トラウマの世界観は”無限”、普通の世界観は”有限”

 

 

 トラウマを負った人の世界観として特徴なのは、無限で終わりがない、ということです。

例えば、
・悲しみには終わりがない。
・むなしさには終わりがない。
・ぬぐい切れない罪悪感。
・一度ミスをすると申し訳なさが、ずーっと続く。
・過去が恥ずかしい。
・アルコールを飲み始めたら、止まらない。
・お金を使い始めたら止まらない

などなど
悪いことや罪悪感が、ずーっと永遠に続くような感覚があるのです。でも、未来には不安があります。信頼はできていません。信頼はできていないから、不安やみにくい自分の欲は永遠に同じように続くような感覚があります。

 

 

 

一方で、普通の人の世界観は有限(諸行無常)です。

簡単に言えば、「飽きる」「終わりがある」「真ん中に戻る」といったことです。

 

例えば、
・感情を出しても、しばらくしたら元に戻る。
・盛り上がるポイントと、平静になるポイントのメリハリが自然についている。
・対人関係でも過度に恐縮しない、過度に偉そうにならない。
・自分の責任ではないことは自分が悪いとは思わない。
・失敗をしても、一定の時間が過ぎたらチャラになる。
・貸し借りで常に収支のバランスが0になる。
・食事をしたら、おなかがいっぱいになる。

などなど

 

 当たり前かもしれませんが、ガッと盛り上がっても、すぐに収まるし、やりすぎたら飽きるし、欲が満たされたら興味がなくなるし、悩んでいても一定の時間が過ぎたら悩まなくなる。

 

 また、時間がたったら必要な感情や欲が適度にわいてくる。未来への不安はあまりありません。漠然とした信頼感があります。また再び喜びも悲しさも適度に反復することを知っているからです。

 

 
 身体的に言えば、ホルモンが適切に働き、体内のバランスを取れる状態にあるかないか、にあります。トラウマを負うと、とくにコルチゾールなどのバランスが崩れます。
そのため、緊張しなくていいところで緊張しすぎたり、普通の人とは逆に働くようになります。


 その結果、世界観としては、不快な感じが永遠に続くような、それでいて未来は信頼できない、そんな不安があるのです。これが“生きづらさ”につながってきます。

 
 ※本来は、社会通念上、逆境とされる環境にはない人でも、身体的な不調でホルモンのバランスが崩れていたり、発達障害等がある方は、結果的にトラウマを負った人と同じような世界観になることがあります。なんでもないことがストレス(トラウマ)として感じられたり、生きづらさを感じたり、記憶が誤って残ったり、ということが起こります。

 

 

 仏陀が中道といいましたが、それはもしかしたら特別なことではなく人間にとって自然にバランスがとれている状態のことを指していて、煩悩というのは、トラウマなどからくる終わりなき不自然な悩みや欲(依存症のような)を指しているのかもしれません。

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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お悩みの原因や解決方法について

 

トラウマを特定する必要はない。

 

 クライアントさんの多くがご質問されることに、
「私のトラウマは見つかるものでしょうか?」
「何がトラウマかわかるものでしょうか?」
ということです。

誰もが気になるところです。

 

 

 前回の記事にも書きましたが、
トラウマの多くは、長期間のストレスによるものです。

 そのため、多くの方がイメージされるように、ドラマチックな一回のイベントによって、というよりも、長くストレスがかかったために、理不尽さを記憶として処理できなくなっているケースが多いです。

 

 こうしたトラウマの特徴について、理解を深める必要があります。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 
 さらに、過誤記憶(フォルスメモリー)の問題もあります。本人は過去の虐待があった、自分の周りはひどい人たちばっかりだ、と考えていますが、実はそれは記憶の誤りであった、ということです。

 これは発達障害傾向の方に多く、甲状腺疾患などのホルモンの問題によっても生じます。

 

 敏感性を持っていることや、記憶がシャッフルされやすいために、体に触れられたり、大きな声を聴いたり、といったちょっとしたストレスも虐待として記憶されてしまうのです。

