カウンセリング、心理療法側も「人間は立派なもの」と思っていたりする

 

 

 トラウマを負った人たちだけではなく、解決を提供するカウンセリング、心理療法自体も「人間とは立派なもの」という価値観を持っていたりします。

 

 本屋で目にする書籍の中でも、「あなたは立派な存在だから、それに気づきなさい」というメッセージが様々なかたちで表現されているかと思います。そして、実際にカウンセリングを受けると、そうした視点からサポートが提供されます。

 

 

 

 現代のカウンセリング、心理療法は、1950-60年代に源流があります。エサレン研究所などがメッカとなっていましたヒューマンポテンシャルムーブメントと呼ばれる運動がその一つです。

 アポロ計画が61年からですが、科学などにおいても人類の可能性が強く信じられていた時代といえます。実はロジャーズもその時代の人物です。
(自己啓発は、19世紀のニューソートと呼ばれるキリスト教の一派などに基づいているといわれています。)

 

 

 

 今、数多くあるセラピーの流派も基本的にそれらの焼き直しで作られていたり、知らず知らずのうちに影響を受けていたりします。


 現代のカウンセリングや心理療法の人間観をとても荒っぽくまとめれば「人間とは可能性にあふれたものだ、本来はとても立派なものだ(ただ、その可能性は制限され、開花させられていない)」ということになるかもしれません。

 

 

 そして、
「カウンセリングや心理療法で、本来の立派な状態になることをお手伝いしますよ」
「そうなれると思えないのは、あなたが自分で制限をかけているだけですよ」
という前提でカウンセリングは提供されています。

 

 

 

 

 ここで不思議なことに気が付きますが、
 解決をお手伝いする側のカウンセリング、心理療法自体が、トラウマを負った人たちを同じような独特な人間観を持っているということです。

 

 

 

 これは、近代・現代そのものが自己愛社会であること、トラウマティックな時代であることが影響しています。
 神によってではなくて、人間自身が存在証明をしなければならない時代。実存が問われる時代ゆえの独特な考え方によるものです。

 

 

 また、人間性を探求する哲学者やカウンセラー自体も傷を抱えている。結果として、トラウマを負った人が持つ人間観と同じような考えに行きついている。

 

 

 

 「人間は立派なものだ」という前提でサポートを受けることは、最初は良いように思うのですが、そのうち、しんどくなってきます。

 

 本来は弱くて、どうしようもなくて、だらしがなくて、といった落語の登場人物たちのような存在であった私たちが、「立派なものだ。それに気づきなさい。頑張りなさい」と鼓舞されるわけですから。

 

 どうしても実態と理想とが合わないわけです。その乖離で苦しくなってくる。最後はブーメランが戻ってくるように、自己否定に襲われる。

 

 
 理想に添えないことが分かると、「あなた自身が変わる気がない」といって切り捨てられたり、暗に責められているように感じたりするようになります。

 

 カウンセラーに見捨てられないように立派なことを言わなければ、良くなってきていますと言わなければ、と勢い込んだりするようなおかしなことも起こります。

 これは、ユートピア思想を信じているコミュニティで虐待が起きるようなもので思想の前提によってそのコミュニティの人間の行動が規定されるのです。援助者の人格の問題ではなく、構造的な問題です。

 

 

 

 一方で、私たちは、町で出会った気楽なおじさんや、のんびりした犬や猫と触れ合う瞬間に本当に楽になった、という経験をすることがあります。
学校でいえば、保健室、会社でいえば暇な部署のベテラン社員などはそうした存在かもしれません。

 

 なぜなら、おじさんたちには人間とは立派でなければならない、というような前提はないからです。

 

 「私はダメな人間だから、自分を磨いてもっともっと高めていかないといけないんです」なんて言っても、
ニャーッ、ワン! と返事が返ってきたり、「まあまあ、そんなに気張らなくても。ぼちぼちで」と返ってきます。

 落語に出てくる旦那さんだったら、「どうしちまったのかね、自分を高めるだなんて。朝から酒でも飲んでいるのかね」と突っ込まれることでしょう。

 

