ペコペコしてはいけない、へりくだってはいけない

 

 対人関係において大切なのは、極端に言えば、たとえ相手が総理大臣であったとしても、ペコペコしたり、へりくだったりしない、ということです。
 姿勢としては、対等を崩さない。ただし相手の地位に応じて“儀礼”は尽くす。

 

 

 プライベートなら、なおさらです。
 “絶対に”ペコペコしたり、へりくだったりしない。

 ペコペコしてしまうと、どうなるかといえば、無意識に関係性が崩れてしまう。相手が上で、自分が下、という関係になって、相手にとっても居心地の悪い感じになってしまう。

 

 

 相手が自分に妙にへりくだってくることを想像するとわかりますが、妙な感覚を感じます。
 ペコペコすると公私の区別をあいまいにして、相手の支配感情を刺激して、「無下に扱っても構わない」というサインとなる。
 結果、暴言を浴びせたり、嫉妬を招いたりといった理不尽なことが現実に起こるようになります。

 

 

 1階、2階部分にいるのに、3階部分の特別サービス「気づかい」を示すのも、これと同じことになります。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 状況(階数)に合わないために、「対等ではない」「おかしい」というサインとなります。

 その結果、すごく気をつかっているにもかかわらず、「気のつかえないやつ」「お前はダメな奴だ」という評価を下されてしまうのです。

 私たちもお店で妙に慇懃にされると、「そんなこといいから、早く手続してよ!」となりますけど、あんな感じです。

 

 「でも、ペコペコしないと怒られるんじゃない?」「失礼と思われるんじゃ?」

 とお思いかもしれませんが、

 

 わかりやすい例でいえば、高級ホテルのホテルマン。
 彼らは丁寧だけども、ペコペコしていません。気をつかってへとへとにもなりません。(気をつかうのは、常連だけの特別サービス)
 淡々と良いサービスを提供している。
 

 

 実際の対人関係は、トラウマを負った人が見ている世界とは真逆といってもよい。

 気をつかわない、ペコペコしない、へりくだらないほうが「気が利く」として評価をされる。

 少し「偉そうかな?」というくらいの姿勢で接してみると、好感を持たれてうまくいきます。
 

 

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「気をつかえ」という言葉を真に受けてはいけない

 トラウマを負ってしまうと、対人関係がうまくいかなくなります。

 根底には人に対する怖さもあり、だんだんおっくうになり、自分を守ることを優先するようになります。
 人に対して働きかけることがとても面倒なことと思えてきます。

 でも、内心はとても気を使ってへとへとです。

 

 ホルモンの働きから説明すると、常にストレスホルモン(コルチゾール)が高い状態で推移している。普通の人なら、10段階で2,3くらいの状態で、トラウマを負った人は、5,6で生活している。

 だから、人とはテンションが合わない。空回りしてしまう。

 感情表出と内的な緊張とが連動していないために、能面のような表情にもなる。

 

 さらに、ここぞというときは、テンションが上がりすぎて動けなくなる、あるいは逆に下がって対応できなくなるために、実際の状況では、「動きが悪い」「気をつかえない」という評価が下されてしまう。

 

 次からは、「気をつかおう」とさらに気を回すために、緊張の平均値も上がってしまって、さらに動きが悪くなる。
 また、周りから責められる、という悪循環にはまってしまいます。

 

 

 実は、社会生活においては、「気をつかう」場面というのはほとんどありません。必要なのは、形であり“儀礼”。

 社交の最上位のものは政治の外交ですが、大国、小国に限らず、気をつかってぺこぺこしたりはしない。
 一方、儀礼は尽くす。大事な相手になると、丁重にもてなす。でも、それは気をつかうこととは別種のことです。

 

 周囲の人が、「気をつかえ」という場合に求めているのは、“儀礼”であり、“行動”です。そのためには、気や心は込めず、淡々と行う。

 

 スポーツでも試合でできることは、練習で染みついた無意識的な動きだけです。意識したら(気をつかったら)失敗する。

 

 

 トラウマを負った人は、そこを混乱させられている。「気をつかえ」という言葉を真に受けて、本当に気をつかわされてしまう。

 

 気をつかう、というのは、3階部分の特別サービスです。日常では必要ありません。

 気は使わずに、あたかもホテルマンやお店の店員のように、淡々と、丁寧なあいさつをする。それだけでいい。そして、1階から2階へと昇っていく。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 

