なぜ、意識が高いと揶揄されるのか?

 トラウマを負った人は、とても「意識が高い」ように見えます。

 世の中の矛盾がよく目につく。
 会社など、組織の矛盾もよく目に入る。

 同年代の人にはないピュアな感性を持っていたりする。

 人のことを先回りして、いろいろと気を使って、何かをしようとする。

 
 気持ちがへとへとになって疲れるくらいに、周囲に対して意識を向けます。

 

 近年、そうした人に対しては「意識高い」系として揶揄されます。

 揶揄の裏には嫉妬などネガティブな要素もあります。単なる揶揄でしかないものもあります。

 ただ、的を得ているところもあります。

 

 なぜかといえば、一般の人のプロトコル(付き合いの手順)に合わず違和感を感じさせてしまうからです。

 これまでの記事でもまとめましたように、人間は、1階、2階、3階・・と階層状になっていて、多くの場合私たちは一階で接しています。

(参考)→「関係の基礎3~1階、2階、3階という階層構造を築く

 

 1階というのは、気を込めず、淡々とやり取りをこなす形式的な世界です。意識が高い行為というのは、2階、特に3階部分のスペシャルサービスです。
 ここぞ、というときに発揮するもの。

 

 しかし、トラウマを負った人は、階層状になっていることが感覚的につかめずに、1階部分に、2階、3階の要素が混在してしまっています。そのため、1階部分から意識が高い行動をとってしまいます。

 さらに、トラウマを負った人からすると世の中は理不尽であって、改革の対象でもあります。大人への反発もあったりする。そのため、「You are not OK」というサインが出やすいことも重なります。
 

 周囲の人達が一見、のんびりとして、やる気が無いように見えるのは、それは階層構造になっているためです。いざとなれば動くわけですが、それがわからずに、「You are not OK」というサインを出して、意識高く動きまわると、空回りや反発を生んでしまうようです。

 

 安定型の人は、実はそんなに気を使っていない。気を使う時と使わない時とを分けている、と言えます。
 ポイントは、リラックス~緊張の切り替え、アップダウン。

 
 健康な状態の人間は、普段はリラックスしていて(1階にいて)、いざというときにテンションが急上昇する(3階に上がる)。

 トラウマを負っている人は、常に緊張していて(3階にいて)、いざというときテンションが持続できず動けなくなる(階段から転ぶ)

 テンションのアップダウンのなさが関係のプロトコル(手順)の乱れの大きな原因の一つになり、違和感、揶揄を招いているようです。

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

「反省」するととらわれ、支配される。人間に必要なのは「学習」である。

 

 人の意見を単なる意見として真に受けないなら、反対に、独りよがりになって、人間として間違ってしまうのではないか?曲がってしまうのではないか?と不安になるかもしれません。

 

 トラウマを負った人というのは、とても真面目で向上心がありします。厳しい意見も反省して自分を鍛えなければいけない、とおっしゃる方は多い。
 

 ただ、それは人間の本質や世間のプロトコル(関係の手順)とは異なって、生きづらさを生み出してもいます。
 

「反省」ということもその最たるものです。

 

 実は、人として間違うときというのは、人の意見を聞きすぎたり、それに対抗しようとしたときであることがほとんど。反省しないからではない。

 

 そもそも、人間には「反省」はできない。反省するとむしろ歪んでしまう。

 

 

 なぜかというと、人間の行動の要因というのは、とても多要因、多次元であって、その結果だけを見ると「人」が起こしているように見えますが、実際は違うことがほとんど。

 

 例えば、人が何かを盗んだ、明らかに証拠もある、というとき。法的にはその人の罪です。
 

しかし、その犯罪に至った原因は?ととらえると 

 経済状況
 養育環境
 教育
 体質、気質の問題
 社会、文化的な要因

 など、多岐にわたります。
 
貧しい国でしたら、やむにやまれず窃盗を起こすことがあります。
難しい養育環境で育った可能性があります。
教育が受けられずに、安定した職につけなかった可能性もあります。
摂食障害では、自分でもコントロール出来ないままに、食べ物を盗んでしまうことがあります。
窃盗癖という精神障害もあります。

 

 こうなってくると、原因をその「人」に単純に帰することができなくなってくる。

 