 

 よく考えれば、悩みを解決するために、立派な人間にならなければならない、だなんて、おかしな話です。

 

 依存症治療でも、人間のいい加減さに気づいて「底をつく」と回復が始まる、といわれますが、人間の可能性、云々、といったような立派なものではなく、人間のいい加減さ、気楽さに触れる体験をしたときに、人間は本当に悩みにある状態から変われるのかもしれません。

 

 
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

トラウマを負った人たちの独特な人間観

 

 トラウマを負った人たちは、人間観も独特なものです。

 

 簡単に言えば、人間は〝とても立派な存在”ととらえています。
 他者もとても立派で優秀な人だと妙にあがめたり、あるいは、本来は立派あるはずなのに、堕落してそのことに気が付いていないとして、とてもこき下ろしてみたり、します。

 

 

 例えば、サービスが悪い、仕事ができない、といったことで他者にイライラするのはなぜか?といえば、本来は立派であるはず(べき)なのに、努力もせずに堕落している姿に腹が立っているのです。

 だから、あれほどイライラする。
とにかくこき下ろして、“人間”という枠から除外したい。

 

 

 

 

 また、神のように立派な存在から堕落したサタンのように恐ろしい存在として見えている場合もあります。
 そのため、トラウマを負った人にとって「人が怖い」というのは、単なる「対人恐怖」といった言葉では形容できないような感覚です。

 

 

 クレームが寄せられたら、まさに立派な存在からのダメ出しであり、神か悪魔からの天罰のように感じられ、委縮してしまいます。おろおろして、うまく対応することができません。ミスは絶対にしてはいけない、間違いは罪、といった感覚です。言われたことをすべて真に受けてしまい、深く傷ついてしまいます。

 


 一方で自分は、一生取れない呪い、罰を受けて放伐された存在、と言ったように感じられています。ずーっと消えない罪悪感を感じて生きています。罪悪感を感じながらも、自分も本来は立派であるはず、と思っています。

 そのために、自分が何でもできる、本当はすごい存在なのだ、という意識も裏にはあります。人に対して尊大になったり、妙に自信家になったり、することもあります。

 

 ストレス応答系のリズムに置き換えれば、立派な人間とはテンションの波がない、一定の存在です。大人になることとはテンションの波がないものだと誤解しています。


 そこに自分も立派な人間になろうとして、テンションを一定にしようとしますが、すると、尊大になったり、へりくだったり、逆に社会の中で自分は傷ついてしまいます。

 本来は波を作りながら、真ん中(センター)であるものなのです。

 

 

 

 

 対して、普通の人たちの感覚とは何か?と言えば、わかりやすくいえば、「落語の世界のような人間観」です。
人間というのは立派なものではない、どうしようもないもの、弱いもの、という感覚です。

 

 仕事でミスすることもあるし、飲んだくれることもあるし、浮気をしちゃうかもしれないし、どうしようもない。

「もう、しようがないね~」「ちゃんとしておくれよ!」という感覚。

 

 人間が立派な存在だなんて感覚はない。化け物に見えることはない。
(たまに、どうしようもない人間に狐がついておかしくなることはありますが)

 

 自分だって、そんなたいしたことはない。
お互いさまで、とぼけることもある。そういうもの。

 

 もちろん、ミスがあれば怒られるし、いいかげんが良いわけではないけども仕方がない、と言ったことです。

 

 人間がどうしようもない、といったこと、そうしたことを「業」というそうですが、そうしたことが肯定される世界観です。

 

 

 ストレス応答系のリズムに置き換えれば、テンションに波がある。他者同士で互いにリズムを刻みながら、ダンスをしあうような関係。ストレスに合わせてリズムを刻むので、ほのぼのと生きられる。他者とも一体感を感じてつながることができる。

 

 

