「関係妄想、念慮」の構造

 

さらに、先日の記事で書いた「関係念慮(妄想)」の場合は、拾った「ノイズ」を、さらに「算数障害」で読み違えてしまって、もうわけがわからない、解釈をしてしまう、ということが起きます。

周りから見たら、「考えすぎ」「さすがにそれは妄想だ」というとらえ方をしてしまうことがあります。

 

 

例えば、職場の人が、(本当は他のことが原因で)眉をしかめたら、「私のことを嫌っているに違いない」というようなことです。普通であれば、「眉をしかめた」という「ノイズ」はキャンセリングされて、目には入りませんが、それをキャッチしてしまいます。そこまではいいのですが、さらに「算数障害」によって「私のことを嫌っている証拠」と解釈してしまって、もうわけがわからなくなってしまうのです。

 関係念慮(妄想) = ノイズをキャッチする敏感さ × 算数障害(解釈の狂い)

という図式になるかもしれません。

 

 

普通は、「ノイズのキャッチ」だけで 「算数障害」の程度は低いといったようにどちらかの程度は軽いのですが、
虐待を受けてきた重度のケースになると「ノイズのキャッチ」も「算数障害」も、共に重いことがあります。

すると、対人関係のあらゆるものを疑うようになり、本来であれば頼るべき知人や治療者との信頼関係もうまく築くことができない、ということが生じることがあるのです。

 

 

 

 

 

「算数障害」

 

トラウマを負った方に多い特徴の一つとして、「算数障害」もあります。

もちろん、いわゆる「算数障害」として障害と認定されるレベルではなく、もう少し軽度で、内的なものを指します。他人との距離感や、言動を解釈する(読み)や、時間や仕事での見積もりなどが狂うということです。

 

実際、トラウマを負った方で問診の際に伺ってみると、算数が苦手な方は多いです。

 

この「算数障害」が原因となって、対人関係などで生きづらさなどが生じてしまいます。

 

 

例えば、安定型愛着の方であれば、他人との距離感は適度な距離を保つことができます。この距離感というのは、とても微妙なもので、遠すぎてもダメ(よそよそしい)、近すぎてもダメ(踏み込みすぎ)。

 

 

しかし、トラウマを負っていると、適度な距離を上手に取ることができません。自分では良いと思っても、相手からは「なんか、距離あるよね」といわれたり、「なんか、べたべたされてしんどい」となってしまいます。

自分でも、知らず知らずのうちに、相手の距離に踏み込んでしまって、傷つけられてしまって、人が怖くなってしまう、という悪循環に陥ってしまっている方もいらっしゃいます。

 

 

 

さらに、お金の計算も狂いますから、お金回りが悪くなる、ということもあります。仕事でうまくいかなくなったり、なぜか、お金が逃げて行ったり、ということが生じます。

 

仕事の見積もりも狂いますから、いつも忙しくバタバタして、仕事に追いかけられ、追い詰められている感じがします。

 

見積もりが狂いますから、将来のことが不安だ、といった「将来不安」といったことにもつながってきます。

 

 

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「妄想(ノイズ)」は“事実”である

念慮や妄想というのは、、周囲や治療者が理解してくれないとクライアントさんとのラポールが切れてしまう、ということがあります。

 

しかし、頭では分かっていても、周囲はなかなかその考えについていくことはできません。
そして、本人はどうして妄想が事実であるととらえているのでしょうか?
この二つをつなぐ方法についてまとめてみました。
前回の記事でも書きましたが、
妄想というのは、実は特殊なことではなくて誰にでも起きているものです。「もしかしたら、理想的なパートナーが現れるかも?」といったことや「将来、何か偶然があってお金持ちになれるかも?」といったこと。

人間というのは想像をする生き物だからです。「妄想」とは私たちの日常にあるものです。

人間には邪念や妄念がつきもので、世の中を飛び交っています。それを私たちは知らず知らずのうちにキャッチしています。

無線や音の世界でいう「ノイズ」のようなものです。

 

 

