親などから入れられた呪縛を解くためには何が必要なのか?

 

筆者が、カウンセリングを提供していて、よく同じ職場のカウンセラーの先生等に冗談っぽくいうのは

「下手にカウンセリングを受けるくらいなら、運動するか、お祓いでも受けた方がよほどいいですけどね」

ということです。

(同じ職場のカウンセラーさんは冗談だと思って笑って聞いていますけど)

 

「お祓い」というのは、実際にそんな力があるかどうかは信じていませんが、ただ、親、家族などの環境から入れられた呪縛を解く手段としては、そんな方がいいかも?って本当に思います。「外部化」「簡便さ」といったブリーフセラピーの要素が入っています。

 

実際に、発展途上国では、統合失調症の治療でシャーマンなどが投薬に匹敵する効果を発揮したり、という報告があるようです。これも暗示の力ですね。

 

 

ブリーフセラピーでも、家族療法の東豊先生が、有名な”虫退治”という方法で、不登校など、家族の問題を解決したりしますが、まさにお祓いのような方法です。

 

ですから、お祓いに擬した方法(暗示)にはバカにならない効果があるとかんがえられます。
(もちろん、だから、いわゆるお祓いを推奨しているわけではありません。お祓いが持つ要素をセラピーに生かせば、というヒントという意味ですけれども。)

 

では、その要素とは何か?

 

 

「呪い」という言葉は、カウンセリングでは使いませんが、そういった方が適切なくらい、私たちに入っている暗示の力はものすごいものがあります。

それは、心理主義のポップ心理学や自己啓発のように、「コアビリーフが取れれば解決します」というように簡単ではありません。

 

暗示というのは、身体に刻まれるように食い込みます。身体とは、ホルモンや、遺伝子やそういったところまでです。

映画、アニメや漫画など、様々なストーリーでも主人公が苦しむ呪いは身体にも刻まれていて、腕とか体に黒い悪魔のような影があるような演出があったりして、考え方を変える、といった程度ではなかなかいうことをきいてくれません。

 

身体に刻まれている、という意味は、もちろん外科的なことではありません。

 

身体とは、一つは「発達」という視点。

人間は、親に育てられ、いっぱい暗示を入れられます。
ただ、反抗期で、その暗示を捨て「このクソババア、クソジジイ」と言って、神からの託宣だとおもっていたことが、単なる一意見に過ぎなかったことを知り、親の価値観を相対化して、成人へと成長していきます。

発達の中には、様々なイニシエーションをへて、成長のために必要な暗示を相対化していく機能があります。

 

しかし、トラウマなどで時間が止まり、「発達」が失調すると、暗示を脱ぎ捨てていく機能が損なわれてしまい、一時的でしかなく、偏った暗示がずーっと残り続けることになります。

 

反抗期がない、あってもただ不満をぶつけるだけで、本当の反抗期の機能ではなかった、ということはよくあります。

 

呪いを解く旅に出る神話などのストーリーは、人生の“発達”を示しているというようなことがよく言われます。

故郷から旅立って、様々な人との出会い、試練を経て、自立し、目的を達成する、大団円かと思ったら、そこに落とし穴があって、
本当の成熟を経ると、落ち着いた日常に戻ることができて・・・

途中には、裏切りとか、別れとかもあり、親(特に父)の影との格闘、

といったようなこともあります。

 

ユングといった人たちが、神話に着目したのも、暗示を解くためには慧眼だったかもしれません。

 

もう一つの視点は、「代謝」「ストレス応答」という視点。

外部からのストレスが来た場合に、それに対処して、自分を守る、ということを私たち人間は行っていますが、暗示が入ることで、それがうまくいかなくなります。

特にストレスは、社会、特に人間からもたらされます。
それへの対処は、身体も含めて、社会的な能力で行うものですが、「あなたは変だ」というような暗示が入っていては、しっかりと跳ね返すことができなくなります。足場がぐらついているところで重いものを持つような感じです。踏ん張れないのです。