 トラウマを負った人が経験してきた理不尽な環境では、気をつかうことを要求されてきました。それは、人を支配するおかしな環境だから。
 親やいじめの当事者は、被支配者に対しては気をつかわせてへとへとにして、力を奪う。

 親は、自分のイライラやゆがんだ感情のはけ口に、「お前みたいなダメな奴。もっと自分に気をつかえ」と振り回していたわけです。

 

 モラハラが横行する職場もそうで、どこかの協会の終身会長ではありませんが、周りは気をつかって忖度させられて、振り回される。

 「気をつかう」というのは、3階部分の特別サービスであり、それを日常の1、2階部分から要求されること自体がおかしいのです。

 

 私たちは日常の場面で気をつかうことはありません。儀礼、プロトコルだけ守っていればよい。それらも固定的ではなく、状況や時代に即して学習、更新される。

 

 トラウマを負ってきた人が経験してきた「気をつかう」ことを強要されることはエネルギーを奪うハラスメントです。それが内面化して、防衛のスタイルともなり、へとへとになるまで気をつかってしまう現在の姿になっているのです。私たちが、普段「気をつかっている」行為は、実はハラスメントの理不尽な命令を忠実に実行しているとも言えるのです。

 

 

 

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TV番組のノリの幻想~TVは「関係」の見本にはならない

 

 鴻上尚史さんが書いた「「空気」と「世間」」という本は、日本における人との関係の背景を理解する上では好著の一つです。

 

 

 

 

 

 

 

 歴史家の阿部謹也の「世間」の研究や、山本七平の「空気」といった概念をもとに日本の状況を説明しています。

 簡単に言えば、欧米など一神教の世界に特徴的な「社会」ではなく、日本は「世間」が社会の基本スタイルであること。
「社会」とは、独立した個人の契約で成り立つもので、「世間」とは非個人的で、互酬や長幼の序、共通の時間感覚といったことで成り立ちます。「空気」とは世間が崩れたものです。

 厳密に言えば、「社会」がよくて、「世間」がダメだ、ということはありません。ただそれぞれに特徴がある、ということです。

 

 ただ、以前の記事でも書きましたが、「対人恐怖症」は日本にしか存在しない、という事実からすると、日本における「世間」、特に「空気」というのは、人づきあいを怖いものとする、難しくする要素が多いのかもしれません。

(参考)→「対人恐怖症、社交不安障害とは何か?真の原因、克服、症状とチェック

 

 

 

 この本の中で面白いのは、「若くなればなるほど、人間関係の作り方の基本形をテレビから学習している」ということが挙げられています。

 

 実際のTVのバラエティ番組は、修行を積んだバラエティのプロが出演し、さらに編集されて、3時間とったものが1時間に、といったように凝縮されています。
 テロップが入り、効果音、映像が入り。テンポよく面白くする工夫が満載です。

 
 特に日本は、「世間」と「空気」の社会ですが、そのノリに乗るのはとても難しい。

 芸人さんたちも、TVに出られるのは一握りで何万人もの中から選抜されている。それによって、あの軽妙でテンポの良く、絶妙のタイミングで、絶妙な言い回しを繰り出す高度な「TVショー」が作られているわけです。

 

 TV番組とは、さながら世界選抜大会のファインプレー集のようなショーであり、日常では再現することはできないものです。

 

 しかし、私たちは、「その学んだ方法を、そのまま、日常に持ち込もうとして」、うまくいかない・・・、と落ち込んでいます。
  

みんな、マネできると錯覚して、ノリを持ち込んでいる。

 みんなそれが自分たちにもできると信じて、そうしなければいけないと思いこんで、「対人恐怖症」社会を作り上げている。
 

 趣味の集まり、ママ友、会社仲間でも「TV番組のノリの幻想」は覆っているかもしれません。

 

 そうした幻想から自由にならないといけない。TV番組の真似をしてはいけない。

 

 そのためには、関係の「基礎」から始める。
 TV番組的なノリに乗らなくていい。気を使わなくてもいい、愛想もふりまかなくてもいい、心はいらない。

 

 ただ、挨拶や形式的な儀礼を淡々と行って、地味に1階、2階へと上がっていく。合わない人は、1階でサヨナラする。
 幸せにも気の合う人と出会ったなら、3階まで上がって気遣いを交わせばよい。