ただ、健康な状態であれば、私たちの脳はそのノイズをキャンセリングして、必要なことだけを意識に上らせる工夫をしてくれています。
それができなくさせるのが、統合失調症や発達障害や、トラウマといった精神的な問題や、あるいは身体的な不良です。
社会的(周囲の支持)、心理的、身体的に健康ではないとノイズをキャンセルすることはできないのです。

 

「UFOに狙われている」「私は天皇の隠し子だ」といった妄想でさえ、実はその世の中に流通している考え以上のものは出てこないとされます。
「妄想とは社会的に作られているもの」です。

 

 

つまり、どんなに世迷言に見えても妄想は事実あるものです。
ただ、世の中では、ある閾値以下のものはキャンセルされ、意識に残ったものだけが事実とされるので、相手にされないだけです。

見えている人にとっては事実であり、周囲はそれをキャッチできないだけです。

 妄想とは、内側から湧いてくるのではなくて、「外から」やってくるものなのです。

 

 

「あの人(Aさん)が私を嫌っている」という関係妄想があったとして本当はそんなことを言っていなくても、 このメカニズムを知っている医師やカウンセラーは、「でも、もしかしたら、あの人(Aさん)の頭には否定的な考えがよぎっていて、それをこの人はキャッチしたのかも」ととらえて理解、共感することができます。
※Aさんに尋ねても、Aさん本人も一瞬よぎっただけですから気が付かず、Aさんは「そんなこと考えてません」と否定するでしょうけれども。嘘をついているわけではなく、本人にとっても閾値に達していないことは自覚(記憶)できないからです。

 

 

 

例えば、視線恐怖や対人恐怖の方が、
「道で歩いていると変だと思われているような気がする」といって、一般的には「そんなことないよ」と慰めますが、当人は腑に落ちません。でも、事実だととらえてみたらどうでしょうか?

私たちも、道を歩きながら、すれ違う人を見て、「派手な服だな」とか、「なんだよ!とろとろ歩くなよ」といった雑念、邪念は常に渦巻いているものです。
ある種の敏感な人は、それをキャッチしているとしたらどうでしょうか?

「そうかもね。それをキャッチしてたらつらいでしょう!」を共感することができます。
クライアントさんも、「そうなんです!」と安心することができます。

 

 

統合失調症の方の、例えば、「UFOに狙われている」という妄想も、「世の中ではそういう想像が流通していて、それをキャッチしているのかも」と理解することができます。

昔から、そうしたことに通じたベテランの医師などは、
「私には見えないけど、そうなんだね~」と理解を示されます。

 

 

クライアントさんの言うことをあたかも中立な裁判官のように事実かどうかを判定する治療者がいますが、そうしたことは百害あって一利なしです。

 

 

「二重の見当識」といって、クライアントも、実はノイズとそうではないものを薄々区別している「自分」がいたりします。
しかし、ノイズがあまりにうるさくてのぞけないことに苦しんでいるのです。
それを、「おかしい人」扱いされれば、「(私はおかしくないんです)ノイズはあるんですよ!」と訴えたくも(執着したくも)なります。

 

その方がおかしいのではなくて、まったく”正常”です。たとえ統合失調症でも、正常な人格がその奥にはあります。ただ、「ノイズという外から来たものに悩まされている状態なのです(「悩みは、心の外にある」)」。

→「統合失調症の症状や原因、治療のために大切なポイント

 

 

クライアントさんの訴えは、事実として受け止めてみると、カウンセラー側も見えないものが見えてきます。
ノイズのメカニズムを理解、説明したうえで、「敏感すぎたらしんどいですから、そうしたことをキャッチしないようにコンディションを整えましょうか」といって治療、カウンセリングに入っていくことができます。

 

さらに、これまでの知見にはない、難しい悩みのメカニズムについて新しい仮説が浮かんできたり、といった“おまけ”もついてきます。

 

 

トラウマを負った方や、愛着障害(不安定型愛着)でお悩みの方は「関係念慮」を持ちやすいですが、具体的に言えば、

「人の言動が気になって引きずりやすい、傷つきやすい」

「「あの人なんであんなこと言うんやろう?」と思うことがよくある」

「人に嫌われていないかどうかが気になる」

といった方は、本記事での「ノイズ」のメカニズムをまずは理解していただくとよいかと思います。そのうえで、そのノイズをキャンセリングする方法に取り組んでみると、周りに左右されにくくなってきます。

