「自他未分」

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴として、「自他未分(自他の区別がつかない)」というものがあります。

 

 これは、もともとは発達障害における特徴の一つとされるものです。トラウマを負うと、後天的に「自他未分」というものが生じます。

 内的言語がダメージを受けて、自分と他人の区別があいまいになるのです。

 

 

 もちろん、意識の上では、自分と相手は区別しています。
そこに疑いはありません。普通は問題はありません。

 しかし、コミュニケーションを取り始めたりすると、「自他未分」の問題点は明らかになってきます。

 

 

 「相手の言葉が自分そのものではない」という感覚がないため、相手の言葉がまさに自分の中に入ってくるかのように、相手の言うことを真に受ける。

 

 例えば、「~~さんって、自己中なとこあるよね~」といわれると、「えっ、自己中?どういうこと?」と相手の言葉がグルグル頭の中で回るようになります。

 

 気にしないでおこうと思うのですが、グルグルが収まらず、だんだん不安になってきたり、相手への怒りに変わったり、皆がそう思っているのでは?という「被害関係念慮」が生じてきます。

 

 

 

 自他未分というのは、相手と自分は全く違う人間だ、という感覚が薄いということです。
そのため、自分の考えていることは相手も考えているだろう、と素朴に思います。

 

 しかし、実際はそうではないので、相手はそっけない態度や、否定的な反応を返してきます。

 すると、なんでもないことなのに自分自身を否定されたかのように、見捨てられるかのような極度の恐怖がわいてきます。

 

 例えば、「ここのコーヒーはおいしくないよね?」といった簡単な会話で「そうかな~?」と言われただけでも、どん底に落とされたような気になるのです。
 自分でもなんでそんなにショックを受けるのか、意識ではわかりません。でも抑えられないのです。

 

 そのうち、自分の本音を押さえるようになってしまいます。
自分と他人が同じであるという感覚があるため、人のふるまいにとてもイライラしがちです。

 なんでそんなにイライラするのかがわからないのですが、イライラがわいてきます。自分と他人が同じ、なのですから、たとえて言うなら、自分の体が思うように動かないイライラのようなものともいえます。


 また、自分と他者とは、異なる価値観に住む異文化の住人である、という感覚が薄いことも大きな原因です。価値観が同じ、価値観は一つであるとすると、相違に直面した時に相手を憎むほどにイライラするのです。
(宗教戦争や、左翼の内ゲバなどはまさにそうです)

 

 

 相手をコントロールするタイプの人にはとても恐怖を感じます。そうした人のナメた言動、押しつけがましい言動を軽くいなすことができないのです。頭で対策をシミュレーションをしますが、現場ではうまくいきません。跳ね返されてしまいます。

 

 これも、「自他未分」であるため、相手との間に間合いを置くことができないのです。相手の言う言葉を、「事実」としてとらえてしまうのです。

 

 相手の「否定的な感情」にもとても弱いです。

 相手がこちらに敵意や反感を向けてくると、恐ろしくて腰が砕けるようになってしまいます。本来であれば、その感情にはこちらも感情でノイズキャンセリング(否定的な感情を打ち消す)して解消すればよいのですが、それができません。

 

 内面はとてもビビりです。
 でも、表面的には割とこわもてで、淡々としていて無表情と言われることがあります。

 

 ノイズを自然にキャンセルできないことと、他人への怖さから、ついつい言動がきつくなってしまうのです。
※TVに登場する芸能人などでもそうした人はよく見かけます。こわもてだけど、実は生い立ちの問題からそうなっているだけで、内面はとてもビビりだという人は多いです。

 

 そのうち、「人見知り」になり、人とうまく付き合えなくなってきます。本当は「人見知り」ではないのですが、相手が侵入してくる怖さに、相手との相違をどう対処したらいいかわからないしんどさに
上手く人と付き合えない自分の状態に疲れてしまうのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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過剰な「まじめさ」

 

