「過剰な客観性」

 

 私は、トラウマ臨床を専門とする公認心理師として、『発達性トラウマ 生きづらさの正体』などの書籍で、そうした臨床の知見をまとめてきました。
 このブログでは、現場で見えてきた構造を、できるだけわかりやすくお伝えしています。

 今回は、SNSなどでお伝えすると特に反響が高い「過剰な客観性」という現象について解説したいと思います。

 

・「過剰な客観性」とは何か? 

 「過剰な客観性」とは、トラウマによって生じる症状としてよく見られる現象のことです。
 自分の主観で生きているというよりも、世界という舞台の上に自分がいるという感覚。外部になにか絶対的な基準があって、それを参照しなければならないという感覚のことをいいます。
 
自分にまつわって何かが起きたときに、自分の感情や考え(主観)から反応するのではなく、常に他の人ならどうか? と考えてしまうのです。

(参考)→「トラウマ(発達性トラウマ)、PTSD/複雑性PTSDとは何か?原因と症状

 

・外部にある絶対的な基準を知りえていないという自信のなさ

 しかし、その外部にあると思うルールを自分は「未熟さ」「至らなさ」によって知りえていない、と感じているので、自信がありません。

 あるいは、そのルールを知っていそうな人に憧れたり、怖れたりするようになります。

 過剰に客観的であるために、自分の言動についても、間違っていなかったか、正しかったかをその基準から判定しようとします。

 「過剰な客観性」にさいなまれていると、自分に厳しく、ちょっとのことでは喜びません。そのため、自責感が強く、「すみません」が口癖となっていることがあります。

 例えば、会社で会議や、プレゼンをしていても、自分の発言が間違っていないか?浮いていないか?と感じて、どこか自信がないのです。

 

・他者の「主観」に負けてしまう


 「客観性」を過剰に重んじるために、主観的に生きている他者には負けてしまいます。

 他人から反論されても、「正しいかどうか?」の判定に頭がグルグルして、自分の気持ちで押し通すことができません。相手の反論を”客観的な意見”としてそのまま受け入れてしまいやすく、自分の意見が通らなくなります。

 本来、社会での関係性においては、まったく客観的といえるルールなどなく、いわば主観同士の関わり合いともいえますが、そうした感覚がありません。

 実際には絶対的な基準などありませんから、結局は声の大きな他者に従わされてしまうこともよくあります。他者の理不尽な考えや感情に振り回されてしまう結果となるのです。

 

 

・「主観」や「感情」への嫌悪


 トラウマを負った方は、「主観」や「感情」を意識の低いものとして嫌悪します。

 過去に他者のエゴや感情に振り回され、傷つけられるなど、理不尽な経験、逆境経験で苦しんできたためです。

 自分を苦しめた親や周囲の人たちが「主観的」で「感情のまま」にふるまっていたため、自分はそうななりたくない、と思っています。
(例えば、親が、子どもの自分の前で夫婦げんかをしていた。感情的に不安定で、自分への対応がコロコロ変わった、など)

 「主観」や「感情」といった意識の低いものからは逃れたい、自由になりたいと願っています。

 

 

・客観的な基準を意識してしまい、自分の考えや決断に自信が持てない


 自分の考えや感情についても、適切なものであるか判断することができません。不満を表現してよい場面でも「もっとしんどい人がいる」と考える。あるいは、対人関係で理不尽な目にあっても“喧嘩両成敗”といった感覚が湧き、「自分にも悪いところがあった」と考えてしまうのです。

 

 トラウマの影響でもともと自信がなかったりすることもありますが、客観性を過剰に意識することで、意思決定を行うことが難しくなります。

 自分の価値観や考えで人生を選択していく必要があるはずですが、それができません。常に外側にある基準から見て自分の選択が間違っていないかが気になってしまい、自信がないのです。他者の誘いを断ることができないこともしばしばです。
 誘いを断ることでチャンスが減るかも?もう次のチャンスは来ないかも?と不安に感じてしまうのです。

 

 休みでも、どういう過ごし方をしたら”最適”なのか?を考えて動けなくなってしまいます。結局、街を当てもなくぶらぶらして、ごまかしたりすることもあります。

 

 一般的には、こうした判断は、自分の感覚に合うか合わないか?で決めるようなものですが、外側に正しい判断の基準があるかのような感じがして自分の主観から決めることができないのです。

 同時に、どこかむなしい感じがあります。「今ここ」を生きている感覚がありません。

 

・ローカルルールなど、他者に振り回されやすくなる

 