 

 

 

 

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「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」

 

トラウマを負った人の特徴としては、「関係念慮(被害関係念慮、妄想)」があります。

 

「関係念慮」とは、本来自分に関係のないことが関係あると思えたり、することです。特に、対人関係で生じることが多く、だれかが、自分のことを悪く言っている、貶めようとしている、ととらえてしまうことです。程度が重くなれば、「妄想」となります。
実は、「関係念慮(妄想)」は特殊なことではなく、日常の中で誰でも経験しています。
芸人のネタではありませんが、「もしかしてあの人は、私のこと好きで誘っているんじゃないの??」といったことから、「この仕事で成功したら、役員に目をかけてもらえるかも?」といったことまで、いろいろな想像を普段からしているものです。

 

 

人間の意識は同心円でグラデーションのようになっていって、現実-想像-妄想 と距離が遠くなると、怪しくなっていくものです。

 

さらに、人間の頭には邪念というものが渦巻いています。Wifiのように、そうした意識が飛び交っているのが対人関係の場、です。

相手考えている、様々な邪念や意識を、人間は薄々キャッチして感じ取ることがあります。これは、「ノイズ」と言えるものです。

 

 

普段、健康な状態にある人、安定型愛着の人は、その「ノイズ」をキャンセリングすることができます。例えば、仕事やプライベートで「もしかしたら、あの人に嫌われたのかも?」と思っても、それを打ち消すことができます。
脳のコンディションも影響しますし、愛着(頭の中で、家族や知人が自分を支えてくれている絆)も影響します。
「そんなことはない」と思えるわけです。

 

しかし、トラウマによって、脳がダメージを受けてコンディションが下がっていて、さらに、愛着も不安定な状態の場合、そうした「ノイズ」を打ち消すことができません。

 

さらに、「自他未分」で自他の区別がついていないことも手伝って、「ノイズ」が自分のものではない、とは思えずに、自分のものと真に受けてしまいます。
そのため、環境から受け取る「ノイズ」をそのまま受けるようになり、それが「関係念慮(被害妄想)」となってしまうのです。

 

ちょっとした振る舞いで相手から馬鹿にされたと勘違いしたり、相手をこき下ろして、自分を守ろうとします。

場合によっては、「視線恐怖」や「自己臭恐怖」「身体醜形恐怖」のような状態になることもあります。

 

 

医師やカウンセラーに対しても、同様に疑ったり、ちょっとした振る舞いを悪意と受け取って、クレームをつけたりして、治療関係を悪化させてしまいます。

 

 

俗に、“境界性パーソナリティ障害”とは、まさにこのような状態で、「ノイズ」をキャンセルできないために、ちょっとしたことで混乱してしまうのです。
「あの人は、いつも私を貶めようとしている」
「あの先生はひどいことをした」

といったことは、実は“症状”なのです。
(でも、当人にとっては事実です。)

→「境界性パーソナリティ障害の原因とチェック、治療、接し方で大切な14のこと

 

 

 

こうした状態を避けるためには、まずは「関係念慮」というものがある、ということを知ること、頭に浮かぶ雑念、疑念は、すべて環境からもたらされるもの(≒自分のものではない。外側から来たもの)だと知ることが大切です。

そのうえで、自分だけではどうしようもないので、ちゃんとしたセラピーを受けることも必要になってきます。

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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「自他未分」

 

トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴として、「自他未分(自他の区別がつかない)」というものがあります。

 

これは、もともとは発達障害における特徴の一つとされるものです。トラウマを負うと、後天的に「自他未分」というものが生じます。

内的言語がダメージを受けて、自分と他人の区別があいまいになるのです。

 

もちろん、意識の上では、自分と相手は区別しています。
そこに疑いはありません。普通は問題はありません。

しかし、コミュニケーションを取り始めたりすると、「自他未分」の問題点は明らかになってきます。

 

 

