ローカルルールとは良いことに聞こえ、意味があるように見えるもの。

  

 ローカルルールの仕組みがわかってきて、だんだんとそこから抜け出せるようになってきても、でも、どうしても頭に引っかかってしまう、ということがあります。

  

  

 完全には否定できない、という感覚です。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 オウム真理教事件でも、脱会した信者も何年たっても、「教祖の言っていたことが本当ではないか?」という恐れや不安があったといいます。

 

 それに似たような感じで、「相手がおかしいのはわかってけども、その状態でも相手の言っていることには理があった(だから頭から離れない)」というケースも多い。

 

 例えば、「おかしくなった(ローカルルール人格にスイッチした)状態で私の行動に対して指摘してきたことは正しかったし、たしかに私にも問題があった」とか。

 

 「たとえローカルルールであっても、良いものは認めなければいけないのではないか(自分の悪いところは認めないといけないのではないか)?」
 「自分に都合が良すぎるように感じる」という感覚です。

 

 いじめ、ハラスメントでも、そういうところはあるのではないかと思います。

「いじめっ子たちのほうが、イケてたし、みんなからも支持されていた」とか、
「DVをしてきたパートナーの言っていたことはあたっている部分もあった。たしかに私も段取りが悪かったし・・・」といったこと。

 

 酷いことをされたストレスもありますが、同時に「相手側に正当性を感じる」という感覚。

 そのために、何十年も相手からされたことが頭から離れなくなるのです。

 

 

 それは、全く真に受ける必要はありません。

 実はここにローカルルールをさらに打ち破るポイントが隠れています。

 

 宗教を思い出していただければわかりますが、断片的に見ればみんな良いことを言っています。オウム真理教でさえ99%は良いことを言っていました。
「殺生をするな」とか「ウソをつくな」とか。

 独裁者の国でも、良いことを言っています。ブラック企業の社長もいいことを言っています。

 (少し前に、NHK特集で「半グレ」の特集をしていましたが、振り込め詐欺の団体では、勧誘した学生に「自己成長」を説いていました。
素晴らしいことを書いたマニュアルで研修をしていて、実際に、関わっていた学生は「自分のためになった」というのです!?)

 

 

 でも、いくら良いことを言っていても、当たり前ですが、信じていない人から見たら「なにかおかしい」「窮屈そう」と感じます。

 

 ローカルルールというのは、良いことでコーティングされていますから、”表面的には”良いことに聞こえます。そうして「正統性」を偽装しなければ、ローカルルールが維持できませんから。

  ローカルールが支配するおかしなところほど立派なことを言います。

(参考)→「「正統性」と「協力」~ローカルルールのメカニズムを知り、支配を打ち破る。

 
 

 カルト教団の中にいても、「あなたはこうしたほうがいいよ」「ここは良くないよ」とか、役に立つことは言われることでしょう。
 でも、カルトはしょせんカルトでしかない。教義は教祖が自分の不全感を満たして、相手を支配するためにつくった”作文”です。
   

 

 ローカルルールというのは、それが成立するためには、「正統性」をまとう必要があるために良いこと、最もなことを言わなければならない。
 
 世の中の常識をその文脈から切り離して断片化して、悪用(拝借)している、ということなのです。

 ローカルルールとは良いことでコーティングされている、ということ。

 だから、ローカルルールはもっともらしく見えるのです。

 

 その偽装を剥がしてしまえば、結局は、私的な感情(不全感)にすぎないのです。

 

 だから、「嫌な相手からも、汲むべき教訓があった」とか、「私も反省すべき点があった」というのは全く考える必要がありません。

 そう思わせることも含めて、ハラスメントなんだ、ローカルルールなのだと知らなければなりません。

 

 

 ローカルルールは、「ルール」という言葉が入っているように、それ自身が秩序であり、秩序が成り立つためには正統性が必要なのです。
どんな狂人の言っていることでも、断片的には必ず「もっともなこと」が含まれています。

 なぜなら、人間は社会的な動物であり、狂人でさえ、社会の中に生きているからです。最もな言葉を社会からいくらでも拝借して悪用することができます。

 でも、耳を傾ける必要は全くありません。日常の人間の言葉はすべて戯れ言ですから。

 (参考)→「人の話をよく聞いてはいけない~日常の会話とは“戯れ”である。

  

