まずは完全に否定する

 

 反抗の論理ということと似ていますが、トラウマから抜け出すために必要なこととして、自分がハラスメントを受けた対象を”完全に”否定し切る、ということがあります。

 相手にも良いところがあったかも? とか
 自分にも悪いところがあったかも? なんて思わない。

 また、

 公平に捉えなければ
 理性的で、客観的であらなければ、 なんてことも思わない。思ってはいけない。

 実はこれらはトラウマ的な心性であって、健康な人間のあり方ではありません。

(参考)「過剰な客観性」

 

 健康なあり方としては、自分が被害にあったら、まずは相手を完全に否定する、ということです。免疫システムと同じように、まずは排除してしまう。

 

 

 でも、さすがにバランスを欠いているのでは?と不安になるかもしれません。

 それは、以前にもお伝えしましたが、そう思うのは、「手順」ということが抜けているためです。

 例えば、料理も「手順」があります。下ごしらえ~調理~盛り付け~完成 と手順を踏むことで料理が成り立つ。

 下ごしらえ と 盛り付けを同時に行おうとしたら破綻してしまいます。

(参考)→「トラウマを負うと、手順や段階、多次元多要素並列という視点が抜ける

 

 それと同じで、

 相手にも良いところがあったかも? とか
 自分にも悪いところがあったかも? なんて いうのは、相手を完全に否定しきってから、最後の後工程でよいのです。その時に行えば良いこと。

 それらをなにもかもをすべて同時にやろうとするから、
 トラウマが処理できずに、何年もくすぶることになってしまう。

 これを、おかしな連立方程式状態 といいます。

(参考)→「おかしな“連立方程式”化

 

 

 本来、連立するものではない式同士を3つも4つも重ねて解こうとしてしまっている。解けるはずがありません。

 ハラスメントとは、二重拘束(ダブルバインド)と呼ばれるように、
 矛盾するメッセージを両立させようとさせられることで生じるとされます。
 

 

 

 今問題になっている新興宗教とか、ブラック会社とかは、こうした完全否定できない構造を実は意図して設定しています。

 たとえば、宗教であれば、慈善活動や、NPOや、芸術活動を行ったりする。
 そうすると、「あんな立派な活動もしているのだから・・」「本物のゴッホの絵を所有するくらいなんだから・・」「良い人もいた・・」と否定しきれなくなる。

 会社でも、厳しい環境でも成果を出している模範社員(役員)を作り出す。 
 そうすると、「あなたはブラック会社と文句を言うが、成果を上げている人もいる」と否定しきれなくなる。

 

 

 自己啓発でもそう、
 詐欺的なビジネスなどでも同様で、成功している人を作り出す。あるいは、単なる確率の問題で、もともとすごい人が成功したりする。
 そうすると、「上手く行っている人もいる。本人の気持ちの問題だ」ということになって、否定しきれなくなる。

 家族だったら、兄弟や親戚で、勉強や仕事でうまくいっている人がいると、 「あなたは問題児だけど、お姉ちゃんはトップの高校に行き、有名大学に行った」ということになる。
 おかしいと思っているのに、そうして機能不全家族を否定しきれなく。

(参考)→「機能不全家族の影響が、自分を失わせてしまうメカニズム

 

 

 それぞれについて、”ミス”も作り出されます。
 ゴールポストを動かされて、「あなたもミスが多かった」「成果を挙げられていなかった」「だから、あなた自身の問題だ」とされてしまう。
 そうしてさらに否定する権利がないとされてしまう。

(参考)→「“作られた現実”を分解する。

 

 

 これらは、当事者にとっては自分だけに起こっていることで、だから自分の問題だ、となっていますが、

 半ば無意識に意図的に作り出された(否定できなくするための)構造です。

 

 これに気が付かなければなりません。
 トラウマを負っている人は、「そんなドラマみたいな都合の良いことあるはずがない」とバカ正直に捉えてしまう。

 

 ハラスメントとは、より良く生きたいという人間の気持ちを悪用して巣食います。そうして、一見”正当な”優等生の論理(ローカルルール)を偽装して押し付けてきます。

 そこにのっかかると、何十年かかっても解けない呪縛に苦しむことになります。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 

 それを突破するには、「反抗の論理」というと強い言葉になりますが、まずは、ハラスメントの加害者や場所は、頭の中で完全に否定する、そして、手順を守る。異なる手順を同時に行おうとしない。

