トラウマを負った人たちの独特な人間観

 

 トラウマを負った人たちは、人間観も独特なものです。

 

 簡単に言えば、人間は〝とても立派な存在”ととらえています。
 他者もとても立派で優秀な人だと妙にあがめたり、あるいは、本来は立派あるはずなのに、堕落してそのことに気が付いていないとして、とてもこき下ろしてみたり、します。

 

 

 例えば、サービスが悪い、仕事ができない、といったことで他者にイライラするのはなぜか?といえば、本来は立派であるはず(べき)なのに、努力もせずに堕落している姿に腹が立っているのです。

 だから、あれほどイライラする。
とにかくこき下ろして、“人間”という枠から除外したい。

 

 

 

 

 また、神のように立派な存在から堕落したサタンのように恐ろしい存在として見えている場合もあります。
 そのため、トラウマを負った人にとって「人が怖い」というのは、単なる「対人恐怖」といった言葉では形容できないような感覚です。

 

 

 クレームが寄せられたら、まさに立派な存在からのダメ出しであり、神か悪魔からの天罰のように感じられ、委縮してしまいます。おろおろして、うまく対応することができません。ミスは絶対にしてはいけない、間違いは罪、といった感覚です。言われたことをすべて真に受けてしまい、深く傷ついてしまいます。

 


 一方で自分は、一生取れない呪い、罰を受けて放伐された存在、と言ったように感じられています。ずーっと消えない罪悪感を感じて生きています。罪悪感を感じながらも、自分も本来は立派であるはず、と思っています。

 そのために、自分が何でもできる、本当はすごい存在なのだ、という意識も裏にはあります。人に対して尊大になったり、妙に自信家になったり、することもあります。

 

 ストレス応答系のリズムに置き換えれば、立派な人間とはテンションの波がない、一定の存在です。大人になることとはテンションの波がないものだと誤解しています。


 そこに自分も立派な人間になろうとして、テンションを一定にしようとしますが、すると、尊大になったり、へりくだったり、逆に社会の中で自分は傷ついてしまいます。

 本来は波を作りながら、真ん中(センター)であるものなのです。

 

 

 

 

 対して、普通の人たちの感覚とは何か?と言えば、わかりやすくいえば、「落語の世界のような人間観」です。
人間というのは立派なものではない、どうしようもないもの、弱いもの、という感覚です。

 

 仕事でミスすることもあるし、飲んだくれることもあるし、浮気をしちゃうかもしれないし、どうしようもない。

「もう、しようがないね~」「ちゃんとしておくれよ!」という感覚。

 

 人間が立派な存在だなんて感覚はない。化け物に見えることはない。
(たまに、どうしようもない人間に狐がついておかしくなることはありますが)

 

 自分だって、そんなたいしたことはない。
お互いさまで、とぼけることもある。そういうもの。

 

 もちろん、ミスがあれば怒られるし、いいかげんが良いわけではないけども仕方がない、と言ったことです。

 

 人間がどうしようもない、といったこと、そうしたことを「業」というそうですが、そうしたことが肯定される世界観です。

 

 

 ストレス応答系のリズムに置き換えれば、テンションに波がある。他者同士で互いにリズムを刻みながら、ダンスをしあうような関係。ストレスに合わせてリズムを刻むので、ほのぼのと生きられる。他者とも一体感を感じてつながることができる。

 

 

 そのリズムの存在は、トラウマを負った人の目から見たら、「どうしようもない」、未熟で、感情的で、動物的なもののように見えるかもしれませんが、自然で美しいものです。

 そのリズムの先には一体感や平和な世界が広がっています。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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ストレス応答のリズムが一体感と平和を生む

 

 

 クレーム処理の現場では、まず第一声は、相手のテンションに合わせる必要があるそうです。

 

 怒っている相手に冷静に「どうされましたか?」と返すと、怒りでテンションが上がっている相手からするとバカにされたように感じてしまう。

 「どうされましたか!!」と少し口調のテンポを上げて対応すると、相手はわかってくれた、共感されたと感じます。実は「冷静な態度で対応しようとすること」が多くの問題を生んでいることがあります。

 

 職場で、感情的な上司がいたりします。今でいえばモラハラやパワハラということに抵触しそうな存在ですが、そうした人に対して、冷静な態度で接すると相手は、話を聞いていない、態度が悪い、と反感を持たれてしまいます。
 クレーム処理と同様に、相手のテンポに合わせる必要があります。

 

 

 筆者も、職場でそうした経験があります。おそらく心理臨床でいえば、強迫性パーソナリティ障害(発達障害傾向)に該当するような先輩がいて、その人が自分の基準で行動して、周りを振り回していました。

 

 そうした人への反発や恐怖もあって、冷静に対応しようとしていましたが、まったくうまくいきませんでした。

 

