造られた「負け(You are Not OK)」を真に受ける必要はない。

 

 最近は、「あおり運転」で死亡事故が発生したこともあって、「あおり運転」の危険性や対策に注目が集まっています。特に、ドライブレコーダーが普及してきていることから、実際の映像などが比較的容易に記録され、TVなどでも放送されるようになりました。
 

 皆様も目にしたことがあるかとおもいますが、被害者側はほとんど何も悪いことをしていないにもかかわらず、急に、「あおり運転」で絡まれる、ということがあります。何キロも追跡されたり、前をノロノロと走られ、急減速を繰り返す。
 挙句の果てには停止させられて、「ドアを開けろ!」と威嚇される・・ 本当に恐ろしいことです。

 

 加害者側にとっては、自分は絶対の正義で、理があって、「自分を怒らせた相手を懲らしめよう」として行っていることですが、記録は面白いもので、そうしたことが加害者側の半ば「妄想」にすぎないことがわかります。
 
 そして、だれでも被害者となりうる。

 

 人間というは、公私の区別が曖昧な環境ではおかしくなりやすい。

(参考)→「「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる

 車というのは半ば私的な空間です。人格が変わってしまう条件が揃っている。さらに、自己愛が傷ついていて、怒りが溜まっていると解離したり、脳に血流がたまり認知の歪みが生じたり、記憶が飛んだりして、ちょっとした刺激も自分への非難として受け取ってしまうことがあります。
 自己愛が傷ついているとは、自分は常に「負け( I’m NOT OK )」ているとの感覚を持っていること。

 

 「あおり運転」とは、その「負け( I’m NOT OK )」を、他者を負かすこと(You are Not OK)で、挽回しようとする行為と言えます。

 前回はサービス業などの周りに、自己愛が傷ついて「負け」が混んだ人が回遊してくる、というようなことを書きました。

 

 職場でのハラスメントなどもそうですが、クレームなども大半の場合は、「あおり運転」に見られるメカニズムと似たような背景が考えられます。

 

 

 こうしたことは、家族や親しい人の周りでもよく起こります。

 その加害者が、皆様の親だったり、パートナーだったり、兄弟だったり。

 例えば、親が自己愛が傷ついていた、ということがあると、子どもに「負け(You are Not OK)」を負わせて、親が自分の「勝ち( I’m OK )」を得ようとすることは珍しくありません。

 そのためには、徹底的に子どもを否定する、貶める。兄弟間でえこひいきする、といったことがおきます。

 

 兄弟の間でも起きることがある。
 TVでもある女性漫才師が、姉妹からの暴言がすごいということをネタにしていました。そこでTV番組でひっかけで、マイクを付けて兄弟に電話したら聞いていられないような暴言のオンパレード。
 (別のタレントに電話を変わると態度が豹変しちゃいました。私的な環境になると人間はおかしくなり、公的な光に照らされると正気に戻る、という現象です。)
 

 パートナーの間でしたら、DVということになります。
暴言、暴力で、相手がいかに価値がないかをとても論理的に、感情的に示そうとする。

 「こんな事もできないんだったら、お前は社会人として~~」みたいな言葉がポンポン出てくる。
  

 職場でも、上司が「お前は何年生なんだ。いくつなんだ。こんな事もできないで」みたいなことを浴びせてくる。

 パートナーや部下を「負かして(You are Not OK)」、自分の「勝ち(I’m OK)」を得る行為です。
 

 「相手は、学歴もあるし、容姿もいいし、「負け」を抱えているように思えないけど」というような人でも、自己愛の傷つきを抱えていることは少なくない。
 そうした人から標的にされて、理由がわからず、「自分は絶望的におかしいんだ」と思わされてしまいます。
 

 

 職場や家庭では、相手の些細な失敗を根拠にしているために、加害者側は自分がおかしいことに気が付かない。自分は正しいことをしていると思いこんでいる。
 しかし、メカニズムは「あおり運転」となんら変わりません。根拠は捏造されたものであり、真実ではありません。

 人間は、自分の「負け(自己愛の傷つき)」を取り返すために、身近な他者を貶めることで挽回(「勝ち(I’m OK)」)しようとするものです。

 