 

 愛着というのは、例えば自分の子どもがひどい目にあったら、完全に子供の味方をすることです。機能不全の親は、そこに本来両立し得ない手順を同時に持ってきてしまいます。本来味方をするべき手順のときに「お前にも問題があったのでは」ということをしてしまい、子はその言葉に大人になっても苦しむことになってしまうのです。

 

 過去にあった理不尽な経験の場所や人は完全に否定しきりましょう。

 もし、その際にそれでも、「いや、そうはいっても・・」ということが浮かんできたら、それこそがトラウマの根源となる自分を縛るポイントとなっているものです。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服

 

 

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無理ゲーで戦い続けてしまう

 

 前回は主体を喪失した重いケースを取り上げました。

 主体を喪失すると、変化したくても変化したくない、という解決困難なねじれた状態に陥ってしまいます。

 

 

 そうした状態までには至らなくても、親の価値観が世界観全体を支配するようなことは誰にとっても生じます。

 例えば、反抗とは、人間にとってはとても大切な権利、営みです。
 ひどい状況に対して、反抗することで自我を守り、自我が確立されます。
 
 反抗のリソースが外部にある場合、外部を土台として反抗することが、当事者が社会化する手助けにもなります。

 

 
 一方で、反抗さえも、親の価値観のもとに置かれてしまうことがあります。

 親が設定したゲームのルールの中で、反発して頑張ろうとするようなケースです。

 親を見返そうとして努力をしていますが、実は、それは親の価値観の手のひらの上で踊っているだけで、反抗と違い、ゲームの外には出ていません。

 頑張れば頑張るほどに、前提としてある「自分はだめな人だ」ということは強化されてしまいます。

 

 

 トラウマを負っていると、自分では色々と考えているつもりでも、実は、ローカルルールの闇世界の絶対解けない無理ゲーをプレイさせられているだけであることはとても多いのです。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 なぜか親や家族が作った、絶対解けないゲームのルールの中で頑張ろうとしている。

 『カイジ』というマンガ、映画がありましたが、あのような世界ですね。

 よく考えれば、そのルールに従う必要はないのですが、罪悪感や、あと、家族のニセの義務感、ニセの責任感で、どうしても自分がやらないといけない、お世話しないといけない、あるいは、逃げてはいけない、という感覚でその無理なルールの中で戦おうとしてしまう。
 

 

 

 この無理ゲーというのは、以前書きました、連立方程式状態と言いかえることができるかもしれません。

(参考)→「おかしな“連立方程式”化

 

 絶対に解けない、多元連立方程式を解こうとしている。

 河原で石を積み上げ続ける餓鬼のような状態です。

 洗脳レベルの家族のトラウマを負っている場合は顕著ですが、軽いトラウマでも、実は似たような状態が起きていたりします。

 なぜか、自分はだめだということを所与の前提として無理なルールの中で戦おうとしてしまう状態。

 

 無理ゲーとは、他人の文脈の支配と言い換えられるかもしれませんが、自分がその状態にある、と仮定して一度点検してみると、意外なことが見えてくるかもしれません。 

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 

 

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主体を喪失し、すべてが他者(親)起点となる

 

 機能不全家族において”主体”を喪失したケースで特に重い状態として見られるのが、

 「変化したいが、変化すると他者(家族)が喜ぶから変化したくない、できない(自立したいが、自立すると家族、親が喜ぶから自立したくない、できない)」

というようにねじれた感情に陥っているようなケースです。

 

 親に対して強い恨み、怒りがある。

 普通であれば、じゃあ、親から離れましょう、あるいは変化しましょう、と考えますが、自分が変化すると親が喜ぶから変化したくない、という感覚に陥っています。
 

 普通に聞くと、とても奇妙に聞こえます。
 なぜこのようなことになってしまうのでしょうか?