「相手の言葉が自分そのものではない」という感覚がないため、相手の言葉がまさに自分の中に入ってくるかのように、相手の言うことを真に受ける。

例えば、「~~さんって、自己中なとこあるよね~」といわれると、「えっ、自己中?どういうこと?」と相手の言葉がグルグル頭の中で回るようになります。

気にしないでおこうと思うのですが、グルグルが収まらず、だんだん不安になってきたり、相手への怒りに変わったり、皆がそう思っているのでは?という「被害関係念慮」が生じてきます。

 

 

 

自他未分というのは、相手と自分は全く違う人間だ、という感覚が薄いということです。
そのため、自分の考えていることは相手も考えているだろう、と素朴に思います。

しかし、実際はそうではないので、相手はそっけない態度や、否定的な反応を返してきます。
すると、なんでもないことなのに自分自身を否定されたかのように、見捨てられるかのような極度の恐怖がわいてきます。
例えば、「ここのコーヒーはおいしくないよね?」といった簡単な会話で「そうかな~?」と言われただけでも、どん底に落とされたような気になるのです。
自分でもなんでそんなにショックを受けるのか、意識ではわかりません。でも抑えられないのです。

そのうち、自分の本音を押さえるようになってしまいます。
自分と他人が同じであるという感覚があるため、人のふるまいにとてもイライラしがちです。なんでそんなにイライラするのかがわからないのですが、イライラがわいてきます。自分と他人が同じ、なのですから、たとえて言うなら、自分の体が思うように動かないイライラのようなものともいえます。
また、自分と他者とは、異なる価値観に住む異文化の住人である、という感覚が薄いことも大きな原因です。価値観が同じ、価値観は一つであるとすると、相違に直面した時に相手を憎むほどにイライラするのです。
(宗教戦争や、左翼の内ゲバなどはまさにそうです)

 

 

 

相手をコントロールするタイプの人にはとても恐怖を感じます。そうした人のナメた言動、押しつけがましい言動を軽くいなすことができないのです。頭で対策をシミュレーションをしますが、現場ではうまくいきません。跳ね返されてしまいます。

 

 

これも、「自他未分」であるため、相手との間に間合いを置くことができないのです。相手の言う言葉を、「事実」としてとらえてしまうのです。
相手の「否定的な感情」にもとても弱いです。
相手がこちらに敵意や反感を向けてくると、恐ろしくて腰が砕けるようになってしまいます。本来であれば、その感情にはこちらも感情でノイズキャンセリング(否定的な感情を打ち消す)して解消すればよいのですが、それができません。

内面はとてもビビりです。
でも、表面的には割とこわもてで、淡々としていて無表情と言われることがあります。

 

ノイズを自然にキャンセルできないことと、他人への怖さから、ついつい言動がきつくなってしまうのです。
※TVに登場する芸能人などでもそうした人はよく見かけます。こわもてだけど、実は生い立ちの問題からそうなっているだけで、内面はとてもビビりだという人は多いです。

 

 

そのうち、「人見知り」になり、人とうまく付き合えなくなってきます。本当は「人見知り」ではないのですが、相手が侵入してくる怖さに、相手との相違をどう対処したらいいかわからないしんどさに
上手く人と付き合えない自分の状態に疲れてしまうのです。

 

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

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過剰な「まじめさ」

 

 

トラウマを負った人のもう一つの特徴(症状)は、「まじめさ」です。過剰なほど「まじめ」なのです。
なぜまじめかと言えば、「一元的価値観」で、さらに「過剰な客観性」を持っていて、「世界には善悪、正誤の基準がある」という感覚があるからです。

 

 

そのため、目の前にあるものを相対化して受け取ることができないのです。相対化とは、もっと簡単に言えば、「茶化したり」「諧謔(面白い気のきいた冗談。しゃれ。ユーモア)」をもって接することです。

それができません。
なぜなら、目の前にあることが客観的に事実だと思い込まされているから。
人の言動も真に受けすぎてしまいます。
とても傷つきやすいのです。
なぜなら、人の言葉も事実だと思い込まされているから。

 

 

 

もう一つの理由は、トラウマを負った出来事によります。
自分勝手な親のふるまい、人によってはレイプといった理不尽な出来事によってトラウマを負いますから、そうした勝手な人間の行動については嫌悪しますし、自分はそうはなるまいとかたくなに考えています。それもまじめさを後押しします。