 「基礎」からコツコツと、薄い、緩やかな「関係」を増やしていくことが大切。
 

 うまくできている人ほど、実は、ノリに乗らず、基礎から地味に「関係」を構築しています。

 

 

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関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 私たちが海外旅行に行った際にしばしば経験することですが、飲食店の人が日本のように愛想がありません。

 笑顔がなく、ムスッとした表情で注文を訪ねてくる。飛行機の機内のフライトアテンダントでさえ、無表情だったり。

 よほど高級店で高額なお金を払うのでもなければ、笑顔で気の利いたサービスは得られないことも多い。

 

 そんなことを経験すると、「ああ、日本はいいな」と思うわけです。日本でも、小さな店でも、笑顔で愛想よくしてくれますので。

 ただ、「関係」の基本を考えていくと、どうも外国のほうが普通なのかも?と思えてきます。

 日本は世間の延長でできているためか、ご近所に愛想をするような感覚で、サービス業でも笑顔で接客してくれますが、それは当たり前ではありません。

 

 

 本来の“当たり前”とは何かというと、実は「気づかい」とは信用を得たものにのみ与えられる特別サービスであり、無料で当たり前に提供しあうものではない、ということです。

 

 

 

 私たちのコミュニケーションというのは階層状になっています。

(参考)→「世の中は”二階建て”になっている。

 世界は、混とんとしていますから、すべてを信用しては危ない。また、人間も動物ですから、支配欲、攻撃欲、嫉妬、様々な私的情動にまみれてもいます。

 

 1階部分では、そのネガティブな感情も入り混じる世界で、私的情動といったノイズをキャンセルする場所です。関係する相手を選別するところです。
 自分に合わない相手、関係するタイミングではない相手とは関係を持たずさよならします。
 関係を持つにふさわしい相手であれば、1階のチェックが終わり2階に上がることができます。

 

 

 2階部分とは、公的な環境が整えられた場でそこで初めて信頼のコミュニケーションを交わすことができます。
 安心してやり取りができます。
 
 通常のコミュニケーションとは、2階部分で行います。

 さらに、その上、3階部分があります。実は、「気づかい」というのは、その3階部分で提供されるものです。

 

 

 
 3階部分では、本当に気心が知れた者同士が相手の内面(私的領域)に立ち入ることが許され、互いに気づかいをしあう場所です。
 気づかいは誰もが得られるものではありません。本当に信頼できるもの同士でなければ得られません。

 

図にすると、

 1階部分    2階部分  3階部分
 公私混沌  →  公的  → 私的 という 構造になっています。

 

 

 3階部分で交わされる、本当に気心が知れた親友同士のような「関係」というのは、特別なものです。
 それは、2階部分の公的な環境に支えられています。

 関係が停滞(腐れ縁)すると、2階の公的な環境が失われて、3階部分の私的なやり取りが悪く作用し、「相手から失礼なことを言われた」「もたれられてしんどい」というようなことになってしまいます。

 

 長く続く良い関係というのは、相手へのリスペクト(2階部分の公的環境)が土台となっていて、うまく更新、循環をしているものです。

 

 関係作りがうまい人というのは、1階での選別がしっかりしていること、1階→2階→3階 へと駆け上がるのがスムーズであるということと、なにより、2階の公的な環境を維持することが上手であるということだと思います。

 

 

 会員制の、心地の良いラウンジや、高級店を想像すればわかりやすいかと思います。

 
1階部分 会員証のチェック(入会)

      ↓

2階部分 安定した心地よいサービスの提供

      ↓

3階部分  VIPのみの特別サービス
 
 といった感じでしょうか?

 

 「人を信頼して、裏切られた!もう人と付き合いは嫌だ」「気づかいばかりでヘトヘト」となっているのは、いきなり3階部分からスタートしたり、会員制度(階層構造)がうまく機能していないお店のようなもの。

 

 

 私たちが、大人になる、大人の付き合いができる、というのは、こうした1階-2階-3階 という階層(会員制)構造を築くことだといえます。

 

 

 「そんなことしたら、高飛車になって、堅苦しくてツンツンしそう」というかもしれません。

 そんなことはありません。ツンツンにはなりません。

なぜなら、1階部分では、社交辞令(儀礼)を大事にします。
 それは具体的には、「挨拶」です。

 