 そのリズムの存在は、トラウマを負った人の目から見たら、「どうしようもない」、未熟で、感情的で、動物的なもののように見えるかもしれませんが、自然で美しいものです。

 そのリズムの先には一体感や平和な世界が広がっています。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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ストレス応答のリズムが一体感と平和を生む

 

 

 クレーム処理の現場では、まず第一声は、相手のテンションに合わせる必要があるそうです。

 

 怒っている相手に冷静に「どうされましたか?」と返すと、怒りでテンションが上がっている相手からするとバカにされたように感じてしまう。

 「どうされましたか!!」と少し口調のテンポを上げて対応すると、相手はわかってくれた、共感されたと感じます。実は「冷静な態度で対応しようとすること」が多くの問題を生んでいることがあります。

 

 職場で、感情的な上司がいたりします。今でいえばモラハラやパワハラということに抵触しそうな存在ですが、そうした人に対して、冷静な態度で接すると相手は、話を聞いていない、態度が悪い、と反感を持たれてしまいます。
 クレーム処理と同様に、相手のテンポに合わせる必要があります。

 

 

 筆者も、職場でそうした経験があります。おそらく心理臨床でいえば、強迫性パーソナリティ障害(発達障害傾向)に該当するような先輩がいて、その人が自分の基準で行動して、周りを振り回していました。

 

 そうした人への反発や恐怖もあって、冷静に対応しようとしていましたが、まったくうまくいきませんでした。

 

 筆者は、冷静に対応して、相手にしないようにしてスルーしようとしたのです。
自分の心の中ではアナグマのようにこもってストレスから身を守ろうとしていました。

 

 これが相手からするとバカにされたと感じられ、かえってエスカレートして、悪いうわさを流されたり、大変なことになったことがあります。

 人当たりの良い人は、その辺が上手です。

 相手のテンションにうまく合わしてテンションを上げて、ストレスはキャンセルして、流していきます。

 

 

 「相手に合わせると、なんだか自分が汚染されるような、巻き込まれるみたいで嫌なんです」とおっしゃるクライアントさんも多いです。

 

 しかし、体内の免疫や、国に例えれば国境警備隊(軍隊)や警察などもそうですが、ストレスがあった場合に、それを処理する方法はその場を離れるか、その場にいるなら中和(キャンセル)しかありません。

 外部からのストレスと同じ力まで内部のテンションを上げて、ストレスをキャンセリングするのです。そうすると、相手との境目でキャンセルされて、中身は平静でいられます。

 

 逆に相手とテンポを合わせないと、かえって、やられっぱなしになってしまう。テンポを合わせるからこそ、相手のストレスをキャンセルできる。

 

 

 これが、安定型の人であれば、身体のストレス処理系が自動的に行ってくれます。

 実はキャンセリングは、された側も心地が良いもので、一体感を感じます。ちょうどダンスを踊っているようなリズムを互いに刻みあうのです。

 

 さながら、ボクサーや格闘家が試合中に恍惚や一体感を感じるみたいに。どれだけ強いストレスであっても拮抗している間は一体感として感じられるのです。

 

 ただ、ストレスホルモンのリズムが遅れて、ガードが遅れると、パンチを食らって、恐怖で心臓がバクバクして、「もう二度と人と接したくない」とも感じてしまいます。紙一重です。

 

 「ビビる」とは何かといえば、それは性格の問題でも、意志の弱さでもありません。ストレス処理系のリズムが悪い、反応が遅い、ただそれだけです。反応が遅れると、外部からのストレスが勝って、まともにパンチを食らってしまうのです。相手に勝つ必要はありません。ただ、相手と同じリズムを刻めばいいのです。そうすれば、嫌な相手にもビビることなく、逆に一体感を感じることができます。
(昔の人たちが、「胆力」といったことはまさにこうしたことです。)

 

 通常、愛着が安定していて、ストレス応答系のリズムのハーモニーが整っていれば、紙一重の難しい機能も自動的に行ってくれますから、人とも一体感を感じられて、生きづらさを跳ね返し、平和でいられます。


