自分は本質的におかしな人間だ、と思わされる。

 

 先日も書きました「トラウマティックな世界観」ということにも通じますが、

(参考)→「トラウマチックな世界観と、安定型の世界観

トラウマを負っている人は、

「自分っておかしい人間だ。自分は改善しなければならないところがたくさんある」
「他の人は幸せに過ごしている(自分は違う)」
と思わされています。

 

 

 どうしてそう思うか、といえば、これまで、親などから受けた暗示、嫉妬を内面化しているということや、ストレスからくる身体の失調などから、安心安全が損なわれているから。

 

 人間というのは、生きていればストレス、ノイズを常に受け続けています。
 船が外洋で航海していて、波や風を常に受けているのと同じように。

 ストレスやノイズを受けない人はいません。ただ大切なのは、それを跳ね返す仕組み(ストレス応答系)が機能しているかどうか、ということ。
 

 ストレス応答系というのは、自律神経とか、免疫系、ホルモンとかを差しますが、短期的には、栄養、睡眠、運動がちゃんと取れているか、ということが大事であり、長期的には環境(支持、応援してくれる人たちがいるか)が影響します。

 後者を「愛着」といいます。

 

 前者の栄養や睡眠も極めて重要で、そこが欠けていることで「安心安全」が失われて、おかしくなっているケースは大いのですが、わかりやすく後者で説明すると、親との絆がうまくできていないと、心理的な「安心安全」が不十分となります。

 一番大切なのは、1歳前後にしっかりと抱きしめられて育てられたかどうか、ということです。

 

 成長してからも、親からストレスを受けたりしていると「安心安全」はなくなってしまいます。
 「外で嫌な目にあった」と相談しても
 「あなたの態度が悪いからじゃないの」なんて本人に原因帰属されると、ストレスを跳ね返せなくなってしまいます。
 

 だんだんと、「自分だけがおかしい」という世界観、人間観を持つようになります。

 世界をありのままに見れなくなってしまう。

 

 実際の世界はどんなものかというと、みんなそれぞれダメなところがあって、見栄をはって生きている状態。
 「禍福は糾える縄の如し」といいますが、幸不幸というようなものも景気循環のように波になってきているだけ。

 実はそれがありのまま。

 

 

 「そんなこというけど、明らかに金持ちとか、恵まれている人はいるじゃないの」と思うかもしれません。

 それはその通り、です。世界は平等にできている、とは誰も言っていない。ただ、誰も苦からは逃れられない、とは言われている。ブッダも、何不自由のない王族の出身だった。

 ふたを開けてみたら、それぞれに不幸があったりする。

 

 明石家さんまさんは絶頂期に、実はバブルの後で家の借金が何億もありました、と最近テレビで言っていました。
でも、絶頂期にはそんなふうには全く見えなかった。

 

 サウジアラビアの王族もすごいお金持ちですが、どうやら王族内で権力闘争や粛清が頻繁にあるらしい。安心してはいられない。

 

 はたから明らかによく見える人も、それぞれに事情があるのでしょう。

 

 「いや、それでも、恵まれている人いるでしょ!?」

 そのとおり、
 

 でも、私たち日本人の庶民たちも、貧しい発展途上国の人たちから見たら、「明らかに恵まれている人たち」です。
過去の王族、貴族よりも恵まれた生活をしている。コンビニはあるし、病気になったら薬もあるし、スマホで簡単に何でもできる。そんな私たちにも、それぞれに事情、不幸があります。

 

 

 トラウマを負っていると、「なんで、自分だけがこんな目に!?」と思ってしまうことは多い。

 セッションでも「どうしてこんな目に合うのか、心に聞いてもらえますか?」理由を尋ねられることがあります。

 

 たとえば、人から急に失礼なことを言われた、というような時。

 「なんで、あの人は急にあんなことを言ってきたんだろう!?」
 「ふつうはそんなことは起きないはずだから or 他の人からは評判のいいあの人があんなことを言うということは、私は知らない間に失礼なことをしたのか?わたしはどこか呪われていて、根本的におかしな人間なのか」
 と考えてしまいます。