さらに、長くストレスにさらされることで、オートマチックに動いて、助けてくれるはずのストレス応答のシステムが起動してくれず、頭ではわかっていても対処できず、さらに自分を責める悪循環に陥ってしまいます。

また、外から栄養を得て、老廃物を吐き出し、成長していく、といったこともうまくいかなくなる。

 

こうしたことも含めて解決することが必要で、単にビリーフとか考え方だけを変えても、根本的な変化は起こりません。

 

私たちも、暗示から抜け出るためには、座してセラピーを受けるだけではなく、社会に出て働き、人との出会いも経て、自分の原家族の価値観を相対化できる力を持つ必要もあるのだろうと思います。

(じゃあ、カウンセリング、セラピーは何をするの?というと、社会での旅が無事に終えられるようにサポートを行ったり、時には避難所となったりする。ファンタジーで回避させて旅を邪魔してしまうことはしない)

人によっては、がむしゃらに頑張って、社会で成果を上げて称賛されて、その実績をもって呪いを相対化させる、という人はたくさんいます。極端なのは、企業の創業者とか、芸能人などですね。
(ある程度成功したら、自分のBeingを癒すことをしないと、いつまでも成功を追い求めて破滅してしまうことになりますけれども。)

 

パーソナリティ障害、というのも、悪いことばかりではなく、それはそれで呪いをとくための未熟な一つの戦略ともいえます。自己愛性パーソナリティ障害などは、社会で成功するための爆発的なエネルギーを提供してくれますから。
ただ、上にも書きましたように、成功とともに並行して自分を癒して、成熟し、普通の社会に着陸しないといけませんけども。

 

トラウマを持つ方にとって、働くというのは、「怖い」といったイメージを持つ方も多いのですが、一方で、”仕事”というのは、呪いに立ち向かうための抵抗の拠点を提示してくれるものでもあります。

 

 

セラピーで間違った方向があるとしたら、愛着だとか、家族との和解とか、生き直しといって、家族に執着させるような方向性を持つようなケースです。

本当は、旅立たないといけないのに、それをかえって邪魔をして、主人公を“故郷”に縛り付けるような方向になってしまいます。

とくに現代は、核家族で、家族が閉鎖的で密着しすぎていて、親子関係の影響が濃すぎるのです。

親が支配的であるなら、親に執着して、態度を改めさせよう、というのは思うつぼです。本当なら、サッと切って、家を出ないといけない。
でも、まちがった家族道徳(ローカルルール)に縛られて罪悪感でうしろめたくなってしまったり、自分には自立などは経済的にはとても無理だと思わされて動けなくなってしまう。

(参考)→「親、家族についての悩みは厄介だが、「機能」としてとらえ、本質を知れば、役に立つ~家族との悩みを解決するポイント

 

呪い(トラウマ)というのは、時間を止めてしまいます。
子どものような状態のままで止まってしまいます。

健全であれば起こるはずの人生のイニシエーションが起こらなくなってしまう。そうして、発達が不良になるので、呪いを負った人が抱える症状と、生まれつき発達障害の人との症状は相似形のように似るのです。
(発達性トラウマ症候群(いわゆるトラウマ)は、“第四の発達障害”と呼ばれます。)

 

セラピーのアイデアとしては、発達の過程をワークのように体験できる、といったことはありえます。催眠(ヒプノセラピー)でスクリプトを聴かせて、それで呪いを解く、というのは、まさに、短時間で“旅”を経験させる手法の一つです。うまくすれば、大きな効果がある。
(ただ、世にある催眠療法を受けたクライアントさんの感想を聞くと、なぜか効果はそれほど芳しくありません。何も変わらなかったという人は少なくない。催眠を受ければいいというものではなく、効果を出すためにはポイントがあるようです。)

 

 