事実、無理に反省させても逆効果になることを描いたのが、元刑務官が書いた
岡本茂樹「反省させると犯罪者になります」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間は直感的に物事の本質を把握しています。
だから、「あなたのせいでしょ?反省しろ」と言われても、腑に落ちないのはなぜかといえば、人間の直感が物事は多要因、多次元であると知り、本当の要因を察知しているから。
単要因に回帰させていることがおかしい、割り切れないということがわかっているからです。

 

 

こうしたことは統計的にも裏付けられます。
大学などで統計に触れた方はご存知かもしれませんが、社会科学においては、明らかに「AはBの原因だ」とおもうような事象でも、統計解析にかけると、影響力は3割にも満たないことがしばしば(単純に言えば10割だと100%それが要因)。
※状況によっては3割でもなかなか高い割合とされます。しかも、物事は、「因果(原因→結果)」ではなく、「相関(要素←→要素)」の関係です。

 

 

 世の中は多要因ですが、人間はかなり単純化して捉えてしまっているわけです。

 特に、「人」は「人」に惹きつけられますので、多くの場合、自他ともに「人」に原因を帰することを安易にしてしまっています。

 

 さらに、世の中では嫉妬、支配、攻撃、ストレスの処理で相手にイライラをぶつけて因縁をつけるといったノイズも多い。99%はノイズといってもよいくらい。

 本当の問題を把握するためには、ノイズもクリアにしないといけない。多くの場合、ノイズが作り出したニセの問題であることがほとんど。本当に「反省」すべきことは限られてもいるのです。

 

 こうしたことを考えると、「反省」とはなにか?「反省する」ということは、とても難しいことがわかります。結論を言えば、人間には「反省」はできない、ということ。

無理に反省をすると、帰属エラーを起こしておかしくなってしまいます。

 

 実際、皆様もいかがでしょうか?例えば、筆者の経験でも、よく考えればこれまでの人生で「反省」して自分が向上したことは基本的には一度もありませんでした。むしろ、萎縮する、抑制される感じで、良くなったとしても、それは母屋を取られた破産者のような感覚でしかありませんでした。

 

 

一方で、人間は改善したり、成長したりしてきています。

それはどうやって実現しているのでしょうか?

それは、「学習」というメカニズムによってです。

 

ハラスメント研究で知られる安冨歩教授は、
「人間社会は学習を基礎としており、学習は情動と感情を基礎としている」「学習とは、新たなコンテキストを獲得していくこと」としています

もっと簡単に言えば、
学習とは、情動、感情というような無意識的、生体的なレベルから世界との関係を更新していく作業、ということです。

 

 例えば、同じような景色を見ていても、人間の認知能力では全部を捉えきれることはできませんから、省略、削除して捉えています。
 情動に素直になってありのままにみていると、見え方、感じ方は自然と更新されていきます。

 そこに、不適切なラベルやレッテルが入ると、その「学習」は閉ざされていってしまいます。
(例えば、「そんないつもと同じ景色じゃん」とか、「あなたが感じることができるわけがない」といったようなこと)

 私達の日常の体験もそうです。
本来、失敗も成功もなく、ただ、多要因、多次元の出来事が流れていっているだけです。

 多要因のままを身体、無意識で感じ取れば、自然と身体と無意識は修正していってくれます。
フォーカシングや暴露(エクスポージャー)といった方法はまさにそれを利用しています。

 

 

スポーツ選手などは顕著ですが、一流の選手であればあるほど、私達が思うような「反省」などはしません。失敗しても自分を責めてわびたりなどしません。

野球のピッチャーなどは相手にぶつけても、負けても平然としている方がよし、とされる。

 

それで、人間としてだめになっていくか、といえばそうではなく、意識、無意識に「学習」している。
自分の身体と対話したり、あとで総合的に分析していたり。

 

本来の人間のあり方とはそういうものではないか?

