先日の記事でも書きましたが、
意識が高い、ということは、やりすぎてしまう、ということでもあります。
(参考)→「なぜ、意識が高いと揶揄されるのか?」
そして、
仕事でもファインプレーを目指そうとする。
(参考)→「ファインプレーを目指そうとする」
理不尽な要求に答えることを当たり前とする、ということがあります。
その意識の高さや、自分への厳しさは「マイルール」のようなものですから、世の中で求められることとはズレがあります。
気づいてみれば、「他の人たちは、そこまでやっていない」ということがあります。
また、他人が本当は求めてもいないことに一生懸命になっているために努力に比して大して評価もされない。
本当に力を入れないといけないことができていないので、逆にだんだんと評価が下がる、ということも起きてしまう。
トラウマを負うということは、理不尽なストレスを浴びてきたということです。
アメリカなどの映画で、戦争から帰還してきた兵士が、庭でのんびりしていると、茂みから愛犬が飛び出してきたのをゲリラだと勘違いして構えたり、バーベキューの炎がバチッという音に反応して汗だくになったり、というようなことがありますが、日常でトラウマを負っているいうのは、そういうことにも似ています。
特に人、社会というのはとても恐ろしいものに見えているので、その理不尽に対してずっと過剰に身構えている。
”非常事態のプロトコル”で動いていて、”日常のプロトコル”で動いていないので、襲撃されないように過剰に準備をしてしまって、空回りということが起きるのです。
プライベートでも、仕事でも普通の当たり前がわからず、やりすぎたり、ということがおきます。
普通の人たちは、トラウマを負った人から見たら想像の何倍も、普段は「低体温で」「無関心で」「テンションが低い」ものです。
でも、ここぞというときは「高温で」「他者にしっかり関心を向け」「テンションを上げる」のです。
そのメリハリの適度な”波”のことを「気が合う」「気が利く」と評されるものになります。
トラウマを負っていると、ずっと「緊張し」、「テンションが高く」、「関心を向けている」ために、メリハリがなくいざというときには動けなくなる。そして空回りが起こる。
そうした空回りを乗り越えるためにはどうするのか?
自分が考えている努力をやめて、まずは大きく撤退する必要があります。そこから周りの人達を見ながら、必要なものだけ足していく。
その時は何やらサボっているような、平凡になってしまって嫌だ、という感情が湧くかもしれませんが、淡々と行っていく。
「(頑張らなければ)怒られる、見捨てられる」という感情が襲うこともあります。あまりに強いようでしたらカウンセリングやケアを受ける必要もあります。
基本は、そうした「怒られる」「見捨てられる」という気持ちはトラウマが放り込む幻想だ、と知ることです。
人間関係でも、人付き合いでも、無理をしない、気もつかわない、へりくだらない、挨拶だけしておく。
そして、最低限必要なものだけを足していく。
(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く」
トラウマを負った人が見ている、人間関係や社会への幻想の壁(「人間はこうだ」「社会はこうだ」)はなかなか強固で厄介なものですが、徐々に薄れていきます。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
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