「パワハラ、カスハラとか、〇〇ハラが次々出てくる」、「どこからがハラスメントになるかわからない」と、近年ハラスメントにまつわる戸惑いを耳にします。
こうした戸惑いが示すように、「ハラスメント」ほど、明確な定義がないまま世の中に広まってきた言葉も、他にはないかもしれません。
ハラスメントを恐れる上司が部下に対して会社での積極的な支持や管理を避けることがハラスメントとされる「ホワイトハラスメント」なる奇妙な問題まで生じていることを見れば、その弊害もある種の極点に来ているといっても言い過ぎではありません。
・ハラスメントには核心、メカニズムが存在する
本来、ハラスメントとは単なる迷惑行為を指すものではありませんでした。
ハラスメントとは、人間関係における呪縛や侵害に関する概念であり、もともと、人類学者グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」理論(“Toward a Theory of Schizophrenia,”論文)を源流とします。 日本でも実際に東京大学の東洋文化研究所の安富歩教授や大阪大学の深尾葉子教授が「魂の脱植民地化」プロジェクトを立ち上げて研究されるなど、実は、「ハラスメント」は、人間という存在を解き明かす可能性を持つ「人文知のテーマ」と捉えられてきた歴史があります。
そのため、世の中ではほとんど知られていませんが、ハラスメントには核となるメカニズムが存在します。
そのメカニズムを知ると、ハラスメントとは何か?が驚くほど理解できるようになります。
ハラスメントのメカニズムを知ることは、日常でのハラスメント防止に役にたつことはもちろん、私たち人間の在り方を深く知ることにもつながります。
今回は、「ハラスメント」とは本当は何なのか?について解説してまいります。
・ハラスメントとは何か?~社会性の虐用(ソーシャリティ・アビューズ)、ローカルルール
まず、ハラスメントとは、「加害者が自分の不全感をかりそめに癒すために表面的な規範を道具に、私たちの社会性、善性を悪用する行為」 のことをいいます。
「不全感」とは、I’m OKではない状態、自己の満たされなさや不安定さといったことをいいます。愛着不安やトラウマ、短期的にはストレスなどによって生じます。
ここでポイントなのは、ハラスメントが ・「私たちの社会性、善性を悪用する行為」である ・「自分の不全感を癒す」ということを目的としている という2点です。
これが、社会ではほとんど知られていないハラスメントの要点です。
私たち人間は社会的な存在とされます。社会的な存在であるとは公的な規範や責任で成り立つということです。そのため、私たちは規範や責任を口実にされることにはとても弱く、本当は加害者個人の不全感でしかないものでも、「こうあるべきだ(ルールだ)」「お前の責任だ」とされると私たちはそれを飲み込んでしまうのです。こうした不全感を他者に押し付けて解消するために、表面をもっともらしい理屈でコーティングされた偽物のルールのことを「ローカルルール」 といいます。
そして、ローカルルールなどを利用して、受け取る側の社会性を悪用することを「ソーシャリティ・アビューズ(社会性の虐用)」 といいます。
これがハラスメントのメカニズムの概略です。
ハラスメントに遭うと、私たち人間の持つ生き生きとした心や感情の働き(東京大学の安冨歩教授はこのメカニズムを「学習」と呼んでいます)は支配、拘束されて生きづらさを感じるようになります。
「~~ハラ」と様々な種類のハラスメントが世の中では言われますが、各ハラスメントには共通してこうしたメカニズムが存在しています。
・俗にいう“ハラスメント”は2つに大別される
世の中で俗に“ハラスメント”と呼ばれるものは、2つに大別されます。 それは、「行為(doing)レベル」と「存在/精神(being)レベル」 です。
行為レベルとは迷惑行為そのもの、存在・精神レベルとは前項で紹介した「ソーシャリティ・アビューズ(社会性の虐用)」を伴うもので、心理的な支配、拘束が生じる状態です。
・行為レベルのハラスメント:迷惑行為そのもの
・存在/精神レベルのハラスメント:心理的な支配、拘束(≒ソーシャリティ・アビューズ(社会性の虐用))
例えば、セクハラでも被害の事例でも、その影響はただの行為レベルの被害だけにとどまらないことがわかります。
