”人格”、”性格”というものも実は存在しない

 

 それぞれの人間には、人格や性格というものがあると考えられています。

人格や性格が無ければ、のっぺらぼうな白紙の人間になってしまいます。普段の生活でも、「あの人は~~だ」と性格を話題にすることがあります。

 

 しかし、実は、人格や性格というものの正体はよくわかっていません。脳の中のどこに人格や性格があるのかも未解明です。

 

 私たちが普段使う意味での”性格”、”人格”というものは、専門的な心理学では出てきません。シチュエーションが限定された「態度」などということでは扱われます。

「私ってこんな性格」といいますが、性格というものは固定されているわけではありません。接する人や環境に応じて性格は変化していくものです。
(「モード性格論」として社会心理学者が本を書いています。)

 

 

 例えば、「おとなしい性格」という人がいても、別の場面や接する人の前では、「積極的な性格」だったりします。

よくTV番組で、芸能人のルーツをたどる、という番組がありますが、その中で、親についてのエピソードを聞くと、意外な一面を見ることが珍しくありません。

つまり、家族であっても、その人のすべての面を知ることはできず。ある一面を見て、「この人はこういう性格だ」と思い込んでいるだけだということです。

 

 職場では仕事ができない、と評価される人が、趣味の釣りやプラモデル制作、スポーツ、手芸などで驚くべき腕前やしっかりとした見識を持つ人がいて「すごいなあ」と驚くことがあります。

 ある会社で評価の低い課長がいましたが、その人は実は投資に熱心で、一生困らないだけの資産体制を築いていた、ということがあります。
まじめに働いていて評価の高い人と、どちらが「稼げる/できる人」かわかりません。

 

状況によって驚くほど人は変わるのです。

 

 ただ、本人も「自分の性格はこうだ」と思いこまされていることがあります。
それが暗示です。別の言葉でいえば、家族といったしがらみの強い人たちの評価の内面化です。

 

 「お前はどこに行っても通用しない」といったことは最たるもので、まさに呪いの言葉です。この言葉によって、呪縛されて、どこに行ってもダメな人間であるかのように錯覚されてしまうのです。

 ピグマリオン効果などもまさにそのことを示しています。ピグマリオン効果とは、同じレベルの2クラスの生徒たちに対して、教師が「こちらのクラスは優秀」「こちらは劣等生」と聞かされて接すると、本当にそうなってしまう、というものです。

 

 いじめについての専門研究でも、前提としていじめられやすい人というのは実はいません。「誰でも、たまたま標的になりえる」ということです。ローカルルールの中で善悪が付けられて標的になってしまえば、自信を無くしてしまい、本当に周りが決めつけるような人間になってしまいます。
「やっぱり、あのタイプはいじめられても仕方がない」となるのです。

 

 人格というのも、実は周囲からの影響を内面化した束であり、そのあらわれ方も環境に依存しているものです。

 そのために、自他の区別はつきにくく、狂わされやすいのです。自他の境目の明確ではなく、その自覚もないために、自分が何を欲しているのかさえ分からなくなってしまうのです。

 

 

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