 

 断片化した常識を悪用しているローカルルールの仕組みがわかれば、「酷いことを言われた、されたことが頭から離れない」「自分に自信が持てない」という状態から抜け出すことができます。

    

   

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

ローカルルール人格はドロップさせようとすることもある。

 

 ローカルルール人格というのは、内面化されたローカルルールのことです。

 理不尽な親の価値観であったり、その言葉であったりを真に受けたり、それに対抗しようとした結果、内面化されてしまうのです。

 人間というのはモジュール(人格)の集合体ですので、ローカルルールは人格のように悪さをしてくる。

 否定的な考えを沸き立たせたり、はっきり言葉で聞こえてくるようにしたり、ということがおきます。

 

 ローカルルールの目的は、ローカルルールの延命ですから、本当にその方が良くなると困ります。そのために、様々な邪魔をします。

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 大変面倒なことですが、病院の治療やカウンセリングそのものもやめさせようとする(ドロップさせる)ことがあります。

 速く治したいというふうに焦らせたり、
 もう治らないのではないか、と悲観にさせたり、
 治療者への不信をわたき立たせることもありますし、
 なぜかわけのわからない理由で治療そのものを辞めるように否定的な観念が湧いたり、幻聴が聞こえたり、といったことがおきます。

 辞めるのではなく、他の病院、治療者のところに行け、というふうに促されたりすることもあります。

 

 

 もちろん、治療が合わない、といった合理的な理由で病院を変える、治療そのものを辞めることはあります。

 先日、お笑い芸人の名倉潤さんがうつ病で休養されていましたが、途中治療が合わないので奥さんなどの判断で病院を変えてうまく行ったそうです。これはもちろん合理的な判断です。

 

 一方、症状が重いケースを中心に多くの場合はローカルルールの影響で非合理な理由で替えてしまって、治療の機会を失っているということも大変多い。

 

 

 ローカルルールによって引き起こされたものか、そうではないかを判断するのはなかなか難しいのですが、ただ、直感的に違和感を感じていたります。
 
 なんとなくおかしい、というようなこと。

 

 実は、治療も確かに進んでいて、まだ症状が残っているのに途中で辞めるという場合は、ほぼすべてのケースでローカルルール人格の影響があります。
  

 

 ただ、治療者の側のためらい(引き止めることはなかなかしづらい。)もうまく利用されて、ドロップしてしまうことが多いです。

 希死念慮など、重い症状を抱えている場合は、辞めないように誓約書を書いたり、といったことはありますが、そうではない場合、治療者の側もそれを妨げる、引き止めるということは通常しません。

 

 ローカルルールについてもっともっと解明、理解が進めば、治療者も自信をもって「それはローカルルールの影響だよ」といえますが、現状だと、ためらいが出たり、巻き込まれる恐れもあるので、なかなか難しい。

  

 ローカルルールの影響があることが確信を持ってわからないまま関わると、かえってローカルルールに巻き込まれる、ということもありますから、現状は引き止めずに、治療者は淡々と見送ることのほうが良いのかもしれません。

 クライアントさんの中の本来の人格がなんとか頑張ってくれることを期待するしかない。

 

 もし、後日なんらかの機会があれば、クライアントさんの身に何が起きていたかを説明する、というのが一番良いのかもしれません。

 

 

 短期的には、こうしたことの結果、少なからず悩みの解決が停滞したり先延ばしされたりしますので、ローカルルールにとってみれば、ローカルルールの延命工作が成功することになります。

 

 

 治療そのものを妨げるようなローカルルールが見られるケースというのは、重い愛着障害や、トラウマがあるケースが多いです。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その特徴と悩み、4つの愛着スタイルについて

    →「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 自分の存在をそのものをだめにするような観念や、将来への悲観、不信が内面化するくらいひどく理不尽な目に過去にあわれてきていた、ということです。

 

 虐待や愛着障害の興味深いところは、単にひどい目にあいました、ということでは終わらずに、必ず、そこで展開されたローカルルールを内面化してしまっているということ。
 そして、いまも親などへの恨みや怒りと同時に、そのローカルルールに健気に従い続けているということ。

 

