不登校を知る、私たちの生きづらさを考える~環境・身体・自己・実存の視点から

不登校について、近年、いろいろな知見が書籍などで出版されるようになっています。

おすすめの書籍の紹介とあわせて、そのポイントをメモしてみました。

その内容は、お子さんをお持ちの方もそうですが、大人の悩みや問題の理解にもとても役に立ちます。
実は、大人の事例の本を読むよりも子どもの事例のほうがより本質がわかることが多いです。

よろしければご覧ください。

  

まず、

不登校を捉えるためには、起こっている事象をフラットに捉える必要があります。

私たちが、起きている事象を不思議なもの、わけのわからないものと感じるときは、その前提を間違って捉えて、複雑化してしまっていることがよくあります。

例えば、間違った前提とは、
・子どもは大人とは違う心理を持っている
・さらに、(学校は行くのが当たり前なのに行かない、ということは)不登校になる子どもはよほど特殊な心理や事情を抱えている

といったようなことです。

多くの場合、簡単なことを捉え違いしているときほど、「深層心理」といったわけのわからないものに、原因を求めがちです。

反対に、

・子どもも大人とその心理は基本的に変わらない(成熟の有無はあります)
・学校は行くのが当たり前ではない(と考えてみる)
・不登校は、特殊な事由ではなく、(私たち大人も経験するような)不安などの積み重ねで生じる
・プラス、子ども、思春期に起きる問題が加わる
・「心の問題」ととらえすぎない

と置いてみると、かなりその様子は見えてきます。

 

最初に、

「・学校は行くのが当たり前」という観点を外して見ると、見通しは軽くなります。

例えば、大人の私も、長時間拘束される一日の研修などは、憂鬱になります。早く終わらないかな、とおもいます。

さらに、会場が混んでいて長テーブルに3人がけみたいなのは勘弁してほしい、と思います。

そんな感覚からすると、子どもの頃、あんな40人近くも生徒がいるギューギューの教室で、朝から5,6時間も授業を週5日など、よく受けていたものだ、と思います。
今だったら無理ですね。

 

そして、勉強が得意ならいいですが、そうではない子にとっては嫌な場所でしょう。
さらにここに体育、給食、そして友達付き合いなどが入ってきます。なかなかのハードルです。

例えば、私たちも、自分が関心のない趣味や習い事を無理やり受けろと言われたらどうでしょうか?

行くのが嫌になりますし、自分から参加している習い事でも、そこで参加者や講師から嫌なことを言われたり、変な参加者が現れたり、ということがあると、その習い事をやめようかな、と思ったりします。

昔から、ゴルフなどではマナーにやたらとうるさい人や、教えたがりな人がいて辟易する、といったことはよく言われてきました。
なので、最近は、テニスやフットサルなどのスポーツでも、過剰なコーチングやかかわりを禁止しているような場所もあります。

 

 

会社でも、嫌な上司や得意先などがいたら、億劫になりますし、実際にうつなどで会社を休んでしまうこともいまや珍しくありません。
(学校の先生自体が、何千人も休職しているくらいですから大変なものです)

子どもにとっては、
同級生から何かを言われたり、
学校の先生との相性であったり、
勉強や運動での得手不得手であったり、
学校に行くたくなくなるファクターはたくさんあるということです。

 

かつての時代、昭和、平成であれば、ここに「学校は行くものだ」という社会的なリアリティがあり、それを、多くの人が築いてきました。

紹介する書籍の中でも
例えば
「おばあちゃんからランドセル送られてくる」と言ったことから何から、そうしたものが社会的なリアリティを支えていたとされます。

このリアリティは功罪あります。
罪の部分は、本当に学校が合わない子どもや、個々の気質の多様性を抑圧してきた点、学校側や大人側の問題点を見ないようにしてきたこと、実存的な課題に向き合うことを妨げ、場合によっては、実存的課題に向き合っている子供を異常ととらえたり、といったようなことが起きてきました。

 

功の部分は、
「なんとなく行きたくない」といった層にとっては、登校の刺激、規範となってきました。

ですから、昭和の頃は、不登校はまれな問題であったとされます。

 

しかし、
気質の凸凹や個々の状況を尊重するという考え方の広まりや、選択肢の多様化もあり、「学校は行くものだ」というリアリティは、徐々に崩れてきました。

さらにリアリティの加速をさらに強めたのがコロナ禍です。

少し不調があれば休むということが日常のこととなり、もはや、休むことへのハードルは大きく下がってしまいました。

その結果、以前であればともかくも学校に行っていた「なんとなく行きたくない」といった層もなんとなく行かなくなるといったことが増え、理由を尋ねても、なんとなくとしか返ってこず、教師も保護者も、何が原因かもわからない状況が珍しいことではなくなりました。

こうした状況はとくに「令和型不登校」と呼ばれています。

 