 本来であれば社会的に活躍したり、自己研鑽して、「勝ち」を取れればよいのですが、環境が揃わないとなかなか難しいこと。そのために、人為的に「負け」を作り出して、自分の「勝ち」を得ようとするのです。

 そうしたときは、徹底的に相手を負かさないと勝ちになりませんから、そこで尽くされる言葉は苛烈を極めます。
中途半端がありません。とことん相手を潰そうとします。

 負かす相手に力が残っていて復活されては、自分の「勝ち」が証明できないのです。

 だから、ハラスメント、暴言の言葉はとことんまで相手を貶めるような内容になるのです。一番痛いところをついてくるものなのです。しかも、暗示的な内容を加えて、相手が将来に渡って復活できないように、暗示で縛りつける、ということもよく起こります。
 (例:「あなたなんかこれからどこに行ってもうまくいかない」「社会人失格!誰もあなたに頼ろうなんて思わない」)
   
 

 

 家族やパートナー、暗示の言葉を真に受けさせられて、自分には価値がない、と思っている方はたくさんいます。
 あるいは職場において上司、お客さんなどからのハラスメントやクレームを浴びて、ずっとそれが抜けない、という方もいます。

 でも、 人間は、自分の「負け(自己愛の傷つき)」を取り返すために、身近な他者を貶めることで挽回(「勝ち」)しようとする、ということ性質ゆえのことであり、あなたに問題はありません。どんなに真実味があったとしても捏造されたものであり、意味がないことなのです。

 メカニズムを知っていれば、「負かそうとする言葉」には実は意味、中身がないことがわかります。
 
  
 そのことを知っておけば、相手からの暴言を真に受けずに、徐々に呪縛が抜けていきます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

人は、自己愛が傷つくと、相手を「負かして」、自分が「勝つ」ことで存在を保とうとする

 

 私たち人間というのは、関係性の中で、「位置と役割」を得て、自分の自信や存在価値というものを感じ取ることができています。

 その一番の土台は「愛着」というもので、コンピュータのOSのようにワンパッケージで提供してくれます。
 そこから得られる自信、存在価値という感覚は、身体レベルのものです。
 身体レベルでの「安心安全」。頭で理屈付けする必要のないような感覚です(「理由わからないけど、当たり前」という感じ)。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 愛着不安やトラウマ(ストレスによるストレス応答系の失調)、発達障害などになると、そうした身体レベルでの安心安全が崩れます。すると、コンパスが乱れて自分自身の「位置と役割」が感じにくくなり、根拠のない自信、存在価値というものが感じ取れなくなります。

 

 すると、頭(論理的に)で、自分自身の存在価値を構築する必要があります。ただ、この作業は本当に難しい作業です。

 なぜかというと、人間が自分の存在価値を証明する、というのは、たとえば、哲学者カントとかヘーゲルとかハイデガーとか、そうした天才たちでも完全にはできなかったような、とてつもない作業を一人でしなければならないからです。
 

 トラウマを負った人というのは頭のいい人が多い、という印象はここから来るのかもしれません。自分で色々と考えざるを得ないからです。
 

 

 生きづらさも極まったり、自分で考えることに疲れてくると、一足飛びに承認を得たい、という感覚になります。

 超越的ななにかとつながって、自分の価値や自身を認めるような関係がほしい。それがスピリチュアルなものへの関心、という形で現れることがあります。

 

 筆者も昔、天を指差す海外のスポーツ選手の仕草を見て
「キリスト教とか、一神教というのは羨ましいなあ」と感じたことがありました。自分で考えたり、煩わしい人との関係は抜きにして、自信を構築できる手段があるように見えたからです。

 

 問題なのは、人間にとって正しい正しくないとはしばしば相対的です。すると、頭のレベル(論理的に)で自分の正しさ( I’m OK )を証明するためには、誰かを敵として相手を貶めるしかない(「勝ち」を得る)、というところがあります。
 
 宗教などでも、異端とされる側の人たちを徹底的に殲滅しないと、自分たちが正しいと証明が難しい。ですから、苛烈を極めます。

 