間違った価値観の影響(「付き合いの範囲だ」「こんなことくらい我慢するのが当然だ」「こんなことを問題化するなんて大人げない」「なんとかうまく穏便にすませなければ」「被害者にも落ち度がある」など)や、それらを利用した加害者の卑劣な侵害や、セカンドハラスメントを受けて、存在/精神レベルでも被害者は長く苦しんでいます。
私たちも過去に受けた理不尽な行為(いじめや嫌がらせ、暴言など)がずっと頭に残っていることがありますが、それらがなぜ今でも尾を引いているか?といえば、そこに存在/精神レベルの支配、呪縛の影響があるためです。
実は性被害も含めて、劇的なストレスに見舞われた場合には、多くの人はトラウマにならず回復していくことが知られています。 その際に、トラウマになるかならないか?をわけるものも、心理的な支配、拘束(≒ソーシャリティ・アビューズ(社会性の虐用))にあると捉えれば、その差を説明することができます。
このような構造的なメカニズム把握や分析は、一般のハラスメント本では全く触れられていません。外形(表層)的なガイドラインや定義に終始し、核心となるメカニズムが世の中に知られていないために、なんでもかんでもハラスメントということが生じてしまっているのです。
こうしたことがわかれば、何がハラスメントでそうではないのか?を自分でも応用したり、職場で議論したりできるようになります。
では、次に、具体的な例をもとにハラスメントのメカニズムを理解してみましょう。
・事例からハラスメントのメカニズムを理解する①:職場の場合
職場によくあるケースから、ハラスメントがどのようなメカニズムで成り立っているのか?を示してみました。
1.上司が不全感を抱え、部下をコントロールするなどネガティブな意図を持っている。
2.部下を些細なミスなどを理由に叱りつける。
※部下は、たしかに自分にもミスがあったことは認めるが、日々の業務では些細なミスは生じるし、忙しい中で致し方ないとも思っています。 また、仕事の仕方はいろいろなので、たしかにそうかもしれないけど、強く叱責されるほどでも、という思いもありどこか納得できません。 しかし、職場において上司の叱責を受け止めなければ、あるいは、間違いがあれば改善しなければ、という「社会性(ソーシャリティ)」から耳を傾けてしまいます。
3.上司は、さらに「おまえには反省の態度が見られない」「お前は普段からミスが多い」と部下の都合や感覚を否定し、表面をコーティングすることで不全感を隠ぺいするメッセージを発する。
※部下は戸惑い、ストレスを感じます。 しかし、ミスも生じた中で、上司に反論してはおかしな人間ともされかねませんので、やはり耳を傾けてしまいます。
4.「こんなことでは、仕事は任せられないし、いつまでたっても一人前になれないぞ!」
※「社会性(ソーシャリティ)」に働きかける言葉を繰り返しかけられることで、精神的に呪縛され、自分の感覚を疑い、自信を失うストレス状況から抜け出せなくなります。
5.違和感を感じるので他の人に相談したら、「あなたの態度に何か問題があったんじゃない?」「会社ってそういうもんだよ」と言われてしまう(セカンドハラスメント)
※自分がおかしい、という状況の完成。
これが繰り返されることで、部下は自分の感覚を信じることがだんだんできなくなり、上司の基準を正解として不全感を飲み込み、支配されてしまうのです。
・事例からハラスメントのメカニズムを理解する②:親子の場合
次は、親子の間で生じるハラスメントの例です。
1.親が自身の不全感から不安定で、イライラしている。
2.家で遊んでいる子どもを「勉強しなさい」と叱りつける。
子どもは、なんで遊んでいけないのか?と反論する(違和感)
3.「あなたのためを思って言っているのよ」(表面をコーティングするメッセージ)と伝える。
※子どもは混乱する。直感では、勉強していないことが原因ではなく、単に親は自分のイライラ(不全感)をぶつけているだけと感じているから。
4.「いつも言うことを聞かない。素直じゃない」 ※子どもは、不満を感じながらも、自分が悪いと思ってしまう(子どもの「社会性(ソーシャリティ)」)。
5.他の子や大人に聞くと「うちでもそうだよ」「勉強しないから悪いんじゃない?」と言われてしまう(セカンドハラスメント)。
※自分は言うことを聞かない、おかしな子、という状況ができあがり、以後、徐々に自分の直感も信じられなくなっていってしまう。
・「社会は、ハラスメントでできている」
上に挙げた例を見て、「えっ、そんなことがハラスメントなの?」と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? 東京大学の安冨教授は「社会は、ハラスメントでできている」と表現しているように社会にはハラスメントはそこここにあふれているのです。