 

 

まじめさは、学校の勉強など決められた線路を進む場合は強力な推進力になりますが、広い世の中を渡る場合には、足かせになることが多く、生きづらさの原因にもなります。

 

人生の意味や目的を考えすぎて、虚無的になり、人によっては自ら死に至る、というケースもあります。

 

 

本来の人生は、「ただ生きるだけでよいもの」

 

価値観も多元的で、落語の人物たちのような人生観(業の肯定≒人間とはどうしようもないもの)です。
「借金を負えば自己破産すればいいじゃないか」
「ひどい家族なら捨てればいいじゃないか(仏陀もキリストも家族を捨てているし)」
「仕事も変えればいいじゃないか」

 

 

でも、なぜかそうは考えられない。
トラウマを負ったゆえの「まじめさ」ゆえに「人生とは立派に生きるもの」と考えさせられてしまっているからです。

 

社会とは、「自分が楽しく生きるためなら、少々のズル賢さがあったり、グダグダしてもいいじゃないか」
という価値観でぼちぼちと進んでいくものですが、それがありません。

 

 

残念ながら、会社などに入ったり、社会に出ると、実は暗にそのように生きている人たちにいいようにされてしまうのです。

 

 

トラウマを負った人たちは、その苦難に際してどうするか?と言えば、自分を見つめなおして、自分を高い精神性へと高めることで生きづらさを乗り越えようとします。
しかし、ほとんどの場合は破れてしまいます。
なぜなら、それはトラウマを負ったニセ成熟の夢、幻想だからです。

 

トラウマによって幼いまま時間が止まり、青くウブなままなのです。そのウブで清廉潔白な自分が好きでもあり、とても辛くもあるのです。

 

 

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「過剰な客観性」

 

一元的価値観になることにも関連する影響ですが、トラウマを負った人の特徴として、「過剰な客観性」というものがあります。
自分の主観で生きているというよりも、世界という舞台の上に自分がいるという感覚。当然そこには外部に善悪、正誤のルールがあり、そこに従おうとする感覚です。

でも、そのルールを自分は「未熟さ」「至らなさ」によって知りえていない、と感じているので、自信がありません。

あるいは、そのルールを知ってそうな人に憧れたり、怖れたりするようになります。

 

 

 

過剰に客観的であるので、自分が行った行為についても、間違っていなかったか、正しかったかを判定しようとします。
自分に厳しく、ちょっとのことでは喜びません。
自責感が強く、「すみません」が口癖です。

会社で会議や、プレゼンをしていても、自分の発言が間違っていないか?浮いていないか?とどこか自信がありません。

 

 

「過剰に客観性」を重んじるために、主観的に生きている、安定型の人たちにはその場の勢いで負けてしまいます。

他人から反論されても、「正しいかどうか?」の判定に頭がグルグルして、自分の気持ちで押し通すことができずに、反論を受け入れてしまい、意見が通らなくなります。

 

 

本当は、この世には、ルールなどなく、多元的であり、主観同士のぶつかり合いですが、そうした感覚がありません。

 

 

「主観」や「感情」を意識の低いものとして嫌悪します。
自分はそうななりたくない、と思っています。でもイライラして、嫌になります。

なぜなら、それらは自分を苦しめた親や周囲の人たちが「主観的」で「感情のまま」にふるまっていたからです。
(例えば、子どものこともかまわず夫婦げんかをしていた。感情的に子どもへの対応がコロコロ変わった、など)

そうした意識の低いものからは逃れたいし、自由になりたいと願っています。

 

 

人からの誘いがあっても、常に、そうしたことを断ってよいか?恐れています。
なぜなら、「客観的に」見て、そうした誘いを断ったらチャンスが減ったり、もう次のチャンスは来ないように感じるからです。

休みでも、どういう過ごし方をしたら適切なのか?を考えて動けなくなってしまいます。結局、街を当てもなくぶらぶらして、ごまかしたりします。

自分の外に、正しい過ごし方の基準があるように感じています。

同時に、どこかむなしい感じがあります。「今ここ」を生きている感覚がありません。

 

 