 

 愛着が安定していれば、考えの途中で、「そんなことないよ」と内面化された親や友達が応援、支持してくれるのですが、それもなく、反対に「お前はだめだ~」と否定してくるので、悪い考えは自己否定の行きつくところまで行ってしまいます。

 

 これは筆者も経験したことがあります。

 「えっ、立派な立場の人が、何で急にこんな失礼なことを言ってくるの?!」とか、
 「友達と思っていたのに、急に敵意を向けてくるの」
 といったようなこと。

 それで「自分はよほどだめなのか」と思って悩んだことがあります。
 

 

 実際、ありのままの世界は、はどうかといえば、人間は、嫉妬や支配欲があり、そこからは誰も逃れることができません。
 また、私たち自身は、他者から見れば、思っている以上によく見えていることがある。

  社会では立派な立場の人や、人気者と思われている人でも、内面はコンプレックスが渦巻いていたりもする。実は不安定なバランスで人格は成り立っている。

 だから、相手がこちらに恐れを感じて、嫉妬を向けてくること、揶揄されることは、誰でも日常茶飯事なのです。

 

 

 世の中では礼賛される「友達」という存在も、実はかなり微妙な存在であり、文学者や哲学者などが友達をテーマに本を書いたりしていますが、友情というのはかなり脆弱なもので、状況が変わるとそもそも成り立たなくなるし、関係が近い分、嫉妬や裏切りも起こりやすいものなのです。
 

 

 それを「自分はおかしな人間で、支配されているからでは?!」なんて、自分だけが!?・・、といったようにとらえる必要はない。
 そのように感じさせられていること自体が呪縛だ、と知るだけでよい。

 
 自分が駄目だ、とおもっていると、「改善のために反省、アクションしなければ!!」となって、安心安全も持つことができず、さらに自尊心も下がり、ゆっくり待つことができなくなる。
 待つことができなければ、本当の機会も逃してしまう。

 

 

 トラウマを負っていると、「このような目にあうのは、自分が根本的におかしいからだ」思わされるものだ、と知っておくと、霧が晴れた先にある、ありのままの現実を感じることができるようになります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

過剰な合理性や意味づけ

実は、トラウマを負った人は、とても“合理的”です。

日常のあらゆる行動について、考え、合理的に動こうとする。

合理的に最短で動こうとする。動かなければならないとする。

休みのときも無駄なく過ごそうとする。

だから、ちょっとした失敗にも厳しい。
なぜ、最善ではなかったのか!と自分や他人を責めるようになります。

なぜこのようなことが起こるのかといえば、トラウマを負った人は、無秩序で“安心安全”がない世界で生きていて、自分で秩序を作り出さなければならないから。

そのために、“合理的”に動かなければならないのです。

 

一般的には、悩みを負っている人は、理性的ではない、非合理な行動を取る、と思われていますが、実は逆です。その意図するところは、とっても合理的、論理的。

過剰な合理性がある。

ただ、脳の機能には限界がありますから、過活動、過緊張となり、CPUの活動が高くなりすぎたパソコンのように反対にフリーズしてしまう。人間はクラウド的存在であるから、重い処理はクライド側に任せておけばいいのに、全部自分で処理しようとする。

 

すると、本人は合理的にと意図するのに、そのように動けなくなる。

 

いつもリラックスした感がなく、いつも満足が得られず、どこかソワソワ、イライラしてしまいがち。

そのソワソワを解消するためには、自己治療が必要となり、非合理な行動が必要となり、周りから見るとおかしな行動を取ってしまったりするようになる。他者から見ると合理的ではなく、「こだわり」になってしまって、仕事でも、結局は最短距離で仕事ができなくなる。

こうして、合理的に動こうとした結果が、非合理な行動へとつながってしまう。

 

 