人間には【本来の自分】【実存】とでもいうような部分がありますが、ハラスメントを仕掛けられると、自分の感覚を疑うようになり、自分を信じられなくなってしまうのです。まさに、精神が呪縛される、もっと深刻になると、魂が殺されてしまうのです。これは決して大げさではありません。 スイスの心理学者アリス・ミラーはこのことを「魂の殺人」 と呼んでいます。
拠り所を失った人間は、外部の規範や、他者に依存するようになります。幼いころにそうしたことが起きると、大人になってからもモラハラを受けやすい人間になります。さらに悪い事には、ハラスメントを受けておかしくなっている自分を正当化するために、他者を「おまえは礼儀がなっていない」といって叱りつけるなど、今度は自分がハラスメントを行うようにもなるのです。
ハラスメントとはこうしたプロセスを言います。目に見えにくいですが、私たち人間に重大な影響を与えているのです。
・分断され、社会に届かない「ハラスメント」の知見
ここまで見てきたように、ハラスメントとは、単なる迷惑行為といったことにとどまらない、人間の本質にかかわるテーマです。
上記でも触れましたが、日本では、東京大学などで研究プロジェクトを行うなど、学術的にも分析がされてきました。
モラル・ハラスメント自体は、フランスの精神科医イルゴイエンヌが提起したものですが、その背景には単なる迷惑行為や個人に対する侵害への問題提起を越えた深いの領域が控えているのです。
しかし、これらの知見は分断にさらされてきました。残念ながら、行政や労務におけるガイドラインを参照しても参考文献にこうした研究は全く登場しません。また、当事者を支援する専門家たちの書籍でも、こうした研究に触れられることは、ほとんどありません。 メカニズムなど問題の本質に迫るような知見に関心がもたれずに、ただ外形的なガイドラインか、当事者の事例をまとめたようなものが通例になってしまっています。
こうした知見の分断の背景には、心理臨床や精神医学におけるガイドライン依存や心理を問う機運の衰退など、簡単に言えば、事象の本質、メカニズムを深く掘り下げて定義する文化が失われていることがあるのかもしれません。
・ハラスメントの基準~どこからどこまでがハラスメントか?
ここまで解説させていただきましたハラスメントのメカニズムを知ったうえで、実際に日常の現場でどこからがハラスメントで、どこからがそうではないのかを見ていきたいと思います。
1.ハラスメントの基準を知るための前提
まず、「ハラスメントとは加害者が自分の不全感をかりそめに癒すために表面的な規範を道具に、私たちの社会性、善性を悪用する行為」という理解が基本です。
そうした関わりをされると、された側も何とも言えない嫌な感覚がわいてきます。「不全感」という概念はあまりなじみがないかもしれませんがとても重要です。人間の言動の背景には実は不全感が含まれていることがあり、それが人間関係や組織(家庭、学校、地域、職場など)をおかしくしているのだ、ということについて私たちは正しく認識する必要があります。これらを知っているだけでもハラスメントの基準についてかなりのことがわかります。
そして、不全感をかりそめに癒すために他者の社会性、善性を悪用することがない関わりであれば、まずはそれはハラスメントではない、ということです。
2.行為doingレベルの迷惑行為と、存在(精神)beingレベルの影響とを分ける
そのうえで基準をより明確にするために、行為doingレベルの迷惑行為と、存在(精神)beingレベルの影響とを分けてとらえてください。
行為レベルの迷惑行為・ストレス事象のみの場合は厳密にはハラスメントには当たりません。 例えば「口は悪いのになんだか憎めない、嫌な感じがしない」というのはこうしたケースです。あるいは、熱意をもって叱咤するといった上司の姿などもある意味同様です。(※ただし、実務や現場における総論としては、できれば避けるべき行為として取り扱われます。)。
最近、職場で人が立てる音が気になって困るということで「音ハラ」ということが言われるそうです。これも音を立てる人が不全感から意図して発しているのでないのであればハラスメントではなく、単なるストレス事案、迷惑行為となります。
このように何でもハラスメントになるということを防ぎ、基準をもって切り分けていくことができます。
3.存在レベルに立ち入っているか否か?