 トラウマを負った人のもう一つの特徴(症状)は、「まじめさ」です。過剰なほど「まじめ」なのです。
 なぜまじめかと言えば、「一元的価値観」で、さらに「過剰な客観性」を持っていて、「世界には善悪、正誤の基準がある」という感覚があるからです。

 

 

 そのため、目の前にあるものを相対化して受け取ることができないのです。相対化とは、もっと簡単に言えば、「茶化したり」「諧謔(面白い気のきいた冗談。しゃれ。ユーモア)」をもって接することです。

 それができません。


 なぜなら、目の前にあることが客観的に事実だと思い込まされているから。

 人の言動も真に受けすぎてしまいます。

 とても傷つきやすいのです。

 なぜなら、人の言葉も事実だと思い込まされているから。

 

 

 もう一つの理由は、トラウマを負った出来事によります。

 自分勝手な親のふるまい、人によってはレイプといった理不尽な出来事によってトラウマを負いますから、そうした勝手な人間の行動については嫌悪しますし、自分はそうはなるまいとかたくなに考えています。それもまじめさを後押しします。

 

 まじめさは、学校の勉強など決められた線路を進む場合は強力な推進力になりますが、広い世の中を渡る場合には、足かせになることが多く、生きづらさの原因にもなります。

 

 人生の意味や目的を考えすぎて、虚無的になり、人によっては自ら死に至る、というケースもあります。

 

 

 本来の人生は、「ただ生きるだけでよいもの」

 

 価値観も多元的で、落語の人物たちのような人生観(業の肯定≒人間とはどうしようもないもの)です。


「借金を負えば自己破産すればいいじゃないか」

「ひどい家族なら捨てればいいじゃないか(仏陀もキリストも家族を捨てているし)」

「仕事も変えればいいじゃないか」

 

 

 でも、なぜかそうは考えられない。

 トラウマを負ったゆえの「まじめさ」ゆえに「人生とは立派に生きるもの」と考えさせられてしまっているからです。

 

 社会とは、「自分が楽しく生きるためなら、少々のズル賢さがあったり、グダグダしてもいいじゃないか」という価値観でぼちぼちと進んでいくものですが、それがありません。

 

 残念ながら、会社などに入ったり、社会に出ると、実は暗にそのように生きている人たちにいいようにされてしまうのです。

 

 

 トラウマを負った人たちは、その苦難に際してどうするか?と言えば、自分を見つめなおして、自分を高い精神性へと高めることで生きづらさを乗り越えようとします。
 しかし、ほとんどの場合は破れてしまいます。
 なぜなら、それはトラウマを負ったニセ成熟の夢、幻想だからです。

 

 トラウマによって幼いまま時間が止まり、青くウブなままなのです。そのウブで清廉潔白な自分が好きでもあり、とても辛くもあるのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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トラウマを負うと一元的価値観になる

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴の一つとして、一元的な価値観になる、ということがあります。

 

 一元的価値観とは何か?というと、簡単に言えば、善悪(正誤)の基準がこの世で一つだけ、ということです。

 

 トラウマを負うと、この世が危険な場所であると感じられ、常に漠然とした不安になります。不安から逃れる方策として、どこかに絶対の価値観があるという観念を持ったり、自分がその価値観から外れた罰としてトラウマを負ったのだ、という感覚を持つようになるのです。

 

 さらに、トラウマは人から、特に親から、負わされることがあります。本来であれば、親に対しては、反抗期を経て、自らの価値観を確立して、多元的になるものです。

 

 しかし、トラウマの影響で、親には反発しながらも、依存させられる、ということが起きるために、本当の意味での反抗期を経ることができません。結果、世界が絶対的な一つの基準でできている、といった価値観を自然と持ってしまいます。


 一元的価値観があると、その価値観の中で力の強いものが上位に来て、そうではないものが下位に来て、支配されてしまう、ということが起きます。

 