 筆者は、冷静に対応して、相手にしないようにしてスルーしようとしたのです。
自分の心の中ではアナグマのようにこもってストレスから身を守ろうとしていました。

 

 これが相手からするとバカにされたと感じられ、かえってエスカレートして、悪いうわさを流されたり、大変なことになったことがあります。

 人当たりの良い人は、その辺が上手です。

 相手のテンションにうまく合わしてテンションを上げて、ストレスはキャンセルして、流していきます。

 

 

 「相手に合わせると、なんだか自分が汚染されるような、巻き込まれるみたいで嫌なんです」とおっしゃるクライアントさんも多いです。

 

 しかし、体内の免疫や、国に例えれば国境警備隊(軍隊)や警察などもそうですが、ストレスがあった場合に、それを処理する方法はその場を離れるか、その場にいるなら中和(キャンセル)しかありません。

 外部からのストレスと同じ力まで内部のテンションを上げて、ストレスをキャンセリングするのです。そうすると、相手との境目でキャンセルされて、中身は平静でいられます。

 

 逆に相手とテンポを合わせないと、かえって、やられっぱなしになってしまう。テンポを合わせるからこそ、相手のストレスをキャンセルできる。

 

 

 これが、安定型の人であれば、身体のストレス処理系が自動的に行ってくれます。

 実はキャンセリングは、された側も心地が良いもので、一体感を感じます。ちょうどダンスを踊っているようなリズムを互いに刻みあうのです。

 

 さながら、ボクサーや格闘家が試合中に恍惚や一体感を感じるみたいに。どれだけ強いストレスであっても拮抗している間は一体感として感じられるのです。

 

 ただ、ストレスホルモンのリズムが遅れて、ガードが遅れると、パンチを食らって、恐怖で心臓がバクバクして、「もう二度と人と接したくない」とも感じてしまいます。紙一重です。

 

 「ビビる」とは何かといえば、それは性格の問題でも、意志の弱さでもありません。ストレス処理系のリズムが悪い、反応が遅い、ただそれだけです。反応が遅れると、外部からのストレスが勝って、まともにパンチを食らってしまうのです。相手に勝つ必要はありません。ただ、相手と同じリズムを刻めばいいのです。そうすれば、嫌な相手にもビビることなく、逆に一体感を感じることができます。
(昔の人たちが、「胆力」といったことはまさにこうしたことです。)

 

 通常、愛着が安定していて、ストレス応答系のリズムのハーモニーが整っていれば、紙一重の難しい機能も自動的に行ってくれますから、人とも一体感を感じられて、生きづらさを跳ね返し、平和でいられます。


 この自律神経のストレス応答のリズムの中にトラウマを負った人たちが生きづらさから本当に抜け出すヒントが隠されています。

 
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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”ストレス応答系の失調”としての心の悩み

 

 人間というのは環境に生きています。外からはいろいろなストレスを受けます。それに対して、ストレス応答系と呼ばれる自律神経システムが自動的に対処してくれます。

 10段階で5のストレスには、5のストレスホルモンで中和させる、3のストレスには3のホルモンで返す。

 瞬間的、自動的なストレスコントロールによって、内部は平静に保つことができます。

 

 

 

 また、対人関係でも、ストレスコントロールが相手との“つながり”を作ってくれます。さながら相手とダンスをするように、ホルモンの波形は形作られます。

 このホルモンの動きが、「一体感」を演出してくれます。

 人からはストレスもやってきますが、ストレスホルモンが同じ波形を作ってくれている限りは、それは一体感と感じられるのです。

 

 

 

 

 ただ、トラウマを負った人は、ストレスホルモンの波形が狂っているので、人からのストレスは「一体感」ではなく、「ハラスメント」と感じられてしまいます。だから、人と一緒にいてもしんどいし、億劫で、楽しくありません。


 過度なストレスの場合も、ストレス応答系の機能がストレスを排出してくれます。嫌な記憶は、過去のものとして処理してくれるのです。記憶も身体の代謝であるといえます。しかし、トラウマを負った人の場合は、その処理がうまくいかず、処理されないまま、毒素(トラウマ)として残ってしまいます。

 トラウマとは、“記憶”というストレス処理系機能の失調なのです。
 ストレス処理という側面から、生きづらさや悩みをとらえると面白いことが見えてきます。

 

 

 例えば、甲状腺や副腎に失調がある人は、心の悩みを引き起こしやすいことが知られています。ちょっとしたことでも虐待、ハラスメントだと感じられたり、情緒が不安定で記憶もおかしくなったりします。これも自律神経で重要な役割を果たす機能が低下することがストレス処理システムに影響した結果であると考えられます。

 

 
 別の例では、発達障害の場合も、心の悩みを引き起こしやすい。原的な不安を抱えていて、些細なストレスでもトラウマ化しやすい。

 

 発達障害の方は、体温の調節ができなかったり、汗をかかない、感覚過敏など身体の問題でも知られています。発達障害とは「身体の失調である」という専門家もいます。

 