次に、社会におけるかかわりの原則は、他者の存在レベルの事柄には立ち入る(相手の人間性を云々するようなこと)権利は誰にもない、ということ。できることは行為レベルでのやり取りであるということです。特に仕事などでは、行為レベルでの改善や要求をやり取りできなければ仕事にならないため、それらについての関わりは基本ハラスメントではないことがわかります。
行為レベルのやり取りの際に、暗に存在レベルへの侵害がないかどうか?については現場でも検証をすることです。 例えば、不機嫌になりながら指示をするといった行為は、暗に「お前が自分を不機嫌にしている」というメッセージが込められている場合(かりそめに自分の不全感を癒そうとする行為)があり、ハラスメントになりえることがわかります。
もちろん人間ですから、仕事で迷惑をかけられて腹が立つことはあります。その際は必ず、「Iメッセージ(私は困ります。こう改善してください)」つまり、自分を主語にした1人称で、相手の存在を尊重したうえで、行為レベルに限定して発せられる必要があります。
・基準の共有と吟味~社員の多元性、多様性が尊重されているか?
こうした基準の共有、吟味とコミュニケーションの配慮、必要に応じてトレーニングがされれば、会社で若手社員に恐る恐る接するといったような「ホワイトハラスメント」なるおかしな現象は生じなくなります。
例えば、飲み会についても、存在レベルでの侵害(来て当然だ、来ないやつはダメな奴、など)がないか?などは吟味し、必要性への了解と、相手の事情を配慮したうえで開催することが原則です。飲み会そのものや、誘うこと自体はストレスがあったとしても行為レベルのもので、基本的にはハラスメントではないと捉えます。
仕事において、さらに突っ込んだやり取りが必要な場合、規範や責任についてやり取りが必要な際は、それが真に妥当なものか?不全感を隠した関わりではないか?といった吟味が必要になります。
「ブラック」「宗教的」といったような批判を受けるような職場は、経営者の不全感がそのまま企業理念や社員規範となっている場合があり、本来は、経営者個人の不全感は脱臭・昇華した理念にする必要があります。 具体的には、パブリックルール(社会の良識)のフィルタを通し、社員の多元性、多様性を尊重したものである必要があります。マインドセットや意欲といったことが求められる場合でも、社員の人格Beingを云々するのではなく、あくまで行為レベルのものとして扱われるべきものです。
さらにいえば、相互の尊重や信頼が十分に醸成されている職場では、「自分の不全感から他者の社会性、善性を悪用する」という危険性がなくなるため、トークストレート(率直な会話)ができるようになります。実際に実現している会社は存在します。そうした会社では、相手の立場などに臆せず、言うべきことを言う、しかし、イシューと人格は切り分けられている、ということが当たり前になっています。
ここまで見たように、ハラスメントのメカニズムという視点があれば、これまでにない様々な応用やアイデアが涌いてきます。
・ハラスメントの抑止と対処~メカニズムを理解、応用した環境づくり
ハラスメントのメカニズムという視点を持つことによる応用やアイデアとは、たとえば職場においては、どのような職場づくりをすればハラスメントの防止に有効なのか?ハラスメントのメカニズムを理解した上での職場づくりはどうすればいいのか?すでに世の中で知られ、実施されている取り組みについてもその意味や効果が別の角度で見えてきます。
例えばダイバーシティ、パーパスといったことも、それらが経験的に有効というのは経営の観点からわかっていることですが、実は心理学やハラスメントに関する知見から捉えると、それらが、ハラスメントを抑止するために必要な多元性、多様性を醸成する効果があることがわかります。
社会的な存在である人間は公的な場でこそ本来であることができ、公私があいまいになるとおかしくなりやすい、とされます。それは「公私環境仮説」 という心理学のテーゼでもあります。