 過剰に客観的であるとは、結局、他者の意見を客観的な情報として過度に重んじてしまう、ということです。

 そのため、思わせぶりな人の発言がとても気になります。人によっては、占いなども、ばかばかしいと思いつつも、もしかしたら?と気になって仕方がなくなることもあります。

 「過剰な客観性」を持っていることで、ハラスメントを受けやすくもなります。
 別の記事で「ローカルルール(偽ルール)」について解説させていただきましたが、「これはルールだ」「これが常識だ」といった言葉を真に受けてしまいます。

(参考)→「ローカルルールとは何か?」 

 

 特に、ローカルルールで自己の不全感を解消したいと考えている人たちは、相手をコントロールするためのポイントを心得ていて、自分の都合の良いようにゴールポスト(≒正しさの基準)を動かし続けるからです。

 しかし、「過剰な客観性」を持つ人にとっては、ゴールポスト(客観的と感じる基準)は絶対ですから、ゴールポストを動かされていることに気が付かずに、自分の蹴ったシュートが外れたこと(ミス)を指摘されて落ち込み、相手のゴールは常に入ることを見て自信を無くして、相手のほうが正しいと思わされ、支配されてしまうのです。

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

Xでは役に立つつぶやきを毎日ご覧になれます

Instagramではお悩み解決についてわかりやすく解説

Youtubeではトラウマなどの解説動画を配信

 

 

トラウマを負うと一元的価値観になる

 

 トラウマを負った人(不安定型愛着)の特徴の一つとして、一元的な価値観になる、ということがあります。

 

 一元的価値観とは何か?というと、簡単に言えば、善悪(正誤)の基準がこの世で一つだけ、ということです。

 

 トラウマを負うと、この世が危険な場所であると感じられ、常に漠然とした不安になります。不安から逃れる方策として、どこかに絶対の価値観があるという観念を持ったり、自分がその価値観から外れた罰としてトラウマを負ったのだ、という感覚を持つようになるのです。

 

 さらに、トラウマは人から、特に親から、負わされることがあります。本来であれば、親に対しては、反抗期を経て、自らの価値観を確立して、多元的になるものです。

 

 しかし、トラウマの影響で、親には反発しながらも、依存させられる、ということが起きるために、本当の意味での反抗期を経ることができません。結果、世界が絶対的な一つの基準でできている、といった価値観を自然と持ってしまいます。


 一元的価値観があると、その価値観の中で力の強いものが上位に来て、そうではないものが下位に来て、支配されてしまう、ということが起きます。

 

 そのため、トラウマを負った人は、常に、どこか自分はダメなおかしな人間だとして、自信がありません。また、社会に出ると、その場で力の強い人にいいようにされたり、支配されやすい傾向があります。

 

 逆に、躁的防衛として、妙に尊大になって、相手を見下したり、自信満々になりますが、周囲に反発されると脆い性質があります。


 とってもピュアで理想主義的ですから、自分の価値観を他者に押し付けてトラブルになりがちだったり、他人が高い理想を求めないことについて落胆することがあります。

 

 よくあるのは、感情的になったり、他者の悪口などの意識の低い発言をする身近な人を見て、「なんで、この人はもっと高い精神性を持つように努力できないんだろう? 気が付けないんだろう?」と感じてイライラする、といったことです。

 

 

 一元的価値観ですから、他人も自分と同じように考えるはずだ、として、相手に期待しますが、当然ながら相手は同じようには考えてくれずに、失望してしまいます。

 

 

 さながら、テロリストのような心性をもっています。
(理想主義的で、モチベーションが高く、正義感も強く、他人に期待して失望する、ということです。)

 
 自他の区別がつかないために、相手の言葉を真に受けやすいです。
なぜなら、一元的価値観ですから、相手の言葉≒事実 として受け取ってしまうからです。

 「相手は相手。自分は自分」とは思えないのです。

 


 トラウマを負った人は、一元的価値観を持つという性質を利用されて、親や上司の言うことは自分よりも正しい、としてハラスメントに遭いやすく職場や家庭でいいようにされてしまいがちです。

 

→「トラウマ、PTSDとは何か?あなたの悩みの根本原因と克服

 

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

単純化された目標は依存症状態にする

 

 摂食障害という病気があります。

 拒食症、あるいは過食症などのことですが、痩せることにすべてをかけてしまって、ガリガリになり、入院にまで至ったり、我を忘れて大量の食事を胃に詰め込み嘔吐したり、という症状です。

 

 思春期の女性が発症することが多く、愛着不安などを背景にしていると考えられます。思春期特有の複雑な人間関係や人生の悩みを自分の体重をコントロールすることで、絶対の安心や自信を得ようとします。「自己への不信や不安の病」という性質があります。

 

 複雑な自分や世界を、「体重」というわかりやすい指標にすべて置き換えて、安心を得ているわけです。

 

