『anan(アンアン)』2023/03/08号 No.2338[つながるチカラ/櫻井翔&菊池風磨] にて記事が掲載されました。

 

 本日(3月1日)発売の『anan(アンアン)』2023/03/08号 No.2338[つながるチカラ/櫻井翔&菊池風磨] にて 当センターのみきいちたろうが取材協力しました記事が掲載されました。
 
 「職場や友人、SNS…人間関係に疲れた人へ。備えておきたい現代コミュニケーション自衛術」というタイトルでSNSとの付き合い方や、スルースキルについてまとめたものです。
 書店やコンビニにてご覧、お買い求めいただけます。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

日常にこそトラウマは存在する

 

 トラウマが身近な生きづらさを説明する概念として、これまで十分に適応されてこなかった理由として、「日常のストレスでは、トラウマになりえない」という専門家の先入観がありました。

 

 トラウマ概念自体が戦争やレイプといった重度のストレスを中心に概念化されていったためということや、概念化を担う医師たちは、一般には重いケースを中心に見ることが多いということも理由としてあげられます。
 (フロイトが日常のトラウマに着目して理論を展開できたのは、フロイトが日常のトラウマに触れる機会のある在野の治療者であったためだと言われています)

 

 しかし、ストレスのダメージとは、“強-弱”ではなく、その対象となる生物の脆弱性にかかわるかどうか?が重要で、実際には生物は強度のストレスには意外な抵抗力を示したりもしています。

 例えば、阪神淡路大震災でPTSDとなった人は被災者全体の1割、ベトナム戦争でも研究によって幅がありますが15%というデータがあります。
 もちろん簡単ではない経験ではありますが、多くの方は自然と正常へと復帰しています。

 

 一方、軽度~中度でも慢性的に脆弱性にかかわるストレスを受けてきたケースというのは、長く生きづらさを抱えることにもなります。

 

 実際に、自衛隊などでメンタルケアをしていた医師も、その著作の中で、軍隊においても、PTSDなどを引き起こすのは、実は劇的な経験ではなく、慢性的なローリスクストレッサーである、ということを指摘しています。
(福間詳『ストレスのはなし』中公新書)
 福間氏はいまだに強度のストレスばかりがPTSDの原因とされる精神医学の現状について違和感を表明しています。

 戦争でも後々まで苦しむケースは、その劇的な経験も影響しますが、その後に社会からのサポートがなかったり、厭戦気分などで生死に関わる事象への意味付けがなかったり、といったような脆弱性にかかわるダメージによってもたらされるようです。

 

 

 ストレス学の権威であるアメリカの心理学者リチャード・S・ラザルスも以下のように指摘しています。
「重大なライフイベンドだけでストレスを定義づけてしまうやり方は、ストレス対処の方法を解明するうえで適切なストラテジー(方略)ではない」
「日常的混乱とは、モラール、社会的機能、そして健康をも害するような、外見的にはささいにみえても、ときに非常にわずらわしさを感じさせる、日常のいらだちのことを言う。そして、驚くべきことに我々は、この日常的混乱のほうが重大なライフイベントよりも、健康障害にとって重要な要因であることを見いだしたのである」(『ストレスと情動の心理学――ナラティブ研究の視点から』実務教育出版)。

 

 

 先入観に加えてやっかいだったのは、研究分野同士の縦割りの壁です。
 
 トラウマ研究と、ストレス研究とは、ほぼ交流がなく進んできたために、ストレス研究では当たり前とされるような知見や成果が、トラウマ研究に十分に取り込まれてきたとはいえず、トラウマ研究の研究者は、全てではありませんが、「トラウマティック・ストレスと、一般のストレスは全く別物」と考えてきたようです。

 一般の私たちの常識からすればとても奇妙な捉え方ですが、こうしたこともトラウマが一般の人達の生きづらさの説明として適応されることを阻んできたといえます。

 

 

 その結果、「一部のタイプの「トラウマ」のみが診断学的に、あるいは治療上、特権的な地位を享受しているようにみえる」(立木康介「トラウマと精神分析」『トラウマ研究1 トラウマを生きる』(京都大学学術出版会))と言われるような状態になりました。

 

 京都大学人文科学研究所の立木教授は「PTSDを特権化する一部の言論によってともすれば忘れられたり、その背後に隠れてしまったりする種類の「心的外傷」に、あらためて光を当てることが重要なのだ」としています。その光を当てる対象とは「日常風景といってもよい外傷」や、「家族の言説のなかにタブーとして存在し続け、間接的に、主体に対して持続的な影響をおよぼすような外傷」としています。

 

 今回の著作では、そんな私たちの日常にこそトラウマは存在していて、それが生きづらさの多くの原因となっている、ということを明らかにしています。

 『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』は、日常にあるトラウマによる生きづらさに苦しむ人にケアが届かない状況に対して、なんとか橋渡しができないか、と思い微力ながら書かせていただきました。 

 

 

 

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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トラウマと発達障害が酷似する理由

 

 カウンセリングをしていてしばしば尋ねられることとして、「私は、発達障害ではないでしょうか?」というご質問です。

 

 自分があまりにも仕事や人間関係がうまくいかないために、「自分はもしかしたら?」と尋ねてこられるのです。

 多くの場合は、そうした疑い、不安とは当然ながら的を得たものではなく、単に自分の生きづらさや症状を説明する言葉を求めてのことです。
(中には、ただ「自分はだめな人間だ」とおっしゃりたいがために、発達障害という疑いを持ち出していらっしゃるケースもあります。)

