのは困難だ、と感じていたり、仲良さそうに見えても、本人に聞いてみると「そんなに仲良くないよ」「自分は友達少ないよ」と言ったりするものです。
人間関係ではみんなそこそこ苦労している。
そうした実態は幻想で見えなくなっている。
よい「関係」を再構築するためには、応用や完成形から入ろうとしない。幻想や表面的な事象を排して、その本質となる「基礎」から組み立てる。
その基礎を、ワンパッケージでインストールしてくれて、「それでいいのだ!」と確信を持たしてくれるものが「愛着」というものです。
(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと」
成人になってから、親からの愛着を取り戻す、というのはなかなか容易ではありませんが、「愛着」がインストールしてくれるはずの「関係」の基礎の要素を分解して、理解して身に着ければ挽回できます。知的な理解から入って、取り組むだけでもかなり楽になります。
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