また、合理的であろうとするために、身の回りに起こるあらゆる事象に「意味」を見出さなくてはならなくなり、その結果、意味を取り違えたり、あるいは、人智を超えた事象に怯えるようになります。(占いとかにもお金を使わないといけなくなります)

なんの意味のない事象でも、
自分の何かを示しているのではないか?
人から嫌われてしまったのではないか?
と考えてしまったりする。

あらゆるものに意味を求める結果、ほんとうの意味がつかめなくなる。

 

 

反対に、安定型の普通の人は、どうかといえば、もちろん、いつも合理的には動かなければ、とは思っていない。ふだんは、ダラダラと意味のない時間を過ごしている。

 

でも、仕事とかいざというときは、結果として合理的に動ける。
なぜかといえば、リラックスできて、テンションのコントロールができているから。

そして、なによりクラウド型である人間の特性を自然に活かしているから。動き方のルールとか、情報とかは、自分の外(社会、公的環境)にあって、それを無意識に内面化(ダウンロード)して、それで動いている。

自分のCPUはそれほど使わなくても良いので、楽に動ける。

 

また、自他の区別があり、万能感がありませんから、自分に関連した、過剰な意味づけも持たない。

占いなども、あくまで娯楽として戯れることができる。自然なものに対しても、変に巻き込まれずに時に割り切り、時に成熟した畏れを持てる。

 

トラウマを負った人は、社会から切り離されてローカルネットワークに接続しているので、ローカルネットワークからの妨害が入る中で、すべてを自分の中で完結して処理しなければならず、処理が追いつかずにフリーズを起こしてしまう。経験がつみあがらず、記憶も処理されない。

 

本来、世界には私達が安易に求めるような「意味」などは存在しない。
だから、俗に占いとかスピリチュアルに言われるような「意味」はほとんどインチキ。それは単なるローカルネットワークの世界。

おそれるようなことは何も起きません。

 

本当の「意味」というのは、科学者とか哲学者とか長年探求して見出すようなものに近い感覚。それは、「0階部分(安心安全)」を土台として、社会(ワールドワイドウェブ)とつながる中で、腑に落ちるように内部から捉えられてくるもの。

 

もし、本当の意味で私たちを変えてくれるような機会というものがあるとすれば、それは、常に合理的に動こうとか、安易な意味を見出そうとすることは捨て、リラックスしながら日常を生きて、なんの意味のない時間を過ごしたりしながら生活すること。
その中で、ふいに向こうからやってくるものではないか、と思います。

 

過剰な合理や安易な意味づけの世界を捨てると、
本当の意味と邂逅することができ、その時の喜びやハッ!とした感覚というのは何物にも代えがたいものがあります。

 

 

 

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「0階部分(安心安全)」の回復は問題解決の中核

 

 人間は、「0階部分(安心安全)」が欠如すると、それを補うために、さまざまな問題行動を起こすようになります。

 例えば、対人関係では、過剰適応であり、過緊張であり、回避であり、しがみつきであり、様々な防衛が働きます。

 身体的には、強迫行動や、依存・嗜癖、不眠、免疫不全、といったようなことも引き起こされます。

 

 これらは、「問題行動」、「疾患」とも言えますし、0階部分(安心安全)が欠如したために、心身が「非常事態モード」に切り替わった、つまり、「0階部分(安心安全)」が欠如した環境に適応した、とも考えられるのです。

 

 戦争、災害など社会全体が「安心安全」ではない環境であれば、それでよいのですが、(非常事態モード自体が臨時の「0階部分」となってくれる。) 実際の社会は平和ですから、自分だけが非常事態モードになるということは、結局は不適応を起こしている、ということになり、本人も、そして周囲も困ることになります。

 

 アメリカでは、戦争から帰還した兵士を描いた映画がいくつかありますが、そこで描かれているのは、自分だけ「0階部分」が「非常事態モード」から「安心安全」へと切り替わらずに、平和な日常とのギャップに苦しむ姿です。