 

 トラウマを負った人にとっても、「You are Not OK」という態度になりやすい。もちろん、自分にも根底ではどうしても自信がないのが拭えないのですが、躁的防衛で自分を高めて、相手を「You are Not OK」と思うこと(自己愛性パーソナリティ障害的な状態)で、自信をなんとかこしらえることができます。

 それが外に向くと、事業や仕事で一時的に活躍できたりすることがあります。

 

 

 自己愛が傷ついている状態の人というのがいます。トラウマを負った人たちにとっては、ハラスメントを仕掛けてくる側の人たち、といえるかもしれません。

 自己愛が傷ついているということは、常に「負け( I’m NOT OK )」を抱えている、ということです。
 
 人間、「負け( I’m NOT OK )」を抱えている状態を解消するためには、相手に「勝つ(You are Not OK)」しかありません。

 

 それが事業、仕事とか生産的なものに向く場合は良いのですが、そうした手段も奪われている人たち、あるいはあまりにも「負け」が混んでしまっていてにっちもさっちもいかない人、身体レベルでも強い不安、自信喪失を抱えている人は、他者を貶めることで、「勝ち( I’m OK )」を得ようとします。

 

 無意識に「勝てる(You are Not OK)」人を探そうとします。

 
 そうして「勝てる(You are Not OK)」人を見つけて、相手の行動に因縁をつけて、相手をコテンパンにやっつけようとします。

 例えば、ちょっとした態度や仕草、言葉尻、メールの文面を取り上げては「失礼だ」として怒り出したり。応じた相手を徹底的に人格攻撃をしたり。
 

その時の攻撃というのが、徹底しているのは、「勝つ」ためです。
 そのため攻撃(ハラスメント)を受けた側は、「こんなに非難されるということは、自分はよほどひどい人間なんだ」、と真に受ける必要はありません。
 なぜなら、「勝つ=相手を徹底的に負かす」ということだからです。
 相手を全くだめな人間だ、という形にしなければ、「勝ち」がつかないからです。

 自己愛が傷つくと側頭葉に怒りがたまり、認知に歪みが生じていますから、本人も半分無意識的に行っていることです。

 そうして「勝ち」を拾って、自分を一時的に癒そうとします。ただ、一時的なものですし、根本的には、何も解決しませんので、次の対象を探して、回ることになります。

 

 

 こうした人達が、世の中の「サービス業」の周辺を回遊していたりします。
 (境界性パーソナリティ障害、発達障害の一部の人達などがそれに当たると考えられます。)

 サービス業で目指すのは経済的にはWin-Win ですが、精神的には「Lose-Win」(お店側が負け-お客様が勝ち)という体(演技)をあえてとっているのは(「出血大サービス」という表現を使っているのは、まさにそうですね。「私達は大負けして、あなた達が勝っているんですよ」というニュアンス)

 

 トラウマを負った人は、この負ける演技をすることがうまくできない。ニュートラルな関係の中で、演技(=儀礼)をすることなのですが、すごくへりくだりすぎてしまったり、演技をせずに棒立ちになったりするので、相手は嫉妬を起こしたり、あるいは脅威、「負け」を感じてこちらに勝とうとして、失礼なことを言ってきたり、輪をかけてこちらを攻撃してきたりするようになります。

 人間は相手に「負け(You are Not OK)」を負わせて、自分の勝ちを得ようとする生き物、ということも世の中の裏ルールと言えるかもしれません。

そのルールを知った上で、うまく対処する必要があります。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

普通の実態がわからない~他の人はそこまでしていない

 先日の記事でも書きましたが、
 意識が高い、ということは、やりすぎてしまう、ということでもあります。

(参考)→「なぜ、意識が高いと揶揄されるのか?」 

そして、
 仕事でもファインプレーを目指そうとする。

(参考)→「ファインプレーを目指そうとする」 
 理不尽な要求に答えることを当たり前とする、ということがあります。 
 

 