あと、今ここに注目して、止まっている身体の時間を動かすような働きかけをする。トラウマケア(ストレス応答系へのアプローチ)というのはそのための手法です。

(参考)→「新たな療法の治療ポイントは「呼吸」(代謝):新しいトラウマケアのアウトライン

暗示に縛られた状態というのは、自律神経や免疫、内分泌系などがが乱れている状態ですから、それを動かして、健全な代謝が起こるようにする。

運動、睡眠、食事ということがなぜ大事かといえば、止まっている身体の時間を動かす力があるから。

(参考)→「結局のところ、セラピー、カウンセリングもいいけど、睡眠、食事、運動、環境が“とても”大切

セラピーとして着目するのは、やはり“呼吸”の力。呼吸をうまく活用して働きかけて、暗示によって縛られた身体を回復させていくことです。

 

 

お祓い、の持つ要素ということを考えると、人生のおけるイニシエーションを代行してくれる、また、無意識に働きかけて、うまく働かなくなった代謝を回復させるトリガーとなる、ということかもしれません。

 

カウンセリングは、あくまで科学的であることを志向しますから、
こうした要素をセラピーの内部に盛り込んで、難しいケースに挑んでいきます。

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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お悩みの原因や解決方法について

 

「ハウルの動く城」にみる、呪いの呪縛と自由のプロセス

 

宮崎駿監督の映画で「ハウルの動く城」という作品があります。

ソフィーという女性が、魔法使いハウルに出会い、その中で、魔女に呪いをかけられておばあさんになってしまうお話です。

 

ハウルという魔法使いは、魔法で自分の城(動く城)を作って動かしています。

 

ハウル自体の評判は芳しいものではなく、
人の心臓(心)を奪って食べるとか、国に仕える偉い魔法使い(母親?)からも危険視されています。

 

ハウル自体も呪いを背負って生きていて、
そこから脱しようともがいて、戦っています。

 

大きく見える城もハリボデで実は中身はぐちゃぐちゃだったり、
本当は魔法が怖くて、まじないで何とか防いでいたり、
また、ハウルはいくつもの名前を持っていたり、
(「ハウルって一体いくつ名前があるの?」と尋ねられるシーンでハウルは、「自由に生きるのにいるなだけ」と答えます。)
とっても子供っぽかったり、

トラウマを負った人の姿をよく表している、と思います。

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

トラウマを負っていると、
ハリボテのように虚勢を張っていても内面はぐちゃぐちゃ、
自分も他人を傷つけるような言動をしてしまったり(心を奪ったり)、
いくつもの名前を持っているのは、自分というものがよくわからない状態
実年齢に比べて子供っぽく、周りの人たちは大人だと見ています。

 

魔法使い、というのはセラピストの姿とも重なります。
魔法で呪いを解けそうなものですが、実際はなかなか解けませんし、魔法使い自体も呪いに翻弄されていたりします。
(最後は魔法ではなく、愛の力で呪いは解けていくのですが・・)

 

ハラスメントの研究をされている大阪大学の深尾葉子准教授は『魂の脱植民地化とは何か?』という本の中で
「「魂の脱植民地化過程」の描画として本作品を観ると、透徹した一貫性、徹底した描写、完璧なまでのストーリー展開と人物配置で構成されている。」

「「城」は人間の内面世界をそのまま具像化したものであり」「物語全体は、心と魂の乖離を乗り越え、呪縛の快方に向かうプロセスとして展開する」

「ここには、さまざまな精神疾患、たとえば、自閉症や分裂症といった心の病を生きている人々の内面ばかりではなく、「正常」だとされている人々が日ごろ気づかないようにしている心の内奥や魂との断裂、魂との乖離しつつ外面的に構成されているいくつもの人格、そういったものが、見事に視覚化され、映像化されている」としています。

 

 

親子関係、発達、様々な心の悩み、そしてトラウマが解消されていくプロセスと重ねてみると、とても面白い。様々な示唆に富む作品です。

 

原作はこちら↓

 