 境界性パーソナリティ状態が典型ですが、愛着が傷ついているために、自己破壊的な行動をとってしまう。
ケースによっては、依存症といったことにつながったり、自殺企図ということをおこしたり、これも、ある意味(生きることからの)ドロップということになります。

 

 本人の意志ではなく、ローカルルール人格がニセの衝動を仕掛けてきていて、それに巻き込まれているということ。ローカルルール人格のうるささ、不快さから逃れるために問題行動を起こしてしまったりする。

 

 ドロップというのは、ローカルルールに従い続けているということを表す顕著な事象であるということなのです。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

人間の言葉はまったく意味がない~傾聴してはいけない

 

「言葉には心を越えない~♪」というのは昔大ヒットした歌の歌詞です。

言葉には意味がないのよ、というのは昔から人間が感じていたことです。

 一方、言葉が最初にあった、というように言葉の価値の大きさもわたしたちは知っている。

 

カウンセリングでも、「傾聴」ということが重んじられるわけです。

では、本当の傾聴ってなんだろう?と考えたくなります。

 

 傾聴とは、鵜呑み、真に受けではありません。

 人間が解離しやすく、内的な人格が分かれているという性質を持つ以上、すべて真に受けることはありえません。発せられた言葉を吟味し、選別し、本来の人格の声を見つけること。それも治療者の役割と言えます。

 

 ハラスメントやローカルルールといったものを見るにつけて、強く思うのが、「日常の人間の言葉は本当に意味がない」ということです。

 

 なぜかといえば、繰り返しになりますが人間は容易に解離してしまう存在であり、おかしくなってしまうからです。
 これは誰でもそうです。

 とくに私的環境では簡単に人格スイッチしてしまう。 

 そして、私的な情動(不全感)をもとに、相手を支配しようとしたり、攻撃しようとして、おかしな発言をする。

 

 人間は、公的な環境で、公的な役割を背負ってはじめて理性的でいられる。
 実際に、古代ギリシャでは、公的な役割がなければ完全な人間ではない、と考えられていました。

 
 それは、私的な環境では人間がいかにおかしくなってしまうのか、ということを経験的にわかっていたからかもしれません。

 日常生活で人間は、夜中に食べたくもないラーメンを無性に食べたくなるくらい、本心というのはわからない存在。本心って一体何?と不思議に思います。
 

 言葉はもっといい加減。

 

 日常で発せられる言葉、とくに責任を負わない消費者という立場には、ローカルルールが頻繁に介入してきます。そのため、無駄な買い物をしたり、クレーマーになってみたり、おかしなことだらけ。

 

 臨床の現場でも、言葉を吟味せずに治療者がすべて真に受けては、クライアントさんにとっても危険で本来の人格とローカルルールからきたものとを、よほど吟味しないといけない。

 

 悩みを抱える、とはなにかといえば、ローカルルールを内面化した状態、と定義できます。

 

 
 例えば、クライアントさんが
 「仕事でミスをする人がどうしても許せない」と言ったとしたら、

 それは、「ミスをしてはいけない(ミスをする人は存在してはいけない)」という内面化したローカルルールから来た言葉だとわかります。

 

 その「ミスをしてはいけない」はどこから来るか?といえば、

 養育環境で親などが、イライラする自分の不全感を発散させるために感情を子どものぶつけることを正当化しようとして、「お前がミスをするからだ!」「ミスをしてはいけない、というのは常識だ。だからお前を叱責しているのだ(自分の私的感情からイライラしているのではありませんよ)」ということから始まり、

 それを「期待に応えなければ」と思う真面目な子ども(クライアントさん)が真に受けて、内面化し、忠実に実行してきた。

 そして、親のローカルルールに感染した「ローカルルール人格」が子ども(クライアントさん)の中に形成されます。

 
 そうして長い年月を経て、発した言葉が「仕事でミスをする人がどうしても許せない」ということ。

 

 そうなると、それはその方の本来の発言ではありません。ローカルルールに言わされている、ということです。
 ”ローカルルールの現れ”として捉える必要があります。

 
 そして、治療者が「それ、ローカルルールのようですね」と区分けしたり、本来の自分ではない、とあえて否定したりする必要がある。

 (参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 治療者が、まさか「傾聴が大事」なんて真に受けてしまっていたら、クライアントさんは良くならない。
 クライアントさんの本音は、「今私が話している言葉は本来の私ではなく、ローカルルールに言わされているんです~。誰か気づいて、助けて~」と思っているのですから。