 その意識の高さや、自分への厳しさは「マイルール」のようなものですから、世の中で求められることとはズレがあります。

 気づいてみれば、「他の人たちは、そこまでやっていない」ということがあります。

 また、他人が本当は求めてもいないことに一生懸命になっているために努力に比して大して評価もされない。

 本当に力を入れないといけないことができていないので、逆にだんだんと評価が下がる、ということも起きてしまう。

 

 トラウマを負うということは、理不尽なストレスを浴びてきたということです。
 アメリカなどの映画で、戦争から帰還してきた兵士が、庭でのんびりしていると、茂みから愛犬が飛び出してきたのをゲリラだと勘違いして構えたり、バーベキューの炎がバチッという音に反応して汗だくになったり、というようなことがありますが、日常でトラウマを負っているいうのは、そういうことにも似ています。

 特に人、社会というのはとても恐ろしいものに見えているので、その理不尽に対してずっと過剰に身構えている。

 

 ”非常事態のプロトコル”で動いていて、”日常のプロトコル”で動いていないので、襲撃されないように過剰に準備をしてしまって、空回りということが起きるのです。

 プライベートでも、仕事でも普通の当たり前がわからず、やりすぎたり、ということがおきます。

 

 

 普通の人たちは、トラウマを負った人から見たら想像の何倍も、普段は「低体温で」「無関心で」「テンションが低い」ものです。
 でも、ここぞというときは「高温で」「他者にしっかり関心を向け」「テンションを上げる」のです。
 そのメリハリの適度な”波”のことを「気が合う」「気が利く」と評されるものになります。

 

 トラウマを負っていると、ずっと「緊張し」、「テンションが高く」、「関心を向けている」ために、メリハリがなくいざというときには動けなくなる。そして空回りが起こる。
 

 

 そうした空回りを乗り越えるためにはどうするのか?

 
 自分が考えている努力をやめて、まずは大きく撤退する必要があります。そこから周りの人達を見ながら、必要なものだけ足していく。

 

 その時は何やらサボっているような、平凡になってしまって嫌だ、という感情が湧くかもしれませんが、淡々と行っていく。

 「(頑張らなければ)怒られる、見捨てられる」という感情が襲うこともあります。あまりに強いようでしたらカウンセリングやケアを受ける必要もあります。

 基本は、そうした「怒られる」「見捨てられる」という気持ちはトラウマが放り込む幻想だ、と知ることです。

 

 人間関係でも、人付き合いでも、無理をしない、気もつかわない、へりくだらない、挨拶だけしておく。
 そして、最低限必要なものだけを足していく。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 トラウマを負った人が見ている、人間関係や社会への幻想の壁(「人間はこうだ」「社会はこうだ」)はなかなか強固で厄介なものですが、徐々に薄れていきます。

 

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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なぜ、意識が高いと揶揄されるのか?

 トラウマを負った人は、とても「意識が高い」ように見えます。

 世の中の矛盾がよく目につく。
 会社など、組織の矛盾もよく目に入る。

 同年代の人にはないピュアな感性を持っていたりする。

 人のことを先回りして、いろいろと気を使って、何かをしようとする。

 
 気持ちがへとへとになって疲れるくらいに、周囲に対して意識を向けます。

 

 近年、そうした人に対しては「意識高い」系として揶揄されます。

 揶揄の裏には嫉妬などネガティブな要素もあります。単なる揶揄でしかないものもあります。

 ただ、的を得ているところもあります。

 

 なぜかといえば、一般の人のプロトコル(付き合いの手順)に合わず違和感を感じさせてしまうからです。

 これまでの記事でもまとめましたように、人間は、1階、2階、3階・・と階層状になっていて、多くの場合私たちは一階で接しています。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 1階というのは、気を込めず、淡々とやり取りをこなす形式的な世界です。意識が高い行為というのは、2階、特に3階部分のスペシャルサービスです。
 ここぞ、というときに発揮するもの。

 

 しかし、トラウマを負った人は、階層状になっていることが感覚的につかめずに、1階部分に、2階、3階の要素が混在してしまっています。そのため、1階部分から意識が高い行動をとってしまいます。