思わせぶりな人の発言にも振り回されてしまい、とても気になります。占いなども、ばかばかしいと思いつつも、もしかしたら?と気になって仕方がありません。
「過剰な客観性」を持っていると、ハラスメントを行うような、相手をコントロールするタイプの人にはやられっぱなしとなります。
なぜなら、そういう人たちは、相手をコントロールするためのポイントを心得ていて、 自分の都合の良いようにゴールポストを動かし続けるからです。

 

「過剰な客観性」にとっては、ゴールポストは絶対ですから、動かされていることに気が付かずに、自分の蹴ったシュートが外れたことを指摘されて落ち込み、相手のゴールは常に入ることを見て自信を無くして、相手のほうが正しいと思わされ、支配されてしまうのです。

 

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トラウマを負うと一元的価値観になる

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴の一つとして、一元的な価値観になる、ということがあります。

 

一元的価値観とは何か?というと、簡単に言えば、善悪(正誤)の基準がこの世で一つだけ、ということです。

 

トラウマを負うと、この世が危険な場所であると感じられ、常に漠然とした不安になります。不安から逃れる方策として、どこかに絶対の価値観があるという観念を持ったり、自分がその価値観から外れた罰としてトラウマを負ったのだ、という感覚を持つようになるのです。

 

さらに、トラウマは人から、特に親から、負わされることがあります。本来であれば、親に対しては、反抗期を経て、自らの価値観を確立して、多元的になるものです。
しかし、トラウマの影響で、親には反発しながらも、依存させられる、ということが起きるために、本当の意味での反抗期を経ることができません。結果、世界が絶対的な一つの基準でできている、といった価値観を自然と持ってしまいます。
一元的価値観があると、その価値観の中で力の強いものが上位に来て、そうではないものが下位に来て、支配されてしまう、ということが起きます。

 

そのため、トラウマを負った人は、常に、どこか自分はダメなおかしな人間だとして、自信がありません。また、社会に出ると、その場で力の強い人にいいようにされたり、支配されやすい傾向があります。

 

逆に、躁的防衛として、妙に尊大になって、相手を見下したり、自信満々になりますが、周囲に反発されると脆い性質があります。
とってもピュアで理想主義的ですから、自分の価値観を他者に押し付けてトラブルになりがちだったり、他人が高い理想を求めないことについて落胆することがあります。

 

よくあるのは、感情的になったり、他者の悪口などの意識の低い発言をする身近な人を見て、「なんで、この人はもっと高い精神性を持つように努力できないんだろう? 気が付けないんだろう?」と感じてイライラする、といったことです。

 

 

一元的価値観ですから、他人も自分と同じように考えるはずだ、として、相手に期待しますが、当然ながら相手は同じようには考えてくれずに、失望してしまいます。

 

 

さながら、テロリストのような心性をもっています。
(理想主義的で、モチベーションが高く、正義感も強く、他人に期待して失望する、ということです。)

 
 自他の区別がつかないために、相手の言葉を真に受けやすいです。
なぜなら、一元的価値観ですから、相手の言葉≒事実 として受け取ってしまうからです。
「相手は相手。自分は自分」とは思えないのです。

 
トラウマを負った人は、一元的価値観を持つという性質を利用されて、親や上司の言うことは自分よりも正しい、としてハラスメントに遭いやすく職場や家庭でいいようにされてしまいがちです。

 

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単純化された目標は依存症状態にする

 

摂食障害という病気があります。
拒食症、あるいは過食症などのことですが、痩せることにすべてをかけてしまって、ガリガリになり、入院にまで至ったり、我を忘れて大量の食事を胃に詰め込み嘔吐したり、という症状です。

思春期の女性が発症することが多く、愛着不安などを背景にしていると考えられます。思春期特有の複雑な人間関係や人生の悩みを自分の体重をコントロールすることで、絶対の安心や自信を得ようとします。「自己への不信や不安の病」という性質があります。

複雑な自分や世界を、「体重」というわかりやすい指標にすべて置き換えて、安心を得ているわけです。

 

 

摂食障害にはある種の依存症という側面もあります。依存症はある限られたことにしか頼れなくなることを言います。その限られたことにすべてを集約して、自己を癒したり、人生をシンプルにしようとしているとも言えます。
 