 そのため、トラウマを負った人は、常に、どこか自分はダメなおかしな人間だとして、自信がありません。また、社会に出ると、その場で力の強い人にいいようにされたり、支配されやすい傾向があります。

 

 逆に、躁的防衛として、妙に尊大になって、相手を見下したり、自信満々になりますが、周囲に反発されると脆い性質があります。


 とってもピュアで理想主義的ですから、自分の価値観を他者に押し付けてトラブルになりがちだったり、他人が高い理想を求めないことについて落胆することがあります。

 

 よくあるのは、感情的になったり、他者の悪口などの意識の低い発言をする身近な人を見て、「なんで、この人はもっと高い精神性を持つように努力できないんだろう? 気が付けないんだろう?」と感じてイライラする、といったことです。

 

 

 一元的価値観ですから、他人も自分と同じように考えるはずだ、として、相手に期待しますが、当然ながら相手は同じようには考えてくれずに、失望してしまいます。

 

 

 さながら、テロリストのような心性をもっています。
(理想主義的で、モチベーションが高く、正義感も強く、他人に期待して失望する、ということです。)

 
 自他の区別がつかないために、相手の言葉を真に受けやすいです。
なぜなら、一元的価値観ですから、相手の言葉≒事実 として受け取ってしまうからです。

 「相手は相手。自分は自分」とは思えないのです。

 


 トラウマを負った人は、一元的価値観を持つという性質を利用されて、親や上司の言うことは自分よりも正しい、としてハラスメントに遭いやすく職場や家庭でいいようにされてしまいがちです。

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

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虐待などつらい体験は理解されない

 

 クライアントさんからよく聞かされる話で多いのは、医師やカウンセラーから、養育環境で負った理不尽な経験をなかなか理解してもらえない、ということです。
(真の理解とは何か?というと深いテーマになりますが、それはここでは置いておいて)

 

 目の前にいる方がクライアント(患者さん)なのですから、その方のいうことをまず受け止めずに、あたかも客観的な第三者のようにふるまってしまうことが多いようです。

 

つまり、
「(酷いことをした)親にも何か事情があったんですよ~」
「お母さんも、余裕がなかったんですね~」

といった反応を返されてしまうのです。

 

 

 虐待ネグレクトやハラスメント、それに近い目にあったクライアントからすると、心の底からがっかりする対応です。
(ある著名な医師にかかった際も、そのように返答されて失望した、というクライアントが実際にいらっしゃいました。)

 

 人間は、喧嘩両成敗のような対応が一番傷つくものです。喧嘩両成敗とは、本来の意味から誤解されて広まった悪しき因習・態度だと思います。

 

 残念ながら、子に愛情を持てない親御さんがいらっしゃることは明白な事実です。
(最近では、その裏には発達障害やてんかんといった背景があることも分かってきています。)

 人は、見たくない事実は見ない。見たいものだけを見る。トラウマ(虐待)への歴史でも、これまで、人間の行う理不尽な行動は否認されてきました。

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 客観的にふるまう人ほど、無自覚に時代や、時代に影響された自己の価値観を持ち込んでバイアスをかけてしまうようです。

 

 虐待やハラスメントは密室の犯罪行為なのですから、被害者の立場に立って能動的に切り込んでいかなければならないのに、受動的に喧嘩両成敗といった態度でふるまうことは、能動的に問題を理解することを放棄することで共犯(セカンドハラスメント)と言ってもいいような行為です。
→「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か

 


 喧嘩両成敗とはあたかも客観的にものが見えると勘違いする“エセ神様”状態になることです。クライアントは、世の“真実”を見て、サバイバルしてきた方たちです。
孤独な戦いを続けてきて、解決に必要な切り口、足場、サポートを求めているのです。ともに戦ってほしいのであって、ズレた論点整理など必要としていません。

 

 クライアントは、良い支援者とつながることも自力で行わなければならない、というのはなんともつらいことですが、それでも、理解してくれるカウンセラーや医師は必ずいますから、あきらめないで求め続けていただきたいなと思います。

 

 

 

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