 

 

 機能不全家族で育つことで、当事者は、自分という主体が奪われ、寄って立つ土台を失われます。
 足場が自分にあれば、「じゃあ、変化しましょう、親から離れよう」となれますが、土台を「親(家族)」に設定させられてきたために、離れようにも離れられないのです。

 親(家族)は、子が本来持つ「土台(資質)」を怖れ、それ自身が悪、あるいは矯正されるべきものとして除こうとしてきました。
 そうして、「土台(資質)」を親の意向や気まぐれ、信じる思想に入れ替えることが教育、躾だと考えて実行してきました。

 

 

 しかし、人間には原的な直感がそなわっていますから、そのことがおかしいということは感じます。それが怒りとなって表れます。
 しかし、土台を奪われているために怒りはあっても、具体的に発揮するための起点が無くなっています。すべて「親(家族)」が起点となっています。

 自分が主体で感情が出ているわけではないので、いくら出しても怒りや恨みが解消されることがありません。

 

 

 その状態を言葉に転換したものが、「自分が変化(自立)すると親が喜ぶから変化(自立)したくない」という、普通の人からすれば意味がわからない状態です。

 

 一方、子の土台を破壊することをしてきたわけですが、親にはその自覚がありません。

 そのため親も
 「なぜ、自分の子供はいつまでも親に恨み、怒りを向けてくるのか?」 
 「繰り返し謝っているのに、なぜ、わかってくれないのか?」となってしまいます。

 さらに、当事者の側も土台を壊されているために、あなたはどうしたいのですか? 何を謝って欲しいのか?どう変わってほしいのか?と尋ねられて、深掘りしようとしても実のある話は出てきません。 
土台がないために、親に何を謝って欲しいのか、親がどのように変わってほしいのかも、本人もよくわからなくなっているのです。

 

 もともと、機能不全でそのような力がないのが問題だったので、親側も主体的に解決する力がなく、ずーっと堂々巡りを繰り返すことになります。

 

 

 では、外部の支援を得ようと考えますが、現代(近代)のカウンセリングは、クライアントに主体があることを暗に前提としています。
 そのため、主体の土台が奪われた状態ではカウンセリングという土俵にも乗りにくいのです。

 実際に、カウンセリングや治療を受けてみても、主体的なやり取りができないことがあります。

 通常の形式ではカウンセリングも受けにくい、運良く効果的な支援を受けれても、変化すると親が喜ぶから変化したくない、という感情から抜けれない、という恐ろしい悪循環にあります。
 

 そこまでに達するまでに、本人が40歳、50歳、60歳になっているなんていうこともあります。
 社会的にも自立するための有利な条件がどんどんと失われていきます。
 機能不全とは誠に根深いものがあります。
 
 

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

 

 

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魂の彷徨

 

 以前、ベテランのカウンセラーに話を伺ったことがありますが、夫婦同士でも、適切な関心が互いに示されていない、例えば、旦那さんが妻に関心を払わない、仕事ばっかりで、家庭を顧みない、といった場合に、

 夫からすれば、「給料も高いし、浮気をしているわけでもないんだから、何が問題?」
 「旅行にも連れて行ったじゃないか!」
 「家庭にはちゃんとお金を入れているから、そのお金で好きなことをすればいいじゃないか?」
 とおもっていたりしますが、奥さんからすれば、関心が払われないということの精神的なダメージは計り知れません。

 

 髪型を変えたこと、服を変えたこと、食卓に花を飾ったことについても一言も言及がない。人生が失われたような感覚になります。

 それを、そのカウンセラーは「魂の彷徨」と表現していました。

 

 カサンドラ症候群、仮面夫婦というような状態も、パートナー間の機能不全に当たるのかもしれません。
 それくらい身近な人の機能不全の影響は甚大であるということです。

 

 

 これは、職場でも起こることだと思います。
 適切な評価がされない。適切な仕事が与えられない、ということはしばしばおこることで、会社側の論理は、上記の夫のような考え方、

 「評価というのは自分で勝ち取るもの」
 「これだけ制度なども整えて、給与も支払っているんだから何が問題?」

 ということですが、

 従業員側からすると、上記の奥さんのように、それでは何も満たされていないことになります。

 別にわがままを言いたいわけではなく、レイヤーが全くずれた対応が存在し、人として関心が払われていないということに大きな問題があるのです。

 「魂の彷徨」というような状態で苦しんでしまい、さらに成果も上がらなくなってしまう。
 ついにはダメ社員扱いされて、さらなる苦しみを味わうようになってします。

 

 

 これが、家庭の中で、子供に対しても起こったとしたらどうなるか?

 
 まさに自分が失われ、何をしたいかもよくわからないようになってしまい、薄くボヤーっとした、定まらないような状態になってしまうのです。

 機能不全家庭に育つというのは、言い換えると「魂の彷徨」が生じるということです。

 

 

 

(参考)→「<家族>とは何か?家族の機能と機能不全

 

 

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