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 

 

 一方で、そうした疑いが全く意味がないものではない、ということもあります。

 なぜなら、トラウマによって、発達障害と酷似した症状が生じることは知られており、そのことを専門家は「第四の発達障害(発達性トラウマ障害)」と呼んでいるからです。

 これは、発達障害などを専門にする医師などが、被虐待児を見る中で、被虐待児の症状が発達障害と症状がそっくりであることに気がつくようになったことから始まりました。
 

 それまでは、発達障害と診断されていた子どもたちが、背景を尋ねる中で、虐待を受けてきていることが明らかになります。

 発達障害と思われていたものは、実はトラウマによって引き起こされた症状だということがわかったのです。

(参考)→「大人の発達障害、アスペルガー障害の本当の原因と特徴

 

 さらに、虐待とまではいかなくても、慢性的に続く家庭内などでのストレスを受け続けると同じように発達障害に類する症状を呈するようにもなります。

 

 先天的と思われていた発達障害が、近年急増していることは知られていますが、その急増の原因は、実は、周辺に存在していた愛着障害やトラウマによる症状が発達障害と誤診して取り上げられていることが大きな要因ではないか?と指摘されています。

 つまり、これまで発達障害と診断されてきた、疑われてきたものの多くにトラウマや愛着障害など後天的な環境要因のケースも多々含まれているということです。

 

 では、なぜ、トラウマ、と発達障害という全く別の概念による症状が、同じような症状を引き起こすのでしょうか?

 偶然にしては出来すぎています。

 なんらかの共通する要因を持たなければそのような現象は生じないはずです。

 

 では、その”共通要因”とはなにか?

 本日発売された『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』では、そんな発達障害とトラウマの謎についても迫っています。

 よろしければ書店などでお求めください。

 

 

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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概念が濫用されがちな”生きづらさ”に適切な言葉を与える

 

 現代に生きる私たちは、自分たちの生きづらさを言語化する手段、言葉をずっと探してきた、と言えるかもしれません。

 非常に古くは、生きづらさとはほぼ経済状況を指していましたので、「階級」とか「搾取」とか、「物価」とかそんなものに代表させていた時代もありました。

 
 日本も豊かになってからは、冷静崩壊もあって、大きな物語で生きづらさを代表させることが難しくなってきます。

 私も昔調べたことがありますが、「生きづらさ」という言葉時代が本格的に登場するのは、実は2000年代に入ってからになります。

 確かに、あのオウム真理教事件の際に、高学歴の若者たちが入信していって問題になった際も、なぜカルトにハマってしまったのかを説明するのに「生きづらさ」というワードでは語られていませんでした。

 生きづらさという言葉で語られるのは、少しあとの時代からになります。

(参考)→「あなたが生きづらいのはなぜ?<生きづらさ>の原因と克服

 

 

 本来は、哲学、歴史学とかそうしたものが言葉を当ててくれるはずなのですが、そうした力も失われてしまったために、そこを心理学が埋めるようになります。
 
 心理学は、心理という一見、人間の行動を広範に説明してくれるような印象があることから、哲学や歴史学が後退した空白をなんとなく埋めてくれるような役割を背負わされます。
 (ただ、実際はそんな力は心理学そのものにはありません。むしろ、他の学問よりも歴史も浅く、脆弱とも言えるくらいです。)

 生きづらさを説明するのに、心理学が援用され、生きづらさが”診断名化”していきます。その方の成育歴なども含めて大きく捉えたものではなく、症状のチェックリストから判断されるようなことが生じてしまいます。

 すると、なんでもかんでも、パーソナリティ障害、とされたり、発達障害とされたり、最近であればHSPという言葉が作られたり、と言うかたちで濫用されるようになります。

 

 ただ、それらは一見すると説明がついて安心するけど、現実そのものではありませんから、具体的な解決策にはつながっていかない。
 何かは説明してくれているけど、説明した気になっているだけ、というケースも多くありました。

 

 

 こうした妙な状態は、説明しましたような社会状況からも来ますが、もう一つは、フロイトの時代からの「トラウマ」の研究、臨床が重い足取りで進んできた空白のためでもあります。

 多くの人もご存知のようにトラウマというのは臨床心理の原点ともいうべきテーマです。

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの原因と克服

 しかし、当事者の記憶に頼るような理論構築などから、批判にもさらされやすく、フロイトもその批判に耐えられず方向転換をしたり、虐待やレイプなどへの社会の忌避感も強く、長く陽の目を見ずに来ました。
 
 
  生きづらさを説明する概念として、様々な概念が登場しては消費されてきたのも、本来は、「トラウマ」が埋めるべき広大なスペースが空白のまま残されていたため、とも言えます。

 
 生きづらさを捉えるときに、成育歴から、生理的なものも含めた身体全体、そして、パソコンであればOSに当たるような自己の成り立ち、そしてクラウドとして社会との繋がり、関係、そうした総体をとらえなければなりません。

 
 
 今回2月17日(金)に出版いたします本は、そうした状況に一定の区切りをつけて、トラウマとは一体どういうものか?をわかりやすく整理し、あらゆるケースはまずはトラウマの存在を前提として考えることが、生きづらさといったことへの手当をしていくために大切である、ということをお伝えするような内容になっています。

 

 よろしければ、多くの方にお手にとっていただければと思います。

 

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

 

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