 ずーっと緊張や過覚醒が続いて、落ち着いて何かを行ったり、人とうまく付き合ったりできなくなる。
  

 その結果か、あるいは要因の一つとして、「関係」が壊されてしまう。
自分の感覚と、周囲との感覚、常識があまりにも合わず、無理解の壁に苦しみ、自分は孤立を感じてしまうようになる。

 
 その苦痛を和らげるために、未熟な自己治療として様々な行動をとってしまうようになり、それが嗜癖とか、依存症とか言われるものだったりします。
 (リストカットとか、抜毛症とか、アルコール依存とか、ギャンブル依存とか)

 

 

 免疫機能もおかしくなってしまうために、自責的になって自分を攻撃したり、強迫的になったりします。

 その他、発達障害、ADHDなども様々な問題も、「0階部分(安心安全)」の欠如のゆえではないか、と考えられます。
 (発達障害の方が、反復するものが好きなのは、そこに秩序、安心安全があるからです。)

 

 

 ストレスの研究などでわかっていますが、人間(動物)というのは、急な非常事態に対応することはどちらかといえば得意ですが、長くだらだらと続く、日常のストレスには弱い。

 
 おそらくは、人間(動物)はモードが急に切り替えたり、適応することはできるのでしょうけども、反対に微調整(融通)がきかない。
 

 非常事態モードになった状態を、安心安全のモードに切り替えることが、なかなかできない。だから、皆そこで苦しむ。
 

 

 さらに、ほぼ、身体的な問題なのに、「心」の問題にされてしまい、その人の責任とされてしまう。

 「心」は、インターフェースであり、インプット、アウトプットの入り口にはなりえますが、原因ではない。
  

 

 

 心身が、非常事態モードから、「安心安全」へと切り替わるツボになる部分を探す必要があります。
 (ある理論では、そのポイントとなるものが「耳(声、音)」であったり、顔や喉の「筋肉」であることがわかっています。)

 

 「0階部分(安心安全)」の回復のポイント探しこそが、これからの臨床のメインテーマの一つとなるものです。

 

 

 

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「0階部分(安心安全)」

 

 以前、「関係」がどのように成立するのかについてまとめました。

 「関係は1階、2階、3階といった階層構造になっている」
 また、「私的領域では人間はおかしくなる、公的な領域こそが本来の居場所である」ということを見てきました。

(参考)→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである

    →「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

    →「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 

 実は、これまで明らかにした関係や公的領域にはそれが成立する前提があります。

 それが、今回お伝えする「0階部分」ともいうものの存在です。

 

 
 私たちはクラウド的な存在であり、「関係」によって成立しています。
 そしてその「関係」とは、公的領域でなければ正しく機能せず、私的領域(個人の情動やローカルルール)にとどまった場合、嫉妬や支配といったおかしなものに堕してしまうようになります。

 

 ただ、こうしたメカニズムの以前に、カウンセリングをしていると、「関係念慮(妄想)」といった状況に陥って、周囲への不信や被害感情に苦しんでいる方に多く出会います。

 

 関係念慮というのは、特別に病的な人がなるものではありません。
 誰でも、体調が崩れたり、睡眠不足になったり、あるいは人間関係のストレスにさいなまれると、容易にそのような状態に陥ります。

 

 「周りの人が私のことをネガティブにとらえている。悪口を言われている気がする」
 「周囲がひどい人ばかり」

 といったようなことです。
 

 そのために、クラウド的な存在であるにもかかわらず、「関係」を構築できず、周囲とつながることができず、代わりに、家の中で嫌な家族やつらい過去の記憶とつながるしかなく、余計に苦しくなってしまう、ということが起きます。

 

 これは、トラウマを負っている方に多い傾向があります。
 (内分泌の疾患、発達障害の方などでも同じような問題が生じます)

 なぜ、そうした方に多く見られるかというと、それはトラウマを負っている方は「安心安全」が脅かされやすいためです。

 「安心安全」の欠如とは、身体的な不調、心理的には不安定型愛着に起因します。

 

