「気をつかえ」という言葉を真に受けてはいけない


 トラウマを負ってしまうと、対人関係がうまくいかなくなります。

 根底には人に対する怖さもあり、だんだんおっくうになり、自分を守ることを優先するようになります。
 人に対して働きかけることがとても面倒なことと思えてきます。

 でも、内心はとても気を使ってへとへとです。

 

 ホルモンの働きから説明すると、常にストレスホルモン(コルチゾール)が高い状態で推移している。普通の人なら、10段階で2,3くらいの状態で、トラウマを負った人は、5,6で生活している。

 だから、人とはテンションが合わない。空回りしてしまう。

 感情表出と内的な緊張とが連動していないために、能面のような表情にもなる。

 

 さらに、ここぞというときは、テンションが上がりすぎて動けなくなる、あるいは逆に下がって対応できなくなるために、実際の状況では、「動きが悪い」「気をつかえない」という評価が下されてしまう。

 

 次からは、「気をつかおう」とさらに気を回すために、緊張の平均値も上がってしまって、さらに動きが悪くなる。
 また、周りから責められる、という悪循環にはまってしまいます。

 

 

 実は、社会生活においては、「気をつかう」場面というのはほとんどありません。必要なのは、形であり“儀礼”。

 社交の最上位のものは政治の外交ですが、大国、小国に限らず、気をつかってぺこぺこしたりはしない。
 一方、儀礼は尽くす。大事な相手になると、丁重にもてなす。でも、それは気をつかうこととは別種のことです。

 

 周囲の人が、「気をつかえ」という場合に求めているのは、“儀礼”であり、“行動”です。そのためには、気や心は込めず、淡々と行う。

 

 スポーツでも試合でできることは、練習で染みついた無意識的な動きだけです。意識したら(気をつかったら)失敗する。

 

 

 トラウマを負った人は、そこを混乱させられている。「気をつかえ」という言葉を真に受けて、本当に気をつかわされてしまう。

 

 気をつかう、というのは、3階部分の特別サービスです。日常では必要ありません。

 気は使わずに、あたかもホテルマンやお店の店員のように、淡々と、丁寧なあいさつをする。それだけでいい。そして、1階から2階へと昇っていく。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 

 トラウマを負った人が経験してきた理不尽な環境では、気をつかうことを要求されてきました。それは、人を支配するおかしな環境だから。
 親やいじめの当事者は、被支配者に対しては気をつかわせてへとへとにして、力を奪う。

 親は、自分のイライラやゆがんだ感情のはけ口に、「お前みたいなダメな奴。もっと自分に気をつかえ」と振り回していたわけです。

 

 モラハラが横行する職場もそうで、どこかの協会の終身会長ではありませんが、周りは気をつかって忖度させられて、振り回される。

 「気をつかう」というのは、3階部分の特別サービスであり、それを日常の1、2階部分から要求されること自体がおかしいのです。

 

 私たちは日常の場面で気をつかうことはありません。儀礼、プロトコルだけ守っていればよい。それらも固定的ではなく、状況や時代に即して学習、更新される。

 

 トラウマを負ってきた人が経験してきた「気をつかう」ことを強要されることはエネルギーを奪うハラスメントです。それが内面化して、防衛のスタイルともなり、へとへとになるまで気をつかってしまう現在の姿になっているのです。私たちが、普段「気をつかっている」行為は、実はハラスメントの理不尽な命令を忠実に実行しているとも言えるのです。

 

 

 

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