 さらに、トラウマを負った人からすると世の中は理不尽であって、改革の対象でもあります。大人への反発もあったりする。そのため、「You are not OK」というサインが出やすいことも重なります。
 

 周囲の人達が一見、のんびりとして、やる気が無いように見えるのは、それは階層構造になっているためです。いざとなれば動くわけですが、それがわからずに、「You are not OK」というサインを出して、意識高く動きまわると、空回りや反発を生んでしまうようです。

 

 安定型の人は、実はそんなに気を使っていない。気を使う時と使わない時とを分けている、と言えます。
 ポイントは、リラックス~緊張の切り替え、アップダウン。

 
 健康な状態の人間は、普段はリラックスしていて(1階にいて)、いざというときにテンションが急上昇する(3階に上がる)。

 トラウマを負っている人は、常に緊張していて(3階にいて)、いざというときテンションが持続できず動けなくなる(階段から転ぶ)

 テンションのアップダウンのなさが関係のプロトコル(手順)の乱れの大きな原因の一つになり、違和感、揶揄を招いているようです。

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「反省」するととらわれ、支配される。人間に必要なのは「学習」である。

 

 人の意見を単なる意見として真に受けないなら、反対に、独りよがりになって、人間として間違ってしまうのではないか?曲がってしまうのではないか?と不安になるかもしれません。

 

 トラウマを負った人というのは、とても真面目で向上心がありします。厳しい意見も反省して自分を鍛えなければいけない、とおっしゃる方は多い。
 

 ただ、それは人間の本質や世間のプロトコル(関係の手順)とは異なって、生きづらさを生み出してもいます。
 

「反省」ということもその最たるものです。

 

 実は、人として間違うときというのは、人の意見を聞きすぎたり、それに対抗しようとしたときであることがほとんど。反省しないからではない。

 

 そもそも、人間には「反省」はできない。反省するとむしろ歪んでしまう。

 

 

 なぜかというと、人間の行動の要因というのは、とても多要因、多次元であって、その結果だけを見ると「人」が起こしているように見えますが、実際は違うことがほとんど。

 

 例えば、人が何かを盗んだ、明らかに証拠もある、というとき。法的にはその人の罪です。
 

しかし、その犯罪に至った原因は?ととらえると 

 経済状況
 養育環境
 教育
 体質、気質の問題
 社会、文化的な要因

 など、多岐にわたります。
 
貧しい国でしたら、やむにやまれず窃盗を起こすことがあります。
難しい養育環境で育った可能性があります。
教育が受けられずに、安定した職につけなかった可能性もあります。
摂食障害では、自分でもコントロール出来ないままに、食べ物を盗んでしまうことがあります。
窃盗癖という精神障害もあります。

 

 こうなってくると、原因をその「人」に単純に帰することができなくなってくる。

 

事実、無理に反省させても逆効果になることを描いたのが、元刑務官が書いた
岡本茂樹「反省させると犯罪者になります」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間は直感的に物事の本質を把握しています。
だから、「あなたのせいでしょ?反省しろ」と言われても、腑に落ちないのはなぜかといえば、人間の直感が物事は多要因、多次元であると知り、本当の要因を察知しているから。
単要因に回帰させていることがおかしい、割り切れないということがわかっているからです。

 

 

こうしたことは統計的にも裏付けられます。
大学などで統計に触れた方はご存知かもしれませんが、社会科学においては、明らかに「AはBの原因だ」とおもうような事象でも、統計解析にかけると、影響力は3割にも満たないことがしばしば(単純に言えば10割だと100%それが要因)。
※状況によっては3割でもなかなか高い割合とされます。しかも、物事は、「因果(原因→結果)」ではなく、「相関(要素←→要素)」の関係です。

 

 

 世の中は多要因ですが、人間はかなり単純化して捉えてしまっているわけです。

 特に、「人」は「人」に惹きつけられますので、多くの場合、自他ともに「人」に原因を帰することを安易にしてしまっています。

 

 さらに、世の中では嫉妬、支配、攻撃、ストレスの処理で相手にイライラをぶつけて因縁をつけるといったノイズも多い。99%はノイズといってもよいくらい。

 本当の問題を把握するためには、ノイズもクリアにしないといけない。多くの場合、ノイズが作り出したニセの問題であることがほとんど。本当に「反省」すべきことは限られてもいるのです。