 
  
 別の場面で、
 「治療者の言葉や態度が気に入らない」と言ったとしたら、それも内面化したローカルルールから来ている。
 まさか真に受けて、治療者が「態度を改めよう」なんていうことは全く必要ない。勘違いして、もし態度を改めたら、クライアントさんは余計にローカルルールに呪縛されてしまう。
 

 それも、「ローカルルールから来ているようですね」といって、区分けしてあげないといけない。

 

 ローカルルール人格というのはまさに、ウイルスによって、パソコンが乗っ取られているような状態です。社会学者の内藤朝雄氏の本でもいじめに加担した生徒の声が載っていますが、「何かそれ、うつっちゃうんです」という状態。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 だから、乗っ取られた状態を真に受けて「そうなんですね~」なんて傾聴で応じていてはいけない。

 しっかりと観察して、区別して、指摘して、ローカルルール人格というものの影響を明らかにしていかないといけない。
 それによって、クライアントさんも本来の自分に戻ることができるようになる。
 

 

 

 繰り返しになりますが、日常で発せられる言葉というのは本当に意味がない。
 

 冒頭に書きましたように、言葉の価値は本来大きいのですが、「言葉が尊い」という場合のそれは本来は「神の言葉」という意味。人間はそれを承るだけの存在だし、完全には理解できない。
 その言葉の価値を悪用しているのがローカルルールです。ニセの神様のようになって、言葉を弄んでいる。

 人間の言葉はすべて戯言です。

 

 公的な環境になると人間の言葉がかろうじて意味を持ってくるのは、それは公的な役割を通して「一般意志」をいくらか”代表”できるようになるから。
 一般意志とはルソーの概念ですが、社会の普遍的意志のことです。
 (普遍的意志は、近代以前は、シャーマンや聖職者が、神がかって降ろしたりしていました。占いなどもそうですが、なんとかして神の言葉を読み取ろうとしていたのです。)
 

 作家や歌手の言葉が感動を呼ぶのは、普遍的意志を降ろしてくるから。
 でも、それができるのは瞬きのような一瞬で、いつもではない。だから、しばしば薬物に手を出すようなアーティストも出てくる。

 

 一方、日常では「悪貨は良貨を駆逐する」というように、価値のない悪貨だらけの世界であることを知らなければならない。
 東大の安冨歩教授は「世の中はハラスメントでできている」といっています。ハラスメントの言葉だらけ。本当に価値のある言葉が埋もれている状態。

 

 目の前の貨幣(言葉)が本物か偽物かを吟味することをせずに、すべてを受け取らなければならない、という間違ったルールに従わされている。 

 

 

 「傾聴が大事」と思いこまさせられている人たちが、まさにハラスメントの犠牲者になっている。親やいじめっ子や、上司の盲言を真面目に受け止めさせられて、カウンセラー役をさせられてしまっている。
 

 

 反対に、健康な人ほど日常の言葉は意味がないと知っていて、やり過ごしていたりします。

 東大の教授が書いた本はまさにその様になっています。
 (参考:高橋伸夫「できる社員はやり過ごす」日経ビジネス人文庫)

 やり過ごすことが勢いのあった時代の日本企業を支えていた、というのです。

 

 
 カウンセリングでも、本来大切なのは傾聴ではなく観察。

 治療者であれば、クライアントさんの様子を、よーく観察する。
 言葉は真に受けない。あくまで観察のための材料。基本的にはやり過ごして、聞き流さないといけない。

 良い料理人が目利きをするみたいに、素材を選り分ける。
 良い研究者やジャーナリストみたいに、証拠を吟味して、取捨選択をする。

 

 言葉が1000あれば、そのうち本来の言葉はかろうじて3つあるかないか、かもしれません。
 日常であれば、ほぼ0といってもいいくらい、言葉には意味がない。言葉は本来神のものですから。

 

 ローカルルール人格とはニセの神様になった状態のことです。
 (いじめを行っている人たちや、あおり運転の人たちも、まさに神のような全能感を持って他人を裁いている様が最近であれば動画で記録されています。)