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

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お悩みの原因や解決方法について

誰かに「自分に罪はなく、自分はおかしくない」と証明してほしい。

前回の記事ではアルコール依存症を例に書きましたが、
悩みを持つ方、トラウマを負った人は、どうしようもなく苦しい悪循環に陥らされてしまいます。

 

1.親や周囲から子どものころにおかしな暗示を入れられてしまう。
(あるいは生まれつきの気質で環境になじめず、普通のストレスもトラウマ(暗示)として記憶されてしまう。)
    ↓
2.その暗示をもとに問題行動を起こさせられてしまい、問題行動が暗示を証明しているように感じさせられる。暗示が強化される。
(「ほら?やっぱり、あなたはおかしな人間じゃないの」「何もできないじゃないの?」)
    ↓
3.さらに苦しみが倍加して、その苦しみを癒すために問題行動や、関係念慮、解離など様々な症状が生まれる。

    ↓
4.その問題行動が自分がおかしな人間であるという思いをさらに強くする。場合によっては、治療、支援してくれる人にも疑いの目を向けて、サポートが少なくなり、さらに苦境に立たされる。
    ↓
5.この悪循環(スパイラル)。

 

私たちは、日々、ストレスにされされます。人格にかかわるような批判にさらされることもあります。支持的な人が周りにいたり、「愛着」が安定していれば、都度、そのストレスをキャンセルして、暗示はブロックされます。
しかし、残念ながら、そうした支援がない場合、「自分はおかしな人間である」という意識はぬぐえなくなり、罪まみれになったような感覚になります。

(参考)→「「愛着障害」とは何か?その症状・特徴と治療、克服のために必要なこと

 

 

悩みを持つ人、トラウマを負った人の願いは一つ
「誰か、この罪(暗示)を説いてくれ!」
そして、
「自分に罪はないことを、おかしな人間ではないことを証明してくれ!」
「自分はおかしな人間ではないんだよ!周りがおかしなだけなんだよ!身体、心が言うことをきかないんだ!わかってくれ!!」

ということです。

 

私たち人間は「二重の見当識」といって、どんなにおかしな症状に陥っても、自分を冷静に見る視点や直観を持っています。

私たちは、直観では、「自分はおかしくない」ということを知っています。でも、社会で行う自分の言動は問題ばかりで、それを現実に証明することができないでいるのです。

 

本当だったら、自分の親や家族が「お前は大丈夫だよ」と言ってくれればそれで解決するのに、親や家族に限って、それをしてくれません。
「お前は~~がダメだ」「そんなんじゃ、どこでも通用しない」と否定的な言葉を浴びせ続けます。

 

悩みを持つ人、トラウマを負った人は、自分の暗示を解くカギを自分の親が握っている、と思っています。だから、成人してもなお、親にこだわります。
親に訴えて、訴えて、「まともな親になってくれよ」「そして、私のことを「大丈夫だよ」と一言いってくれよ」と懇願します。

でも、親は応えてくれません。だから、暗示の呪縛はそのままです。

 

カウンセリングや心理療法は、「あなたは大丈夫だよ」「罪も何もなく、問題ないよ」と心から思えるために親の代わりに“代替のカギ”を作り出して、呪縛を解こうとします。

カウンセリング、心理療法の究極目標はここにあって、そう考えると私たちの行っていることは、とてもシンプルなものです。

ただ、実現のためにはいくつものハードルがあります。
(なかなか、その“代替のカギ”がうまく鍵穴に合わない!?)

 

誰かに自分が無罪でおかしくないと証明してほしい、ということを実現するために、その”カギ”を探して、悩みを負った私たちは、長く険しい旅を歩んでいます。

 

映画や文学などの冒険譚で、主人公が呪いを負っていて、その呪いを解くために旅をしている、といったストーリーを目(耳)にしますが、こうした私たち人間の姿を現しているようです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

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アルコール依存症は、本人の甘さ、人格のせいか?