 

 こうしたことを考えると、「反省」とはなにか?「反省する」ということは、とても難しいことがわかります。結論を言えば、人間には「反省」はできない、ということ。

無理に反省をすると、帰属エラーを起こしておかしくなってしまいます。

 

 実際、皆様もいかがでしょうか?例えば、筆者の経験でも、よく考えればこれまでの人生で「反省」して自分が向上したことは基本的には一度もありませんでした。むしろ、萎縮する、抑制される感じで、良くなったとしても、それは母屋を取られた破産者のような感覚でしかありませんでした。

 

 

一方で、人間は改善したり、成長したりしてきています。

それはどうやって実現しているのでしょうか?

それは、「学習」というメカニズムによってです。

 

ハラスメント研究で知られる安冨歩教授は、
「人間社会は学習を基礎としており、学習は情動と感情を基礎としている」「学習とは、新たなコンテキストを獲得していくこと」としています

もっと簡単に言えば、
学習とは、情動、感情というような無意識的、生体的なレベルから世界との関係を更新していく作業、ということです。

 

 例えば、同じような景色を見ていても、人間の認知能力では全部を捉えきれることはできませんから、省略、削除して捉えています。
 情動に素直になってありのままにみていると、見え方、感じ方は自然と更新されていきます。

 そこに、不適切なラベルやレッテルが入ると、その「学習」は閉ざされていってしまいます。
(例えば、「そんないつもと同じ景色じゃん」とか、「あなたが感じることができるわけがない」といったようなこと)

 私達の日常の体験もそうです。
本来、失敗も成功もなく、ただ、多要因、多次元の出来事が流れていっているだけです。

 多要因のままを身体、無意識で感じ取れば、自然と身体と無意識は修正していってくれます。
フォーカシングや暴露(エクスポージャー)といった方法はまさにそれを利用しています。

 

 

スポーツ選手などは顕著ですが、一流の選手であればあるほど、私達が思うような「反省」などはしません。失敗しても自分を責めてわびたりなどしません。

野球のピッチャーなどは相手にぶつけても、負けても平然としている方がよし、とされる。

 

それで、人間としてだめになっていくか、といえばそうではなく、意識、無意識に「学習」している。
自分の身体と対話したり、あとで総合的に分析していたり。

 

本来の人間のあり方とはそういうものではないか?

 

タモリさんの有名な言葉に、「反省しない」という言葉があります。

なぜ「笑っていいともが長寿番組になったか?」と聞かれた際に、「反省しなかったから」と答えています。
直感的にそのほうが正しいと知っていたからかもしれません。

 

日常では、社会的な約束事として便宜的に、「誰かの責任」とすることはありますが、いたずらに反省しても意味はない。むしろもっと悪くなる。

 

「反省」というのはそれ自体がハラスメント的であって、人間的ではない。
 強いて言えば、すべてを知った「神」であればできるかもしれないけども、人間には扱えない行為。
 「反省は」それを悪用して、相手への攻撃、支配の道具として用いられてきた。

 

 多次元、多要因である世界を捉え、循環する自然に生きる人間に適した行為は「学習」。

 さらに上記でも書きましたが、世の中では嫉妬、支配、攻撃、ストレスの処理で相手に因縁をつけといったノイズも多い。99%はノイズ。

 だから、文句を言われたり、失礼なことを言われたりしても、真摯に承っても、そのまま真に受けない。いきなり反省したりしない。無意識に任せて、構造を捉える。

 

 実際に、明らかに自分が悪いと思わされる場面でも、「心(無意識)に聞く」と「ちがうよ。悪くないよ」という答えが帰ってくることがほとんど。それは、心(無意識)が多要因を捉えているからだと思われます。

(参考)→「「心に聞く」を身につける手順とコツ~悩み解決への無意識の活用方法

 

 

支配、ハラスメントから身を守るためにも、

「反省」ではなく、「学習」を意識する。

 

このことはとても大切なことです。

 

 

 

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