 体温の調節など自律神経系が、定型発達であればオートマティックであるのに対して、発達障害の場合はマニュアル操作であると例えられます。頭でコントロールしなければうまく動いてくれない。

 

 体温以外のストレス処理でも、頭でコントロールしなければならないので、些細なストレスでもやられてしまう。
 やられないように先回りすると読み違えて「関係念慮」に陥ってしまう。発達障害の方は、代謝がうまく働いてくれていないのです。

 

 

 トラウマを負った人も同様にストレス処理などの自律神経系に失調をきたします。とくに長期間のストレスには動物は対処できるようにはできていないため、HPA軸と呼ばれるストレス処理システムは狂ってしまう。

 

 すると、ストレス、記憶などが更新できなくなってしまうのです。処理ができないがないため、毒素(ストレス)が排出できない。嫌な記憶が抜けない。恥や罪の感覚にずーっとさいなまされてしまう。加害者も覚えていないようなことをずーっと記憶して、それが反芻してしまうのです。

 

 対人関係も悪く固定化されてしまう。小学校のころにいじめられたこと、親から「ダメな子」と呼ばれたことなど、その関係性をずーっと引きずってしまう。

 

 

 

 健全なコンディションであれば、新たなネットワークにつながりながら関係はどんどんと更新されていくので、過去の嫌な関係性も自動的に少しずつ変わっていきます。嫌な相手でもある時に「あれ?この人って、こんな人だったっけ」となります。それは自律神経が関係を自動更新してくれたおかげです。

 

 

 このように、心の悩みを、“ストレス応答系の失調”であるととらえると、皆様の生きづらさを本当に解決する糸口や悩みの本質が見えてきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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更新されない人間関係

 

 代謝がないとどうなるか?といえば、人間関係も更新されなくなる、ということです。
 通常、人間関係では、その距離感や、貸し借り(義理、人情)というものも 日々、計算、更新されていきます。

 

 人にしてあげたこと、してもらったことも、自動で計算されて、清算・完了されるのです。

 

 人間関係の在り方もそうで、力関係なども常に更新されます。
しかし、トラウマを負っていると代謝が止まっているような状態なので、その更新処理がなされません。

 

そのため、無限に義理堅いのです。関係を引きずるのです。

 

 

 よくある例では、

あるクライアントさんが、ずーっと母親の世話をしている。まだ介護になっているわけでもなく、お母さんは健康です。

 

 でも、なぜかお世話をしないといけないと思っている。
「家族だから当然」「私の義務」と思っていますし、やめようとすると罪悪感が襲ってくる。

 

 これも、本来は、そんなお世話は必要ない、普通の人たちをみてもそうです。反抗期で精神的に距離を取ってからは、社会人になって自宅を出たら、盆と正月くらいにしか実家には帰らない、ということはごく普通のことなのです。もちろん、親には恩はありますが、それは遠くから返すものだし、何かあれば、ということで、過度な罪悪感はありません。

 

※そもそも、親とは社会の代理であって、親子は世代間に関わりを下の世代に送りあっていきますから、自分がされたことを自分の子や周囲の人に返していくものです。産みの親に過度の罪悪感や義理をもつ、ということは普通のことではありません。親があまりにひどい親なら関係がキレて普通なのです(生みの親より育ての親)。

 

 しかし、トラウマを負っていると、無限に義理堅く、相手にかかわり続けようとしてしまいます。

 

 会社に入ったら、やめたら申し訳ないとして、しんどい環境にもかかわらず、居続けてしまう。

 

 ひどい彼氏にもずーっとつくして、かかわってしまう。

 周囲の人たちからは「やめときなさいよ」「そんなにかかわらなくてもいいのよ」とアドバイスされても、耳には入りません。かかわりをやめることは、相手を見捨てることだと錯覚しています。


 健全に代謝があって、関係性が更新されれば、相手への義理や人情も更新されていきます。

 そして、相手が応えてくれないのであれば、関係は完了するのです。そのことを「愛想が尽きる」といいます。

 

 トラウマを負った人たちは「愛想が尽きる」機能がマヒしてしまっています。

 

 

 普通の人は、想像以上に良い意味でドライなのです。
トラウマを負った人の感覚とは、まったく違います。

 

 

 人間関係も、日々更新されていきます。
子どものころの親子関係と大人になってからは全く異なります。どちらも成人ですから、徐々に対等な関係になっていくものです。

 

 でも、トラウマを負っていると、ずーっと子供のころの親子関係を引きずったようなかかわり方になってしまします。親が年老いていっていることもありのままに感じることができていなかったりします。

 

 あるいは、過去の苦手な人間関係も引きずってしまうのです。

 

 こちらが人間関係が更新されずにかかわるものですから、相手もそれに感応して、支配的に接してこられて「ほら、やっぱり何も変わっていない」と感じてしまうのです。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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