自分の子供のころの記憶が薄い人はトラウマの疑いが高い

 

 トラウマを疑うポイントとして、よくあげられることの一つは、子供のころの記憶が薄かったりある時期の記憶がポッカリと抜けていたりすることがあります。

 

 
 カウンセリングでは、初回や事前に問診(インテーク面接)を行いますが、その際に、生育歴(育ってきた歴史)を伺います。

 その際に、子供のころの記憶が比較的薄い人がいます。

 若い方でも、過去をほとんど思い出せない、なんていうこともあります。

 

 あるいは本人は思い出しているつもりでも、漠然としていたり、普通の人からすると薄いなあ、と感じることがあります。
 「えっ、過去って皆さん、そんなにはっきり思い出せるものなんですか?」
と尋ねられる方もいます。

 

 

 よく有名人の自伝などを見るとわかりますが、小さいことも詳細に書かれているものもあります。
(三島由紀夫はおなかの中の記憶も覚えていた、という本当かどうかはよくわからない話もあります。)
 普通は、わりと思い出せるものです。

 

 

 一方、トラウマを負っていると、欠けたり、薄くなったりします。それは、そのときの記憶がまったく飛んでいるか、記憶されていても海馬で整理されないままであることが原因です。

 

 

 筆者自身も10年前にトラウマのケアを受けた際には、「幼いころの記憶が薄い」と指摘されたことがあります。
 自分ではそんなつもりはなかったのですが、自分ではわからない記憶の薄さや欠け、というのは知らず知らずのうちに起きている可能性はあります。

 

 
 皆様も、自分自身の過去を振り返ってみて、記憶がほとんどない時代がある、あるいはあまりよく思い出せない、という場合は、結構、トラウマが疑われるかもしれません。

 

 

(参考)

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

メールや電話が怖い

 

 

 トラウマを負うと、メールや電話が怖くなる、ということがあります。

 メールの着信があると、自分を批判した内容ではないかとドキドキして内容が見れない、ということがあります。

 

 何とか、メールをチェックできてもメールの返信に時間がかかります。相手に嫌われない文面、失礼がない文面とは何かが体感的に理解できず、どう書いていいかわからないからです。

 

 

 カッカとして余裕がないので、ついつい内容を読み違えたり、自分のことを悪く言っている、皮肉を言っている、と裏読みしたりしてしまいます。

 相手の失礼やミスに目ざとく指摘してしまうこともあります。

 すると、ついついきつい内容で返信してしまい、さらに相手からの返信が怖くなる、という悪循環。

 

 そんな自分がみじめで、恥ずかしいという思いもありますから、さらに何重にも苦しくなります。

 そして、さらに相手のメールの内容が、そんな自分を指摘するように思えたりしてしまいます。

 

 
 根底には、トラウマによる見捨てられる不安や対人恐怖が潜んでいます。

 偏桃体が過活動を起こしていて、共感性はとても高い状態ですから、痛みや相手の感情の影響を強く受けてしまいます。

 

 トラウマにさいなまれることを近年は発達性トラウマ症候群とも呼ばれますが、アスペルガー障害など生まれつき発達障害傾向にある人でしたら、メールが着信しただけでパニックに陥ることがあります。
 メールや電話は、いつ来るかわからないものなので、不安や恐怖の対象なのです。

 

 発達障害と異なり、後天的にダメージを受けている人がトラウマを負った人たち、なのですが、似たような症状が見られるのです。

 

 

(参考)

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

→「大人の発達障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

 

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階級意識

 

 現代の日本に生きているとあまりピンと来ないかもしれませんが、人間社会には、長く階級が存在してきました。

 

 日本でも、「貴族」や「武士」といった分け方や、「士農工商」といった分類がありました。
 現在でも階級のある国は少なくありません。

 

 インドのカースト制度は有名ですし、知らない人も多いですが、イギリスは今でも階級社会です。
「ジェントルマン階級」や「労働者階級」という区分が存在します。
(ちなみに、ロンドンの土地は20数名のジェントルマンたちが所有していて、一般の人はそれを長期間賃貸にて利用しているそうです。)

 


 こうしたことから、人間には、「階級意識」というものが原的に存在することは考えられます。

 

 その「階級意識」が意味なく過剰に作用してしまうことで、自分を他人よりも下に置いたりしてしまって、「自信のなさ」や「うしろめたさ」といったものが根拠なく出てきてしまう、可能性があります。

 
 一方で逆に、階級意識が機能低下していることも問題です。

 結果として、他者を尊敬できず、他人の嫉妬を招いてしまう、というケースもあります。フランス革命の後の混乱は、秩序が壊れて嫉妬や恐怖が渦巻く、まさに狂気の時代でした。
 逆の意味で階級意識が壊れてなくなるというのも恐ろしいことです。

 

 なぜかというと、階級があるほうが、社会としては安定していたり、そこで生きる人の心情も分をわきまえて穏やかということがあります。
 自分の住む小世界の中で勝者になれて、ほかの世界のことはまったく関心、関係がない(敬意を払うが、別世界)ということです。

 

 階級がなくなっても、環境に伴った差が相変わらずあるにもかかわらず、機会の平等の結果であるということで個人の責任にさせられてしまい、理不尽さはさらに強まります。そのため嫉妬といった俗な感情が際立ってしまうのです。

 

 

 インドのように因習となると問題ですが、階級意識があることが悪いことであるとは一概には言えません。


 平等な社会のほうが差別はむしろ苛烈になることがあります。

 愛着不安や、トラウマにさいなまれると、人に対して妙にへりくだったり、尊大になったり、他者からいじめられたり、ということが起きやすいのです。

 

 その原因として「階級意識」がうまく働いていないのかも?
という観点から見るとなかなか面白いです。

 

 

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人格者になりたい

 

 

 トラウマを負った人が望むことの一つが「人格者になりたい」ということです。

 

 

 親など理不尽な人たちのように醜い感情のとりこになりたくない。あんな奴らのようにはなりたくない。

 

 できれば自分の感情もどこかに取り除いて押しやりたい。
怒り、不安、恐怖、嫉妬もすべてなくしたい。

 

相手の否定的な感情を受けても、動じない人間になりたい。そうして、人格的にも優れた人になって、思うように生きたい。

 
 しかし、なかなか果たせることができません。

 

 それどころか、ちょっとしたことで動揺したり、不安から取り乱したり、恐怖から相手を厳しくこき下ろしたり、そうした自分に失望してイヤになったり。
 人間は二階建てなのに、一階部分を取り除いた家を建てるものですから、不安定になるのも当然です。

 

 わがままに我を出している人たちにやられてしまうのです。

 
 人格的な完成は正規の発達ルートでもまれる必要がありますが、なかなかそれができずにもがき苦しむことになります。

 醜い「大人」にはなりたくない、その代わりに、大人は通り越して、高潔な「人格者」になりたい。

 

 トラウマを負った人たちにとって、人の感情は恐怖ですから、できる限り直面せずに回避して成長したい、というのが本音です。

 

 回避の手段として、宗教や、哲学や、セラピーに興味を持ったりしますが、なかなか願望は果たせることができません。

 

どこかじぶんは子供のようで、いつまでも未熟で、それが誰かにばれないか、びくびくしているのです。

 

 

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