原因がよくつかめないケースについて、その要因はケースにもよりますし、一概に論じるのは、難しいわけですが、冒頭に述べましたように、「学校は行くべきだ(ということは休むということはよほどの要因があるはずだ)」という前提を外してみれば、よくつかめなさの要因の一つはわかるかもしれません。

 

私たちも、日常の行動や買い物など、なんとなく気が乗らないためにやめることはあります。
義務や外的な制約がないものについては特にそうです。
本来人間とは「原因があって行動する」というモデルではないことは心理学や社会学でも指摘されていることです。言葉ではもっともな理由を言いますが、それは後づけであり、本当の理由ではありません。
それと学校に行かない、こととが同じでは?と考えてみれば、原因がよくつかめないということの謎がわかるのかもしれません。

 

桑島隆二氏は
ここに、絶対評価で子どもの成績に差をつけない、挫折や苦労を避けさせるような近年の教育の悪影響を指摘します。
本来は、勉強にもスポーツでも得手不得手があり、そこで自分の状態に直面し、徐々に自己を確立し、それぞれの人生で主人公となっていくはずのプロセスが妨げられ、特に高学年、中学以降に現実に直面して、一気に不登校に陥ってしまう、ということを大きな問題としています。

 

 

さらに、
諸富祥彦氏などは、そこに、「身体の変容」を見ます。

大人でも長い休日のあと会社に行く際に身体の重さを感じますが、特に成長段階の子ども場合、長く(1週間でも)休んでしまうと、本人が動きたくても動けなくなります。土のうを背負ったかのように、重い体を引きずって、というような状態になってしまい、自身でも何が何やらわからない体の変化に戸惑い、さらに言語化できずに周囲も困惑する、ということになると指摘をしています。

 

 

不登校は上記の状態を理解したうえで、子どもが感じる不安については把握し、理解が必要になります。

不登校自体は決して病気でも異常でもないということが大原則です。

 

また、安易に「心の問題」として捉えないことです。
心の問題と捉えると実際が見えなくなってしまいます。
心の問題というのは、要は、寄り添っているように見えて「特殊視」するような態度になってしまったり、言語化がまだ難しい状況や時期に、無理やり内面を掘り下げるようなおかしなことになりかねません。

そして、「身体の変容」が起こる前の初動での対応を目指し、仮に休んでも体を動かす、といったようなことが重要とされます。

 

また、
思春期以降の学年では思春期特有の問題が生じます。
思春期は、親や大人の影響から徐々に離れて自己を形成していく時期です。
進路の選択といった人生の岐路にも直面するようになります。
勉強も難しくなっていきますし、人間関係も複雑になっていきます。

 

それだけではなくからだも変化します。ホルモンといった内的なバランスも大きく変わります。
思春期以前の子どもの時期の自分の世界が崩れ、そのことに戸惑うといったケースも珍しくありません。

子どもによっては、自分にとって世界とはなにか?生きるとは何か? といった意味、実存的な不安、といったものにさいなまれるケースもあります。

こうしたプロセスが妨げられずに、自己を確立していくことが「人間の成長」であり、それは、決して、私たちが漠然と感じるようなお行儀のよいプロセスことが“正常(ノーマル)”ではないのでしょう。
子どものころにぎゃんぎゃん泣いたり、わがままを言って辟易したりもそうですが、思春期の頃の不安定さ、わけのわからなさも、世界が崩壊するような恐怖もそれこそが人間の成長なのだと思います。それを多くの文学などもテーマとしてきました。
(宮崎駿の「君たちはどう生きるか?」も一見するとわけのわからない世界です)

こうしたことも不登校の大きな要因の一つとなります。

 

思春期などでは、実存的な不安については、理解したうえで、それを本人がある種、現実と内面とは分けて割り切って学校に通う、というようなことを大人が支援することも必要だとします。
内面の問題は内面の問題として、現実は現実として、ということです。
(ケースにもよるのでしょう)

さらに、制度としては、指摘のあるような絶対評価を見直し、あらためて相対評価の中で、挫折や苦労ということを適度に妨げないこと、中学以降であれば、学びたい内容を選ぶような学校自体のあり方も必要では?とも指摘されます。

 

反対に、なんでも自分に合う場所でなければ適応できないということは現実には難しいため相性の合わなさは適当にやり過ごし、自分にとって相性のあるものに集中する相性のマネジメントも大切である、という専門家もいます。

 

ここまで、ざっとメモですが、

お子さんをお持ちで、なんとなくお子さんの「学校行きたくない」に困っているケースはもちろんですが、ご自身が生きづらさ、自己の喪失でお悩みの方も、ぜひお読みいただくとよろしいかと思います。

 

諸富祥彦「学校に行けない「からだ」」図書文化社
桑島隆二「脇役になれない子どもたちー不登校の正体ー」アメージング出版
神村栄一「令和型不登校 対応クイックマニュアル」ぎょうせい
千葉孝司「令和型不登校対応マップ」明治図書出版

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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