 

タモリさんの有名な言葉に、「反省しない」という言葉があります。

なぜ「笑っていいともが長寿番組になったか?」と聞かれた際に、「反省しなかったから」と答えています。
直感的にそのほうが正しいと知っていたからかもしれません。

 

日常では、社会的な約束事として便宜的に、「誰かの責任」とすることはありますが、いたずらに反省しても意味はない。むしろもっと悪くなる。

 

「反省」というのはそれ自体がハラスメント的であって、人間的ではない。
 強いて言えば、すべてを知った「神」であればできるかもしれないけども、人間には扱えない行為。
 「反省は」それを悪用して、相手への攻撃、支配の道具として用いられてきた。

 

 多次元、多要因である世界を捉え、循環する自然に生きる人間に適した行為は「学習」。

 さらに上記でも書きましたが、世の中では嫉妬、支配、攻撃、ストレスの処理で相手に因縁をつけといったノイズも多い。99%はノイズ。

 だから、文句を言われたり、失礼なことを言われたりしても、真摯に承っても、そのまま真に受けない。いきなり反省したりしない。無意識に任せて、構造を捉える。

 

 実際に、明らかに自分が悪いと思わされる場面でも、催眠や筋反射を応用して無意識に聞くと「ちがうよ。悪くないよ」という答えが帰ってくることがほとんど。それは、心(無意識)が多要因を捉えているからだと思われます。

 

 

支配、ハラスメントから身を守るためにも、

「反省」ではなく、「学習」を意識する。

 

このことはとても大切なことです。

 

 

 

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お悩みの原因や解決方法について

人というのは、“神”のようにふるまう生き物

 

 人から言われたことが、どうしても意識から抜けない、スルー出来ない、ということはしばしばあります。

 
 「あの人格者がいうんだから、間違いない」
 「あれだけ確信をもって発言してきたんだから、何らかの真実があるんだろう」

と。

 たわごとだと思っていても、どうしてもそこに何か意味なり、教訓なり、予言性なりをかぎ取ってしまいます。

 

 ただ、俯瞰してみれば、「不完全な動物が発した主観的な声」の域を出るものではありません。

 

 それは、どんなに著名な専門家や学者の言葉であったとしても、です。一意見を超えません。

 

 例えば、ある会社の、ある事業について、当時日本一と言われるコンサルタントが「絶対失敗する」と指摘しましたが、実際はその事業はうまくいったそうです。

 専門家が「絶対失敗する」といえば、必ず失敗しそうですが、実際はわからない。そのときに聞いた「絶対」という言葉は妙に真実味を持って聞こえてきそうです。ただ、真実味を持って「聞こえる」ということや、確信を持っていることと、本当かどうかには相関はない。

 

 
 別の例では、家族が、なにやら予言めいた余計なことを言ってくることもあります。

「あなたは、こうなる」「そんなことをしたらろくなことがない。」

 言われた側は本当に腹が立ち、不快ですが、よく考えたら、家族が一番家族のことがわからない。

 「ファミリーヒストリー」というNHKの番組があります。有名人が、自分の家族の歴史を振り返るのですが、
「へ~こんなことしていたんだ」「こんな側面があったんだ」ということの連発。

 

 あるクライアントさんが、自分の親が急死して、遺品を整理していましたが、そこで見た姿は、自分が思っていたのとはまた違う親の姿だったのです。様々な事業に取り組んだり、さまざまな人と付き合いがあったり、イメージとはかなり異なりました。
 
 そのくらい、家族のことでもわからない。

 

 

 家族のことを決めつけて発言したくなる裏には、支配欲や嫉妬などがあるのでしょうけれども、もう一つは、「人間は、神のようにふるまう生き物である」ということがあるのではないか、と思います。

 

 聖書の中でも、神は自分に似せて人間を作った、という記述があります。日本人も、自分たちを「天孫」ととらえます。聖書を作ったのは人間ですから、逆に言えば、人間は神に近い(と錯覚しやすい)、神に似たように行動したがる生き物、ということかもしれません。
 

 そのため、発言をするときも「あたかも神のように」確信をもって発言する習性がある。

 

 単なる「習性」だから、確信を持っているからと言って、内容の真実味とは何の関係もない。ただ、犬や猫が鳴くのと同じ。 支配欲などネガティブな感情があるときは、その習性を、相手を攻撃する道具として用いる。
 受け取る側は、単なる習性だと思って、真に受けてはいけない。神のようにふるまうものだ、として、内容が正しいかどうかとは別にしないといけない。

 

 逆に言えば、こちらが傷つく言葉、気になる言葉であればあるほど嘘、何の根拠もない、といえるかもしれません。 

 

 なぜかというと、世界は多次元、多様、多元的ですから、真実をとらえればとらえるほど、「あれも、これも、それも」という言い方になって歯切れが悪くなるものだからです。 

 よく「学者さんに意見を聞くと、はっきり言ってくれなくてつまらない」なんていわれますが、真実であればあるほど歯切れは悪くなります。

 