これは、決して珍しいものではありません。

 

 

 

 よく犯罪の目撃証言などの記憶の実験でも、「確かに、私はこの人を目撃した」といっても、実はそれは実験上のひっかけでした、というものがあります。本人は確信していますが、記憶というのはかなりあやふやなものなのです。

 

 
 診療やカウンセリングでもこうしたことは起こります。

 ラポールも取れて良い感じで終わった、と思っていたら、
翌日クレームが来て、「医師やカウンセラーにひどいことを言われた」と訴えて、医師やカウンセラーが驚く、ということがあります。

 本人にとってちょっとした刺激がトリガーになって、記憶が飛んだり、間違えて解釈されたりといったことが起きるのです。

 

 これが何十年も前の家庭内のことですから、なおさらのことです。記憶の保証はありません。

 

 
 それを超えて、客観的にトラウマを特定しようとして、
例えば、催眠や筋反射テストなどをしてみれば、理屈上はできなくはありませんが、それらしい答えが出たとしても、それが本当か、答え合わせをするすべがないのです。

 

 また、繰り返しになりますが、トラウマの多くが長期間のストレスによるものですから、特定することも難しかったりします。

 
 こうしたことから、実はトラウマケアを行う上でトラウマをピンポイントで特定する必要性はなく、その人にとって生きてきた中でストレスに感じられてきたものを伺って、現在困っている症状にアプローチしていったほうが結局は速く良くなっていきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

 

トラウマの多くは、単発よりも長期間のストレスによってもたらされる

 

 トラウマを負った人が、その場で対処できない、理不尽さに「いいかげんにしなさい!」とつっこめないことの原因の一つは、ストレス応答系(ホルモン)の失調にあります。

 

 
 もともと動物のストレス応答系とは、HPA軸(視床下部‐下垂体‐副腎)と呼ばれるシステムで成り立っています。
つまり、ストレスを受けた際に視床下部から下垂体に、下垂体に指令が下り、グルココルチコイド(ストレスに対処するためのホルモン)が放出され対応されます。

 本来、動物のストレス応答系とは、急激なストレスに対応するためのものです。ライオンに襲われると急激にホルモンを放出して逃げ去り、またリラックスした状態に戻る、といったことです。

 

 

 人間も同じタイプのストレス応答系を受け継いでいます。
そのため、意外なように思われるかもしれませんが、災害とか、単発のショック体験といったことについては、(もちろん、事後のケアが必要にはなりますが)人間(動物)は強い。


 一方、ずーっと長期間ストレスにさらされ続けることについては、動物のストレス処理系は慣れておらず、弱い。
継続したストレスにさらされると壊れてしまいます。

 

 ラットを使った研究で、ネグレクトを受けたネズミのストレス処理システムが壊れるのは、それが一回ではなくて、一定期間継続されるから。

 

 

 シェルショックといって、第一次世界大戦から復員した兵士が、音に反応して体が飛び跳ねる障害を負ってしまったのも、一回の砲弾の音でトラウマを負ったというよりも、塹壕の中で長期間恐怖にさらされながら、砲弾の音を聞き続けたから。

 

 

 もしかしたら、誤解されている方がいらっしゃるかもしれませんが、ストレスのセンサーが壊れるの原因の多くは、一回の衝撃によって、というより長期間のストレスによってと考えられます。

 

 
 もともと人間のストレス応答系は長期間のストレスへの対応は不得手ですから、ストレス応答系のセンサーが壊れてしまう。あるいは、別の言い方をすれば、長期間のストレスに適応するようなシステムになってしまう。

 

 

 カウンセリングでも、ほとんどのケースが単回性のトラウマではなくて、複雑性(長期間にわたる)トラウマです。長く理不尽な環境にさらされることでストレス処理系が失調をきたし、現在の理不尽さにその場で対処できなくなってしまう。その場の出来事に初々しく反応ができなくなってしまいます