 

 最近、TOKIOの山口達也さんが、飲酒と、未成年へのわいせつ行為に及んだ件で、ワイドショーなどで話題となっています。

 アルコール依存症では、との疑いもあるようです。

 (参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと

 カウンセラーの立場から見た場合に、実際にどうなのだろう? ということを少し書いてみたいと思います。

 

 飲酒の量などや行動や関係者の話から見た場合に、アルコール依存症の可能性はかなり濃厚であると思われます。
本人が「依存症ではない」と否認したり、「今は飲まない」ということも依存症の特徴です。

 

 アルコール依存症の方は、普段はとても“いい人”であることが多いとされます。でも、飲むと、たちが悪くなるし、本当に憎らしい姿になって、周囲を困らせてしまいます。

 

 今回、「お酒のせいにするな」「本人の甘さのせいだ」という批判も多いようですが、社会的にはもっともな意見です。ただ「アルコール依存症」の見地からすると、それは違うと思います。

 

 アルコール依存症とは、「病気」ですから、問題が生じるとしたら「お酒のせい」「背景にある問題のせい」です。イスラム圏などアルコールがない社会では依存症はそもそもありません。欧米でも限られた店でしか買えなかったり、公共の場所では飲酒できない国は多いです。
 日本はアルコールにはかなり寛容な社会で簡単に手に入り、専門家からは問題であるとされます。

 

 本人が節制して、上手な付き合いをするのが大人の責任、という考えることは普通ですが、依存症は病気なのでどうしてもそれはできません。

 

 実は、依存症の方は、いい加減とか自分に甘くなく、むしろ自分に厳しく、人をうまく頼れない、というところがあります。そのため、依存症は「未熟な自己治療(自分で何とかしすぎてしまう)」と呼ばれています。

 だから、本人の人格のせいではありません。

 本人の中で抱えきれないものがあって、それをアルコールで一時的に治療している、という状態です。
 (背景には、家族の問題だとか、気質などいろいろなことが考えられています。)

 

 飲酒で問題、失敗を起こしてしまって→社会的な責任も問われ→さらに、自分の中で問題を抱えて→お酒で治療せざるを得なくなって→また失敗して→また治療しなくてはいけなくなって→・・・ という努力の悪循環に陥っている状態です。

 

 人格のせいだとされると、余計に悪化してしまいます。

 

 もちろん、今回のように社会的な問題を引き起こした場合は、社会的な責任を負わなければなりません。被害者の方にとっては、本人の状態などは関係ないからです。

 

 ただ、治療においては、社会的な責任の部分と、本来の“人格とは分けてとらえることが必要です。

 アルコール依存症だけではないですが、治療において人格は無答責(=責任がない)であることがとても重要です。
 最新の脳科学や心理学でも明らかなように、意識とは行為の主体ではなく、ほぼ無意識に動かされているのが人間です。意志に関係なく、あるいは意志が強い方ほど暗示の力に引き寄せられて問題に陥ってしまいます。

 

 問題状況から抜け出すためには、周囲が「その方がおかしい」「哀れな人だ」という暗示をかけ続けていては抜け出すことができなくなってしまいます。

 

 問題は本人の甘さのせい/人格のせい、というのは近代個人主義の教義、社会の仮の約束事にすぎず、人間の実態に即したものではありません。
 

 社会的な責任と本来の人格とを分ける工夫は、「罪を憎んで人を憎まず」といったように、ある種の知恵でもあり、問題状況にある人を救ってくれます。

 

 

 また、社会的な位置と役割があることは、私たちが健全に生きるためには重要です。 

 山口さんについても、罪は罪でしっかりと償った後は、周りは憐れむことも、おかしな人だと思うこともない治療に専念できる環境ですごし。できれば、社会的に許されるタイミングで早く何らかの仕事に復帰することがご本人の回復にとっては一番良いように思います。もちろん、体調面、社会的な責任面でも、生涯、断酒を続ける必要があります。

 

 

 (参考)→「依存症(アルコール等)とは何か?真の原因と克服に必要な6つのこと

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

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