 他人についても「あなたは~~だ」なんて言いきれない。正確であればあるほど「こういう面もある、こういう面もある、こういう面もある」という言い方になる。
 しかも、発言している側の人間も完璧ではないし、失敗も犯してきているでしょうから、どこまで言っても「何様なんだ」と言われてしまいます。
 だから、誠実であればあるほど、他人について言い切る発言はできなくなる。

 TV番組とか、言論で仕事されている方は、あえて自分を棚上げして、単純に割り切った言い方をしている部分があります。

 

 「還元主義」と言いますが、単純に割り切る言葉は、ほかのことを切り捨てているために切れ味は鋭く、一見効果があるのですが、正しいわけではない。「還元主義」に陥る心性には、自己愛の傷つきも隠れています。

 

 私達の周りには、確信を持って発言する人で溢れています。親、家族、パートナー、上司など。それを真に受ける必要はないと言えそうです。

 

 人は神のようにふるまいたがる生き物(=ニセ神様)だ、ということを肝に銘じて、普段から接していると、かなりスルーしやすく真に受けなくなります。

 

「左様ですか。ありがたや、ありがたや」とゆっくり丁重に挨拶をしておけば、いなくなってしまいます。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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理不尽な指導者、人に憧れる

 

 健康な人間のコミュニケーションというのはシンプルなものです。うれしいときはうれしい、悲しいときは悲しい、怒るときは怒る。

(参考)→「「関係」の基礎~健康的な状態のコミュニケーションはシンプルである

 反対に、心身の状態が不健康な人は、うれしいときに怒ったり、悲しいときに喜んだり、怒っているときに何も言わなかったりします。そうした状態の親に育てられると、継続的なストレスとともに、対人関係の対応が混乱してきます。

 

 過剰に人に合わせたり、裏読みしたり、心の機微を縫うようなファインプレーを必要としたりします。
うまく行けばいいですが、そうでなければ、「考え過ぎ」「裏を読みすぎ」て関係念慮、関係妄想となってしまいます。

 

 トラウマを負った人の特徴として、「理不尽な指導者に憧れる」という心情があるように思います。

 親が理不尽な対応をしてきたものですから、「理不尽だけど、本当は愛してくれているんだ」「本当は優しいんだ」というのが基底にあります。

 

 その上で、「表面的には理不尽なんだけど、本当は気にかけてくれていて、さらに自分の才能を見出し、救い出してくれる」という、我慢強いマゾヒスティックな感情+生きづらさから一挙に救ってくれる人を求める気持ち、がどこかにあったりします。

 

 「今はたまたま才能を見出す力のない人たちに囲まれているからで」「本当に才能を見いだせる人に出会えれば、自分は認められて、救われる」という感覚です。

 

 世の中に転がっている、理不尽な指導者の逸話、エピソードにふれると、「ほらやっぱり」とその気持が裏付けられた気がします。

 

 これは、決して本当は才能がない人の勘違い、といったようなことではありません。スーパーマンみたいにはなりませんが、トラウマを負った人には本来力があります。
 自分も他人もそれを適切に認めていないことは事実。
 その事に直感的に気がついているためにそのように感じます。「自分には本来は力があるのだ」、と。

 
 ただ、こうした心性は対人関係での災厄も招きます。

 

 たとえば、ブラック会社。
「厳しくされるのは自分が悪い、自分の成長のためだ」として、他の人はさっさっとやめているに自分だけやめない。現状に目を向けることができない。

 

 たとえば、理不尽なパートナー
「相手もおかしいけど、自分にも問題があるのは確か」といって、他人からはやめときなさい、というのに、別れられない。別れようとすると経済的な条件などが不安がちらつく。

 

 たとえば、自己啓発や、ビジネス、儲け話など
「ここでなら自分は認められるかも?」として、惹きつけられる。

 どなど

 妙に相手に支配されて、自分は息苦しい、理不尽さを余儀なくされてしまいます。

 世の中は”結果として”理不尽なことがありますが、人が意図的にもたらした理不尽さというのはおかしい。

 
 でも、理不尽な指導者への憧れがあるものですから、「この理不尽さに耐えてこそ、成長できる」としてそうしたツボにはまってしまいやすい。
 

もし、少しでも当てはまる所があれば、

「これって、理不尽な指導者への憧れかも?」として、ちょっと立ち止まってみることが必要です。

 

 

(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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