これと似たようなことに、仕事などにおける、過度な「動機付け」があります。

ある種の会社は、会社の単純化された目標に社員の人格などもすべてを集約して、動機付けて業績を上げようとしています。本来仕事とは総合的で複雑なものです。社員の能力も複雑ですが、単純化することで疑似的に依存症状態を作り上げます。
シンプルに絞られた目標めがけて、社員が馬車馬のように働かせます。

自己愛性障害の社長が作ったしくみの中で そうした社員たちも愛着不安を抱えていることが多く、まさに、摂食障害の患者のように、極端に単純化された目標(数字)を猛烈に追いかけようとします。

 

問題なのは、「単純化された目標」が人格のすべて、だという極端な動機付けをしているために、それが達成できない人がいた場合、苛烈に否定し、こき下ろしてしまうのです。

「あんな、仕事のできないやつ。いなくなればいいのに」
「なんで、会社に来ているんだ」

といったような暴言や陰口が飛ぶようになります。同じ職場で働く人も、「仕事ができるかできないか」だけで判断しようとします会社もそれを暗に肯定します。会社におけるモラハラ、パワハラの背景にもなっています。

 
人間というのは総合的なものであり、単一の目標で表すことなどできません。いろいろな面があり、多元的です。

しかし、特定の数字や“達成動機”という一側面に、人格も何もかもすべてを代表させて、それを追いかけさせることで、結果として会社の業績は急成長します。
ただ、社員はボロボロになったり、成功したとしても、どこか違和感のある「意識高い系」の人として他の会社に行くと宇宙人扱いされたり、するようになります。
世の中で社員のモチベーションが高い、と言われる会社でも、内実を見てみると、上記のように、パフォーマンスが低い同僚に平気で暴言を吐いたり、バランスを欠いていたり、宗教的な雰囲気があったり、といったことがあります。満足して会社を評価しているのは、そうした雰囲気にハマった人たちだけ。

そうした会社でたまたま働かされて、心に傷を負ってしまった人も多くいます。実際に社員が自殺してしまって問題なったり、ということも生じています。

 

 大切なのは、バランス。人間とは総合的なものである、価値観も多元的である、という観点です。

戦後の高度成長期の猛烈なワーカホリックな風土は、もしかしたら、戦争の傷を仕事という極端な行為で癒そうとしていた、ある種の依存症的な現象だったのかもしれません。

昨今の、ワークライフバランスの重視や働き方改革といった動きは、社会の成熟化を示しているといえそうです。

 

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”やる気が高い”は要注意

 
やる気が高い人、モチベーションが高い人は優れているといわれています。確かに仕事でも、情熱をもって働くことは良いことです。

 

しかし、実は、臨床心理の専門家からは、やる気が「極端に」高い人は、実は自己愛性パーソナリティ障害ではないか?とされます。

愛着が安定している方であれば、「そこにいるだけで承認されている」という感覚があり、物事全般にバランスが取れていますから、極端に何かを達成しなければならない、という感覚はないからです。

ほどほどにやる気がありますが、一定以上働くと疲れるし、飽きも来るし、やりすぎることはありません。

 

しかし、愛着が不安定だと、それを仕事で埋めようとしてしまいます。その結果、極端なやる気となって表れて、疲れも知らずに働こうとしてしまうのです。

会社の経営者(特に創業者)などに多いとされます。

 
もちろん、愛着が不安定であることが必ずしも悪いことではありません。社会的成功のエンジンともなります。
しかし、ある期間を過ぎたら、どこかでバランスを保つようにシフトをする必要があります。そうして大成していく方はいらっしゃいます。

 

それが上手くいかないと、家庭が壊れたり、会社でも行き過ぎて破綻してしまったり、ということが起きます。

 

昨今のブラック会社として話題になるような会社は、自己愛の強い経営者によって創業されて、そうした経営者の価値観でなりたっていますので、通常のやる気や働き方、そして「ただ存在しているだけではだめだ」として、過度な労働を強要されることで起きているように思われます。
現在の職場で生きづらい、と思っている方は、もしかしたら、そうした職場の「環境」に問題があるのかもしれません。

 

 

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