代謝がないとどうなるか?といえば、人間関係も更新されなくなる、ということです。
通常、人間関係では、その距離感や、貸し借り(義理、人情)というものも 日々、計算、更新されていきます。
人にしてあげたこと、してもらったことも、自動で計算されて、清算・完了されるのです。
人間関係の在り方もそうで、力関係なども常に更新されます。
しかし、トラウマを負っていると代謝が止まっているような状態なので、その更新処理がなされません。
そのため、無限に義理堅いのです。関係を引きずるのです。
よくある例では、
あるクライアントさんが、ずーっと母親の世話をしている。まだ介護になっているわけでもなく、お母さんは健康です。
でも、なぜかお世話をしないといけないと思っている。
「家族だから当然」「私の義務」と思っていますし、やめようとすると罪悪感が襲ってくる。
これも、本来は、そんなお世話は必要ない、普通の人たちをみてもそうです。反抗期で精神的に距離を取ってからは、社会人になって自宅を出たら、盆と正月くらいにしか実家には帰らない、ということはごく普通のことなのです。もちろん、親には恩はありますが、それは遠くから返すものだし、何かあれば、ということで、過度な罪悪感はありません。
※そもそも、親とは社会の代理であって、親子は世代間に関わりを下の世代に送りあっていきますから、自分がされたことを自分の子や周囲の人に返していくものです。産みの親に過度の罪悪感や義理をもつ、ということは普通のことではありません。親があまりにひどい親なら関係がキレて普通なのです(生みの親より育ての親)。
しかし、トラウマを負っていると、無限に義理堅く、相手にかかわり続けようとしてしまいます。
会社に入ったら、やめたら申し訳ないとして、しんどい環境にもかかわらず、居続けてしまう。
ひどい彼氏にもずーっとつくして、かかわってしまう。
周囲の人たちからは「やめときなさいよ」「そんなにかかわらなくてもいいのよ」とアドバイスされても、耳には入りません。かかわりをやめることは、相手を見捨てることだと錯覚しています。
健全に代謝があって、関係性が更新されれば、相手への義理や人情も更新されていきます。
そして、相手が応えてくれないのであれば、関係は完了するのです。そのことを「愛想が尽きる」といいます。
トラウマを負った人たちは「愛想が尽きる」機能がマヒしてしまっています。
普通の人は、想像以上に良い意味でドライなのです。
トラウマを負った人の感覚とは、まったく違います。
人間関係も、日々更新されていきます。
子どものころの親子関係と大人になってからは全く異なります。どちらも成人ですから、徐々に対等な関係になっていくものです。
でも、トラウマを負っていると、ずーっと子供のころの親子関係を引きずったようなかかわり方になってしまします。親が年老いていっていることもありのままに感じることができていなかったりします。
あるいは、過去の苦手な人間関係も引きずってしまうのです。
こちらが人間関係が更新されずにかかわるものですから、相手もそれに感応して、支配的に接してこられて「ほら、やっぱり何も変わっていない」と感じてしまうのです。
(参考)→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服」
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