私もかつて、生きづらさにたいへん苦しんでいた時期がありました。
解決の緒(いとぐち)を求めて、色々と取り組んだり、本を読んでみたりしました。
その中に、トラウマに関するものもありましたが、全くピンとこなかったことを覚えています。自分とは関係のない遠い世界の話が書かれている。あるいは、トラウマを題材にして、なにやら抽象的な、衒学的な事が書かれているだけ、という印象でした。
自分の生きづらさとつながるような説明が全くありませんでした。
ですから、当事者の私は自分の生きづらさとトラウマを結びつけることができず、「自分の生きづらさはトラウマが原因ではない」「トラウマなんて存在しないんじゃないか?」と考えていました。
そんなことより、努力して頑張ろう、みたいに考えていたのです。
それもそうで、ある意味専門家もわかっているようでトラウマの実態がよくわかっておらず、トラウマは劇的でわかりやすい症状や問題から概念化されてきたためです。
そのため、トラウマは一部の人だけの特別な事象とされ、多くの人にとって遠い世界のものとされてきたのです。
トラウマが生きづらさと結びつかないために、別の概念(アダルト・チルドレン、発達障害、パーソナリティ障害、HSPなど)で説明しなくてはならず、「たしかにそうだけど、いまいちすべてを説明しきれない」「解決には繋がりにくい」という事態が生じていました。
トラウマ研究もまだまだ途上でしたので、それもむりもなかったのかもしれません。
トラウマについて書かれた本がこれまで分かりづらかったことの原因としては、日常の生きづらさというものは当事者でなければ、なかなか言語化できない、ということもあったと思います。
第三者の立場で接する研究する研究者にとってはなおのことで、そのために劇的な事例にばかり目が行くことになっていました。
これは吃音(どもり)にもいえます。当事者と、研究者や治療者との感覚の差は、驚くほど大きいものです。
そのため、果敢に吃音の解決に取り組み始めた一部の治療者が最初にしたことはなにか、といえば、それはそれまでに出た専門書を捨てることだった、といいます。
専門書に書いてある通りにしてみても実態に即しておらず、全然良くならなかったためです。
(実は、学会で別の治療者も、同様のことを言っていました。まず専門書を捨てるところから始めた、と。)
(参考)→「吃音(どもり)とは何か?本当の原因や症状を理解する7つのこと」
こうしたこともあり、トラウマに関する本はいくつも出版されてきましたが、臨床心理の専門家が見てもよくわからない、わかりづらいものとなってきました。
近年は、良い本もいくつか出てくるようになりましたが、特定の理論から説明されていたりとまだ”遠い”と感じていました。
今回出版させていただきました本は、そんな状況を橋渡しして、生きづらさに悩む方に、トラウマとはなにか?をお届けするべく、
なんとか頑張って書かせていただきました。
よろしければ、ご覧くださいませ。
みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)
●よろしければ、こちらもご覧ください。
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