 昔、筆者が会社に入って、新人研修に来たベテラン社員が、挨拶の大切さを説いた際に印象に残っている話があります。
それは、

「ニュースで、犯人が捕まった際に、近所の人が『いつもちゃんと挨拶をしてくれていい人でしたけどねぇ・・』というでしょう?捕まるくらいだから本当にいい人かどうかはわからないわけだけども、犯罪を犯したとしても、挨拶しているだけで『いい人』といわれる。そのくらい挨拶には力があります。」

ということでした。

 

 

 筆者もそうなのですが、人が苦手、挨拶が苦手だ、という人は、挨拶に、3階部分で行うような「気遣い」「相手の内面に立ち入る」といったことを盛り込んでいるからではないかと思います。だから疲れて嫌になってくる。

 挨拶というのは、「気づかい」などは盛り込まず(心もこめず)、形式的に、でもたくさん、しっかり行う。

 外交儀礼ですから、心を込めなくてもいい。形こそが大事。

 

 
 子どものころ、大人を見て、外面ばかりで嫌だな、と思っていましたが、でも悔しいけれども、儀礼は大事。

 
 トラウマを負った人の多くは、「心こそが大事」ととらえ、どちらかというと形を軽んじ、さらに、1階-2階-3階 という構造がなく、いきなり、3階部分の「気づかい」を1階部分に持ち込んで、人と接しようと思います。

(参考)→「「形よりも心が大事」という“理想”を持つ

 

 でも、人間世界はそのようにはできていないため、冷たくあしらわれて、心がへとへとになって、傷つくのです。

 例えていうなら、外国の税関や大使館に、形式を踏まないまま、「真心」だけで「入国させてください」とおしかけるようなもの。
「誠に申し訳ございませんが、正式な手続きを踏んでからお越しください。」といわれてしまいます。

 

 

 人間関係においてであれば、まずは挨拶からスタートして、信頼関係ができれば親しくやり取りをする。さらに、仲良くなったら、内面に立ち入る、ということです。これを実際は早いスピードで行っています。

 

 
 どうして、トラウマを負った人は、この階層構造が転倒してしまうか?といえば、一つには、養育環境(家族)において階層構造が機能不全を起こしていた、ということです。それによって本来の構造がわからなくなってしまっている、ということ。
 もうひとつ重要な点としては、社会においては、しばしばそれを「気づかいが足りない」という言い方で表現されるため、勘違いしてしまう、ということです。

 

 実は、ここでいう「気づかい」とは、3階部分の「気づかい」ではなく、1階部分の「形式(挨拶、儀礼)」を求められているということ。

 

 
 それを、「気づかいをしないといけない(心を込めないと)」と真に受けて、本当に親しい人だけの特別サービスであるはずの「気づかい(3階部分)」を1階部分に持ってきてしまうのです。

 

 

 その結果どうなるかといえば、過剰適応でへとへとになってしまう。
 「気づかいをしているのに、なぜか認めてもらえない」。
 それどころか1階部分の形式を欠いているために「気をつかえない奴」と否定されてしまう。
 
 訳が分からなくなってしまうのです。

 

 

 本来、1階部分で大事なのは、心を込めず、軽い気持ちで形式的に挨拶。形式こそが大事。

 

 先日の記事で紹介しました外国では、もしかしたら、そういう構造がしっかりできているのかもしれません。

(参考)→「社会性を削ぐほど、良い「関係」につながる~私たちが苦しめられている「社会性過多」

 皆、1階部分だ、と割り切って気軽に儀礼を交わしている。だから、人々が気楽に付き合えている。電車の中で隣り合った人が雑談をしたりする。
 (日本は〝世間”や〝空気”の社会なので、3階部分がいきなり1階に来るような転倒を起こしやすい。階層構造の転倒の果てに、恐怖症を引き起こしていることが、「対人恐怖症」の本質といえるかもしれません。)

(参考)→「対人恐怖症、社交不安障害とは何か?真の原因、克服、症状とチェック

 

 

 1階-2階-3階という「関係」の構造が再度整理されて、慣れてくれば、1階部分から2階部分までは、かなり早いスピードで駆け上がることができます。(3階部分については、特別な人だけ、ですが。)

 

 「関係」の再構築のためには、階層構造を理解することがとても大事です。理解するだけでも、人間関係はかなり楽になります。

 

 

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