バカにされたり、いいようにされたりしてしまうのはこのためです。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

理不尽さを「秘密」とすると、人間関係がおそろしく、おっくうなものとなる。

 

 理不尽さを「秘密」として隠し持つようになると、人間関係が気まずいものとなります。
人間も一階部分ではネガティブな感情が渦巻く世界ですが、そこを都度キャンセリング(ストレス処理)していく必要があります。

 


例えば、相手がおかしな行動をした、失礼な言動があれば、

「どうしたの?」とか
「失礼なこといわないでください」といったことをその場で言い返す必要があります。

 

 

 会社で無理な仕事や目標を課されれば、時には「それはできません」ということも必要です。
(No といわないことの美徳を称揚する経営者がいますが、それはそれが自分にとって都合がいいからです。)

 

 

 理不尽さを「秘密」として持つことが習い性となっていると、そうしたことができず、相手がおかしなことをしたら、それはすべて「秘密」となってしまい、自分で抱え込むこととなってしまいます。

 人間関係はどんどんと、気まずいものとなります。


 

 世の中は理不尽なことだらけです。

人間は、頻繁に解離(発作)を起こしています。
そのため、まともに見えてもおかしな言動は日常茶飯事です。

そのすべてを「秘密」としてしまっては、生きづらくもなって当然です。

 

 そのうち、逃げ場がなくなって、誰とも付き合いたくない、と人間関係が「おっくう」になってしまいます。

 

 
 小さい子どもにとっては、親は「神」ですから、その神が理不尽な行動をとる、ということは、なかなかショッキングなものです。そこを正当化して、「秘密」として隠して、ということはしばしばあります。

 
 例えば、あるクライアントさんの親は、応答が不自然で、自然な会話が成り立たない。
電池が切れたように急に黙り込んだり、ある時は、なんでそんな冷たい応答するの?、というような会話になるそうです。

 

 その時に、良い子ほど取り繕うために、それを「秘密」としてしまう。その場を取り繕うためにぶつぶつと一人芝居のように、独り言を言うようになってしまう。

 

 

 漫才のつっこみみたいに、「おいおい、どうしてん!」となれば、その理不尽さはキャンセルされるのですが、なかなかそれができません。
 理不尽さを「秘密」としているうちに自己愛が傷つくと、人間観が歪んだまま発達が止まってしまいます。

 相手は「神」のままか、「神が堕落した化け物」のような存在としてしか見えなくなってしまい、どちらにしても、ありのままには見えなくなります。

 

 相手は「神」か「化け物」だから、つっこめくなるのです。
ありのままに見えないというのは、神の似姿としての立派な人間がおかしくなった(化けにものになった)と感じられるということ。そうなると、秘密にもしたくなります。

 

 

 一方、普通の人たちの世界観、言い換えれば、落語の世界観のようにもともと人間とはどうしようもないものだと思っていれば、それは滑稽となります。


 私たち人間は、落語の主人公たち、江戸っ子みたいに、人間はどうしようもないものととらえていて、少々怒りっぽく、ユーモアがあって、つっこめるほうがいい。
実はそのくらいで普通なのです。

「おいおい、どうしったってんだよ!」
「いい加減にしなさいよ!しまいにゃあ、怒るよ!」
「あいつは、頭でもおかしくなっちまったのかね!?」と。

 

 

 おかしな行動を、奇怪で、おどろおどろしいもの、としてとらえずに、ユーモラスなものととらえて、つっこむことは、自然な行為です。

ということは周囲の普通の人たちも、どんどんとこちらにもつっこんできます。
「~~さんって、こういうところあるよね。」とか、
「~~さんって、自分のこと何も話さないよね」とか、

 

 そうして人間関係は豊かなものとなってきます。
しかし、トラウマを負った人は、そのつっこみを「攻撃」ととらえてしまい、自分の奥底に立ち入ってこられた感じがして、さらに人間関係が怖くなってしまう悪循環に陥ってしまうのです。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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