 日常の言葉とは、その方の生育歴からくる雑多な感覚を目の前のものに投影してただ吐き出しているだけ。何も”代表”していない。

 
 悩みを抱えている人にとっても、こうしたこと知るのはとても大事。

 

 自分自身がローカルルールの影響から逃れるためにも、ですが、日常でハラスメントにあわないためにも、です。
 人が発する言葉にはすべて意味がないと知れば、「~~さんって嫌なところがあるよね」みたいな気になる意味深な言葉も、全く意味がないとスルーできるようになります。

 

 日常の言葉は戯れ言としてすべて聞き流す。言葉は何も表していない。
 (聞き流してはじめて本当のコミュニケーションが取れるようになります。)

 

 

 今までは理想化して、恐れていた人が、大したことがない存在であること、「解離しやすいおサルさん」でしかなく、話す言葉も意味深なだけの意味のない言葉であることがわかってきます。人に対する怖さがなくなってきます。

  
 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

ローカルルール人格って本当にいるの?

 

 「ローカルルール人格って本当にいるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。

 

  ローカルルール人格というのは、心理学や社会学などでも明らかになっている事象をまとめて表現した臨床上の概念です。もちろん、実際に存在しますし、誰でも目で見て確認したことがあります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

 

 たとえば、「モラルハラスメントの加害者(いじめっ子、ハラッサー)」というものについて。モラハラは本当にあるのか?ということを考えてみます。

 

 仮に整理するために、

a)概念 + b)物理的な存在 + c)現象

 の3点セットがそろってはじめて、確実にわかる、ということであるとするならば、

a)概念    (モラルハラスメントという仮説で規定) b)物理的な存在(加害者として物理的に存在していることを確認できる) c)現象    (ハラスメント行為が目で見て確認できる)

 ということで、明らかに確認できます。

 いじめっ子という存在も、「いじめ」という概念があってはじめて明確になりますが、物理的に存在し、明らかにその行為をしていることを確認できます。

 

 

 ローカルルール人格はどうか?といえば、これもはっきり目で見て b)存在 と c)現象 を確認し、実際に接することができます。

 

 みなさんも自分の目でローカルルール人格を見たことがあります。

 

 一番わかりやすいのは、最近ドライブレコーダーやスマホの普及で撮られるようになった「あおり運転」の映像。

 あれがまさに「ローカルルール人格」 録画で証拠として撮られていますね。

a)概念    (ローカルルール人格という仮説で規定) b)物理的な存在(映像で撮られている) c)現象    (映像で撮られている)

 ということで疑う余地もない、ということですね。

 

 普段は人の良いおじさん、お姉さんが、車に乗ったら人が変わる、なんていうことはわたしたちも昔から知っていました。あれがローカルルール人格。

 

 職場の意地悪な人。DVするパートナーなんかもそうです。 物理的に確かに存在します。

 意地悪な行為も目で見て明らかに確認することができます。

(最近は、モラハラ、いじめの現場も音声、動画で残るようになりました。国会議員がローカルルール人格にスイッチして、秘書に「ハゲ~~!」といった記録のもそうですね。)

 

 心理学の概念や事象は目で確認しづらいものも多いですが、「ローカルルール人格」は多くの人がその目でその存在を知っています。

 (ただ、当事者、本人は自分がローカルルール人格にスイッチしていることがわからないことが多いです。あおり運転の加害者もしかりです。)

 

 

 筆者ももちろんローカルルール人格と直接接して話をしたことがあります。 あるときは、ローカルルール人格が暴れてカウンセリングルームの机を蹴られたこともあって、その証拠が今でもヘコミとなって残っています。

 

 ローカルルール人格とは、ローカルルールを内面化した内的要素のことです。 ローカルルールが伝染する、というのは社会学者などによって指摘されていることで、歴史的にも様々な事件で見られる現象です。

参考)→「いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

 

 

 最近起きた教師間のいじめなども、まさに異常な現象がおきるのは、ローカルルールというものが存在するからです。 保護者からは評判が良かったらしい先生がおかしくなってしまう、というのもこうしたことからです。

 

 人間は誰もが、人格が分かれている、というのは解離の研究や、性格の研究、脳科学の研究などでは当たり前に指摘されていることです。

(参考)→「解離性障害とは何か?本当の原因と治療のために大切な8つのこと)」

 わたしたちが使っているPCやスマホも、アプリやプログラムが複数動作していますが、わたしたちはまさにあのような感じです。

 