 

 摂食障害にはある種の依存症という側面もあります。依存症はある限られたことにしか頼れなくなることを言います。その限られたことにすべてを集約して、自己を癒したり、人生をシンプルにしようとしているとも言えます。
 

 これと似たようなことに、仕事などにおける、過度な「動機付け」があります。

 

 ある種の会社は、会社の単純化された目標に社員の人格などもすべてを集約して、動機付けて業績を上げようとしています。本来仕事とは総合的で複雑なものです。社員の能力も複雑ですが、単純化することで疑似的に依存症状態を作り上げます。


 シンプルに絞られた目標めがけて、社員が馬車馬のように働かせます。

 

 自己愛性障害の社長が作ったしくみの中で そうした社員たちも愛着不安を抱えていることが多く、まさに、摂食障害の患者のように、極端に単純化された目標(数字)を猛烈に追いかけようとします。

 

 問題なのは、「単純化された目標」が人格のすべて、だという極端な動機付けをしているために、それが達成できない人がいた場合、苛烈に否定し、こき下ろしてしまうのです。

 

「あんな、仕事のできないやつ。いなくなればいいのに」

「なんで、会社に来ているんだ」

 といったような暴言や陰口が飛ぶようになります。同じ職場で働く人も、「仕事ができるかできないか」だけで判断しようとします会社もそれを暗に肯定します。会社におけるモラハラ、パワハラの背景にもなっています。

 


 人間というのは総合的なものであり、単一の目標で表すことなどできません。いろいろな面があり、多元的です。

 

 しかし、特定の数字や“達成動機”という一側面に、人格も何もかもすべてを代表させて、それを追いかけさせることで、結果として会社の業績は急成長します。

 

 ただ、社員はボロボロになったり、成功したとしても、どこか違和感のある「意識高い系」の人として他の会社に行くと宇宙人扱いされたり、するようになります。

 

 世の中で社員のモチベーションが高い、と言われる会社でも、内実を見てみると、上記のように、パフォーマンスが低い同僚に平気で暴言を吐いたり、バランスを欠いていたり、宗教的な雰囲気があったり、といったことがあります。満足して会社を評価しているのは、そうした雰囲気にハマった人たちだけ。

 

 そうした会社でたまたま働かされて、心に傷を負ってしまった人も多くいます。実際に社員が自殺してしまって問題なったり、ということも生じています。

 

 大切なのは、バランス。人間とは総合的なものである、価値観も多元的である、という観点です。

 

 戦後の高度成長期の猛烈なワーカホリックな風土は、もしかしたら、戦争の傷を仕事という極端な行為で癒そうとしていた、ある種の依存症的な現象だったのかもしれません。

 

 昨今の、ワークライフバランスの重視や働き方改革といった動きは、社会の成熟化を示しているといえそうです。

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について

 

”やる気が高い”は要注意

 
 やる気が高い人、モチベーションが高い人は優れているといわれています。確かに仕事でも、情熱をもって働くことは良いことです。

 

 しかし、実は、臨床心理の専門家からは、やる気が「極端に」高い人は、実は自己愛性パーソナリティ障害ではないか?とされます。

 

 愛着が安定している方であれば、「そこにいるだけで承認されている」という感覚があり、物事全般にバランスが取れていますから、極端に何かを達成しなければならない、という感覚はないからです。

 

 ほどほどにやる気がありますが、一定以上働くと疲れるし、飽きも来るし、やりすぎることはありません。

 

 しかし、愛着が不安定だと、それを仕事で埋めようとしてしまいます。その結果、極端なやる気となって表れて、疲れも知らずに働こうとしてしまうのです。

 

 会社の経営者(特に創業者)などに多いとされます。

 
 もちろん、愛着が不安定であることが必ずしも悪いことではありません。社会的成功のエンジンともなります。

 しかし、ある期間を過ぎたら、どこかでバランスを保つようにシフトをする必要があります。そうして大成していく方はいらっしゃいます。

 

 それが上手くいかないと、家庭が壊れたり、会社でも行き過ぎて破綻してしまったり、ということが起きます。

 

 昨今のブラック会社として話題になるような会社は、自己愛の強い経営者によって創業されて、そうした経営者の価値観でなりたっていますので、通常のやる気や働き方、そして「ただ存在しているだけではだめだ」として、過度な労働を強要されることで起きているように思われます。

 

 現在の職場で生きづらい、と思っている方は、もしかしたら、そうした職場の「環境」に問題があるのかもしれません。

 

 

●よろしければ、こちらもご覧ください。

ブリーフセラピー・カウンセリング・センター公式ホームページ

お悩みの原因や解決方法について