人格というと、「人格障害(パーソナリティ障害)」ということも気になります。
「いわゆる人格がない」というのであれば、「では、パーソナリティ障害っていうのはどうなの?」と疑問に思います。
パーソナリティ障害とは、もともと「境界例」と呼ばれた既存の分類に当てはまらない、神経症と精神疾患との間にあるようなケースをとらえるために便宜的にできたものです。
科学的な実験からスタートしたわけではありません。
そもそも、「パーソナリティ」というのが脳のどの部位にあるのかもよくわからないのですから、「パーソナリティ障害」というのは、何が障害されているのかもよくはわかりません。
そのため、最近では、「パーソナリティ障害」ということ自体に異議を唱える医師も少なくありません。
→「パーソナリティ障害の特徴とチェック、治療と接し方の7つのポイント」
確かに、当初は使い勝手がよかったのですが、よくよく突き詰めてみると、肝心のことが見えなくなる。また、「パーソナリティ障害」と診断しても、それほどの解決策にならず、場合によっては単なるスティグマとなり、解決の妨げにもなりえる。
それよりも「甲状腺などの身体疾患」「発達障害」「愛着障害」「双極性障害」「家族関係」といった切り口でとらえたほうが、問題の実態に迫れるのでは、とされます。
どうやら、「パーソナリティ」とは問題の原因ではなくて、様々な問題の影響の結果、私たちが素朴に「パーソナリティ」と感じるものがゆがめられてしまう、ということのようです。
例えば、養育環境の影響。とてもひどい親族に囲まれている人は少なくありませんが、その結果、イライラしたり、人を信頼できずに不安定になったり、ということはあります。
環境が変われば、その方は穏やかになり、人にも優しくなっていきます。
しかし、これはパーソナリティが障害されているのでしょうか?
それよりも、養育環境の影響、ととらえたほうがよほど正しい。このようにみても、パーソナリティとはとてもあいまいなものであることがわかります。
パーソナリティととらえられるものは、環境の影響でいかほどにも変わってしまう。
自他の区別はとてもあいまいなのです。
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