つまり、一見公的な場に見える職場ですが、実際はローカルなコミュニティであり、公私があいまいな状況になりやすく、ハラスメントが生じやすいとされます。学校のいじめも似た構造があるとされます。このことを内藤朝雄准教授は「中間集団全体主義」 と呼んでいます。
ダイバーシティ、パーパスといった施策がなぜ有効かと言えば、ローカルコミュニティとして閉じがちな職場にパブリックルール(社会の良識)を通し、公的な環境を作り出して、ハラスメントを抑える働きがあるためです。
さらに、あらためてパーパスの策定などを通じて、経営理念や文化に含まれる創業者や経営者個人の不全感を脱臭させる効果もあります。さらにそれらはハラスメントの抑止だけではなく、公的な環境作り、多様性尊重などを通じて構成員の創発を促す効果などもあるのです。
こうしたことは既存の経営書などにも書かれていない視点です。
・“自分らしくある”とは何か?~ハラスメント理解からみえてくる私たちの可能性
ハラスメントの研究と理解とは単に人間の負の側面を明らかにするだけではありません。それらを通じて、人間がよりよくあるための要件が明確にもなります。
例えば、ローカルルール、ソーシャリティ・アビューズによって呪縛される仕組みがわかることで、人間の持つ特質も明らかになります。
その特質とは、・個々人はそれぞれに資質を持つこと(資質の多元性、多様性) ・社会性、善性 ・学習、創発よって人は機能する
など、といったことです。
機能するためには、
・シンプルな一貫したコミュニケーション ・各人の多様性・多元性を尊重したかかわり、環境作り ・「不全感」の存在を知る
が求められることがわかります。
機能しなくなると、人は、外部から押し付けられたニセの自分を生きることになります。ナチス親衛隊の幹部であるアイヒマンなどはまさにそうした人物であったとされます。
そして、何よりも必要なのは、「不全感」について私たちが賢くなること。「不全感」というものの存在については、これまでは明確には言われてきませんでした。しかし、これからは不全感の存在についても社会が敏感になる、違和感を言語化することが必要です。
不全感を隠したローカルルールは、家庭の中でも、地域、学校、職場でも拒否していくことが重要です。
私たちが社会的な存在であるからこそ、それを悪用するかかわりには「NO」と言うことです。
そうすることが、不全感の連鎖を止めていくことにつながります。 (子どもへのマルトリートメントや虐待の防止の取り組みなどは、その根本にあるものです。)
ハラスメントなど人間が引き起こす、他者を傷つけるふるまいといったものも、結局は不全感の連鎖によって生じているということは、すでに、トラウマや愛着に関する研究で明らかになっています。
差別や虐殺、戦争といったことも、実は不全感の連鎖によるものでは?と指摘されています。
「社会は、ハラスメントでできている」という東大の安冨歩教授の言葉を紹介しましたが、ハラスメントの構造に気がつかずに(ハラスメントと呼ばれていなくても、実際は、日常の様々な場面で行われています)、程度には差はあれ、私たちの多くがハラスメントに呪縛されてきたとしたら?
そして、「ハラスメント」やその裏にある不全感について自覚的になり、適切な対処や環境作りがされるようになったら、生きづらさの解消はもちろん、私たちはより”自分らしく”あることができるようになり、可能性が開かれていきます。
(参考)→ダブルバインドなどからみたハラスメントのより詳細なメカニズム:「ハラスメント(モラハラ)とは何か?~原因と特徴 」
●よろしければ、こちらもご覧ください。
・ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ
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