 
 人間というのは、免疫やホルモン、自律神経によって、外的なストレスに対処しています。ホルモンなどが国境の壁や軍隊の役割をしていて、防御が利いている間は、その内側は平和でいられます。
 

 ボクシングでいえば、ガードしている状態。
 極端に言えば、どんなにパンチがきつくても、ガードしている間は、安全でいられますし、むしろ、打ってくる相手とガードのタイミングが合い、さながらダンスを踊っているかのように、心地よくさえあります。

 

 これが健康な人間の状態で、健康な人から見れば、
 「人間というものは信頼できる。社会とは安全なものだ」と感じられています。ストレスさえも、どこか心地よく感じられる。
 

 

 

 しかし、防壁が壊されたり、ガードのテンポが合わなくなると、ストレスをもろに浴びるようになります。

 物理的には同じ環境にいながら、途端に「人間とは信頼できない。社会とは危険なものだ」と感じられるようになります。

 これがストレス障害(トラウマ)というものです。 

 

 ※出産を基準にして、出産前にお母さんの中でお腹の中でのストレスでその防壁が壊されてしまうことを「発達障害」といい、出産後、環境のストレスで壊されてしまうことを「トラウマ」といいます。そのため両者の症状は瓜二つになるのですが、それはどちらもストレス障害だからです。ホルモンの失調でも似た状況になります。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

    →「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴~様々な悩みの背景となるもの

 

 

 
 同じコミュニケーションでも、防壁があるときは、肯定的なメッセージは、そのまま「肯定的なメッセージ」としてとらえれます。
 しかし、防壁がないとむき出しであるために、肯定的なメッセージも「否定的なメッセージ」として捉えられるようになります。

 

 むき出しですから、「周りはひどい人ばかり」となります。
 (臨床心理の世界では、「周りはひどい人ばかり」と訴えているケースは、強いストレス障害(発達障害)による記憶の断片化が疑われます。)
 

 

 相手が普通に送ってくるメッセージが正しく受け取れないわけですから、通常のやり取りができなくなる。「1階、2階、3階」とフィルタをかけながら積みあがていくように「関係」を構築できなくなってしまう。

 (参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 積み上げ=フィルタ式ではなくて、すべてを警戒するか(回避)、すべてを受け入れるか(接近)、といった極端な形になってしまう。

 

 このように、「0階部分」とは、心身の「安心安全」のことを差します。
 「0階部分」が関係を土台となって、私たちを支えてくれています。

 

 トラウマとまではいかなくても、睡眠、食事、運動が不足すると、私たちは容易に土台が崩れてしまいます。

 
  かつての警察の取り調べや、カルトの洗脳などでは、
  ・睡眠時間を少なくし
  ・食事を制限し
  ・自由に運動ができないようにする

 ということがセオリーです。そうすると、正気を維持できなくなるからです。

 小さなお子さんをお持ちの方はご経験がありますが、
 眠たくなると子供はわけがわからなくなる。
 特に、睡眠不足は容易に人間をおかしくするものです。

 

 

 身体的な健康が脅かされると、人間はだれでも妄想的になります。

  
 そのために、「0階部分」では、「身体」的な健康、安心安全が確保されていることがとても大切です。

 

 

 「0階部分」を整えるためには理屈よりも何よりも、まずは、睡眠、食事、運動から入る。

 睡眠をしっかりとり、栄養を整える。
 
 最近は、鉄分などの不足が精神の不調に大きく影響している、ということが指摘されるようになってきています。

 
 また、たとえばうつ病でも「運動」によって9割が回復するというエビデンスがすでにある(抗うつ剤では2割しか治らない)。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

 

 

 それほどに「0階部分」は大切です。  

※いわゆる「愛着」というのは、「0階部分」のOS(オペレーションシステム)ともいうべきもので、ソフト面から「0階部分」の機能をサポートしてくれています。
 (参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 「0階部分」によって、わたしたちの「公的領域」、「関係」というものは支えられています。

 

 

 

 

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