 この自律神経のストレス応答のリズムの中にトラウマを負った人たちが生きづらさから本当に抜け出すヒントが隠されています。

 
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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”ストレス応答系の失調”としての心の悩み

 

 人間というのは環境に生きています。外からはいろいろなストレスを受けます。それに対して、ストレス応答系と呼ばれる自律神経システムが自動的に対処してくれます。

 10段階で5のストレスには、5のストレスホルモンで中和させる、3のストレスには3のホルモンで返す。

 瞬間的、自動的なストレスコントロールによって、内部は平静に保つことができます。

 

 

 

 また、対人関係でも、ストレスコントロールが相手との“つながり”を作ってくれます。さながら相手とダンスをするように、ホルモンの波形は形作られます。

 このホルモンの動きが、「一体感」を演出してくれます。

 人からはストレスもやってきますが、ストレスホルモンが同じ波形を作ってくれている限りは、それは一体感と感じられるのです。

 

 

 

 

 ただ、トラウマを負った人は、ストレスホルモンの波形が狂っているので、人からのストレスは「一体感」ではなく、「ハラスメント」と感じられてしまいます。だから、人と一緒にいてもしんどいし、億劫で、楽しくありません。


 過度なストレスの場合も、ストレス応答系の機能がストレスを排出してくれます。嫌な記憶は、過去のものとして処理してくれるのです。記憶も身体の代謝であるといえます。しかし、トラウマを負った人の場合は、その処理がうまくいかず、処理されないまま、毒素(トラウマ)として残ってしまいます。

 トラウマとは、“記憶”というストレス処理系機能の失調なのです。
 ストレス処理という側面から、生きづらさや悩みをとらえると面白いことが見えてきます。

 

 

 例えば、甲状腺や副腎に失調がある人は、心の悩みを引き起こしやすいことが知られています。ちょっとしたことでも虐待、ハラスメントだと感じられたり、情緒が不安定で記憶もおかしくなったりします。これも自律神経で重要な役割を果たす機能が低下することがストレス処理システムに影響した結果であると考えられます。

 

 
 別の例では、発達障害の場合も、心の悩みを引き起こしやすい。原的な不安を抱えていて、些細なストレスでもトラウマ化しやすい。

 

 発達障害の方は、体温の調節ができなかったり、汗をかかない、感覚過敏など身体の問題でも知られています。発達障害とは「身体の失調である」という専門家もいます。

 

 体温の調節など自律神経系が、定型発達であればオートマティックであるのに対して、発達障害の場合はマニュアル操作であると例えられます。頭でコントロールしなければうまく動いてくれない。

 

 体温以外のストレス処理でも、頭でコントロールしなければならないので、些細なストレスでもやられてしまう。
 やられないように先回りすると読み違えて「関係念慮」に陥ってしまう。発達障害の方は、代謝がうまく働いてくれていないのです。

 

 

 トラウマを負った人も同様にストレス処理などの自律神経系に失調をきたします。とくに長期間のストレスには動物は対処できるようにはできていないため、HPA軸と呼ばれるストレス処理システムは狂ってしまう。

 

 すると、ストレス、記憶などが更新できなくなってしまうのです。処理ができないがないため、毒素(ストレス)が排出できない。嫌な記憶が抜けない。恥や罪の感覚にずーっとさいなまされてしまう。加害者も覚えていないようなことをずーっと記憶して、それが反芻してしまうのです。

 

 対人関係も悪く固定化されてしまう。小学校のころにいじめられたこと、親から「ダメな子」と呼ばれたことなど、その関係性をずーっと引きずってしまう。

 

 

 

 健全なコンディションであれば、新たなネットワークにつながりながら関係はどんどんと更新されていくので、過去の嫌な関係性も自動的に少しずつ変わっていきます。嫌な相手でもある時に「あれ?この人って、こんな人だったっけ」となります。それは自律神経が関係を自動更新してくれたおかげです。

 

 

 このように、心の悩みを、“ストレス応答系の失調”であるととらえると、皆様の生きづらさを本当に解決する糸口や悩みの本質が見えてきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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