 

 人間の脳とは、社会的脳といって、複数のモジュール(ネットワーク)から成り立っているといわれています。

 アメリカの心理学者マイケル・S・ガザニガなどが提唱している仮説です。人間は一枚岩ではなくて、複数のネットワークがいつも並行して動いているような存在です。

 

 

 性格検査というものも科学的には根拠がないとされます。関係や場面によって現れる性格が異なるからです。 (社会心理学者が書いた「あなたはなぜ変われないのか 性格は「モード」で変わる」(ちくま文庫)に詳しいです。)

 複数のモジュールが常に動作しているのが人間というものの姿です。

 

 

 作家の平野啓一郎さんは、「私とは何か――「個人」から「分人」へ 」(講談社現代新書)という本を書いています。 私とは、一つの個人ではなく、分人の集まりであるということです。

 

 人間というのは、社会の規範を意識・無意識的に内面化して社会に適応していきます。”内面化”というのは頭で理解して、というレベルではなく、まさに「そのものになるように」「染まるように」適応していく。

 

 社会の規範というものが、本物の社会であればよいのですが、人間はしばしば、ローカルルールというニセの規範を生み出すことがある。 これも、人間が社会的な動物であることに由来します。

 社会的であることを悪用して、自分の不全感をごまかして、ローカルルールを生み出してしまうのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 だから、いじめのような卑劣な現象が生じたり、ストレスがかかると常識的な人が急におかしくなって失礼なことを言い始めたりもする。

 ローカルルールも、頭で知識として格納されるのではなく、まさに染まるようにわたしたちに影響します。内面化されたものは、人格単位で適応し、内外に影響します。それが「ローカルルール人格」というものです。

 

 

 ローカルルール人格という存在を意識してみると、自分が被ってきた理不尽な事象がスッキリ解釈できたり、自分自身についても、それまで動かなかった悩みも改善が期待できたりする。

 例えば、多重人格の研究では、人格が変わると、体質も変わってしまうことが明らかになっています。 (F・パトナム他「多重人格障害-その精神生理学的研究」(春秋社)

 人格が変わると、実際に薬の効きも変わったりする。薬には薬耐性など、体質的に効かない人がいる。

 

 

 

 だとすると、薬が効かない、セラピーが効かない、という場合、人格がスイッチして体質を変えているとしたら・・?

 これまでいろいろのなことをしてみても良くならない、という方は、カリスマカウンセラーが「こんな新しい手法を考えました」と新しい方法を持ってきても、人格がスイッチして邪魔しているのなら、「何をしても効かないんです」ということになりかねない。

 

 上にも書きましたが、性格検査も、社会心理学では意味がないとされている。 性格もモードによって変わるためです。人格を一つとしていては、その人を捉えられないのです。

 そうであれば、セラピーも人格を一つ、としていては意味がなくなってしまうのかもしれない。まさにセラピーで扱うはずの心理や人格が場面場面で変わってしまうのですから。

 

 

 そうではなく、私たちは分人であること、「人格(のスイッチ)」ということそのものに注目してみたら、どうだろうか。

 もしかしたら、「効かない」ということの首根っこも押さえることができるのではないか? もっと、効くようにできるのではないか?

 

 ローカルルール人格に注目すると、そんな面白いこと(変なこと?)も考えられる。

 

 

 このように人格(ローカルルール人格)というものに着目してみると、たいへん便利ですし、皆さんの身の回りのさまざまな事象を捉えたり、難しい悩みを解決することに役立ちます。

 

 人間は単に”解離しやすいサル”であり、ローカルルールの中にいるからすごく巨大に見えていただけだ、そして、自分も弱く感じられていただけだ、ということがわかってきます。これまでは得体のしれない感じがしていた事象や人が怖くなくなってくる、なんだこんなものか、と感じられてきます。

 

 わたしたち人間は、現実や社会を適切に捉えることができれば、悩みを自然と修正する力がある、ということなのでしょう。「ローカルルール(人格)」という発見はそのためのとても便利な道具です。

 

 

 

(参考)→「ローカルルールとは何か?

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について